三章 3
午後四時を過ぎ終点で電車を降りる。古本屋を探すことなく、もうすぐ七夕だからか大きな笹の設置された駅前の広場から出ているバスに乗った。結局のところ電車で訪れた沈黙は未だに続いており、俺は仕方なく窓側の席を満喫する。
バスは街中の比較的広い道路を走り、それほど時間が掛からずに少し大きめの橋を渡り始める。他にもいくつか橋があったと思うが、この橋が温泉街へ行くのには一番の近道だったはずだ。などと、過去の記憶を辿りつつ橋の下のほうへ目を向けると、川と川の合流地点だからか、川原にちらほらと人の姿も見える。バーベキューをするにはもってこいの場所だな、と思った。
三十秒も掛からず橋を渡りきると景色は一変した。住宅はあるが木々の多い蛇行した道に入ったのだ。時々大きく右へ左へ方向を変えるバスに身体が揺られる。そんな道を運転手がバスを器用に走らせ、しばらくすると木々が減り視界が開けた。こうしてバスは午後四時半を目前にして富士山の麓にある温泉街、その一角にある旅館「四季」にたどり着いたのだった。
バスを降り、普段よりも明らかに澄んだ空気を肺に取り込んで、目の前にした旅館を見上げる。その感想は、少し変わった建物といった感じだった。見た目は五重塔の様に一階部分から各階に瓦屋根の軒が出ており、それは見える範囲から想像するに建物を一周していた。更に一階部分の軒が妙に高い位置にあり、二階の窓が普通の三階がある辺りに見える。それについては中に入ってみるとわかることだが、一階の天井が凄く高いせいだった。
「ようこそ、お越しくださいました」
そんなテンプレートな歓迎もそこそこに、高い天井に驚くことなくフロントで霧海さんは泊まる部屋の鍵を受け取ると、さっさと玄関右の階段へと足を向けた。
俺は思わず霧海さんが受け取った鍵が一つだけだった事に「え?嘘だろ」と、間の抜けた声を上げた。が、特に返事は無いままに、その足は部屋へと前進する。何も言わないまま前を行く霧海さんが三階への階段に足をかけたところで、今度は具体的に訊いてみた。
「別々の部屋じゃないのか?」
その問いかけでようやく普段通りに教えてくれた。
「本当は二部屋取ろうと思ってたんですけど、どこかの学校の修学旅行と被ってたみたいで、一部屋しか取れなかったんです」
機嫌を直してくれてホッとした反面で呆れた。
「他の旅館にすれば良かったんじゃないか?」
別にわざわざここに泊まる必要は無いように感じる。
深い溜息をついて、これだからと言わんばかりに肩を落とし面倒くさそうに彼女は説明してくれた。
「この時期に他に空いてる場所なんて無いです。この旅館の女将さんと都さんが高校の同級生で仲の良い友達だから確保できたんです」
それを聞いて色々と考えが巡る。店長の育った場所だったり、この旅館の女将の事だったりを、だ。でも、それらについて霧海さんが詳しく知っているとも思えない。ならば、訊ける事といったらこれくらいのものだろう。
いくら親しい友人だからって、そんな簡単に予約が殺到してそうな旅館の部屋を急遽確保なんて出来るものなんだろうか?という疑問だ。それをそのまま霧海さんに投げ掛けると、部屋の前まで来たところで、他の部屋とは違うごついドアに書いてある川二九の三文字を指差して答えてくれた。
「私も詳しく聞いてないんでわからないですけど、何でも都さんがここは自分の部屋だって言って、この時期は空けといてもらってるらしいです。それに何の手違いか知らないですけど、二十九号室なんて誰も泊まりたがりませんよ」
と、言って鍵を開けて部屋に入る。
中は至って普通の十畳ほどの和室で、特に変わったところは無いように見える。ただ、部屋の奥、障子を開けて外を見た瞬間に、この部屋が空室の理由に納得がいった。
この旅館は四階建てで中央がくり抜かれるように中庭を設けた造りになっており、上から見たら口の字の形をしている。客室は二階から四階に、温泉やその他施設は一階にまとめてあった。階段は東と西にあり、口の字の内側に廊下を、外側に客室という構造になってるわけだ。
まぁこの構造は割とロマンがあって良いのと、さっきちらりと見えたのだが、中庭が幻想的で箱庭のような世界観を演出しているようなので、俺としては好印象な建物だった。
けど、ぐるっと一周するように客室があるということは、だ。つまり、富士山が見える部屋と見えない部屋があるのはもちろんのことながら、日の入り方に景色の違いまでもが出てくる。となると部屋に良し悪しが生まれることになるが、その中でも特に悪いと言えるのは北と東の部屋だろう。
まず北側だが日が殆ど入らないし、たぶん部屋によっては富士山も見えないはずだ。だが、良い部分もあるにはあった。小さいながらも目の前に山があるのだ。それに山と旅館との間には、それほど広くはないが川も流れているので、景色としては悪くないと言える。
