三章 4

 この旅館の温泉は一階北側に設けられていた。

 だが、四方に客室を配置しているが故に、見上げれば空を、とはならないのが少々残念なところである。まぁだからと言って、温泉の質が落ちるわけでもない。一応、ガラス張りのお陰もあり、川を挟んだ先にある山を拝む事が出来るようにはなっているので、風情と言うものも感じられないことはない。

「まぁ、私有地の看板と鉄柵がなければな」

 それと春に来ていたら、尚のこと良かったんだが。と、温泉から戻ってきた俺は呟きながら部屋のドアノブを回したが、鍵がかかっていて入れなかった。

「霧海さん?」

 一応ノックをしながら呼びかけてみるが返事が無い。持って出ていた携帯電話で時間を確認すると六時を過ぎていた。

 霧海さんより二十分くらい遅く部屋を後にした俺は、温泉にはそれなりの時間浸かっていたはずだ。それから部屋へ戻る前に、行きに気になったゲームコーナーを覘いて見たのだが、俺たちが泊まる部屋と同じで店長の息のかかってそうな筐体のチョイスに呆れつつも、置いてあった格闘ロボット大戦3を一プレイだけ遊んでから戻ってきたのだった。

 俺が部屋を出てから約五十分、霧海さんが部屋を出てから一時間以上が経過している。

 遅い、という事は無いか…。でも、こんなことなら俺が鍵を持っておくべきだった、と後悔した。オートロックなので出るときは自動的に鍵が掛かるし、二十分ほどのタイムラグがあれば霧海さんの方が先に戻ってきている予定だったのだ。

 まぁ、いつまでも後悔してても仕方が無いので、一階に一度下りてフロントでもう一つ鍵を貰ってくる事にしようと階段へ足を向ける。そこで、すぐ近くの階段の下から何やら賑やかな声が聞こえてきた。

 大勢がそれぞれ別の話題で盛り上がっているのだろう、それらを聞き取る事は不可能だと思えたが、一つ大きな声で「AからBは二階よ」と言っていた。それでか、と思い当たることがあった。温泉の入り口に今晩八時から十時までは貸切のため使用できないとの張り紙がされていたのだ。

 そういえば霧海さんも言っていたな。修学旅行と被って一部屋しか取れなかった、と。

 だとすると、こちらから下りるのは無理そうなので、西側の階段へ回り込むことにした。

 途中、北側にあるエレベーターの前を通ったが、これに乗ったところで南側にあるフロントへはそれほど近道にはならないだろうと、足を止めることなく西側階段へ歩みを進める。そして予想通り西側の階段はまだ空いており、楽々と下りる事が出来た。

 一階まで下りてきてフロントに向かおうと土産物のコーナーの前を通る。そこでこの旅館の浴衣を着た霧海さんが、小学校低学年くらいの見知らぬ女の子と並んで椅子に座り、何やら楽しげに会話しているのが目に入った。霧海さんもこちらに気付いて手招きをしてくる。それに誘われる形で俺は彼女に近づいた。

「これから温泉ですか?」

 女の子との会話を中断してそう訊いてきた。

「いや、もう入ってきた。それより霧海さん、その子は?」

 答えるついでに霧海さんが部屋に戻っていなかった原因であろう女の子の事を尋ねる。

「この子は温泉に入っているときに知り合ったんです。今はお母さんに急な電話が来たので待っている間、私が相手をしてて…。えっと、名前は彩りに音って書いて彩音ちゃんっていいます」

 そこまで説明したところで座っていた女の子は立ち上がると、

「ひのあやね、ななさいです」

 そう言ってぺこりとお辞儀をしてくれた。

 それに対してどう返そうかな?などと、思案していたら霧海さんがあっさりと、

「この人は品里学といって、ゲームが得意なお兄さんだよ」

 バイト中、クレーンゲームコーナーで普段から見せている子供への対応そのもので説明された。

「しなさと、まなぶ…おじさん?」

 おしい!霧海さんがせっかくお兄さんと言ってくれたのだが、二十五歳は七歳の子供から見たら既におじさんだったわけだ。まぁ俺はそれについて訂正する気はない。彩音ちゃんから見てそうであるなら、その呼び方で構わないと思うからだ。

