三章 7

 温泉街の中央を東から西へ貫く大通りの隣には、旅館「四季」の裏手にある川とは別で大きな川が流れている。その川は駅がある街の方へと続いており、件のホテルもその近くにあった。大通りから橋を渡り、その後左に折れて五分も掛からない場所にゲームセンター「芋尾樽」はあるのだが、景観を壊さないための配慮なのか、周りの建物と同じく木造の二階建てで、外には看板が出ているものの書かれている文字をよく読まなければ、遠目でなくともゲームセンターだとは分からなかった。

 木の一枚板に「げぇむせんたぁ芋尾樽」と書かれた看板を掲げる店を目の前にして、

「ここってゲーセンだったのか…」

 そう呟いた。

 以前、修学旅行や卒業旅行で訪れた際にも前を何度か通ったことがあった筈だが、中が殆ど見えないが故に、ゲームセンターだとは気づかなかったらしい。もし分かっていたら間違いなく立ち寄っていただろう。などと懐かしんでいたら、霧海さんが中々店に入ろうとしない俺に痺れを切らしたのか、言った。

「早く入りませんか?」

 それに俺は「あぁ、悪い」と謝って、一緒に店に足を踏み入れた。

 店内も外と同じで床も壁も天井も見る限り木で出来ており、その中に置かれたクレーンゲームなど景品入りの筐体が浮いて見える。ただ、それ以上に驚いたのは店内の静けさだった。別に人が居ないわけではない。むしろ賑わっていると言って良いほどに、店内には俺たちも含めた客がいっぱい居た。

 なのに俺のバイト先のゲーセンと違ってうるさいと感じないのは、単に筐体から出る音を最小限に抑えているだけが理由ではないと思った。たぶんだが、店内の何箇所かに設置されたスピーカーで流しているであろう和楽器で演奏されている、ゆったりとした音楽が原因だろうと考えられた。要は元々静かなところでは騒ぎづらい。そういうことだろう。

「それで霧海さんは取りたいものでもあるのか?」

 と、店内を見まわし、入り口付近にある階段が関係者以外立ち入り禁止の札が立っているのを見て、そう訊いた。

「あ、違います違います。奥にクレーンゲーム以外の筐体が置いてあるんです。そっちです」

 そう言って入り口付近から左奥を指差した。

 見渡す限りクレーンゲームなのでビデオゲーム系の筐体は観光地と言う事もあり需要が無いからと、置いていないのかと思っていたんだが、どうやら違うらしい。

 店内奥へ移動しつつ、それにしても、と思う。変わった景品のクレーンゲームがいくつもあるのだ。扇子に湯呑み、忍者や刀などの漢字がプリントされたTシャツ、それと様々な動植物を模った小皿が見える。もちろんぬいぐるみなど普通の景品もあるにはあったが、それらの筐体よりも物珍しさ故か、変わった景品の方が繁盛しているようだった。

「おでん缶も似たような物か」

「え?なんか言いました?」

 なんでもない、と返しつつ余所見をしていた首を正面へと戻したところで、ビデオゲームの筐体が視界に入る。店内隅に全部で八台の筐体が二台ずつ向かい合って置かれていた。

 その内の右側四台が「格闘ロボット大戦2」だったことに驚く。そして霧海さんは、そこに座るのが当然と言うように右側奥の席に腰を下ろした。

「品里さん、一戦やりませんか?」

 なんとなく、そんな気はしていた。だから、すぐに「いいよ」と返して、霧海さんが座った後ろの席に俺も腰を下ろしてスティックに手をのせる。

「ルールは一騎打ちでお願いします」

「わかった」

 そう答えつつ大きな右手がメインウェポンの翼のある赤い機体を選択する。たぶん、霧海さんも俺がその機体を選ぶことは分かっているはずだ。

 何で来る?と、考える暇も無くフィールド画面が映し出される。場所は障害物や高低差の殆ど無い平原だった。そこに俺が選んだ赤い機体と、霧海さんの選んだピンク色の長い髪が特徴的な女性を模した機体が向かい合う。