ここまで言えば分かると思うが、東側は何も無い。この温泉街が駅のある街よりも高い位置にあるので眺めは良いのだが、富士山も、その他の山も、見えないわけだ。見えるのは駅のある街くらいのもので、一応街の中心部に広い川があるにはあるが、それよりも川に沿って立ち並ぶ少々高いマンションのような建物の方が目立っているせいで、正直言って味気ない。更に言えば、都心ではないので夜景なんてものも、たぶん見れないのだろう。
そして東側のど真ん中の部屋、それが今日から三日間、俺と霧海さんが滞在する事となる場所だった。
とりあえず部屋の隅に荷物を置いて、する事も無いので部屋の中央に置かれているテーブルの前に腰を下ろす。テーブルの上に置かれてるお茶請けは饅頭のようだ。それは温泉に入る少し前に食べるとして、着いて早々に霧海さんが部屋の隅で何やらスーツケースの中から小さなシャンプーとスーパーなどで貰えるレジ袋を取り出しているのが気になった。
袋の中には何か入っているようだが目を凝らす事はしない。たぶん替えの下着とかなんだろう。あまりじろじろと見るのもアレなので、視線を窓の方へ外して訊いた。
「もう温泉に入りに行くのか?」
がさごそという音が止み、
「そうですよ。久しぶりなんで存分に疲れを癒そうかなと」
と、返事が返ってくる。
「そうか。だけど、その前に少し話さないか?」
「後でじゃ駄目なんですか?」
もっともな言い分だが、
「そうだな。俺の言い方が悪かった。…なんで俺と富士山に旅行に来ようと思ったんだ?しかも二部屋確保できなかったにもかかわらず、だ」
「あぁ、それについて隠すつもりは無かったんですよ。むしろ、いつ切り出そうか悩んでたところだったんで、ちょうどいいですね」
そう言って彼女は温泉に入るための準備を一旦止めて、俺の正面に座ると話し始めた。
「兄の遺品の整理をしてたんです。その時に出てきた写真の中に、以前ここに家族で来た時に撮った写真がありました」
「何年前くらいの話だ?」
と、質問を投げ掛けた。
話の腰を折るのは悪い気もしたが、あとでまとめて訊こうとして忘れてもいけないのと、何より覚えておくと言うのは思考に負担を掛けるものだ。少ないに越した事は無い。
霧海さんは少し見上げてから、確か、と答えてくれた。
「えっと、十年くらい前だと思います。私がまだ小学校を卒業する前だったので」
「ありがとう。いいよ、続けて」
礼を言って目の前に置いてある饅頭に手を伸ばしつつ先を促す。それに頷き返した霧海さんは、言葉を本題に戻した。
「それで写真自体は普通の家族写真で、幽霊が写っていただとかは無いですよ?そもそも写真自体は関係ないんです。ふとそれを見て思い出された事があっただけで」
彼女はそこで一旦区切ると、俺に習ってか饅頭に手を伸ばして封を開け、一口齧って先を続ける。
「私、かくれんぼが得意だったんですよ。クラス全員でのかくれんぼでも最後まで見つかる事が無いくらいに」
「それは凄いな」
「でしょ?で、その時も子供だったこともあって花より団子という感じで、観光と言うよりは遊びたかったんだと思うんですが、初めての富士山旅行だったのに暇だと感じてしまって。だからと言うのも変ですけど、今の私より背が低いくせにスポーツが得意で何かと自慢してくる兄に、いつもの仕返しのつもりでかくれんぼをしようと言いました。かくれんぼなら運動神経とか関係ないので勝てると思ったんです。
でも、兄はすぐに私を見つけるんですよね。どんなに上手く隠れてもですよ?」
それに相槌を打ちながら饅頭の最後の一口を飲み込んだ。口の中が甘ったるくなってしまったので座ったままカバンの方へと頑張って手を伸ばし、持ってきたペットボトルのお茶を取ろうと努力する。その間にも彼女の話は続いた。
「それで私は怒ったんです。ズルをしてるって、そしたら兄は笑いながら言ったんですよ。僕は魔法が使えるんだって、腹立ちますよね?…って、ちゃんと聞いてますか?」
霧海さんはそう言いつつ饅頭の残りを口に放り込むと二つ目に手を伸ばしていた。
聞いてる聞いてる、と二度繰り返して、身体が畳の床に着く寸前まで行ったところで取ることの出来たお茶を飲んでから、言う。
「魔法か…それで、俺にその魔法が何なのか調べてほしいから、探偵役として同行してほしかった、と?」
一度に半分齧った饅頭を飲み込みつつ彼女は頷いて、俺とは違って立ち上がると、スーツケースの所まで行き飲み物を取って言った。
「まぁ、そんなところです」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます