三章 11

 三度目の富士山旅行最終日の午後七時二十分を過ぎた頃。俺は泊まっている旅館「四季」の、防音がしっかりと施されている川二九とドアに書かれた部屋で一人、窓の外を眺めていた。

 結局、途中でおじさん達と合流した俺と霧海さんと彩音ちゃんの三人は揃って旅館に戻ると、全員で温泉に入った。

 温泉に入る前、彩音ちゃんが両親に散々叱られたりもしたが、そこは無理して語る事でもないので割愛する。そして温泉から上がると三々五々、それぞれの日常へと戻っていった。

 そんな中、俺は彩音ちゃんとその両親に一つの理解を求め、一つの提案をした。

 理解は彩音ちゃんが何故、樹海なんかに隠れたのか、という事。提案は霧海さんも一緒に七夕祭りを楽しんでもらいたい事だった。

 二人ともよく俺の話を聴いてくれて、彩音ちゃんの考えに理解を示し、提案を喜んで受けてくれた。その事に感謝をし、会えなかった時のことを考えて、一つ霧海さんへの言伝を頼んでからプラスチック粘土製のライオンを渡すと部屋に戻り、予定通りに昼までぐっすりと眠った。

 午後一時を過ぎ、少し寝すぎたと思いながら起き上がった俺は、簡単に準備をして部屋を出ると、昼食を前日と同じく蕎麦屋「木花」にて済ませ、バスで駅前に向かい祭りに合流した。

 まぁ、祭りと言っても雰囲気を楽しんだ、だけである。出店を何も買わずに見て回り、その途中で会った葉山美咲と少々話したくらいだ。なんでも七夕祭りを手伝うのが学校の恒例行事になっているらしく、いつからか修学旅行と一緒くたにされたと言う事だった。

 そして制服は汚れるからと渡された何ともいえないダサさのTシャツを着ながら、嫌々客引きをする美咲にお礼を言って、祭りを後にした。

 それから俺は温泉街に戻ると昨日の誘いに乗る形で、ゲームセンター「芋尾樽」の八護町さんと他に客の居ない中、ついさっきまで馬鹿みたいに騒いで対戦を楽しんだというわけだった。

 で、現在。なんだかんだ楽しかった旅行を締めくくる花火が打ち上がる時間、午後八時を今か今かと待っていた時だ。部屋のドアがガチャリと音を立てて開かれる。入ってきたのは霧海さんだった。携帯で時間を確認する。七時三十分、言伝はちゃんと機能したようで、俺のスケジュール通りに進んでいて一先ず安心する。

「それで…大事な話って、なんですか?」

 と、どこか落ち着かない様子で視線を合わせようとしない霧海さんが訊いてくるが、はて?と首を傾げるしかなかった。俺が頼んだ言伝は、「話があるから夜七時半くらいには部屋に戻ってきてほしい」。というものだったはずだが、どこで何を間違えたのか頭に、「大事な」と、意図しない文言が付いてしまったらしい。まるで伝言ゲームだな、そうクスリと笑いつつ窓に背を向け、先ほど近くにセッティングしておいたテーブルの前に腰を下ろした。

「大事な、は要らない。ただ、話があるんだ。とりあえず座ってくれ」

「あ、はい」

 返事をすると霧海さんは俺とテーブルを挟んで向かい合うように正座した。

「何があって大事な話になったかは知らないが、朝、言っただろう?彩音ちゃんを迎えに行く、その時だ。話がある、と」

「あぁ、そう言えばそんなことを…」

 思い出したのか声のトーンが上がる。まぁ、前座はこれくらいにして、さて、と本題に入ることにした。

「そうだな、話ってのは今回の旅行についてだ」

 言った瞬間に霧海さんの表情が強張った。これから俺が話そうとしている事におおよそ見当が付いたのだろう。構わず続ける。

「霧海さんは俺を探偵役として呼んだんだと思っていた。それ以外に俺が選ばれる理由が無いと考えたからだ。でも、そうじゃなかった。今回の旅行中、霧海さんの中で俺は探偵役ではなく、お兄さんの代わりだったんじゃないか?」

 聞くことに耐えられなくなったのか霧海さんは俯き表情を隠そうとした。だが、俺と霧海さんの身長差では完全に隠す事は出来ず、怯えた表情が容易に窺える。

 それで一つ分かった事があった。朝、彩音ちゃんの父親の事を話しているときに上を向いて歩いていたのは、涙がこぼれないように、ではなく。俺に表情を見られないように、だったわけだ。今はそれを気にする余裕すらないのだろう。ただ、それが分かったところで今から話す事には関係しない。早く先に進めるべきだな。と、口を動かした。

