終章 1
俺の口から計画の結末について破綻を告げられても、純也は特に驚きを見せることもなく、冷静に言葉を寄越した。
「僕の計画に欠陥は無い。だから偶発的破綻はありえない。ならば学、お前が破綻させたわけだ」
たぶん、純也は既に幾つかの推論を構築し終えているのだろう。そしてその一つが正解だろうという確信を持っているからこそ、冷静に言葉を重ねられる。そう思えるのは、純也が『過大評価だ』と返す人間ではなく、『そのとおりだ』と応える奴だろうからだ。
そして、ここに来て更に事が二転三転しかねない展開に、能島先生が困惑し呆れるのも頷ける。
「え、でも今更どうこうなる問題じゃないんでしょ?だから、手遅れだって言ったのよね?」
「手遅れだと言ったのは、学が今すぐに管理者である事を辞め、現実の器へ戻ることだ。別に計画の結末を変えられない訳じゃない。すぐに思いつく方法もあるだろ?僕を消せばいい。簡単なことだ」
その能島先生への返答に、『簡単では無いだろう』と心の中で突っ込んだ。簡単に思いつく事は、相手にとっても容易に想像できること。その分、対策もとりやすいのだ。
俺としても純也や葉山美咲を相手にしていなければ、こんな面倒な演目を選びはしなかっただろう。だが、結果として杉村純也を相手にする事となったのだから仕方がない。対策にやり過ぎは無いと言ったのは純也だしな。もちろん、葉山美咲であったとしても同じことだ。
そして、先生への返答からして遠回りをしようとしているであろう純也には悪いが、片付けが終わってから開かれる後夜祭は、火を囲んで踊るだけで十分なのだ。
「分かってて言っているんだろう?それは後手に回った際の選択肢の一つなだけだ。俺が打ったのは先手だよ」
そう言いつつ、能島先生が仮想世界の拠点としている部屋であり、現実世界と仮想世界との間にクッションとして挿まれた小さな仮想空間のドアを、俺は開けた。
「なんで…?」
と、先生が俺の手元に視線をやりながら、疑問を口にした。それは玄関から延びる廊下の先が夜にしてはやけに明るい空間になっていた事にではないだろう。俺が鍵を使わずにドアを開けた事に対しての疑問だったに違いない。
「まぁ聞け。とても簡単な話で、対策が綻びになることもあるんだ。
ここで暮らす一人一人の配役を純也は好きに選ぶ事が出来た。それを利用して、純也は葉山美咲を真似る様に、仮想世界で矯正される人間の行動をある程度まで制限していたんだろう。そしてそれの応用として俺に能島先生への警戒心を抱かせ、無数の選択肢を狭めさせた。
だが例え狭められたとしても、一つの結末へ導く為には相応の伏線が必要になる。俺の場合は、『ここが現実ではないと自らで辿り着く』が最も重要だろう。俺は霧海さんと富士山へ行き、帰りの電車で寝過ごしたから気づけた事だ。
ただ、それにしたって偶然に頼りすぎだとは思えないか?
もちろん、そのシナリオへ導くことが難しいとは思わない。配役と意図的に事故を起こしさえすれば、後は勝手に旅行へと狩り出されるだろうからだ。
でも、それでもだ。完璧や完全と言う物が存在しないのと同じように、人工的とは言え人間が絡む以上は絶対の安心を得られるはずもない。だから、俺が富士山へ行かなかった時の為に。行ったとしても帰りの電車で寝過ごさなかった時の為に。伏線足りえるものを配置していたんだろう。その一つに俺は付け込む隙を見出した。それだけの事だ」
そう言って、俺は玄関にある靴箱の上を指差した。それに反応を見せたのは能島先生だけだった。
たぶん純也は、俺がドアを開けた時点で結論に到っていた筈だ。何せ元は純也が考え配置したキーアイテム。分からないわけがない。
「ここが仮想世界である事の証明を得る為に、葉山美咲が然るべきタイミングで提案する予定だった筈の能島先生が住んでいる部屋の合鍵作りを、俺は一人で実行した」
「どうやって?」
すぐにその疑問を口にしたのは、もちろん能島先生だ。純也にも問う為の言葉くらい用意はあっただろうが、手段を訊ねる理由は無い。仮に俺が純也だとして訊ねるのなら、こう言うだろう。
いつ作ったのか?いつ使ったのか?と、だ。
だから、それも含めて、順番に説明することにする。
