三章 6

 午後二時半を過ぎ、俺と霧海さんは温泉街にある土産物屋が百軒以上も建ち並ぶという通りを歩いていた。昼食は予定通り蕎麦屋「木花」で済ませている。実にトッピングの種類が豊富な店で、店内の壁には数え切れないほどのトッピングメニューが貼られており、試しに訊いた納豆は、「ありますよ」と、即答されたくらいだ。

 そんな店を出て既に一時間が経っていた。次に寄る予定の甘味処「ダイダラ」まで時間があったので、腹を少しでも空かせることも予ねて色々と店を見て回っていたわけだった。

 ただ、百以上建ち並ぶと言っても土産物屋だ、半分も見れば飽きが来る。故に俺が物思いにふけるのも当然と言えた。

 結局のところ俺はバス停で、霧海さんが樹海で迷った時に見つけられたのも同じ理由だと言った事を「それは別だな」と、否定した。だが、意外なこともあるにはあった。霧海さんが「やっぱり違いますか」。そう言ったのだ。

 そしてしばらくしてやってきたバスに乗り、席に着くと訊かずとも話してくれた。

「かくれんぼをした日の午後…二時くらいだったと思います。お父さんと喧嘩して何も持たずにホテルを飛び出し、前日に訪れていた樹海のことを思い出してそこへ」

「なんでまた樹海なんかに?」

「早々見つからない場所に隠れたかったので、かくれんぼの延長みたいなものです」

 おいおい、と呆れつつ話を進めるために突っ込むことはせず言った。

「で、迷ったと」

「はい、後で兄と一緒に凄く怒られました。私、方向感覚には自信があったんです。けど隠れる場所を探している内に迷ってしまって。でも、そんな時はじっとしていたほうが良い事を前日に聞いていたので、その場を動くことはしませんでした。その甲斐あってか、日が沈み始める前に兄が見つけてくれたんです。「えーりこちゃーん!みーつけた!」そう呼ばれて声のした方を向いたら、道標の為にページを切られ薄くなった文庫本片手に、兄が木に寄りかかって立っていたんですよ?

 今ならカッコつけてるって言って馬鹿にするところですけど、あの時の私にとっては本当に格好良く見えたんです。だから、その時にもう一度言われた「魔法が使える」という言葉が本当だと、私は信じてしまった。そう思います」

 ただ、そう言った彼女は頷き相槌を打つ俺を見て、慌てて言葉を続けた。

「あ、でも、今は考えないでいいです。今日は他にいっぱい予定がありますし、明日は夜の花火を見てから帰るので、昼間の予定は少し空いてます。そこで考えてくれればいいので!」

 少々引っかかる部分が無かったわけではないが、まぁ俺としても旅行を楽しみたい気持ちはあったので、ありがたくその厚意に甘えることとして、昼食である納豆蕎麦を胃に収め、ウィンドウショッピングを楽しんでいたつもりだった。

「普段は良いが、今は悪い癖だな」

 と、聴こえないように呟きつつ、それにしても、と辺りを見回す。土産物屋などが立ち並ぶ通りなので人が多いのはもちろんなのだが、さっきからその中にちらほらと見知った制服を着た女子高生の姿が視界に入るのだ。夏服までもがあのデザインの、ベージュのブレザーを採用している学校が、葉山美咲の通う女子校以外にあるなら別だが。無いだろうな、と俺は思う。

 いくつか思い当たる節がありはしたので、もしかしたらという考えはあった。でも、それが現実のものともなると、妙に落ちつかない感覚を覚える。たぶん例えるなら、これが一番近いだろう。

 彼女が友人との旅行先に選んだ場所と、不倫相手との旅行先が運悪く重なっていて、彼女の友人を旅行先で見かけてしまった。そんな感覚だ。

 ただ、だからと言って別に会いたくないわけでもない。むしろ小言を承知の上で会って、力を借りると言うのも手だろうからだ。つまり、会いたくは無いが、訊きたい事がある。と、言ったところだな。まぁ、それを期待して彼女を探すのは話が違う気がするので、運悪く出会ってしまったらで、良いだろう。

 霧海さんの方へ視線を戻そうとして、ふと制服とは別で見知った顔が低い位置、すぐ後ろに居る事に気がついた。

 その女の子、名前は確か…彩音ちゃん、だったな。

 昨日と同じようにぺこりとお辞儀をしてくれる。俺もお辞儀で返そうとしたところで彩音ちゃんに昨日とは違う部分を見つけた。

「こんにちは、彩音ちゃん。あ、その髪飾り可愛いね」

 と、後から気づいた霧海さんに台詞全てを持っていかれた。

 そう、昨日と明らかに違うところは髪飾りだ。少々癖のある短めの髪に一輪の赤い花を模した髪飾りが、クリップかなにかで前髪片側を纏めていた。

 濃淡のグラデーションが綺麗な生地だなと思い、よく目を凝らしてみると、紙細工だった。紙なのに布地のような柔らかさが見て取れる。この手のものに興味のない俺でも、思わず「おぉ」と声が出た。

 霧海さんも間近で見て紙細工だとわかったのか、

「すごい!紙で出来てるんだ、これ」

 そう純粋に驚きを見せて、髪飾りにそっと触れた。

「お母さんに買ってもらったの?」

 霧海さんがそう訊くと、

「ううん、おとうさんにかってもらったの」

 彩音ちゃんは首を横に振りつつ、そう答えた。

「そっか、じゃあ大事にしないとね」

 彩音ちゃんは、うん、と大きく笑顔で頷いた。

 それから彩音ちゃんは思い出したかのように、斜めに掛けている小さなポシェットから何かを取り出すと、両手に握って俺と霧海さんに突き出した。

「くれるの?」

 霧海さんがそう訊くと、また大きく頷く。

 俺は霧海さんと一緒に手を出して、彩音ちゃんからのプレゼントを受け取った。

 それは青いビニールで包装された飴玉だった。

「ありがとう」

 二人でお礼を言うと、彩音ちゃんは笑顔で頷いた。

「あぁ、やっと見つけた!」

 唐突に声をかけられる。反射的に声のした方向に視線を奪われた。それは霧海さんも同じだった。ただ、視線の先に居た四十代くらいに見える男性を俺は知らない。その容姿は線が細く、汚れている訳ではないが随分とくたびれたシャツを着ているせいか、頼りないイメージを抱かせた。

 霧海さんの方に視線を移して、知ってるか?と目の動きで問うた。その返答は首を横に振るもので、だとすれば答えは一つに絞られる。

「彩音、駄目じゃないか。お父さんに黙って居なくなっちゃ」

 近づいてきた男性が彩音ちゃんの前で目線を合わせるために膝をついてそう言った後、「すみません、娘が相手をしてもらったみたいで」と続けた。

「いえ、気にしないでください」

 すぐさま返した言葉が霧海さんと図らずも重なった。

 それを聞いた彩音ちゃんの父親は軽く笑って、「仲が良いんですね」と言う。

「そうですか?」

 またも重なる声に俺と霧海さんは言葉を失い。父親は「そうですよ」と、微笑んで彩音ちゃんの手を取った。

「それじゃ彩音。お姉さん達の邪魔をしちゃ悪いから、そろそろお母さんの所に行こうか」

 その言葉に彩音ちゃんは頷くと、手を引かれて父親と一緒に人ごみの中へ入って行き、すぐにその背中は見えなくなった。

 そろそろか、と思い背を向けていた店の方に視線を移して、壁に掛けられた天井付近の時計で時間を確認すると言った。

「もうすぐ三時だ。甘味処へ移動しよう」

 それに「はい」と頷いた霧海さんと一緒に、彩音ちゃんとは逆の方向へと歩き出した。


 さほど歩くことなく甘味処へはたどり着いたのだが、日曜日でしかもおやつ時に混まないわけもなく、店に入り席に着いたのは三時も二十分を過ぎた頃だった。

 店内は割と静かで椅子の数の関係上、人もそれほど多くは居ない。だが、その雰囲気が合わず落ちつかないので、気を紛らわす為にメニュー表を見ると、意外と高いそれらに一瞬眉根を寄せてから、それほど高くない抹茶と和菓子のセットを選び、近くに居た店員に伝えた。

 一方、向かい合って正面に座る霧海さんは、俺とは違い事前に食べるものを調べ決めていたのか、メニューも見ずに店員にクリームあんみつと白玉ぜんざいを頼んでいた。

 写真は無く文字と数字だけのメニュー表に書かれた値段を見るに、つい二時間ほど前にほうれん草をトッピングに大盛りの蕎麦をつるりと胃に収めた人間が頼む量ではないと思った。俗に言うあれだろうか?

