三章 1
経験。それは記憶や記録の積み重ねだ。
ただ経験というのは、それ一つだとあまり重要なものじゃない。真に必要なのは想像力と応用力だよ。
経験も確かに必要な物ではあるが、それだけを持っていたところで、まったくと言っていいほどに意味が無い。プログラムされたゲームのような世界でなければ、同一の事象と言うのは殆ど起こりえない。少しずつアレンジが加わってるものだからだ。
再現性の無いものに対応する応用力と、起こる可能性のある事象に備える想像力。この二つを大切にしろ。
経験なんてものは生きている限り勝手に積み重なっていくものだ。
間違っても経験だけで誇るなよ?
そんなことを高校の文化祭で起きたトラブルを横目に言っていた、悪友であり親友の杉村純也が不意に消え、その断片探しに進展があってから一ヶ月が経った。
結局のところあれ以来、事態が好転することもなく、停滞した日々を過ごしている。それは日々の浪費とも言えるのだろうが、毎週のように二日間ある休日の半分を使って、葉山美咲との話し合いと断片探しを欠かしてはいないので、気づかないうちに真実へたどり着いている可能性が無いとも言えないだろう。まぁ無いとは思う。
何せ事情も知らずに聴いたとすれば、奇怪な物語のアイデアを出し合っているように聞こえることだろう。そのくらい突拍子のないご都合主義の渦巻くトンでも展開の見本市だった。故に進展を見せるなく、一ヶ月ほどが過ぎたわけだ。
そして六月に入ってから二十四を数え、梅雨も終盤戦に突入したある日の午後の事だ。
六時を過ぎ、いつものようにバイト先のゲームセンターでの仕事が終わると、バックルームで他愛の無い話に花をさかせていた。メンバーは店長に八護町兄弟の二号さんと五号さん、それに俺を加えた四人である。
会話の内容は多彩で、ゲームの話題が最近見た映画の話へと移り変わったかと思えば、いつの間にか高校時代の武勇伝に変わっていたりする。まぁつまりは、いい加減な雑談だった。
「ところで品里は宇宙へ行ってみたいとは思わないか?」
そう言ったのは店長で、ついさっきまで五号さんが話してくれていた、高校時代に作ったらしいペットボトルロケットによるボトルメッセージの打ち上げ式ラブレターが、自宅に届いたという六号さんの笑い話から思いついたのだろう。
そんな突拍子の無い質問に俺は「いや、特には」と味気無い返事をした。流石にそれだけではと思い、
「なにせ、この東京から一度も出たことが無い人間に、宇宙は遠すぎる」
と、付け加えておいた。
その言葉に八護町兄弟の二人ともが頷いて順に口を開いた。
「確かにな、言われてみれば俺も出たことないな」
そう先に言ったのは二号さんで、その続きを代わりにとばかりに五号さんは付け加える。
「この大都市東京から出る理由なんて無いからだろ?」
そう、五号さんの言うとおりで、出る理由が無い。もちろん出ようと思えばここからでも、電車に三十分ほど揺られれば県境を越える事が可能だ。ただ、この東京には街や町は当たり前のことながら、村もあれば島も山も大きな川だってある。故に遠くへ旅行に行く必要が、少なくとも俺には感じられなかった。
それに何時だかテレビ画面の向こうのコメンテーターも言っていたことだ。
今の人間にはそんな時間も金も無い、と。
「でも、そんなこと言ってたらこの国は滅ぶって、あたしでも分かるんだから何とかしないといけないだろう?」
手足を組んで椅子に座った店長が、いつにも増して鋭く大きな問題に切り込んだが、すぐに二号さんがそれに反論する。
「都さんがそれを言ったところで説得力無いでしょ。大地を踏みしめるのも、丘を越えるのも、川を泳ぐのも、海を渡るのも、空を飛んで見せるのだって、ゲームで充分だ!ってアウトドアを完全否定してたじゃん?」
その言葉を訊いた俺は苦笑するしかなかった。あの新歓の夜に見せた謎の説得力を店長は、次に会った時には抜けていたアルコールと一緒に、どこかへやってしまったらしい。
「アタシイガイガヤッテクレルトイイナー」
今までに無いくらいのクオリティで棒読みを披露して、店長はさっきの発言を無かった事にした。
さて、と言って五号さんが立ち上がったのを見て、俺は天井付近の壁にかけられている時計に視線を移し、時間を確認する。ちょうど七時を過ぎたところだった。
「それじゃそろそろ」
そう言って俺も立ち上がる。ロッカーの中からカバンを取り出してバックルームを後にしようとした。
そこへ突然、店長が何かを思い出したかのように手を打つと、そうだった、と言って俺を呼び止めた。
「品里ちょっと待て。来週の土曜日から月曜日の三日間なんだけど、富士山の麓にある旅館に泊まってくれる予定の無い暇な品里を知らないか?」
そんな奴は知らない。聞いたことも無い。と、ドアに手をかける。少なくとも今の俺には日曜日と月曜日の二日間、毎週予定が入っていた。なので、店長には悪いが断ろうと思い「店長、その日は」そこまで言ったところで「来週」という言葉が引っかかった。
「いや、暇でした」
ドアから手を離して店長のほうを向く。よくよく考えてみれば一昨日、葉山美咲に来週は期末試験と修学旅行が連続してあるから憂鬱だと愚痴られたばかりだった。
「そうか、それは良かった」
店長にしては珍しく俺の返事にホッとしているように見える。それを俺は反射的に怪しいな、と勘ぐってしまったが、それもこれも前例を作った店長が悪いので気にせず訊いた。
「今度は何を企んでるんですか?」
「いや、何も無い。強いて言うなら、好きに楽しんできてくれ。時期が時期だから夜桜見物とはいかないだろうが、最終日の夜に打ち上がる花火でも見てから帰ってくるといいよ」
拍子抜け、その言葉が相応しいだろう。何か裏があるんじゃないか?と、更に疑いを深めてしまいそうになるのを堪えて、素直に店長の良心だと思って、この時は受け取っておいた。
三日後の金曜日、本調子に戻りつつある霧海さんに「富士山への旅行に同行してくれるって店長から聞きました。ありがとうございます」と言われ、俺は考えを改めた。
店長のことは二度と信じるか!と。
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