三章 10

 樹海までは走ってきた。乱れた呼吸を整えつつ、昨日、監視カメラの映像を見た小屋に設置されている時計を確認する。六時も五十分になろうとしていた。

 温泉街と同じく、俺と霧海さん以外の人の姿は無い。彩音ちゃんを探している人達は、既に樹海の中へと入り捜索を開始しているはずだ。

 隣を見る。霧海さんの呼吸も整ったようなので、「さて」と言って樹海へと足を踏み入れた。ただ、ロープの外へは出る事はせず、舗装された道を右側に設置されている看板にだけ注意を向けながら歩き、奥に進む。昨日とは違って足元がしっかり見える分、歩くスピードも速くなった。

「それで私は何をすれば良いんですか?」

 樹海に入って間も無く、後ろを歩く霧海さんがそう訊いてきた。俺は足を止めることなく答える。

「霧海さんの出番は最後なんだ。だから、今は付いて来てくれるだけでいい」

 はぁ、とよく分からないといった感じで、ため息のような納得がいっていないような、返事をされた。

 でも確かに、何の説明も無しに付いて来いと言うのも失礼な話ではあるな、そう思い。それほど時間も掛からないから良いか、と一つ前置きをした。

「たぶんな、魔法の正体が分かった」

「本当ですか!?」

 と、少し食い気味に、声が背中にぶつかる。反応が薄いよりはいいか、と俺は説明を始めた。

「まぁ聞いてくれ。まず前提として発信機などは使っていない。スパイ映画でもあるまいし、迷った日の格好からも殆どありえないだろう。おまけに何も持たず飛び出したのなら携帯電話も持ってなかったんだろう?」

「はい」

 すぐに肯定する声が返ってくる。

「ならば、だ。お兄さんが霧海さんを樹海から見つけ出すのは不可能だと言っていい。でも、見つけた。いや、より正確に言うなら見かけた。その方が正しいだろうな」

「見かけた?」

「そうだ。お兄さんが霧海さんを見つけたのは偶然の結果だ。視点を変えれば分かる簡単なことだよ」

 視点を変えろとは、美咲に言われた事だが、そのとおりだった。樹海から霧海さんを見つける方法を考えたところで分からない。考えるべきはお兄さんの方の行動だったわけだ。

「お兄さんは霧海さんを探しに樹海へ来たんじゃない。そもそも樹海に居た所へ霧海さんがやってきただけなんだ」

「どういうことですか?」

「お兄さんは霧海さんと目的を同じくして樹海に来た。つまりは隠れるために、だな」

 足元が少し悪くなった。注意しなければ躓くことになるだろうが、目的地も近いと言う事だ。早口にならないよう気をつけて説明を続けた。

「十年ほど前、霧海さんの父親と、お兄さんの母親が再婚する事になった。その時、霧海さんとお兄さんの年の差は十歳だ。だいたい二十一歳と言った所だろう。流石に二十一年も一緒に暮らした母親の結婚式に出たいとは思わなかったはずだ。ましてや結婚式を見世物じゃないと言い切る人間なら尚のこと…。それに樹海で見つけた霧海さんと帰ってきたのに、お兄さんも一緒に怒られたみたいだしな、隙を見て抜け出したんだろう。

 で、その日の午前中、妹となる霧海さんとかくれんぼをしたお兄さんは、それをヒントに結婚式が終わるまで姿を隠す事にした。隠れている間の時間つぶしに文庫本を一冊、手に持ってだ。よく考えてみればおかしな話だったな。結婚式へ出るにしたって、人探しへ行くにしたって、文庫本は不要で邪魔なんだ。

 ただ、元々結婚式に出る予定がある人間の格好は、どこに居ても目立つだろう。そこで前日に訪れた樹海に隠れる事にした。入り口にこそ監視カメラが設置されているが、中はそうじゃないからな。

 ここまでは霧海さんと隠れる理由は違えど、隠れる場所は同じ樹海だ。でも、お兄さんは樹海の中で隠れる場所を探さなかった。と言うより、霧海さんの隠れようとしていた場所よりも身を隠す条件が緩かったんだ。

 ホテルでのかくれんぼで霧海さんは身体が完全に隠れるような場所を好んで選んでいた。それは樹海でも同じだったはずだ。そんな子供が樹海で隠れるに最適な場所と言えば、木に空いた穴。つまりうろの中だったんだろう?」

 入り口からここまで歩いてくる間にも、子供なら入れそうなうろが幾つかあった。

「はい。でも、この道から中が見えない穴は何故か全然無いんです」

 そうなのだ。霧海さんが言ったとおりで、入れる場所はあっても隠れるには適さない。そんな場所だった。

「お、昨日の!探すのを手伝いに来たのか?」

 少し離れた所から、そう声を掛けられる。そちらへと目を向けると昨日の少しお腹の出たおじさんが、俺の探していた看板の前に立っていた。

「おはようございます。まだ彩音ちゃんは見つかりませんか?」

 近づき挨拶をしてから、そう訊いた。するとおじさんは腕時計を確認して口を開く。

「そうだな。まだ二時間も探してない。今の段階で見つけるのは余程運が良いか、魔法でも使わない限り無理だろうよ」

 その言葉に俺は苦笑する。ここでも魔法か、と。

 俺は振り返って霧海さんと向かい合う。そして言った。

「お兄さんはとても運が良かったんだ。いや、運が良かったのはロープを乗り越えるところを見られていた霧海さんの方か。まぁどっちでもいいか。そう、霧海さんは見られてたんだ。そして後を付けられた。さっきまでの俺みたいにな」