 デザートは別腹、ケーキは主食とかなんとか…。

 まぁ、値段だけしか書いてないので、量より質という可能性もある。物が出てくるまで驚くには早いだろう。

「それでゲームセンター芋尾樽には、特別なゲームでも置いてあるのか?」

 予定通りなら次に立ち寄ることになっているのがゲームセンターなので、頼んだものが出てくるのを待っている間の暇潰しついでに、霧海さんに気になっていたことを訊いた。

 その答えは、すぐに返ってくる。

「特にそういう物は置いて無かったと思いますよ?」

 じゃあ何故?と反射的に言葉が口から飛び出すところを、

「お待たせしました。こちらが抹茶と和菓子のセットでございます」

 という店員の声と、店の引き戸が開閉される際にガラガラと音を立てた事により止められた。

 店員が去ってから、テーブルに置かれたカラフルな餡子で作られた二つの和菓子が載った四角い皿と、抹茶の入った湯呑みに目をやり、早いな。と思ったが、すぐにそういえば、と思い出す。店の外側でこれに似たような和菓子を売っていた。それを皿に載せて抹茶と一緒に出せば良いのだから、早いわけだ。

 次に霧海さんが頼んだものを思い返して考えが巡る。和菓子の事を考慮するのであれば白玉ぜんざいくらいなら待っても良いか、と。テーブルに乗せようとしていた手を太ももに戻した。しばらくして、

「先に食べてていいですよ?」

 霧海さんは手を付けようとしない俺を見てそう言ってくれたが、俺は首を横に振った。

「いや、待つよ。それよりも」

 と、さっきの話の続きをしようとしてふと泳いだ視線が、空席だったはずの隣のテーブル席に、いつの間にか座っていた女子高生の視線とかち合った。

「ふうん気が合うわね、とんだナンパ野郎さん?あぁ違う、間違いね。とんだストーカー野郎さんだったわ」

 見知った顔に見慣れた制服、それから聞き慣れた声音で斜め前の席から俺に声を掛けてきたのは、つい一時間ほど前に会いたくないが訊きたい事はあると思った人物、葉山美咲その人だった。とりあえず抗議だけはしておくか。と、言葉を返す。

「語感が好きじゃない」

「そうね、私もそう思うわ」

 と、短いやり取りを交わしたところで、

「お知り合い…ですか?」

 霧海さんが疑いの目を向けつつ訊いてきた。

 まぁ霧海さんの疑念も、もっともな話だ。俺がその立場だったら同じ事を思い訊いていただろう。さて、どう言ったら誤解が少なくて良いかな?

「協力者よ、お互いに。でも、大丈夫。あなたが考えているような関係ではないわ」

 美咲はそう言うとメニュー表を手にとって、「そうね」と呟き、手を上げて店員を呼んだ。連れの女の子は慌てて、もう一つ置いてあったメニュー表を取ってそれを凝視する。

「特製わらび餅を一つ、それだけでいいわ」

 美咲が先にそう言って、それに続くように連れの女の子も、

「じゃ、じゃあ、くずきりを一つください」

 と、言った。

 店員が立ち去って、四人の間に沈黙が流れる。ただ、それは僅かな時間だった。

「それで?とんだナンパ野郎さんは何故ここに居るのかしらね」

 予想は出来ていた。葉山美咲という人間が、その質問をしないはずがないことを。そして予定は予測の範囲内で進行した。ならば、俺が返す言葉は一つだけだ。

「それについて話すついでなんだが。美咲、少しで良いから一緒に考えてほしい事がある」

 それを聞いた美咲は一度霧海さんの方を見て、「ふうん」と何かを察したのか、頷いてから俺に視線を戻して口を開いた。

「いいわ、話して。ただし手短に」

 条件付きではあったが、これと言って特に問題はない。

 わかってる。そう頷いて、「そうだな」と、ホテルから持ってきていた三つ折りの案内図を取り出しながら話し始めた。

「十年前だ。このかくれんぼが得意だという霧海さんが、運動神経に自身のあるお兄さんと、駅がある方の街のホテルでかくれんぼをしたんだが…」


「…つまり霧海さんのお兄さんは、人に聞き込みをして探していたわけだ。…と、ここまでは問題ないと思うんだが。どうだ、綻びはあったか?」

 ホテルでのかくれんぼの件で一旦話を区切った。樹海の話に移る前に、「問題は無かったか?」と、訊いておきたかったからだ。一応、話している間に口を挟まれることも無かったので問題は無い筈だと思う。

