第3話 姉と弟

「ただいまー!あッ、そッ、かッ!ママは買い物だったわぁ」


 帰宅したジュエリは玄関で靴を脱ぐと、気怠そうにポーチを振り回しながら、台所へと続く廊下を歩く。

 台所に着くと、冷蔵庫から冷えたミネラルウォーターを取り出し、ハミングしながら居間に向かった。

 そしてソファーに飛び座りながら、暑さで涸れた喉を潤す。


「ふはあああぁー!生き返ったわぁ!」


 ジュエリは耳に付けていたイヤホンを外し、スマホの音量を最大限に上げ、流れる曲に合わせてハモりだした。

 そのままソファーにふんぞり返って歌っていると、2階からドタドタ足音を立てながら、中学生位の少年が凄い形相で飛び込んで来た。 


「ねーチャン!!何処行ってたんだよッ?探してたんだぞッ!!」


「あら!樹里矢ジュリヤ!帰ってたの?実は今、ウイちゃんと隣町まで変質者退治に行ってたのよ」


「変質者退治?」


「そう。結果的には変質者では無かったんだけど……まぁ、変質者予備軍みたいな奴だったし、良しとしたわぁ」


 ジュエリの弟、樹里矢ジュリヤは少し眉をひそめた。

 この姉が突発的に変な行動をするのは何時いつもの事である。

 他人に迷惑かけて無い事だけを祈った。


「ねーチャン!それより俺の部屋のクワガタ知らない?飼育ケースに入れてた7センチ超えのやつ!」


「クワガタ?ああ!あのつのゴキブリ?キショかったので、殺虫剤ぶっ掛けといたわぁ。死骸はママが始末してくれたみたいよ」


「ええええぇぇぇええええ!!こ、殺したの?飼育でも滅多に現れない、7センチ超えのオオクワガタだよ!な、なんで殺したんだよ!!」


「だって、借りようとした漫画の近くに居たんだもん。ケースの中でカサカサ動いて我慢出来なかったわぁ。どうせあんなのキッチンの下を探せば沢山居るんでしょ?必要なら新しいの捕まえればぁ?」