「どうやって…そうだな。まず、俺が働いているゲームセンターの店長は、ここに居る全員が富士山旅行で宿泊した旅館の女将と友人関係にあった。で、そんな店長には才能溢れる友人が他にもいる。その人は何でも、ロボットフィギュアやゲームの筐体パーツだとか、刀やモデルガンなどが造れるらしい。そして合鍵も…。
だが、合鍵を作るにしても鍵の種類によって必要な物が違う。幸い純也が複雑なディンプルキーを複製の枷になるからと、このマンションで採用していなかった為に、必要な物が現物でなくても良くなった。故に鍵の形が判別できる物さえあれば、充分だったんだ。
まぁそれは本来、葉山美咲に「部屋の鍵の型を取ったから作れる人を知らない?」と提案させる伏線だったんだろうが、偶然にも俺が自力で型を取ってしまった」
「あ、まさか旅館で?」
と、珍しく先を読んだ能島先生が、俺の言葉を奪う。
「そう旅館で、だ。俺は富士山滞在二日目の夜に、訳あって能島先生が泊まっていた部屋で身体を休めた。そしてその部屋へ入る前に、俺は一階の売店でスティック状のプラスチック粘土を買ったんだ。理由は行方不明になっていた女の子の為にライオンのフィギュアを作る目的で、色を分けて合計六本な。
それで、先生方の努力の末に出来上がったライオンが、どんなだったか覚えているか?」
すぐに記憶を手繰り寄せるかのように能島先生は指折り数え始めると、十秒と掛からず答えにたどり着き、言った。
「それで五色だったのね。私の数え違いじゃなかったわけだ」
その言葉で葉山美咲が能島先生を杉村純也の補佐に選んだ理由が何となく分かる気がした。
俺は呆れた笑みを表には出さず「そうだ」と返すと、終わりの近い後夜祭を先に進めた。
「取った型は店長を通して渡してもらい、一日で合鍵になり戻ってきた。まぁ、型から合鍵をなんて、怪しまれない訳が無いから、少々の苦労はあったけどな。
さて最後に、いつ使ったのか?だが、意外とこれは分かりやすい。
俺は一昨日の夜中、杉村純也であり葉山美咲の携帯電話に対してメールを送っている。内容はこうだ。
『明日、予定が出来た。いつものやつは月曜の放課後にしよう』
返事は、
『了解したわ』
だった。
日曜に予定が入ったと言ったのには二つの理由がある。
一つは、そのタイミングでの急用に意識を向けさせ、俺が現実ではない証拠の確認をしていると錯覚させること。これによって先生の部屋へ侵入する可能性を極限まで小さく見せる事が出来る。そしてもう一つは、月曜日の放課後まで純也の考える幕引きを先送りにする為だ」
一度あった事は、二度目を期待してしまう。当事者である先生なら先を読めるだろうと考えて言葉を切ったのだが、四秒という長い沈黙を持って俺は淡い期待を完全に捨て、再開した。
「富士山へ行く一週間前、俺は葉山美咲に『期末試験と修学旅行が連続してあるから憂鬱』だと愚痴られていた。だが、それ自体はただの愚痴だ。忙しいなと他人事の様に流すだけで、そこから読み取れることはたかが知れてる。
そうだな、『事前の勉強が必要とされる期末試験を修学旅行の後にもってくる事は無い。なら、期末試験からの修学旅行だ。』くらいが良いところだろう。
ただ、それが今回の場合は重要な出目になる。
俺が『放課後にしよう』とメールした際の返事に、『了解したわ』とだけ書かれていたのなら、それは普段と同じ時間で良いという事だ。そして、待ち合わせの時間が普段と同じなら、時間割も同じだろう。これは美咲…いや、純也も言っていたんだ。
『色々あって終業式まで通常授業』だと…。まぁ、事後確認だったけど、確信はあったよ。
それで、だ。月曜日は生物を葉山美咲のクラスで教えていると、前に能島先生が話していたからな。俺は純也と能島先生に互い監視をさせた上で今日の昼過ぎに、この部屋へと侵入したわけだ。
もう俺の打った先手が何なのか、分かっただろう?」
それに対して、言葉は返ってこなかった。
能島先生は無言で頷き。
葉山美咲は、杉村純也は、顎で先を促した。
俺は開け放たれたドアの向こう。やけに明るい空間へ視線を向けて、言った。
「既に品里学は現実へ戻っている。だから、俺は現実に戻れない。だから、純也の計画も、不完全な終わりを迎える他ないんだ」
言い終えて、純也に視線を戻した俺へ、ただ一言だけが贈られた。
「僕の負けだ」
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