第3話

 ピピピピピピピピピ....


 機械音が僕の鼓膜を揺らし、登った陽光が僕を焼いた。


 時計を見れば陽がすっかり顔を出している。


 適当に着替え、準備をし、家を出る。

 慣れた手つきで車を走らせ、君が生まれ育った、僕が育った故郷へと訪...帰る。






 車で約3時間。故郷の町並みが見えてくるにつれ思い出したくない記憶と忘れたくない記憶の両方とが蘇ってくる。


 基本緑で必要な店以外に娯楽と言えるようなものもない田舎町。子供のころはここが僕の世界のすべてだった。


 僕が故郷を離れたのは約2年前。家族とも仲良くなかった僕は、高校卒業してからずっとアルバイトをして、使うことのなかった必要外のお金を家に置いて故郷を離れた。君がいないならどこにいても同じだし、それに親元を離れたかった。関わりたくなかったんだ。


 君とならこんなふうにして会うこともできるから。


 自然溢れる森林に囲まれた静謐な墓地。もう4年も歩いたいつも通りの道だ。そして君の名前が1番新しく刻まれたお墓の前に立つ。


 やり方なんて知らないけど、今も綺麗なままのお墓に水をかける。誰かが来たのかなんて分かりきっている、当然君が残していってしまった家族たちがいる。


 来る途中で買ってきた君が大好きなバウムクーヘンと、赤、白、黄の3色の彼岸花をお供えする。彼岸花の花言葉の一節には「追想」、「あきらめ」がある。


 これは何に対してのあきらめなのか。君に会うことはもう出来ないという諦めなのか。それとも自分自身に対する諦めをなんの罪もない君へ告げているだけなのか。


 だけど彼岸花にはもう1つ花言葉がある。


『思うはあなた一人』


 それだけは絶対に変わることの無い、僕の思いだ。過去も未来も永劫、君は大切な人だ。


 1人世界に取り残されたような静けさに合わせるように、僕は手を合わせて、君に話しかけた。





 ――――思えば最悪な出会いだったなと思う。


 人生は一本道。けれど、ほかの人の道と交わってしまうといつも必ず後悔する。


 何もかも思い通りにならない。いつも僕の周りは僕を不幸にするようにきっと回っているんだ。そんなもの気のせいなのに、全部自分のせいなのに、それに憤慨するどうしようもない僕。

 僕も、誰も、彼も、何もかもなくなってしまえばいいのに。全てに意味を、価値を見いだせなかった。


 高校3年になったばかりの頃、僕は遂に死のうと試みた。けど、外だったのが悪かった。その場に居合わせた名前も知らない女子に止められてしまった。後で同級生ということを知った。

 結局僕は死ねなかった。

 全てを闇で包み混んでしまいそうな1寸の光も差し込まない暗い暗い強い雨の降る日だった。


 その女子はこういった。


 命を大事にしろ、と。あなたの大切な友達や家族が悲しむ、と。


 彼女は簡単に僕の琴線に触れた。氷から蒸気へと昇華するような勢いで。

 この女子はきっと世の中の悪意も闇も知らずに今まで幸せ生きてきたのだろう。

 無性にこの頭の中お花畑のこいつに現実を突き付けてやりたかった。こんなことに意味なんてないのに。当てつけだとわかっていたとしても。


「なんでそんな簡単に命を投げ捨てられるの?」


 グッと手を強く強く握りしめる。爪が手の平にくい込むほど。表しようのない怒り、今までの鬱憤を無関係な目の前の彼女へと向けてしまった。理性ではすべきでないことは分かってるのに、口が先行する。


「お前に...」

「え?」

「お前らなんかに何かわかる!」


 驚いてびくりと体を震わせる。罪悪感が襲うのも一瞬で、すぐ感情に塗りつぶされ、啖呵を切った僕の口からはとめどなく思いがあふれ出す。


「お前が僕の何を見てそう言ってんだ?」

「...」

「僕はな、何も無いんだよ...。何をしてもいつも後悔ばっか。

 僕には、生きる意味がないんだ。価値も理由も。

 結局友達も、親ですら僕を必要としてないんだから。」

「...ぅ」

「誰も僕なんか見てない!」

「違う...!」

「誰も僕を必要としてないんだよ!」

「そんなことない!」

「なんでそんなこと言えるんだ?僕のことなんて知らないだろ?