「最初に気になったのは二日目の予定を訊いた時だ。霧海さんは樹海に、蕎麦屋に、甘味処に、ゲームセンターに行く予定だと言った。樹海は流石にかくれんぼの舞台ではないだろうと思った俺は、観光に来たのか?と聞き返した。そしたらだ、霧海さんはホテルを追加したんだ。

 もちろんそれだけなら俺だって疑問に感じる程度で済んでいただろう。でも、二日目にホテルでのかくれんぼについて結論を出したときだ。樹海でもかくれんぼ紛いのことをしたと言われて、おかしい事に気づいた。最初から樹海で隠れたというか、迷った霧海さんをお兄さんが見つけた事について調べるだけなら、別にホテルを追加する意味は無いんだ。

 咄嗟の事だったからだろう?あの二日目に回る箇所を読み上げた時点では、霧海さんの中で謎を解く場所ではなく、お兄さんの代わりである俺と回る予定の場所だったんだ、樹海は。だから、ホテルを追加した。探偵役と誤認させる目的で、な。

 そして決め手は二日目にゲームセンター「芋尾樽」を後にして間も無く言われた事だ。我が侭に付き合ってくれてありがとう。そんなお礼の言葉だった。何に対してのお礼だ?あの時はまだ何も解決していない。どころか、直後に彩音ちゃんが失踪したという話までもが飛び込んでくるのに、だ。

 そう、霧海さんの中で俺というお兄さんの代わりは、あの時に終わったんだ。樹海に、蕎麦屋に、甘味処に、ゲームセンターと、それらが選ばれた理由は殆ど分からないが、霧海さんの目的はそれらを俺と一緒に回り、楽しむ事で達せられた。そうだろう?」

 話している間、ずっと俯いたまま微動だにせず沈黙していた霧海さんが小さく頷いた。そして口を開く。

「本当に、何でもかんでも分かるんですね」

 同じような事を、つい十三時間ほど前に言われた時とは違って、明らかに棘を感じる。それから言葉は続いた。

「それに理由が殆ど分からないってことは、少しは分かるんですよね?聞かせてください」

 俺は霧海さんの圧に耐え切れず、話の途中で目を逸らした。嫌な汗が背中から噴出してくる。そうだ、これが嫌で俺は新歓の時に、しまった。と、思ったのだ。

 だが、今は受け入れるしかない。霧海さんが俺をお兄さんの代わりとした理由が想像しているとおりなら、間違っている。そう正すべきだと、考えているからだ。覚悟を決めて言葉を紡ぎ始めた。

「わかった、話そう。ただ、これだけは言っておくが、数少ない断片を無理やり繋いでみた俺の想像に過ぎない。間違っていても怒らないでくれ」

 横目に霧海さんの頷く姿が見えたので続ける。

「樹海、蕎麦屋、甘味処。この三つは正直、分からないんだ。どこにも繋がらない。でも、ゲームセンターは違う。その場所での目的は一つだけだからだ。ゲームをしたかったんだろう?お兄さんが好きだった対戦ゲームを」

 反応は無かった。それは肯定か否定か。分からない以上、先を進めるしか他ない。

「始まりがいつなのか、それは分からない。だが、少なくとも新歓の前日には考えとしてあったんだろう。もちろんその時は俺ではなくお兄さんとゲームをやる予定でな。でも、お兄さんは亡くなった。そこで俺に白羽の矢が立ったんだ。

 では何故、俺なのか?理由は幾つかあるんだろうが、俺に分かったのは背丈が同じくらいという事だけだ。何故背丈が同じくらいだと思ったか、霧海さんがお兄さんを嫌っている。もしくは、嫌っていたからだ。

 お兄さんの事を話すとき、霧海さんの言葉には棘があった。いつも自慢してくるお兄さんを負かしてやりたいだとか、普段ならカッコつけてると言っていた、だとかな。それに甘味処で話した女子高生がいただろ?彼女が言った「キザでとんだペテン師」。そんな呼び方に何も反論をしなかった。格好良く見えたと言っていたにもかかわらずだ。

 そしてお兄さんは霧海さんを「絵里子ちゃん」と、そう呼んでいた。それは俺や八護町さんが絵里子ちゃんと呼んだときの反応に違いがあることへの疑いの芽となった。

 八護町さんとは、性別が同じで年齢も霧海さんより上ということは変わらない。違うのは身長や声に仕事の経験年数くらいだろう。だが、霧海さんは目上の人だとしても間違っている事ははっきりと言う人間だ。だとすると残る俺だけが駄目な理由は声か身長と言う事になるが、後者だと俺は思った。

