第5話
―虎太郎へ
わかってたことだけど、虎太郎にもう会えなくなるのは寂しいね。
私ね、虎太郎に初めて会った時、多分一目惚れしたの。
最初は目の前で人が死ぬのが嫌で私は虎太郎の自殺を止めた。死ぬことから目をそらしている自分に見せつけられるような気がして、それを拒絶したかった。虎太郎からしたらいい迷惑だったろうけど。
ただそれだけだと思ってたの。でも本当は違った。何で死にたいか私は知りたかったんだと思う。私は何も知らなかった。虎太郎の言ったことは私という人間を根本から覆したの。だけど、その代償のように虎太郎は見るからに傷ついて、ボロボロだった。
今にも壊れそうな虎太郎をみて私が守らなきゃって思った。私しかいないんだって思った。
私も私でその時こんなふうに思ってたんだ。どうせ死ぬのに私が学校に行って、勉強して何の意味があるんだろ?って。
虎太郎は私よりも長い間、いろんなことを考えてた。たくさんの意味について考えていた。思いを打ち明けてくれるたびに私はそのことに納得、共感できたんだ。結局無に帰結するとしても共有することで、同じ思いを抱えているのは私だけじゃないと思えたから。それが私の心の安寧につながってた。
虎太郎はこんな苦悩をずっと独りで抱えていたんだと思うと耐えられなかった。私がもっと受け止めてあげたくなった。辛いこと全部私に吐き出して欲しかった。苦しみを半分こしてあげたかったんだ。
今なら、この疑問の答えがわかる。そこで虎太郎に会うためだったんだ。
死ぬってわかって、一人打ちひしがれて何もかもが灰色の世界に虎太郎は意味を、色を付けてくれた。一緒にテスト勉強したり、一緒に帰ったり、一緒に文化祭回ったり。虎太郎と過ごした学校生活は本当に楽しかった。
初めてキスした時は本当にうれしかった。私も求めて、虎太郎も求めてくれた。こんな時間がずっと続けばいいのにって願った。死んじゃう私には絶対に叶うことのない願いだけど。夢くらい見たっていいでしょ?
たった少ない一年だったとしても虎太郎はたくさんの思い出をくれた。かけがえのない時を過ごせた。私にも恋ができた。ありがとう、本当に本当にありがとう。
最後に。虎太郎はずっと死にたいって言ってたよね。楽になりたいって。もし今でも私との約束が虎太郎を縛り付けているなら、ごめんね。もう好きに生きて。私の言ったことは忘れて。悔しいけれど、私はもう虎太郎の隣には入れないし。
それでも私は最後まで虎太郎のこと見てるから。虎太郎がどこにいたとしてもずっと一緒だよ。それでもし再開が早まったとしても。じゃ、ばいばい。また会おうね。
大好きだよ。
由依―
手紙を持つ手が震える。由依の最後の贈り物を無駄にしたくないのに、その心と裏腹に、手紙に落ちていく雫は止まらない。僕なんかよりずっと辛かったのは由依のはずなのに。
ポトリとポトリと。視界がぼやける。今にでも決壊しそうだった。今まで溜め込んできたダムが壁を圧迫するほどの勢いに、僕は。僕は、
「うぅ...あぁぁ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ...............」
僕はその場に崩れ落ちた。久々の君の言葉に。そしてこれがも、本当に最後の言葉だって考えると、これからはもう会えることはないんだって。
「忘れられるわけ...ないだろっ...」
やっと自覚した永遠の別れに、僕は耐えられなかった。
君と逢ってから、少しだけ僕の世界が色づいた。君と話して、世界が彩に満ちた。君と笑って、世界は鮮やかに、そして綺麗になっていった。
これまでの君との記憶が僕の頭の中を駆け巡る。
あの日、君と出会ったとき。
元気で精いっぱいの君の顔が。
初めてデートをしたとき。浮かれて重なった唇の感触。照れた君の瞳も。
君の家に招いてもらった時。家族の温かさを知った。家族の愛というのも教えてもらった。
君の笑顔。楽しそうな顔。心配そうに見つめる顔。悲しそうな顔。泣きそうな顔。全部全部が僕の頭の中に鮮明に浮かび上がる。
君が、君が、君が、君が、君が、君がっ!!!!!!!!!!!!!!
大好きな君が!!!!!!!!!!!
思い出しては離れていく。
もう会えないんだね................
僕ももう行くよ
君がそうしたように
本当にお別れだ
ばいばい
また会おう
絶対に忘れないから
力入らない僕に、夢乃さんが僕を、自分の胸に抱きよせた。ゆっくりと背中をさすってくれる。まるで壊れ物を扱うかのように優しい手つき。夢乃さんが耳元で懺悔するようにささやく。
「ごめん、私も読んじゃった...。勝手なことしてごめんね。見つけた時、渡さなきゃって思ったけど、家に行ったら出てったっていうし、渡せずじまいで....