 それに、と今の自分の服装を改めて確認する。旅館の浴衣を着ていはするけど慣れないせいかよれよれで、とてもじゃないが着こなせているとは言えない惨状だった。

 少し違うかもしれないが、呼ばれたい肩書きがあるなら肩書きに恥じない行いと格好をしたほうがいい。とは、会社勤めだったころ上司に言われたことだが、こんな所で身をもって実感することになるとは思わなかった。

 まぁでもそれは俺個人の価値観の話であって、浴衣を綺麗に身に纏わせている霧海さんは違う考えらしく、

「彩音ちゃん。おじさんじゃなくて、お兄さん」

 と、言い聞かせていた。

 俺は、「別に気にしなくてもいいよ」と言ったが、霧海さんは引かずに声のボリュームを少し上げて言葉を発した。

「こう言う事はちゃんと教えてあげないと、いじめや偏見の火種になるんです!」

 それは一理ある、と思うと同時に、母親のような考えも持っているんだな、と感心する。

 ただ、それは霧海さんが言うことじゃないと思い。俺は、彩音ちゃんの両親が言うことだよ。と反論しようと口を開こうとする。だがそれより前に、反論を察したわけではないと思うが、彩音ちゃんに今にも泣きそうな顔で、

「えりこおねえちゃんも、まなぶお、おにいさんも、けんかしないで」

 そう言われたら、お互いに矛を収めるしかなかった。

 霧海さんは浴衣で精一杯しゃがんで彩音ちゃんと目線を合わせると、

「大きい声出してごめんね?お姉さん達は喧嘩してたわけじゃないからね?」

 そう謝りつつ頭を撫でてあげていた。

 それからしばらくの間、三人で椅子に座って会話を楽しんだ。

 動物ではライオンが一番好きだとか、クレーンゲームが得意だとか、普段は男の子に混じって走り回っているだとか、五月の運動会の時は駆けっこに棒登りに大玉転がしと大活躍だったことだったりと、内容は主に彩音ちゃんの事で、第一印象としては大人しめな子だと思っていたが、意外と元気の良い子のようだった。

 そう見えないのは、知り合って間もない大人に挟まれているからか?などと考えながら旅館で食べた大根の煮物が美味しかったという話を聞いていたら、突然彩音ちゃんが勢い良く立ち上がり、

「お母さんっ!」

 そう言いつつフロントのある方向へと駆け出した。俺と霧海さんは彩音ちゃんを追いかけるように視線を移す。その先に居たのは二十代後半から三十代前半くらいに見える浴衣姿の女性だった。周りには他にお母さんと呼べそうな女性は居らず、彩音ちゃんもその女性に真っ直ぐ向かっていき、足に抱きついた。

 浴衣と言う事もあってか両足を彩音ちゃんによって拘束された女性は動く事が出来ず、それでもこちらに軽く頭を下げてくれる。

 霧海さんは立ち上がって二人の下へと歩いていくと、二、三、言葉を交わしてすぐに戻ってきた。

「部屋、戻りますか。それともどこか寄ります?」

 と、訊かれたので、一応フロントに寄って鍵をもう一つ受け取ってから部屋に戻る事にした。


 部屋に戻ると六時も半分を過ぎており、夕飯が運ばれてくるまでもう少しと言ったところだった。

 俺は霧海さんとテーブルを挟んで向かい合うように座ると、明日の予定について軽く話しておく事にした。

「それで、明日はどこを回るんだ?」

 それに「え?」と、返されたとき俺は本気で頭を抱えたくなったが、どうやら突然訊かれたからそう反応しただけらしい。霧海さんは近くに置いてあるウエストポーチから手帳を取り出すと、そこに書かれているらしい予定を読み上げてくれた。

「えっと、朝は樹海を散歩して、お昼には戻ってきて蕎麦屋「木花」で昼食にします。その後は土産物屋を見ながら途中、甘味処「ダイダラ」に寄っておやつを食べます。そして最後にゲームセンター「芋尾樽」にも立ち寄ったら終了です」

 一通り話し終えるのを待ってから俺は口を開く。

「観光しに来たのか?」

 あッ!と、霧海さんは思い出したかのように声を上げ、再度メモに目を落として、じゃあ、と切り出した。

「樹海の後に昔泊まったホテルに行くって事で…どうですか?」

 本当に俺を連れてまでここに何しに来たんだ?と思わなくも無いが、かくれんぼをやったであろう場所が予想の範疇を超えなかった事で、少々ホッとした。流石に霧海さんが最初に言った樹海が仮にもかくれんぼの舞台だったら、どうしようかと思っていたのだ。

「良いんじゃないか」

 と、頷き提案を良しとした。するとそれに対して彼女が小さく拳を握ったのが見え、そんなに嬉しかったのか?と訊こうとした所でコンコンと部屋のドアがノックされた。いきなりの事で心臓が一瞬止まった気がする。夕飯は七時以降と聞いていたので、違うはずだ。

 呼ぶ声が無いので反応に困っていたらもう一度、今度はさっきよりも少し強めにノックされたので、俺は立ち上がると部屋の入り口まで行き恐る恐るドアを開けた。

「お夕食をお持ちいたしました」

 そう言って軽く会釈をしてくれた女性は何度か見かけた仲居とは違い、上から下へ白から青へのグラデーションが綺麗な着物を身に纏いピシッとした姿勢で立っていた。

 年齢は二十五、六歳辺りだろうか?身長はそれほど高くなく、百六十前後と言ったところだろう。とりあえず着物からも見て取れるように、位の高い人だとすぐに分かった。

 ただ、俺は旅館の組織図にあまり詳しくは無いので、役職にどんなのがあるのかをよくは知らない。故に若女将くらいと当たりをつけておく。なら何故そんな人が?とも思わなくはないが、それは店長が女将に根回しでもしたのだろうと考えた。あの人ならそれくらいは、やりそうだからだ。

「中にお運びしてもよろしいですか?」

 と、訊かれたので「あ、はい」と頷いて、テーブルの前まで戻って座った。

 十秒も掛からずに夕飯の乗った盆を持って女性が部屋に入ってくると、霧海さんの前に盆ごと置いて部屋を出る。それからすぐに二つ目を持って戻ってきて、それを俺の前に置くと、無言でドアを開けたまま部屋を出て行った。

 呆気にとられて開いたままのドアを数秒の間見つめてしまう。たぶんストッパーが噛ませてあるのだろうドアを閉めるべく、面倒だなと思いつつも俺はもう一度立ち上がった。

 そこに再度、夕飯の乗った盆を持ってさっきの若女将だと思われる女性が入ってきたので、ドアへ向いていた足が止まる。若女将はドアの下の方を足で軽く払うと、盆を器用に片手に載せてドアを閉めてからテーブルに三つ目の夕飯を持ってきた。

 盆をテーブルに置いてから若女将らしからぬ感じの女性は座ると、着物で出来る限界だろうと思えるくらいに足を崩して口を開いた。

「はぁ、疲れた。みやちゃんの所に入った新人なんだって?どう、みやちゃんは元気にやってる?」

 立ったままで聞いていた俺はもちろん、座っている霧海さんも同じく面食らって呆然とする。それに気がついたのか、女性はコホンとわざとらしく咳払いをして、崩した足を着物と一緒に綺麗に整え正座をすると、ピシッと背筋を伸ばしてから言った。

「この旅館、四季の女将をしております。月浜京子(つきはま、きょうこ)と申します」

 深々とお辞儀をしてくれるが、その前のインパクトが強すぎてどう反応したらいいのか困った。とりあえず俺も座りつつ、

「えっと、どうも…楽な方で良いですよ?」

 と、返事ついでに提案してみる。

 すると深々と下げていた頭を上げてこちらを見ると、嘘は言っていないと判断できたのか、

「え、あ…そう?じゃ、お言葉に甘えて」

 そう言って再度、足を崩した。

「いやね、みやちゃんが今年は新人二人を寄越すって言うからさ。みやちゃん相手と同じノリで良いかな?って思ってたから、お姉さんビックリしちゃった」

 ビックリしたのはこっちもである。まさか自分の分の飯も持ってくるとは思っていなかったのと、若女将だと思っていたら女将だったとはな。つまり霧海さんの言っていた店長の同級生というのがこの人なんだろう。店長と同じで四十代には到底見えない。霧海さんの兄が魔法を使えることよりも、こっちの方がよっぽど謎である。

 女将である月浜さんが雑に手を合わせて夕飯を食べ始めたので、俺と霧海さんは丁寧にいただきますと言ってから箸を取った。

 盆の上には白いご飯に、彩音ちゃんが美味しいと言っていた大根の煮物、それとほうれん草のお浸しに焼き魚、それからお吸い物が載っていた。それらを口に運びながら俺は月浜さんに訊いた。