「オオクワガタが台所に生息してるわけないだろー!!馬鹿ねーチャン!!」


「はぁ?何て言った?」


「あ、いや……」


「ジュリヤ……去年の8月7日のお昼。アナタはココで何をしてた?」


 弟は恐縮するように押し黙ってしまった。


「ママが知ったらどう思うかなー?ショックだと思うわぁ。自分の息子が、まさかあんな事を――」


「そ、そ、それだけは御勘弁を……」


「あと、3日前のあの事。あなたのクラスの友達にバラしてもいい?きっとクラスで一番の笑い者に成れるわよ。ずっと……永久に……」


「ヒィィィ!お、お止め下さい!お姉様。僕、本当に調子に乗って御無礼な発言を……」


「ジュリヤ。アナタは私の何?」


「ハイ。下僕です」


「分かってれば、よろしい!」


 弟は頭を下げながら見えないように舌を出した。

 でも、舌を出した事は後でバレるかも知れないので、若干後悔する。


「そうだ、ジュリヤ!サムネは?完成した?」


「えっ!?あ、うん。一応作ってみたけど……ねーチャン本当にやるの?」


「当たり前でしょ!あーでも、一年後なのよね。早く一年立たないかなー!待ってられないわぁ」


 小巻こまき樹愛梨ジュエリは現在十六歳で、来月には十七歳の誕生日を迎える。

 彼女は一刻も早く動画共有サイトでの投稿デビューをしたいのだが、まだ始めない訳が有った。


「何で十八歳未満はお金くれないのよー!ねぇ?」


「仕方ないだろ。広告収入にはアドセンスが必要なんだから。アドセンスは十八歳以上でないと獲得出来ないし」


「パ……クソオヤジのアカウントで、こっそり配信しようか?」


「いや、バレるから。それに父さんの会社は副業禁止だから、後々面倒なことになるよ」


「ハァー。宝の待ちくたびれだわぁ……」


「持ち腐れだろ」


 二人は一階の居間から離れ、二階のジュエリの部屋に入った。

 弟は学習机前のチェアに座り、パソコンの電源を入れる。

 姉は部屋の隅にあったクッションを抱えると、ベッドに胡座あぐらをかいて座った。


 現在二人の両親は留守である。

 父親は仕事、母親は買い物に出掛けており、高台の一軒家には姉弟の二人だけであった。


「ねーチャン。配信だけどさあ、イコニコ動画から始めない?初心者は、こっちの方が固定ファンを掴みやすいんだって。YouTubaは、ファンを掴んでからでも遅くないしさあ」


 パソコンのマウスをいじりながら弟が言った。

 結構慣れた手付きである。


「イコニコ?あのコメントが流れるやつ?嫌よ。オタク扱いされるんでしょ?興味無いわぁ」


「嘘付け!けっこう見てるくせに。履歴残ってるよ」


「キッショ!勝手に見ないでよ!」


 弟は背中にクッションを投げつけられたが、構わずキーボードをカタカタ鳴らし続けた。


「俺、実はさっきまで友達の家にいたんだけど、そいつがイコニコ配信やっててね、編集してる所を見せてもらてったんだ。そいつ、イコニコはすぐポイントが溜まって、結構儲かるって言ってたよ。生放送とかチップも入るらしいんだ。もちろん配信には親の許可がいるけどね」


「ウッソッ!!マジで!!ヤッルッ!すぐやる!ママにはゲーム実況とか言って、真相は黙って始めましょ!」


「そう言うと思った」


 ジュエリはベッドから飛び上がり、弟の背後から身を乗り出すようにパソコンを覗いた。


「んじゃ、まずは会員登録して……で、ねーチャンはどういった動画を作りたいの?」


「そこなんだけど……まずは超常現象に興味の有る人を集める。そして私の力を動画で見せつけて、視聴者が増えたらコメント欄からリクエストを募集するの。それに答える形で、私の力が本物かどうかを見定めてもらうわぁ。面白そうなリクエストにはドンドン答えていく。そして私の力を本物だとガンガン広めてもらい、やがてバズってミリオン超え!こんなプランでどう?」


「イイね。因みにねーチャンは、どれぐらい昔を見れるの?」


「えーと……あれッ!あれ?何だっけ?フサフサした象さん……」


「マンモス?」


「そう!ソッレッ!それ見たことあるわよ」


「スゲェー!じゃあ少なくとも1万年以上前は見れるね。ひょっとしたら恐竜も見れるかも」


「キョーリューって何?」


「昔、博物館で骨格標本一緒に見ただろー!デカイデカイって、はしゃいでたじゃないかー!」


「あーぁ!絶滅した大トカゲの事ね!」


「ねーチャン、高校生なんだからマンモスや恐竜位は覚えとこうよ……」


「ジュリヤ、いい!私のこれからの人生で、生きたフサフサ象さんや、絶滅したトカゲに街でバッタリ出会う事案なんて、絶対に発生しないのよ。生活に必要の無い名詞なの。わかる?因数分解を覚えたところで、大人に成ってから使う機会なんて、皆無かいむだって聞くわぁ。あれと一緒。必要ないなら記憶に深く刻まなくても、この先困る事は無いのよ」


「いや、常識としてさ……あれだけ繁栄した恐竜が、なぜ絶滅したのか気にならない?隕石衝突が原因なのか、大規模な火山が原因なのか、研究する事により、人類がこれから来る危機の対策にも――」


「もう居なくなったモノの事を、何時までもグダグダ考えても仕方ないわぁ」


「あのねぇ……まぁ、いいや。んー、そうだ!ねーチャン、クイズしようか!」


「クイズ?何よ、唐突に」


 ジュリヤはノートとペンを取り、何やら書き出した。


「出来た!ねーチャン。これ空いてるとこ埋めてみて」


 ノートには奈良時代から令和時代までの時代区分を、表にして書き記されていた。

 所々歯抜けに成っている。


「はい、第一問。奈良時代の次は何時代でしょう?」


「江戸時代」


「飛ばし過ぎ!はい、ヒント。鳴くよウグイス……」


「ウグイス?……分かった!青春時代!」


「ねえよ、そんな時代!何でそんな答えに成ったんだよ!」


「ウグイス青いし、春に鳴くし……」


「正解は平安時代。鳴くよウグイス平安京って覚えたろ?」


「知らないわよ、そんなの!ウグイスと平安関係無いじゃない!ヒントが悪いわぁ!」


「いや、794年……まぁいいや!じゃあ、下のは流石に分かるよね?江戸時代の次!年号だよ」


「えーと……確か、明治時代、昭和時代、バルブ時代よね?」


「バブルだよ!バルブ崩壊したら水道屋大忙しだよッ!だいたいバブルは年号じゃねえし!ねーチャン、よくそれで高校受かったね」


「歴史と理数系は不得意なのよ!あと国語と英語」


「ほとんど全部じゃん」


「うるさいわね。受かったらこっちのもんなのよ。だいたい学校の勉強って、卒業したら忘れて良い物ばかりでしょ?」


「ねーチャン。例えばさあ、リクエストで『織田信長の最後見て来て』って、言われて直ぐ見れる?織田信長が何時代の人か、何年前のどの場所に居たのか、いちいち調べなきゃ分かんないんだろ?見てる人はどう思う?『本当にコイツにそんな能力有るのかよ?』ってなるよ。せめて時代区分表は頭に入れようよ」


「分かったわよ。少しは勉強しとくわよ」


「因みに織田信長が何をした人か分かる?」


「ちょっと!そこまで馬鹿にする気?流石に知ってるわよ!」


「何した人?」


「ホトトギス殺した人でしょ!」


「いや、それ例えの川柳だから……ホトトギス殺した位で教科書載らないし――」


「あっ、そう。どうでもいいわぁ。歴史なんか知らなくても、私なら何とかなるわよ」


 そう言いながらジュエリはいきなり制服を脱ぎだすと、スポーツブラとショーツ、そこにニーハイソックスを履いてるという半裸姿に成った。

 細身だがアスリートみたいなメリハリの有るボディー。

 ウエスト周りの見事な腹筋とくびれを見れば、男女問わずに見惚れてしまうだろう。


「ねーチャン、弟の前でいきなり着替えるなよ!恥じらい皆無かいむかよ!」


「何言ってんの。この前まで一緒にお風呂入ってたくせに」


「何年前の話だよ!てかッ、何で学校休みなのに制服着てたの?」


「服を選ぶの邪魔くさかったのよ。けど撮影するなら制服だと学校バレするから駄目でしょ?」


「えっ?」


 ジュエリは下はデニムのショートパンツ、上は肩出しチュニックに着替えると、ダイヤマークの入った黒いマスクを顔に嵌め、頭にローキャップを被り、最後に懐中時計を首に掛けた。


「さぁ行くわよ!あんたはカメラ持って着いてきなさい」


「今から外に出て撮影するの?ネタは?」


「外をブラブラしてたら適当に見つかるわよ。さあー!ハリーアップ!」


 そう言ってジュエリは意気込み、部屋から走って出ていった。


「ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ!ねーチャン!まだ登録もしてないし!あー、行っちゃったよ。あーゆうとこなんだよなー……」


 突然の姉の行動に、ジュリヤは頭を抱えながら立ち上がった。

 パソコンを消して部屋から出ようとした時、ジュリヤは有る事に気付いて部屋の中を見渡す。


「そういえばポスター剥がしたんだ。何でだろ?」


 ついこの間まで部屋の壁には、姉がお気に入りだった若手俳優のポスターが一面貼ってあった。

 それが全て無くなっている。

 ジュリヤは姉が別のアイドルのファンに鞍替えしたんだろうと思い、余り気に止めずに下で鬼叫ぶ姉の後を追った。

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