 将来、未来にすら希望もない、気力すらない、ずっと逃げてるだけで、何もかも空っぽで醜い僕なんて...」


 口が走り出したらもう止まらない。


「僕なんて死んだ方が....!」


「あなたはっ!!」


 今までよりも大きな声が僕の先の言葉を遮る。


「あなたは何もわかってない!」


 今までの態度との違いに僕はたじろいで、言葉が詰まる。攻勢が逆転したように、彼女がまくしたてる。


「あなたみたいに未来があるからそんなことが言えるのよ!」

「え?」

「あなたは死ぬ人の気持ちなんて全く分かってない!」

「...」

「あなたには分かるの?未来が、突然真っ黒に染まった気持ちが。理不尽に立ち向かうことすら許されなかった気持ちが分かるの?本当に死ぬってどういうことか分かってる?」

「それって....」

「何もできないの。喜びも楽しみも嬉しいことも、苦しさや辛さ、痛み、後悔すらできないの。とてつもない無力感に襲われて、無だけが残るの。そこは何もない闇。絶望の果て。死んだら何もかもが味わうことができない。あなたにこの気持ちが、そのことがわかる?」

「それは....」

「あなたは理不尽に抗う力がある。未来だって変えられる。あなたはそれを知ったかのように達観するだけして自分から諦めてるだけ。自分だけ勝手に壇上からおりて自分を正当化しようとしてるだけ!」

「っ!」


 それは違う。断じて違う。もし、彼女の言うことが本当で、不幸な運命にあったとしても。僕にも譲れないものがある。


「そんなもの理想論だ!僕は精一杯考えた!ずっとずっと考えていた!

 ....僕には何の“才能”も持ってなかった。みんなが持って当たり前の“才能”というものを僕だけが持っていない。だから、君が言うようなことは僕には不可能なんだ...」

「そうやって言い訳にして!そんなものどうでもいいでしょ!関係ないでしょ!あなたが何かしなければ、動くことでしか何も変えられないの!あなたはそれを放棄してる!」

「僕は全て鑑みて言ってる!生きてくことの辛さ、嫌なこと、苦しみよりも!死んで一瞬の痛み、苦しみだけですべてが開放される!僕という思考が、自我が!消えてなくなるんだ!何も考えなくて良くなるんだ!虚無だけが僕の唯一の救いなんだ!」


 口論の応酬に僕も彼女も息は絶え絶えだった。一瞬、無音の時が流れる。雨音だけが世界を支配し、僕らは傘もとっくの昔にどこかへ投げ捨てて全身ずぶ濡れだ。

 その雨に冷やされて僕は一瞬で我に返る。


「ごめん、冷静じゃなかった。君に言うことじゃなかった。本当にごめん。

 それでも僕は君が羨ましい。僕が君だったら良かったのに....代わりに死んであげられたのに」


 自嘲の笑みがこぼれる。死にたい奴に、死の魔の手は伸びることは無い。嫌味という程に死にたい僕を生かす。


 バシン!と頬に衝撃が走る。目の前の彼女がくりだした平手打ちだと1歩遅れて気づく。力なく立っていた僕には体を支える力もなく、地面に倒れ伏す。そして君は僕の体を優しく起こして抱きしめた。どちらかと言えば、泣きついたというほうが近い。


「そんなこと絶対に言わないで。」


 僕の後ろに回す手が強くなった。雨に体温を奪われた僕にはより一層彼女の体温が伝わってきた。初めての温もりに、抱擁に僕はされるがまま。


「私が見ててあげる。私がずっと見ててあげる。私があなたを必要とするから。だから...」


 気づけば頬に水が伝っている、雨じゃない、感情の爆発がそれをさせていた。耳元から聞こえる僕の胸の内に縋る君も泣いていた。

 思い出すとおかしいことばかり。初めて会った奴に、こんなことを言える人がいるなんて。でも、その言葉で確かに救われた僕がいたことも確かだ。


「だから簡単に死んだほうがいいなんて言わないでよぉ...」


 人生捨てたもんじゃないと思えたものだ。僕のために涙を流す人がここにいる。最初僕は困惑した。なんで泣いてるかわからなかったから。

 今思えば、それは彼女は誰よりも、人の気持ちに寄り添える、優しさあふれる人だったからなのだ。


「辛い現実ばかりなら逃げてもいい。逃げて、にげて、逃げて、逃げ続けていい。けど、死んでいい理由にはならない。死んじゃ駄目、私が許さない。

 あなたが誰からも認めてもらえないのなら、救いにならないのなら、だったら、私があなたを認める、許す、必要とする。全部、何もかも受け止めてあげる」


 それは僕にとって唯一伸びるの救済の手。気づいたらその手はもう取っていた。

 その返事は、抱擁で。君の背中に回した僕の手は君を強く抱きしめ、君の体温を一心に感じていた。

 そうして僕らは温もりを分かちあった。




 これが僕の人生での運命の出会いだった。






 ――――君のおかげで僕の人生にも華が咲いた。たった一年だったけど君に求められていた僕は本当に救われた。生きる理由なんてもうないけど、君がここに眠っている限り、僕の心臓が動く限り愚か者なりにも生きていこうと思える。君が僕を許してくれたから生きていける。

 全部君のおかげだ。本当にありがとう。


 ....また来るよ。




 目を開けると供えたお菓子と花。意識が現実へと戻ってくる。


「...虎太郎くん」


 お盆でもないただの日にわざわざこんな所に来る人は限られている。そして静寂が支配された世界の中で僕の名前が呼ばれたことを聞き逃すはずもない。振り返ると一人の女性がいた。驚きの表情で僕を見つめている。僕も驚いている。

 だって.........


 懐かしい声音、顔、雰囲気、面影をもった同年代の女性。


 そんな彼女に君を幻視したから。

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