四章 5

「僕の話も計画も、そろそろ終着点だ」

 そんな純也の言葉を合図としたかのように、電車が目的の駅にゆっくりとスピードを落として停車した。

「もう着いたのか」

 そう小声で口にしつつ。思いのほか聞き入っていたな、と開いたドアからホームへ降りる。電車の中より空気は良いが、纏わり付くような熱を帯びた微風は相変わらず気持ちが悪い。箸休めにでもと、階段を上りきった所で能島先生に訊いた。

「現実でも夏は暑く、気が滅入るのか?」

「もっと酷いかな」

 すぐに返ってきた言葉に気が滅入りそうになる。が、それを知らずに過ごしていける此処は、まさに理想郷だと皮肉めいた考えを巡らせながら階段を下りた。

 改札から駅前の広場に出る。午後九時を目の前にしても、多いなと感じるくらいには人が歩いていた。それを俺は、一週間以上前とは違い、一つのフィルターを通して見ている事に気がつく。所詮は特定のアルゴリズムに基づいて動く、システムの一部でしかないのだ、と。

 そのフィルターは共感か哀れみか、どちらにしてもマイナス方向の進歩としか思えないが、今すぐ無理に答えを出す必要のある問題でもないだろうと小さく首を横に振って、考えを霧散させる。

 そこへ、不意に純也が話を再開させた。

「美咲が言ったとおり、十年程が経過した頃だ。僕に国からお呼びが掛かった」

 言いながら歩みを進める純也を挟むように、俺と能島先生は歩調を合わせて横に並んだ。

「そこで能島と出会ったわけだが、既にあらましは語られた後だ、それについて僕から補足は無い。だから、その点は割愛する。が、きっかけの方は別だ。

 学、お前はハマミヤの名前について能島に訊いていたな。あれは確認の為で、ある程度の当たりは付けていたんじゃないか?」

「そうなの?」

 と重ねられた能島先生の問いかけに、

「あぁ」

 そう相槌を打ってから、純也の問いに正面を向いたままで答える。

「ハマミヤ、サキ…だろう?漢字でどう書くかまでは分からないが、読み方だけなら合っている筈だ」

 ドラムロールを挟む間も無く、純也が手を叩く。そして言葉が続いた。

「正解だ。浜の宮殿に早々と紀元前で浜宮早紀(はまみや、さき)。並び替えると葉山美咲になる、高校時代から美咲が使っていたハンドルネームで、分かりやすく間違えにくく隠しやすいが売りだと言ってたな」

 分かりやすく間違えにくく隠しやすい、か。つまりそれは単純でありふれているから隠しやすく、それがハンドルネームとしては珍しいから間違えにくい。そして葉山美咲から任された事がある人物なら、その名前を耳にすれば意味があるのか調べ行動してくれる、そんなところだろう。

「なら、仮想矯正プログラムを国が検討するきっかけになったブログ記事も、後にハマミヤ革命と呼ばれる一斉告発も。葉山美咲がやった、と言う訳だ」

「そうだろうさ。少なくとも僕はそう考え、先手を打った。国に妙案があるぞ、と間接的に伝わるよう情報操作をしておいた。もちろん表面上は『仮想空間を使った心のケア技術の応用』を装ったが…。結果的に、僕は国に呼ばれることとなったわけだ。ただ、能島が副所長として派遣された辺り、既に美咲が手をまわした後だったのかもしれないがな」

 広場を抜け、人通りが少なくなりはしたが、点在する飲み屋やスナックの明かりや、時折店内から大きな笑い声が聞こえてくるので賑やかさを多少は感じられた。

「でも、それなら何で実在の人物を身代わりにするような事をして死なせたの?別にハンドルネームと同じ名前の人物に成りすます必要は無いじゃない?」

 スナックから漏れ聴こえる楽曲に、懐かしさを感じていたところへ、能島先生がそう疑問を口にする。俺はいつもの癖で反射的に応えた。

「いや、その必要はある。さっき純也が話してくれた美咲の高校時代でも、彼女は自分自身で手を下すことを極端に避けていた。最終的に仮想矯正プログラム作成を純也に委ねたのだって、記憶の研究を大学の教授に売りつけたのだって、全ては表舞台に顔を出すことを避けるためだろう。つまりは名探偵と共に滝から落ちる宿敵のような人間だ。だとすれば、独裁者になると言うのも、代役を立てて演じさせる…つもりだった」