「店長…都さんとは高校からですか?」

「ほうよ」

 と、月浜さんは口に煮物とご飯を詰め込んだまま返してくれたが、せめて飲み込んでからにしたほうが良いと言おうとして止める。女将だから百も承知だろうと思い、聞くことに専念する。

「高校一年の頃から同じクラスでね、でも最初は殆ど話した事がなかったなぁ。みやちゃんが高校生にもなって遊びが過ぎてたからだと思うけど」

 今でもそれは変わらんけどな、と心の中で呟く。

「見方が変わったのは文化祭の時。クラスの出し物は多数決で喫茶店に決まったのね。でも、その準備を始めて一週間後、みやちゃんはやる気の欠如したリーダーに怒鳴った。今でも同級生の間では伝説よ」

 そこまで言って一度、箸を置いた月浜さんは立ち上がると、またわざとらしいコホンという咳払いをしてから、何者かを演じるかのように声を張って言った。

「あたし達が良いと思って作り上げたとしても、お客さんはそれを必ずしも良いと思ってくれるわけじゃない!でも、あたし達が良いと思って作り上げようとする努力を放棄したら、必ずお客さんは良いと思えない!だから、やるなら全力で!あたし達もお客さんも楽しめる喫茶店にして!」

 正直言って耳を塞ぎたくなるほどの大きな声だった。俺や霧海さんが驚いた以上に隣接する部屋の人たちは壁や床、それと天井に視線をくれたことだろう。たぶん、迫真の演技だった。いや、再現と言うべきだな。今、俺が思っている事を、その時その場に居た人たちも思ったんだろう。それはもちろん霧海さんもだった。

「正論ですね。それに会社としては一番大事にしないといけないことです」

 それに頷きつつ座り直した月浜さんも乗っかる形で言葉を発した。

「そのとおり。で、結局、馬鹿みたいに楽しい文化祭になって、お客さん達が楽しめたかは訊いてないから分からないけど、笑って帰ってくれたよ」

 懐かしむように天を仰いで、俺達を順に見てから続けた。

「それで、わたしの家が旅館でね、ってここなんだけど…。一人娘のわたしが跡を継ぐ必然性の中、この人の考え方は参考になるかもしれないって感じたわけよ。それから色々と話している内に、掛け替えの無い友人になってた。そんなところね」

 話し終えた月浜さんは白いご飯の盛られた茶碗を持つと、箸を取って煮物に手を伸ばした。話し方など女将らしくないところがいくつか目立って見えたが、箸の使い方だけはとても綺麗に見える。たぶんそれだけは小さい頃から変わっていないのだろう。

「そうそうそういえばこの部屋ね。他の部屋とは違ってかなりの防音仕様で、ちょっと騒いだくらいじゃ分からないから安心していいよ」

 夕飯が着々と胃に納まっていく中で、唐突に思い出したかのように月浜さんが要らない気を利かせてそう言った。霧海さんがそれに対して顔を少々赤らめ言葉を失っていたが、俺はだからか、と色々な事に納得していた。

 ドアが他の部屋と違ってごつい事も、ノックの音しか聞こえなかった事も、月浜さんが気を抜いてご飯を食べている事も、そういうことだからか、と。

 だとすると、さっきの大きな声も他の部屋には聞こえてなかったに違いない。それについて、という意味もあるが霧海さんに助け舟を出すことも含めて気になることがあったので月浜さんに訊く事にした。

「防音にしてくれって言ったのも店長なんですか?」

 今度はちゃんと飲み込んでから答えてくれた。

「言われたっていうより、訊かれた。が正しいね。旅館を建て替える時に、この部屋だけお金は出すから防音にしていい?って。まぁ色々と建て替えの事で相談に乗ってもらってたから、一部屋くらいならと思って好きにさせたんだよね」

 その結果がこれか、と部屋を改めて見回してから更に訊いた。

「相談ってどの辺のですか?」

「えっと、外装に内装に、中庭の提案に、それとゲームコーナーと旅館の新しい名前だね」

 それは、むしろ店長の関わっていない箇所を探すほうが難しいだろう。と、思わせる返答だった。つまりこの旅館の部屋の格差も店長が生み出したわけだ。何故店長の案を良しとしたのか?と、溜め息を吐こうとして、ふと違和感を覚える。