 霧海さんの機体は顔だけ見れば人間と変わらないが、暦としたロボットである。武装は主に銃と刀だが、青とピンクの玉を無数に飛ばしたり、その二つをフリスビーのように投げる遠距離武装も使える。仕舞いには青とピンクが螺旋状に絡み合ったビームを放つことも出来、それが直線と拡散、弾速と範囲の違う二パターンがあるにもかかわらず、事前のモーションがまったく同じなので、避ける事が非常に難しい武装も持っていた。

 救いはリチャージの遅さとエネルギー消費の大きいところだが、二色の玉の扱いが実弾系の遠距離武装であるバルカン等と同じらしくエネルギーを消費しない為に、一騎打ちモードでは息切れを狙うことが困難な機体だった。

 画面中央でカウントダウンが始まる。三、二、一。そしてバトルスタートの表示が出た瞬間に、俺の機体は右へ飛び、霧海さんの機体は後ろへ下がった。遠距離攻撃で攻めてくるな、と即座に考えが巡る。

 俺の操る機体はスピード、攻撃力共に高い性能を誇るが防御力は心もとない。一応翼で機体を覆い突進を掛けることで一時的に遠距離攻撃を無効化する事も出来るが、だからと言って霧海さんの機体とは違い遠距離だけで戦えるような武装を有してはいない。故に俺は右へと傾けていたスティックを左前に押し出すように倒した。

 相手が遠距離で攻めてくるというなら早めに距離を詰めるべきだとそう考えたのだ。

 翼を広げて空中へ跳び、左に逆手で持った短剣を構えて振りかぶりながら加速した。霧海さんはバックステップで更に後ろへと飛び退きつつ青とピンクの玉をフリスビー状にして投げてくる。たぶん、けん制だ。避ければその先に螺旋状の高出力ビームが飛んでくる。だがそれは、避けなくても同じことだ。

 ただ、今、上へ飛べばタイミング的にいい的だろうと、思う。ならば、と。攻撃をキャンセルして時計とは反対の回転で右へ避ける。だがそこには、相手が刀を横に構えて切りかかってきていた。

 しまった。そう思った。もう止めることは出来ない。翼で受け切るには近接攻撃では威力が高すぎる。かといって右腕で受け止めれば必殺の一撃を放てなくなる可能性があった。バックステップはもちろん、横への回避も出来ない。つまり選択の余地はない。間に合うか?と思いつつ、俺は迷うことなく上へ飛んだ。

 次の瞬間、霧海さんの機体の攻撃は空を切った。…様に見えただけだった。つまりフェイントだ。機体は既に次の攻撃モーションに入っている。両手を左の腰の辺りに構えたのが見えた。本来なら攻撃するチャンスだが、今からではギリギリと言ったところだろう。操作が難しい空へと上手く誘導されたわけだ。しょうがない、と俺は機体を更に飛翔させる。放たれるのは途中で拡散するにしても、しないにしても本質は直線的なビームだ。その避け方は心得ていた。着弾を遅らせ、射線から出る。それだけだ。

 そして二色の螺旋状に絡み合ったビームが放たれた。それは更に上へと飛んだ俺の機体を追従する。放たれたのを確認した俺は翼で機体を覆って斜め下へ飛ぶ方向を変えた。ビームに沿って相手に突っ込むつもりだったのだ。

 だが、それは方向を変えた刹那に拡散を始めたビームによって阻まれた。六本に分かれたビームの内、三本が当たる。翼でガードはしていたもののダメージを受け体勢を崩してしまった。二分の一の賭けに負けた。これで俺は無傷での遠距離攻撃による勝利が消えたことになる。

「はぁ」

 と、短く息を吐いた。

 正直なところ、俺は油断していた。楽勝だろうと思っていた。

 何と戦うにしても、その対策にやりすぎは無い。何故なら対策と言う値に最大は無く。油断は死を招くものだからだ。

 いつだか純也が言っていた、そんな言葉を思い出す。

 でも、そうだとしても、まだ勝ち目はある。と、機体右手の平から円盤状にエネルギー体を出力する。それを、ビームを撃った反動で硬直した霧海さんの機体目掛けて投げた。その後、それを追うようにスティックを前に倒して急降下する。