 何故かと言えば、五月の新歓前日を思い出してほしい。昼食を一緒に食べただろう?その時、俺が霧海さんのミートボールを見ていたら言われたんだ。

 その無駄に低い位置から放たれる威圧的な眼光をどっかやってください、と。

 それから今回の旅行初日にこの部屋で言った、「今の私より背が低いくせに」も加えれば、決定的だろう。

 つまり俺はお兄さんと背丈が同じで、後に分かった事だが結婚式を良く思っていないという共通点が出てくるくらいだ。たぶん、考え方も近いんだろう。でも、それならどうして俺を代わりにしてまでお兄さんと旅行をしたのか?嫌っている。もしくは、嫌っていたのに…」

 結論に移る前に言葉を一度区切り、テーブル隅に置いてあるミネラルウォーターの入ったペットボトルを取って渇いた喉を潤した。

 変わらず霧海さんは俯いたままで、何も喋ろうとしない。でも、少し表情に諦めが窺えるところを見ると、もうすぐ話が終わる事が分かっているのだろう。

 蓋を閉め、ペットボトルを元の場所に戻して俺は言葉を再開した。

「霧海さんは後悔していたんじゃないのか?もっと早くにお兄さんの願いを聞いてあげればよかった、と。

 今朝言っていた、「彩音ちゃんには後悔してほしくない」。あれは母親の事で後悔したと言っていたが、本当はお兄さんの事も含まれていたんだろう?そして後悔している要因は、お兄さんが死んだ原因が自分にあると思っているからなんじゃないか?」

「そんな事まで分かるんですね…」

 俯いたままで吐き出されたため息のような言葉は、力無く俺の耳に届いた。

それに対して首を軽く横に振って答える。

「いや、これには確かな理由があるわけじゃないんだ。最初に言っただろう?想像に過ぎないって。だから、間違っているかもしれない」

「それはさっきも聞きました!もったいぶらないでください!」

 食い気味な言葉が今度は強く俺の鼓膜を震わせた。そのとおりだ。と、自信は無いが、もったいぶらず先に進めることにした。

「霧海さんは一人暮らしを始めた。そしてそれを真似るように長年実家暮らしをしていたお兄さんも一人での生活を始めたんじゃないか?それが霧海さんの後悔だと俺は考えたんだ。自分が家を出なければ兄も死なずに済んだはずだ、と。お兄さんが亡くなったのは距離が開いた事でお兄さんへの考え方が変わり始め、歩み寄ろう思っていた矢先だったんだろう?

 新歓の前日に俺の気を逸らすために話したゲームを、帰る前にプレイしたのは予行演習で、近々対戦する予定も、その後で立てていたんじゃないのか?

 だから、俺をお兄さんの代わりにして旅行を計画した際に、ゲームセンターが入っていた。後悔を自己満足で洗い流す為に。まぁ、そういうことだ」

 言い終えた俺は霧海さんの言葉を待たずに立ち上がった。

 部屋を出ようと思ったわけではない。ただ、そろそろ部屋の明かりを消そうと立ち上がっただけだった。だが、それを見た霧海さんが声を上げる。

「ごめんなさい!」

 一人にされると思ったのか、その声は大きく防音という事を忘れていれば慌てるに十分すぎるボリュームで発せられた。

「別に謝らなくていいんだ。俺は霧海さんの事を責める気は無い」

 そう言いつつ部屋の明かりを消して、暗く窓から入ってくる僅かな光を頼りに窓際へ向かう。

「そうだな、忠告だと思ってくれ。起こってしまった事への対処だけでは何も解決しない。問題に薬を塗って放置したって滅びを加速させるだけだ。後悔をもっと大切にしてほしい。次に後悔しない為にも…。今回の旅行、俺としては凄く楽しかったよ。勝手に役をあてがわれていたとしてもな」

 俺は窓を開けた。熱いと感じるほどだった日中と違って、涼しい夜風が頬を撫でる。再度時間を確認すると八時までは五分くらいしかなかった。手短に済ませたつもりだったが、随分とギリギリだったんだな、と次に活かすための反省とした。

「あの、一つ訊いてもいいですか?」

 いつの間にか近くに来ていた霧海さんが遠慮がちにそう言った。

 それに対して「あぁ、いいよ」と、返事をしながらも振り返る事はせず、そのままで言葉を待った。

「私が一人暮らしとか、兄が長年実家暮らしだったとか、話したことないですよね?」

「ないな」

 短く答え霧海さんが訊きたい事に察しがついた。

「じゃあ、どうして分かったんですか?」

 手短に手短に。と、さっきの反省をさっそく活かして頭の中で言葉を並べ、口を動かし吐き出した。

「三つだ。ほうれん草と温泉が霧海さんの一人暮らしで。霧海さんの嫌悪がお兄さんの実家暮らしを物語っている。もちろん可能性が高いってだけで、確信と呼べるものじゃなかったけどな。