 でも待てよ。そうだとするとおかしなことがある、と気がついた。今は障子で遮られている窓のほうを見て思う。店長なら富士山が一望できる西側は無理だったとしても、せめて南側の部屋を自分の好きにするはずだ、と。

「あの、店長は最初から、この部屋を防音にすると言ったんですか?」

 それを聞いた月浜さんは質問の理由を察したのか、俺を試すという風に言った。

「みやちゃんなら富士山が見える西側を、それが無理でも南側を選ぶ筈って言いたいの?」

 何も言わず頷く。

「違うよ。みやちゃんは最初から、この部屋を選んだ。そうだね、ヒントは旅館に付けられた名前、これもみやちゃんがつけたんだ。これ以外はありえない!って言われたよ」

 店長は最初から他の部屋に比べて、魅力が最も薄い部屋を自ら選んだ。そしてそれは旅館の名前が「四季」以外にありえない。と、言わせる理由とも繋がるらしい。

「あぁ、そうか」

 と、断片がカチッと枠に収まった。

「何かわかったんですか?」

 そう言う霧海さんは、どこまで俺と月浜さんのやりとりを理解してくれているだろうか?まぁ、考えるだけ無駄だろう。理解してようがしてなかろうが、どちらでも同じだ。ならば、と最初から説明する事にした。

「そうだな、まず店長は俺から見て、かなり自分勝手な所があると思う」

 二人とも頷いた。月浜さんに至っては笑っている。つまりは俺以外の目から見ても同じような見解なんだろう。苦笑したくもあるが話を先に進めることにした。

「そんな人が、だ。西には富士山が見え、南には古い建物が並ぶ町並みを遠くの山をバックに一望でき、北には目の前に新緑広がる山があり両者の間には川も流れている。それらを差し置いて夜景になることのない街しか見えない東側の部屋を選び、尚且つ自腹を切ってまで良質な防音仕様にしたのは何故か?」

 月浜さんは頷き、霧海さんは首をかしげる。

「それを考える上で重要なのが、この旅館の構造と名前にある。上から見れば四角形をしているのは、外から見て中を歩けば大体わかるだろう。そしてそんな構造になった会議か何かに店長もどんな形であれ関わっていた。更にそれらを踏まえたうえで店長は旅館の名前を「四季」と名づけた。

 だとすれば、何故「四季」なのか?これは簡単だ。旅館の四辺それぞれに、春夏秋冬を当てはめれば良い。ただし、方角イコール春夏秋冬じゃない。各方角の部屋の窓から見える景色が四季になるように、だ」

 そこまで言うと少々口の渇きを覚えたので、お吸い物をすすった。既に運ばれてきてから時間も経っているので程々に冷めてしまってるが、美味しいと感じる。流石は旅館の料理だ。感想もほどほどに説明を続ける。

「四季と言うくらいだから時計回りかは分からないが順に並ぶんだろう。だとすると、どこから当てはめてもいい。とりあえず分かりやすいところからにするなら、春だろうな」

 そう言ったところで、

「冬じゃなくてですか?」

 と、すぐに霧海さんに口を挟まれた。

「確かに冬は分かりやすいんだが、決定的なものが無いんだ。もちろん冬の景色と言えば雪景色だが、それが似合う庭園が無い以上は富士山が最有力候補だろうと俺も思う。理由としては雪が積もってた方が、らしく見えるからだな。でも、言ってしまえばそれだけだ。冬の景色として富士山を上げるのに無理はないが、確定とも言えないだろう。

 ところで霧海さんは、さっき温泉に入った時。何か変だと感じた事があったんじゃないか?」

 そんなに難しい質問をしたつもりは無いのだが、そうですねー…と言いつつ考え始めた。

「シャワーが異様に熱かったです」

 それは俺も思ったが、違うと首を横に振る。

「あ、石鹸の泡立ちが凄く良かったです!」

「お、気に入ってくれた?下の土産物屋に置いてあるから良かったら買っていってよ」

 月浜さんがそんな宣伝を俺が首を振るよりも先に入れたせいで話が脱線しかける。このままではいつまで経っても答えが出そうにないなと見切りをつけて、先に進める事にした。

「景色だよ。温泉が北側一階にあるから、富士山が見えない」

 あぁ!確かに、と霧海さんが分かってくれたようでホッとする。

「なのに、だ。北側の壁がガラス張りになっているのは何の為か?温泉だから、開放的だから、なんて理由じゃない。北側には川を挟んだ向こう岸に山がある。そこの木々は、今は青々としているが、春になると満開の桜で彩られて絶景になるんだろう。だから温泉が一階にあるんだ。紅葉と違って、桜は下から見るほうが綺麗だからな」

