終章 辺境への帰郷

 目覚めると、薄汚れた白い天井が目の前に広がっていた。建物の老朽化が進んでいる証拠だろう。この天井ともあと一年ほどでお別れだ。もちろん俺が居なくなるのではなく、研究所が建て替えの為に取り壊される。それ故に、だ。

 身体を起こす。雑に掛けられていた薄手の毛布が一枚、床に落ちる。そして少し温かい風が顔に当たった。それに違和感を覚え、首を傾げる。

 デスクに置かれた電子カレンダーは四月七日と表示をしているのに、自動空調システムが温かい風を吐き出しているということは、外は肌寒いくらいなのだろう。寝る時は暖房が無くても暖かかった筈なんだがと思いつつ、右手首を指でトントンと叩き、腕に現れた気温と時間を確認する。

 時刻は午前六時二十三分。気温は十度だった。

 立ち上がり、毛布を寝ていたソファーに畳んで置くと、デスク前の椅子に掛けられた白衣に腕を通し、所長室から出た。

「やっぱ少し寒いな」

 と、ぼやきながら、誰も居ないオフィスを横断する。目指すは隣接する給湯室だ。

 途中、基本的には何も置かれていないデスク群を見て、変わったなと思う。

 俺が仮想矯正プログラムから目覚めて二十三年ほどが経過しているので、その間に技術の進歩があったことは確かだ。

 そもそも目覚めた時にはスマートフォンと呼ばれる端末が既に世代交代を強いられ数を減らしており、代わりにアクセサリーのような感覚で身につけられる眼鏡や指輪、ネックレスやイヤリングといった物の形をした携帯端末が主流となっていた。

 正直、仮想矯正プログラム内ではガラケーと呼ばれる折りたたみ式の携帯電話を使用していたこともあり、それだけでも浦島太郎の気持ちを理解するのには十分だった。

 それが小型化の進んだ現在では腕に埋め込み、振れば発電出来る為、半永久的な使用を可能とする携帯端末にまで進化してしまっている。まるで、ミステリーの小休止に読んだ近未来小説の世界だ。

 そんな技術革新の結果として、会社への出勤と言うものが殆ど不要となった。何せネットワークは二十五年以上も前に張り巡らせることを完了しているし。名刺サイズの投影型端末をテーブルに置くか、眼鏡のような視覚型端末を身につければ、そこがオフィスの自分専用デスクになる。時間効率的に会社までの移動は無駄だと悟るまで、それほど時間は掛からなかったわけだ。

 それでも未だに安全性の問題を解決できない車は空を飛ぶことなく地面を走っているし、俺たち研究者は集まってアイデアを搾り出している。人類の革新的な成長は、まだまだ先になりそうだな。などと、未来を少しの想像で頭の中に描き出しつつ、辿り着いた給湯室で原始的にもコンロとヤカンを使ってお湯を沸かし、自分専用のマグカップを近くの棚から出して軽く洗うと、冷蔵庫から取り出したコーヒーの粉の封を開けて、軽く拭いたマグカップへ雑に入れた。

 ふと思う。ヤカンに注いだ水が沸騰するのを待つ事も、今の俺には無駄な時間だ。何故ならさっきまで居た所長室には音声認識の可能な細身で自販機型のコーヒーメーカーが置いてあるので、わざわざ給湯室まで足を運ばなくとも、コーヒーは淹れられるからだ。

 ただ、カレンダーに表示された日付を思い出し、

「まだ一週間か」

 と、呟いた。

 俺がここの所長になって、まだ一週間しか経っていない。所長室で扱えるのはデスクくらいの物で、なら仕方がないと諦めた。

「次第に慣れるだろう」

 そう続けながら、沸騰を知らせたヤカンに免じてコンロの火を止めた。

 そして出来上がったコーヒーの入ったマグカップを手に持つと、待ち時間に湧いて出た失敗の記憶に対するリベンジ案を実行に移すべく、冷蔵庫とその向かい側にある戸棚から、誰かが置いている八枚切りの食パンとスプーンと蜂蜜の瓶を取り出して、それから給湯室を後にした。