 で、まずは前者だ。新歓前日、霧海さんは俺にほうれん草を食べてくれと言った。そして食べ終わり俺が感想を述べると「ありがとう」そう感謝したんだ。その時は嫌いなものを食べた事への感謝だと思っていた。だが、今回の旅行中に本当は違った事に気がついた」

 振り返り霧海さんと向かい合って続きを口にする。

「霧海さんは別にほうれん草が嫌いじゃない。むしろ好きな食べ物なんだろう?旅行初日の夕飯に出たお浸しを嫌な顔一つ見せずに食べていた。その時は月浜さんも居たから無理をしているのか?とも思ったんだ。でも次の日、昼食に食べた蕎麦のトッピングに俺は納豆を選んだが、霧海さんはほうれん草を選んでいた。それで、もしかしてあの時言った「ありがとう」の意味は、食べた事への感謝ではなく、自分で作ったものを美味しかったと言ってくれた。その感想へのお礼だったのではないか?そう思った。

 そして温泉だ。旅行初日、温泉に入る前に久しぶりだと言って、今朝は湯に浸かる事の大切さを感じたと語っていた。どちらも決定的なものではないが、一人暮らしの要素を含んでいる事に違いはない。それが二つ合わされば天秤も一人暮らしへ少しくらい傾く訳だ」

 俺自身、シャワーだけで済ませる事は多いし、作った料理を美味しいと言ってもらう事があれば喜びもするだろう。もちろん丼理論などと言っている限りありえない話だが…。

「さて、残る後者は簡単だ。誰かを嫌いになるには、それなりの時間が掛かるものだ。再婚した時点で成人していたお兄さんが、そもそも一人暮らしをしていたなら霧海さんとの接点は希薄すぎて嫌うこともままならないだろう。だから、実家暮らしだと思った。

 そして嫌っていたはずのお兄さんが死んで、自己満足で洗い流す為の旅行を計画するほどに罪悪感を抱いた理由が霧海さん自身の行動にあるとしたら。それは一人暮らしの連鎖に因って住む場所、乗る電車が変わった事が原因じゃないか?と、考えたわけだ」

 手短にまとめた説明が終わるのと同時だった。部屋のドアがノックされる。突然の事にビクッと身体を震わせた霧海さんの頬を涙が流れたのが見えた。その事に気づかないフリをして、ドアの前まで向かう。その途中、既に暗闇に目が慣れていたので完全に油断をしていたのと、涙に気を取られたせいだろう。

「痛ッ!」

 近くに置いていたテーブルに思いっきり左の脛をぶつけ短い悲鳴を上げた。

「大丈夫ですかッ?」

 すぐに後ろから心配する声が掛けられたが、右手を上げて、「大丈夫大丈夫」と返事をしつつ、這うように少し前進した後で立ち上がると、足を軽く引きずりながらドアまで歩いた。

「よっ!…あれ?もしかして邪魔した?」

 ドアを開けた途端、そこに居た相変わらず鮮やかな着物を身に纏った月浜さんにそう訊かれる。よく見ると右手に色々と詰め込まれ、丸く太った大きめの手提げ袋を持っていた。

「いえ、丁度終わったところです」

「事後か」

「話がですよ。暗いんで足元に気をつけてください。今しがた俺が脛をぶつけたばかりなんで」

 呆れつつ注意を促し部屋の中へと入ってもらう。俺の心配とは裏腹に月浜さんはテーブルの前まで普段と変わらない足取りで行くと、正面に花火が見える位置に腰を下ろし、袋の中身を出して並べた。

 缶ビールにつまみ、予想通りの品がテーブルを占拠する。

「良いんですか?仕事しないでビールを飲んでても」

「いいのいいの毎年恒例だから」

 と、缶ビールをさっそく開けた。

 その時だ。大きな音と共に部屋が明るく照らされる。光に釣られて窓へと視線を移せば、そこには大輪の花が夜空を彩っていた。

 店長は俺に、花火でも見てから帰ってくるといい。などと言っていたが、これを見ないで帰るのは勿体無いだろう。

「この部屋を選ぶわけだな」

 誰にも何にも邪魔されない特等席で次々と弾ける花火を眺めながら、俺は笑みを浮かべて、そう呟いた。

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