 エネルギー体が当たる寸前で霧海さんの機体の硬直が解けた。そして俺の機体に背を向けたまま、前にステップを踏んだ。その動きに俺はもう焦ることはない。素早く機体を時計回りに半回転させ、途中で振りかぶった右腕を相手に叩きつけるように伸ばした。

 スピードは間違いなく腕のほうが速い。高出力のビームが拡散したことによりこちらのダメージも少なく済んだ。だから、もう一撃、遠距離の攻撃には耐えられる。これで勝った!と、そう思った。

 その瞬間、霧海さんの機体がいつの間にか反転しており正面をこちらに向けていることに気がついた。

 彼女の機体は伸び迫る腕を避け、上に跳ぶ。腕を伸ばしたことにより空中で硬直している俺の機体を悠々と跳び越えると、高い位置から両手で持った刀を振り下ろした。頭から真っ二つに俺の機体が切られる。機体は地面に叩きつけられ、その衝撃で少し跳ねた。そこに止めとばかりに横の一閃が入れられ、俺の機体は爆発する。画面にはYOULOSEと表示され、霧海さんに敗北したことを突きつけられたのだった。

 勝ちを確信した時点で負けが確定する。と純也は言っていたが、まさにそのとおりになったわけだ。そう反省しつつ、上体を回しながら霧海さんに称賛を贈る。

「二ヶ月でよくここまで…」

 上手くなったな。と、言い掛けで。声を発していた口も回していた上体も、同時に動きを止めた。

「君たち凄く上手いね。良かったらオレと勝負しないかい?」

 その声に聞き覚えがあったからだろう。霧海さんも俺と同じ方を向いて「え?」と、驚き声を上げた。

 そこに居た人物に俺と霧海さんは見覚えがあった。と、言うより一昨日も会って話している。

「八護町さんが、どうしてここに?」

 そう霧海さんが口にした疑問に対して、俺は思うところがあった。

 八護町さんがここに居ることに驚くことはあっても、疑問に感じることは無い、と。

「ん?オレを知ってるってことは、あいつらの知り合い…もしかして若肉の常連か?」

 おぉ、こっちはなかなか良い組み立て方だ。ゲームが上手いから常連、と言ったところだろう。

「違いますよ。バイトなんです。えっと、梓さん?……であってますか?」

 俺は答えるついでに確認を取った。霧海さんに任せてみても良かったが、そこに時間を割いても楽しいのは俺一人なので早々に終わらせることにしたのだ。

「あってるあってる。そっかバイトかぁ…んで、何?明日の縁結び花火でも見に来たん?」

 懐かしそうに答えてくれた八護町さんは続けてそう訊いてきたが、聞き慣れないものだった為、俺は、「縁結び花火ってなんですか?」と、そのまま聞き返した。

「あぁ知らないのか。下の街で明日、祭りがあるだろ?七夕の祭り。そこで打ち上げる花火の名前なんだ。一年に一度、織姫と彦星が七夕に会える。それに因んで七夕祭りで上がる花火を男女で一緒に見ると縁が結ばれるとか何とか、それで縁結び花火。まぁこの呼び名になったのも十年くらい前からなんだ。最初に言い出したのは都さん。十年くらい前、七夕の日に結婚式を見て閃いたとかでさ」

 そう言う八護町さんは、呆れ果てている。そんな感じだった。

「それは、この世で一番説得力の無い言葉な気がしますね…」

 俺が同情で返すと、

「そう思うだろ。でも、馬鹿に出来ない経済効果も生み出してんだな、これが」

 と、肩を竦めて言った。

「もしかして四号機の帽子を被っていたのが、梓さんなんですか?」

 そんな霧海さんの随分と遅れた突然の発言に、俺は不意を突かれた事もあり言葉が出てこない。が、八護町さんは違った。

「そうだよ、八護町兄弟の四男。オレ、八護町梓がゲームセンター若肉で昔、四号機の帽子を被ってたんだ。大した期間じゃなかったけどな」

 ちなみに、と言って八護町さんは話を続ける。

「九号機と十号機の帽子も一度作られかけたこともある。オレ達八つ子には九番目に生まれた長女の俊子(としこ)と十番目に生まれた九男の九郎(くろう)っていう双子の妹と弟が居てな。オレ等八つ子と二歳違いのその妹たちにも都さんが声を掛けてたんだが、バイトをするくらいなら投資で儲けた方が有意義に時間が使えるからって断ったんだ」

「へぇー良い妹さんと弟さんですね」

 そう普通に感心している霧海さんを横目に、俺はそうか?と思いつつ、別の事実に少々驚いていた。

 美咲の制服に見覚えがあると言ったのは確か二号さんだったはずだが、その後聞いた五号さんの話で過去に制服を着ていた俊子さんのイメージは幼馴染か元カノだったので、まさか妹だとは意外なことだった。

 ふと八護町さんが思い出したのか話を戻した。

「そうそれで話が脱線しちゃってたけど、改めて訊こう。オレと勝負しないか?」

 その申し出に俺は霧海さんの方を見て「どうする?」と訊く。

 それに悩むことなく頷いて「やります!」そう答えた霧海さんはとても楽しそうだった。


 結局、バトルは五時を過ぎても続いており、途中から一人、常連の男性が加わり四人となった事で、ルールをタッグマッチモードに変えて楽しんでいた。

 そこへ「八護町さんは居るかー?」と、入り口の方から不意に声が掛かる。

「すまんな、ちょっと待っててくれ」

 そう言って八護町さんは対戦を一時中断すると席を立つ。

「はいはーい、なんねー?」

 と、返事をしつつその背中はすぐにクレーンゲーム群の中へと消えた。それを見送った俺も立ち上がり伸びをする。三十分以上座りっぱなしだったせいだろう、ぱきぱきと間接が鳴った。

 それから一分も経たずに八護町さんが戻ってくる。それを見て俺が席に戻ろうとしたところで、八護町さんは言った。

「すまんが急用が入った。どれくらい掛かるか分からないから今日はこれでお開きにさせてくれ。あと明日もまだ居て暇だったら、ぜひ立ち寄ってくれ、何プレイか奢るからさ」

 そして常連の男性とも二言三言、言葉を交わすと入り口の方へと走っていった。

 携帯電話を取り出し時間を確認すると既に五時半を過ぎており、その事を霧海さんに伝えたら、「そろそろ戻りましょうか」そう提案されたので、「そうだな」と、答えた。

 常連の男性にお礼を言ってから店を出る。外は季節が夏だからか、まだ夕暮れには程遠かった。

「品里さん」

 これから渡る橋が見えてきた辺りで、不意に呼ばれた。

 隣を歩く霧海さんを見上げるのは、そこそこに疲労している俺には重労働なので前を向いたまま、「ん、なんだ?」と、返事をした。

「ありがとうございました。私の我が儘に付き合ってもらって」

 そんな感謝の言葉に対して、ふっ、と笑って言う。

「それは明日、樹海の謎を解いた後で言ってくれ。今はまだ、俺の役目は果たせてないだろう?」

「えっと、あ、はい。そうですね…そうでした。明日もよろしくお願いします!」

 そう言って軽く頭を下げてくれたが、俺としてはそれがプレッシャーにもなるので、期待されているから、とは素直に喜べなかった。

 まぁ、最悪の場合でも美咲はわかっているようなので、迷宮入りと言う事にならないのが救いだな。だから、と。手を抜けるわけでもない。故に今日の夜も読書は、またもお預けになりそうだ。

「ちょっとすみませんが」

 と、橋を渡りきったところで白髪交じりの青い法被を着た少しお腹の出た五十代後半くらいのおじさんに声を掛けられる。何かと思いながらも霧海さんと二人、立ち止まった。俺は少々警戒しつつ訊く。

「何ですか?」

「いや、この子なんですが、見かけてないですかねぇ?」

 おじさんはそう言って取り出した携帯電話の小さな画面を見せてきた。そこに映し出されていたのは、見覚えのある女の子が笑顔でピースをしている写真だった。

「えっ?あや」

「待った」

 俺はそう霧海さんの言葉を遮る。相手の目的がわからない以上、無闇に情報を渡してしまうのは危険だと考えたからだ。まぁ、彩音ちゃんは七歳。ストーカーという線は無いだろうから、そこまでする必要はなかったかもしれないが、念には念をで、先に事情を聞く。

「この子がどうかしたんですか?」

 そう言う俺の態度が気に入らないのかおじさんの表情が硬くなったが、何か知っているとわかったからだろう。渋々という感じで答えてくれた。

「迷子だよ。えーっと…二時間くらい前だな。母親がちょっと目を離した隙に居なくなったらしい。俺はその親子の泊まってる旅館の女将さんに言われてこの子を探してる。この町の青年団の者だよ」

「旅館に確認をとっても?」

「好きにしな」

 そう追い払うような手振りも混ぜて即答したおじさんは、懐から煙草とライターを取り出しそっぽを向いたので、これなら大丈夫だろうと思い、反応を見る目的で取り出した携帯電話をポケットに戻してから言う。

「疑うことをして、すみません。話しますよ」

 俺のその言葉にわけがわからないと言った感じで、おじさんはこちらに向き直ると、

「そうか?じゃあ話してくれ。この子の事、知ってるんだろう?」

 と、威圧的な眼光を宿して言った。

 少々ビビリはしたが自分の撒いた種なので受け入れて話し始める。

「その子を見ました。時間は二時四十五分頃で、場所は大通り北側の土産物屋が並ぶ通りがあるじゃないですか…そこで、です」

 あそこかぁ、と何回か頷きつつ呟いたおじさんは、他には?と更に訊いてきた。別に隠す意味も無いので話を続けた。

「土産物屋の前でこっちの霧海さんと一緒に彩音ちゃんが髪に付けていた紙製の髪飾りのことで少し話しました。その後、彩音ちゃんを探していた父親がこちらを見つけ、彩音ちゃんの手を引いて……って、あ!」

 言いながら嫌な推測が構築され、思わず声を上げてしまう。

「ん?どうした」

 と、おじさんに訊かれたが、構わず続けた。

「その父親と言った男性は、彩音ちゃんを連れて西の方へ歩いていったんです」

 たぶん、俺とおじさんの初動は重なっていたと思う。

「霧海さん、一人で旅館まで戻ってくれ!それから月浜さんに言って彩音ちゃんの母親に確認を取ってほしい。旅行には父親も含めた三人で来たのか、を」

 その言葉で理解したのだろう、霧海さんは頷いて走り出そうとする。それを止める形で腕をつかみ、もう一つだけ頼んだ。

「ちょっと待った、もう一つ…父親の顔の確認も頼む。それらが判り次第、連絡してくれ」

 言い終えた俺が手を離すと霧海さんは、走り出した。それを見えなくなるまで見送ることはせずにおじさんの方を向くと、丁度、電話を切ったところだった。

「ちょっと一緒に来てくれ」

 そう言うおじさんに俺は行き先を訊かず、ただ頷いて答える。それを確認したおじさんは走り出した。後について俺も走りだす。向かう先は分かっていた。温泉街の西側にあるのは富士山だけじゃない。川の元となる湖、それと樹海だ。


 樹海の入り口に着くと六時近かった。

 ここまで走ってきてバテバテのおじさんと同じ法被を着た細い男性が二人、既に樹海入り口近くにある管理小屋の中で、監視カメラのチェックを行っていた。

「どうだ、女の子は映ってるか?」

「まだだぁ、俺らもさっき来たところだ」

 おじさん達がそんなやり取りをしている中、俺のマナーモードに設定されている携帯電話が震えて着信を知らせた。

「はいはい」

『あ、品里さん、霧海です』

 携帯だから確認は不要だろう。と、突っ込みたくもなったが、わざわざ脱線させる意味も無いので黙って報告を聞いた。

『彩音ちゃんのお父さんは一緒には来てなかったんですが、今日になって合流したそうです。それでその人はダイダラに行く前に彩音ちゃんと一緒に会った人でした』

 それを聞いて俺はホッとする。どうやら取り越し苦労だったようだ。まだ完全に誘拐の線が無くなったわけではないが、ただの迷子の可能性のほうが高くはなった。

「霧海さん、ありがとう。先に部屋に戻っててくれ、俺もすぐに戻る」

『あ、はい…』

 その返事はどこか力無いものに聞こえたが、ホッとしたか走って疲れたからだろうと思い。「それじゃ」と、言って通話を終了した。

 さて、おじさんに父親の事を伝えて俺も旅館に戻ろうかと、監視カメラのモニターがある方へ向けて口を開こうとしたときだった。

「おい、これじゃないか?」

 少し太ったおじさんがそう声を上げた。

 俺はまさかと思いつつもモニターへ近づき、静止した映像の中に一人樹海へ足を踏み入れようとする小さな女の子を見つけた。

 正直、映像が鮮明ではないため彩音ちゃんかどうかはわからない。せめてカラーなら頭につけた髪飾りが良い目印になってくれたはずだ。でも、これで誘拐の線は薄くなったと言える。ただ、もっと面倒なことになってないといいが…。

「もうじき暗くなる。とりあえず中を一回りして見つからなければ警察に連絡する。そして明日の朝から改めて探そう」

 少し太ったおじさんの提案にあとの二人はただ頷いて、近くにあった懐中電灯を手に取った。

「俺も行きます」

 そう協力を申し出る。すると最初に会ったときとは打って変わって申し訳なさそうな表情を浮かべて言った。

「すまんな、助かるよ」

 それから四人で小屋を出る。夕暮れが近づいたからだろう樹海から出てくる人はいても入ろうとする人は俺たち以外には居なかった。

 樹海で彩音ちゃんを見なかったか。ちらほらとすれ違う人たちに訊きながら、彩音ちゃんの名前を呼びつつ両脇に立ち入り禁止のロープが張られただけの舗装された道を歩く。

 夏で日が長いとは言え樹海の中は既に薄暗く、午前中に訪れた時よりも、立ち並ぶ木々に空いた大小様々なうろが不気味に映る。中でも子供くらいなら入れそうなサイズの穴は、何かが潜んでいるかもしれないといった先入観からか、恐怖感がその分プラスされた。

 たぶん、中に地蔵でも入れて色鮮やかな電飾を光らせれば、クリスマスのイルミネーションを連想させ、幾分かマシになるだろうなどと新たな観光スポット案を巡らせつつ、左右のそれらに気を取られていると、木の根が伸びて盛り上がった部分に躓き、バランスを崩しそうになった。何度かそれを繰り返したところで、懐中電灯を渡され足元を照らしながら歩くように言われる。

 それから百歩と行かない内に辺りは完全な暗闇へと包まれ、明かり無しでは殆ど何も見えなくなった頃、懐中電灯で照らされた足元に見覚えのある物があった気がして立ち止まった。

「どうした?」

 と、おじさんが振り返って訊いてくる。

 俺はしゃがんで道の脇に設置された看板の近くに落ちていた物を手に取る。それは青いビニールで包装された飴玉だった。

 俺はポケットから彩音ちゃんに貰った飴玉を取り出して比べてみる。間違いなく同じものだ。ということは?そう考えながら看板の向こうを懐中電灯で照らした。

 捻じれたり曲がったりしている木々が不規則に並んでいた。それは不気味で望んで入って行こうとは到底思えない。特に正面の木は太く、いくつか並んだうろが顔のように見えて怖かった。

「彩音ちゃーんッ!」

 俺に出せるであろう限界の音量で呼びかけたが返事は無く、風で揺れた葉が擦れる音が聞こえるだけだった。

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