 二ヶ月前だ。

 総合仮想空間研究所の前所長である能島繭子が、六十五歳の誕生日を迎えた。

 俺も含めた研究所の職員百人以上で盛大なパーティーを開き、染める事をせず髪の半分ほどが白くなっていた能島所長は、その席で言った。

「みんなも知ってのとおり、今年の春で私は退職する。新型も、その辺りで稼動する事が決まった。そして残る次期所長の件だけど、品里君に任せることにしたわ。彼の事、よろしくね」

 と。

 二十三年前だ。

 俺が仮想矯正プログラムから目覚めるのと時を同じくして、国の政治家たちは山のような不祥事が原因で次々に逮捕や辞職に追い込まれ、強制的な世代交代を強いられた。

 結果、繰り上がりで新しく国を任された若い政治家たちによって、ありとあらゆる改革が推し進められた。それらは国民に優しいものばかりではなかったが、既に破綻していた社会保障などを変えることを期待され、支持を集め実行へと移された。

 十年前だ。

 その一つであるセカンドライフシティと呼ばれる巨大老人ホームが実現した。

 六十歳から誰でも入ることが出来、六十五歳になると強制的に入所させられる施設だ。

 ただ施設と言っても名前のとおりで、お年寄りの為だけを考え設計された、車を必要とせず完全バリアフリー化がなされた街である。

 入所した最初の一年は、第二の人生でやりたい事を学べる教育施設へ通う事になり、そこで友人を作ったり、やれることを増やして、セカンドライフシティでの暮らしに慣れていくそうだ。

 所長室のデスクに行儀悪くも座り、これまた原始的なトースターにセットされた食パンが焼けるのを待つ間。俺はマグカップ片手に能島先生の、前所長の置いていったセカンドライフシティ案内説明パンフレットを読んでいた。

 それによれば、セカンドライフシティと言えど若者が居ないわけじゃない。医療関係や暮らしのサポート、それから警備の人間は若者が担っているらしい。

 そんなセカンドライフシティは入所時に、百パーセントの相続税によって個人資産の全てを納める事となり、それを運営資金として使っていると書かれていた。

 また、その納めた個人資産の額で、初期の立ち位置が決まるともだ。パンフレットの簡単な説明を見るかぎり、ゴールは同じだがスタート地点が違う感じだろう。例えば、最初からパン屋は出来ても服屋は出来ないといった話だ。

 このシステムによって誰もが、年老いても暮らしやすく安定した生活を送ることが出来るようになり、副産物として振り込め詐欺や、お年寄りの乗り物による事故が無くなったと、最後のページで紹介されている。

 もちろん現在に到るまで、セカンドライフシティを否定する意見が無かった訳じゃない。憲法に違反している部分がある事や、単純に若い政治家を嫌っての反抗心が湧いた為だ。

 ただ、地方の過疎化に伴うインフラ機能の低下に加え、防災の観点からしても住宅の点在は問題視されていたためセカンドライフシティの構造は都合が良く。機能しなくなった年金制度やお年寄りの為の社会保障を全て、改憲の後にセカンドライフシティに一本化されては黙る他なかった。

 だが、意外にも聞くには地獄だったセカンドライフシティも、住んでみれば貧富の差が感じられなかった事もあるが、孤立しないで済むが故に都と呼ばれ、瞬く間に受け入れられていった…というのは、最近テレビでやっていた特番を見て知った話だった。

 そして一週間前だ。

 そんなセカンドライフシティに能島先生が入所する日の早朝、冬の再来を思わせる寒さの中、この所長室に呼び出された俺は、目覚めてからの二十三年間で幾つもの可能性を並べては推測の域から脱することが出来ず、否定を繰り返した杉村純也の計画とその幕引きについてを、能島先生から聞き、知った。

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