「で、兄はどこで見てたんですか?」

 勿体付けて中々答えを言わないからか、霧海さんの言葉に少し棘を感じる。だが、説明には順序というものがあるし、守らなければ語る側は面白くないものなのだ。

「それを言う前にもう一つ、話しておくべき事がある。それは昨日から行方知れずの彩音ちゃんについてだ」

 その言葉には前からだけではなく後ろからも反応があった。

「え、関係あるんですか?」

「何か知ってるのか?」

 俺は左側、昨日「彩音ちゃん」と、叫んだ方を向いて一歩下がり、視界に霧海さんとおじさんを入れる。それから、「えぇ、まぁ」。そう答えて先を続けた。

「今日は七月七日で七夕だが、別に祝日ではなく平日、休みじゃない。土曜日に来た彩音ちゃんは母親が週休三日の場所に勤めていない限り、日曜日には帰る予定だったはずだ。そして父親が病気のために両親が離れて暮らしている。それで離婚するんじゃないか、彩音ちゃんはそう思っていると言ったな?」

 霧海さんは肯定する。

「そんな時だ。どこで聞いたのか、誰かから聞いたのか、どこかで目にしたのかもしれない。彩音ちゃんは縁結び花火の事を知った。その意味もだ。でも、予定通りなら六日には帰ってしまう。だから、彩音ちゃんは一日だけ」

「この樹海に隠れようと思ったのか!」

 おじさんに言葉を取られてしまったが、そのとおりなので俺は頷いた。

「で、どこに隠れたかだが、さっき霧海さんに話したように子供が隠れるのに最適な場所が、この樹海にはある。木のうろだ。でも、霧海さんが言ったようにそこに隠れてもすぐに見つかってしまうんだ。仮にロープを越えて少し入ったところで隠れたとしても、そんな隠れる事に適した場所を探さないわけが無い。故にすぐに見つかるだろう。そこで、霧海さん。お兄さんと彩音ちゃんの共通点はなんだと思う?」

 少し考えて霧海さんは自信なさげに言った。

「運動神経が良いところ…ですか?」

「そうだ。そして彩音ちゃんは五月の運動会で大活躍だったと言っていた。駆けっこに大玉転がし、それと棒のぼりで、だ」

 俺がそう言った途端に霧海さんとおじさんが同時に、あっ!と声を出し、上を見た。

 足元が悪く殆どの人は下に注意を向けて歩く。そして隠れる場所を探す人も、隠れていないか探す人もだ。故に木の上は死角になる。

 正面やや左からドサッという音がした。何かが落ちたというよりは、飛び降りてきた音だ。音がしたほうを見ると、そこには昨日と身に付けている物が何一つ変わっていない彩音ちゃんが居た。

「えりこおねえちゃん!…と、まなぶお、おにいさんだ!」

 彩音ちゃんが駆け寄ってくる。その姿を見るに何事もなかったようで良かった。と、ホッとする。それは近くにいた霧海さんやおじさんも同じようだった。

 それから霧海さんは彩音ちゃんを抱きしめ、おじさんは無線と携帯電話を使って各所へ連絡を始める。俺はその姿を一歩引いたところから眺め、思い出したかのように大きく欠伸をした。旅館に戻ったら温泉に入って昼まで寝よう。そう思った。

「そういえば、私の手伝う事ってなんだったんですか?」

 と、彩音ちゃんと手を繋ぎ立ち上がった霧海さんが訊いてくる。

「あぁ、それか。朝起きて、木の下に知らないおじさんが居たら降りるに降りられないだろう?だから、霧海さんには彩音ちゃんが降りてきやすいように、いわば釣り針の餌をやってほしかったんだ」

 例えは悪いかもしれないが、やってもらった事はそれ以外の何ものでもないので、素直にそう答えた。

「でも、それだったら別に品里さんも出来ましたよね?」

 それでも納得いかない様で、疑問で返される。それに俺は苦笑しながらも返答する。

「子供っていうのは年上の女性に懐くもんなんだ。そう思っただけだよ。いつもバイト中に見てるからな。霧海さんも店長も、俺や八護町さん達と違って子供に懐かれてる姿をだ」

 それを聞いて納得したのか、満足したのか、どちらかは分からないが霧海さんは笑顔を浮かべた。営業スマイルではない。心からの笑顔だった。

「すまんがお二人さん。一足先にその子を旅館まで送ってくれないか?俺は他の奴等と合流してから追いかける」

 各所への連絡を済ませたらしいおじさんに、そんなお願いをされる。

「いいですよ」

 と、俺と霧海さんの返事が図らずも重なり、おじさんは笑って「まかせた」と、そう言った。

「また後で」

 そんな言葉を残して、おじさんに背を向け歩き出す。数歩も行かない内に隣を歩く彩音ちゃんが右手を伸ばして俺の左手を掴んだ。そして満足そうに微笑むと前を向いた。

 これで今、彩音ちゃんは俺と霧海さんに挟まれ手を繋ぎ歩いている事になる。俺は想像した。たぶん、傍から見たら仲の良い家族に誤解されるだろうな、と。

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