私、虎太郎くんのこと、由依といるとき楽しそうだったから。妹を元気づけてくれて本当に感謝してた。こんなに笑いあえて羨ましいなとも思ったりした。
でも由依と同じくらい、虎太郎くんも抱え込んでいたんだね。私、虎太郎くんのこと全然知らなかった。あの子が虎太郎くんに救われていたように、虎太郎くんもあの子が救いだったんだね。
私にも、もっと虎太郎くんのこと教えて欲しいな。
由依の代わりにはなれないって知ってるけど、こんなのあんまりだよ。これからはさ、全部私に吐き出していいから。辛いことも、泣きたいことも、全部全部私が聞いてあげるから...。受け止めてあげるから。虎太郎くんまでいなくなるなんて言わないで。」
泣くのはいつぶりだろうか。君の目の前で泣いた以来。君がいなくなってからも涙が出ることはなかった。知っていたことだから。不思議と涙は出なかった。その時からはずっと心に穴が空いた感覚だけが残っていた。
今日夢乃さんと出会って、手紙を読んで君の欠片が僕のぽっかりと空いた穴にはまった。そして夢乃さんが僕のその穴の隙間を埋めてくれようとしている。夢乃さんの顔は僕の真横にあって見ることはできないけれど、首筋に垂れる涙が自分のではないことがわかる。夢乃さんが僕のために泣いている。
2人目。そう、2人目なんだ。僕のために涙を流してくれた人は。
「...夢乃さん、由依が死んだ時、僕は初めて死を実感しました。
死ぬってこういうことなんだ。誰の記憶にも残って無ければそれこそ無に終わる。
僕と出会った時の由依もそう言ってました。
きっと僕が死んだら由依のようにはなれないだろうな。家族が悲しんで、友達も、みんなに愛された由依のようには。
そんなこと分かりきっていたから別に悲しくはなかったんです。僕はただ1人、由依に必要とされたことだけがあれば、ほかはどうでもよかった。
すぐに由依に会いに行ってもよかった。
けど、由依に会ったせいか、おかげか、今までより死ぬのが怖くなったんです。由依の思い出が消えることが僕は嫌だったんです。だから結局僕は死ねなかった。
そして、由依が大事にした、夢乃さんやお父さんやお母さんを勝手だけど僕も守りたいって思う。僕にはただ幸せになってくれることを願うことしかできないですけど...」
「ううん、そんなことない」
由依が似たのか、由依に似たのか、同じように夢乃さんが言ってくれる。
僕はしばらく抱擁の中にいた。泣き顔を見られるのが嫌で。久しぶりに感じた温もりから離れることが出来なくて。
僕たちが落ち着きを取り戻してから夢乃さんが切り出した。
「ここに帰ってこない?」
「いや、でも..今更両親になんて」
「分かってる。だからうちに来ない?」
「え?」
それは川が流れるほど自然と言って、僕も僕で何故か疑問に思うことなく受け止められた。
「結婚しよう、私たち。」
夢乃さん平然と言ったとしても、顔には決意が見え隠れしている。その決意の裏には若干の不安も見えた。
僕の返答は、出た言葉は、それが当たり前だというように肯定を示した。
「はい」
パッと笑顔がはじけて、一縷の涙がまた頬を一つ流れた。
「これからよろしくね、虎太郎くん」
「うん、よろしく夢乃」
こうするのがいいと思った。それは夢乃も同じで、受け入れてくれた。二人の間にはかけがえのない人がいる。その由依が繋いでくれた縁。ちょっと歪な関係だったとしても、これも一つの幸せの形だと僕は信じたい。
僕たちは長い間そうしていた。互いの存在を確かめ合うように。
人生二度目の口づけはかすかな檸檬が香った。
一年後。
うららかな暖かい春の日。
ここに1つの命が芽吹いた。生命の息吹が室内を飽和した。
「
「それは...」
「結ぶ心、
「...うん、うん、結心。私もその名前がいいな。」
泣き疲れた結心が眠る隣で僕たちは笑いあった。
今、
今ここで、
生について問おう。愛について問おう。
生とは何か。愛とは何か。
それは自分が見つけなければいけないもの。他人から提示された答えを受け入れることは出来やしないのだ。自分でも無責任だと思う。けどそうするしかないのだ。
僕の生きる意味は、夢乃と、結心との幸せを守ること、一緒に寄り添うこと、添い遂げること。由依が作ってくれた縁を僕は絶対に忘れない。大切なものが増えた今でも由依は僕の大切な人の一人だ。それは夢乃も同じ想い。
これが今の僕の生きる意味で、理由だ。
そして、僕の思う愛とは、まだまだ探している最中だ。
それでも、言葉にするなら、愛とは一人だけでは成り立たないもの。誰かと、誰かがそれぞれの想いを受け止めない限り愛は成立しない、愛とは言えない。それは、何よりも感情論なもので、きっとどうしようもないエゴなんだろう。
それがどんなエゴなのかは、これから先ゆっくりと前に少しずつでも進みながら見つけていこうと思う。
由依を胸に、夢乃と結心と一緒に。
僕は小さな幸せだけでいい。ただそれだけでいいから築いていきたい。
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