 木々の知識がそれほどない俺でも、桜の木は特徴的でわかりやすくて助かる。でなければ北側が春だということに、かなりの遠回りを強いられたことだろう。

一呼吸入れて続きを頭の中で組み立てる。ここまでくれば後は簡単だ。

「さて、話を進めよう。春が決まれば、富士山の見える西側が冬なのも納得がいく。富士山を夏と結びつける事も可能だろうが、冬より無理が生じるだろうからな。そして秋も明らかだ。春の反対側、南側の古い町並みは奥の山々が紅葉で色づけば、良い景色になるだろう。そして最後に残った東側が、夏の景色の見られる方角と言う事になる。

 じゃあ、夏の景色とは何か?山もなければ森も海も無い。あるのは街の中央を流れる少々広い川くらいだが、マンションなどが多く立ち並ぶところを見るとベッドタウンといった感じだろう。とても夏を連想できる景色ではないな。

 でも、だ。霧海さんから、店長はこの時期にこの部屋を空けてもらっているらしいことを聞いた。それを踏まえた上で店長の言っていた事とバスに乗った駅前で見たものを思い出せば答えにたどり着ける。

 駅前にあったのは大きな笹だ。そして店長は俺に言ったんだ。『最終日の夜に打ち上がる花火でも見てから、帰ってくるといいよ』とかなんとかな。

 今日は土曜日、最終日は月曜日だ。その日は七月七日、七夕だからな。街の方で祭りをやるんだろう。そして祭りの最後に花火が上がるわけだ。ただ、川の周りには高い建物が少なくないし、花火を打ち上げられえるような広場も見当たらない。だとすると、他に花火を打ち上げられそうな場所は、あそこしかない。ここに来る時に通った橋の下、たぶん旅館北側の川との合流地点付近辺りだろうと思う。バスから大人が数人で居るのを見たから間違いないはずだ。たぶん、リハーサルや準備をしていたんだろう。

 つまり夏の景色が見えるのは、街の方で上がる花火を何にも邪魔されずに堪能できる東側ってことだ」

 言い終えると疲れが一気に押し寄せてきた。流石に長距離の移動や久しぶりの長々とした説明が身体には堪えたんだろうと思う。はぁー、と俺が深く息を吐いている中で、霧海さんが月浜さんに質問を投げ掛けた。

「月浜さん、もしかして部屋の番号も都さんが選んだんですか?」

 それに、ごちそうさま。と箸を置いてから答える。

「うん、そうだよ。四階から山、川、海って部屋番号の前につけるつもりだって話したら、川二九って部屋を東側のど真ん中に、って言われてね」

「でも、それならどうして二十九なんて縁起の悪い部屋番号にしたんですか?」

続けてそう訊いた霧海さんの言葉に、月浜さんは首をかしげて聞き返した。

「あれ?もしかして、みやちゃんの名前知らないの?」

 それには霧海さんはもちろん、残りの夕飯を食べていた俺も頷いた。

 それを見て納得したのか、月浜さんは楽しそうに笑みを浮かべて教えてくれた。

「あれは二十九じゃなくて二九って読むの。それをひっくり返して読むと「クニ川」になるでしょ?みやちゃんのフルネームはお国の川の都と書いて、国川都(くにかわ、みやこ)っていうの。大層な名前だよね」

 聞いている途中で俺は持っていた箸を落としそうになった。

 ずっとゲームセンターの名前の若肉は、弱肉強食の「弱肉」と店長自信が若い事を言っている「若肉」をかけているのかと思っていたが、どうやら違っていたらしい。いや、その意味も含まれているだろうが本質はそこじゃなかったのだ。

 店長の苗字を知ってから、若肉を「じゃくにく」と読まずに「わかにく」と読めば分かる。若肉は反対から読むと国川になるわけだ。

 本当に店長は、と。呆れつつも少しだけ見直した。

 いつも店長は真面目な事も不真面目な事も同じだけ考えているんだな、と。そう思った。

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