 思わず言葉が途切れる。言っていて気づいた。純也が計画した事がなんなのか。だから、声には出さず、『そう言う事か』と、心の中で呟いた。

「学、それは上手い例えだ。葉山美咲も高所から落ちたからな。

彼女は浜宮早紀が自殺した報道がなされた次の日に、自宅マンションから飛び降りて自殺したんだ。その事を僕が知ったのは二ヵ月後。誕生日に電話が掛かって来なかったので、こちらから掛けて知った。ご丁寧に僕宛の遺書を残して、知らぬ間に墓の下へ引越しを済ませていたよ。

 遺書には『おせっかいが行き過ぎたみたいだわ。あなたを天才にした事については、ごめんなさい。ただ、先手を打ったことは私の最善よ』とだけ、書いてあった。お前と同じ考えに僕も到ったよ。彼女の誤算は観客が舞台に上がったことだろうな」

 オートロックは無くエレベーターも見当たらない、古いとしか言いようの無いマンションを目の前にして、駅前と打って変わった静けさに沈黙がはっきりとした間になる。

 マンションの敷地へ純也を先頭に能島先生、俺の順番で一列となって足を踏み入れた。直後、能島先生が短い沈黙を破った。

「先手を打ったことが最善ってどういうこと?」

 先頭を行く純也は薄暗い階段を上り始め、そして答える。

「僕が熟し天才になったと彼女が認めたんだ。いつか僕が仮想矯正プログラムを使って葉山美咲を量産し、民主主義に擬態した独裁国家を作り上げると分かっていた筈だ」

 そこで言葉を切ると、二階から三階への階段に足を乗せたところで再開した。

「葉山美咲の誤算はもう一つある。僕が命を賭けて彼女の理想を実現しようとした事だ。

 僕が仮想矯正プログラムと同一化して約三年、仮想空間で再現を繰り返し、葉山美咲そっくりの人格と思考を作り上げた。ここでの十年は現実で約一ヶ月、単純計算で三百六十年ほど掛かったよ」

 マンションの四階に辿り着き、終着点まで十数歩。純也の言葉は続く。

「そう、その点については、僕の計画は既に完了していると言っても良い。この八年間で千人近い葉山美咲を現実に送り出したんだからな。つまり、僕が学に仮想世界を任せて帰るのは、ちょっとした我が儘なんだ」

 そう言って立ち止まった純也は身体を百八十度回して、後ろを歩いていた俺と能島先生と向かい合い、

「補足は、これで終わりさ」

 と、ピリオドを打った。

 俺は、これで終わりかと溜め息をつき、そのついでに『自分勝手な退職計画』があながち間違いじゃなかったんだと、薄く笑う。

 隣の能島先生は、自ら知らない内に加担していた事のスケールの大きさにでも呆れているのか、指折り数えながら何やら小声で呟いていた。まぁ、『最初から、そのつもりで』や『千人近いって事は男女構わず』という断片的に聴こえてくる言葉から導き出した推測に過ぎないので、本当の所はどうか分からないが…。

「それにしても、今日はあれやこれやと話し疲れた」

 そんな俺の場違いにも思える発言に、

「同感だ」

 と、純也が頷いた。すると、

「私は君たちの話を理解する事に疲れた」

 能島先生が愚痴を溢すように言った。

 そして、それに対して俺は一つの考えを口にする。

「それは前提が違うからだろう。俺はここを現実として生きてきて、純也が現実にはありえない消え方をした。だから、思考にある程度の幅が生まれ、柔軟に理解を深められたんだ。結果として、俺は現実に戻れなくなったがな。悪くない展開だった」

 それが能島先生には空元気に聞こえたのか、言葉が返ってくることはなかった。

 それから十秒という短い沈黙の後。さて、と言って幕を引く準備を始めた純也が、置き土産とばかりに語りだす。

「学、前提が違うと言ったお前に、一つ話しておくことがある。実は富士山ってのは現実の東京には無いものなんだ。現実の富士山は、静岡県と山梨県に跨って存在している。そして現実の東京西部には富士山の代わりに奥多摩っていう緑の多い町があるだけで、富士山のような山は無い。故に東京からはっきりと富士山が見えることは無いんだよ。

 だから、今回の計画は管理者だった僕や、能島のような観察者から見れば、容易い事象だった訳だ。もちろん、観察力や注意力は必要だったけどな」

 その純也の言葉には「確かに」と、理解と納得を持って頷けたが。それなら俺もと、先に話しておく事にした。

「そうか…なら俺も、純也に一つ言っておこうか。お前の企てに比べれば些細なことでしかない。が、既にお前の考える結末が破綻している事を理解するのは、観測者には容易いだろうな、と」


四章 観測者には容易い 終

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