 ただ、話し始めてそれなりの時間が経過していることもあり、四人が頼んだもの全てがテーブルに並んでいた。その殆どが既に半分以上各自の胃に納まっているので、手短に話せたかどうかは怪しいところである。

 美咲の手が止まる。噛んでいたわらび餅を飲み込んでから彼女は言った。

「そうね、あなたが言っている事に綻びが無いのだったら、それでいいと私も思うわ」

 なら良かった。と言い掛けて、「でも」と続けられ言葉に詰まる。

「また調べることを疎かにしたのは問題があると思うわ。結果的に必要無かったとしても、万全を期しておくべきね。って、これを言うのも何回目かしらね」

 途中まで張り詰めていた空気が最後で和らいだのを感じて肩の力が抜けた。

「悪いな、いつも同じことばかり言わせて」

「本当だわ」

 そんなやり取りに思わず笑ってしまう。もちろん場所を考慮して軽くだが、それに釣られてか美咲も「ふふっ」と、笑った。

「あの、席換わりましょうか?」

 と、見かねたのか美咲の前に座っている女の子から提案されたが、「いや」と断って霧海さんの方を見て言った。

「別に続きを話すのは俺じゃないからな。霧海さん、俺に話してくれた樹海での事を、この葉山美咲にも話してあげてくれないか?」

「え?」

 突然、役目を振られたからか少しうろたえたようだったが、すぐに「はい」と返事をして美咲の方へ体を軽く向けると、話し始めた。

 俺は一度聞いた話なので適当に聞き流しつつ、食べかけの和菓子をすっかり冷めてしまった抹茶と共に味わう事にする。

 一つは毛玉のようなもじゃもじゃとした定番の餡子で出来た和菓子で、説明しつつ口へ運んでいたこともあり、既に見る影もないくらいにしか残っていない。もう一つは緑色で葱の様な雑草の様な草っぽい形をした餡子に、黄やら赤やら明るい色の四角く小さな餡子がいくつか乗っかっているものだった。

 最初に見たときは、なんだ?と首を傾げたくもなったが、改めて季節物だろうと的を絞って考えたら、すぐにわかった。たぶん、笹の葉と短冊のつもりなんだろうな。と、竹楊枝で一口サイズに切って刺し、口へと運んだ。

 甘い。率直な感想だった。

 そして毛玉のような和菓子が皿から消え、三枚あった笹の葉が残り一枚となった所で、

「一つ質問したいんだけど、良い?」

 美咲がそう言ったので霧海さんの話が終わったのだとわかった。

「あ、はい、どうぞ」

 と、答える霧海さんを見て、どちらが年上なんだかわからなくなる。まぁ俺も霧海さんと似たような立場なので言えた事では無い。故に、せめて二人のやり取りに集中することにした。

「お兄さんとは何歳離れているの?」

 その質問の意味が俺にはわからなかった。それは霧海さんも同じだったようで、首をかしげながら、「十歳です」と答えた。

 それを聞いて、ふうん、と、三つ折りの案内図を畳みながら二度頷いた美咲は、器に右手を添えて一つだけ残っていたわらび餅を一口で食べると、噛み砕いた後に飲み込み、「ごちそうさま」。そう言ってから俺に視線を向けて言った。

「視点を変えて見る事ね。そうでなければ彼女のお兄さん、キザでとんだペテン師のやった事が、あなたには分からないと思うわ」

 言い終えて立ち上がった美咲は、いつの間にか頼んだくずきりを全て胃に収めていた連れの女の子と一緒に、勘定を済ませて店を出て行った。

 呆然とそれを見送った俺は、横を通ったときに返された三つ折りの案内図に視線を落として呟いた。

「既に必要な断片は揃っているのか…」

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