二章 6

 歩き出す前に近くだからと指して教えられたマンションは、駅から歩いて五分とかからない場所にあった。

「そういえば、どうして私だと思ったの?」

 道すがら、路地に入り人通りが少なくなったところで、前を歩く能島先生が俺たちにそう訊いてきた。

 美咲は、面倒だし先に解いたのは俺だと言って説明する気が無いらしく、しょうがないと観念して俺はさっきファミレスで話した内容を簡単にまとめて、それを伝えた。すると、

「へぇ、じゅん、…杉村君みたいね」

 との評価を能島先生にもらえたので素直に受け取っておいた。

 そうこうしている内にマンションの前までたどり着いたが、その古さ故か聞いていたとおりにオートロックが無く、エレベーターも見当たらなかった。

「ここの四階よ」

 そう改めて告げられ階段を前にした俺の口から、溜め息がこぼれたのは言うまでもない。

 薄暗く、所々切れ掛かった蛍光灯の明かりが明滅する通路と、明かりが無くやけに音の響く階段の組み合わせは最悪で、ゲームセンターの裏口から入ったところの通路が可愛く思えるほどに、ホラー感がにじみ出ていた。ここに一人暮らしするのはとても勇気が要りそうである。

 そんな階段を上って行き、合間合間に見える通路を横目に四階まで来ると、道路に面した通路を歩き一箇所だけが切れ掛かって明滅している蛍光灯の下を通ったところで、「ここよ」。そう言って先生が立ち止まった。

 背負っていたリュックサックのポケットから鍵の束を取り出すと、その一つを鍵穴に差し込み回して開錠した。未だに古い鍵を使っているなと思う。オートロックやエレベーターもそうだったが、正直女性の一人暮らしにオススメは出来ない造りのマンションだった。

「軽く片付けるから、少し待っててくれる?」

 と言うなり先生は、ドアの開閉を最低限に留めて体を滑り込ませるように部屋に入ると、鍵をかけてしまった。

「信用が無いのね、私達」

「そうだな」

 彼女の言葉に俺は反射でそう答えて、待つ間の暇つぶしに辺りを見回そうとしたが、さっきの階段やすぐそこの蛍光灯のことを思い出してやめた。代わりと言ったら失礼な話だが、美咲には釘を刺しておくことにする。

「部屋には入るなよ?」

 駅前で家を選んだ時には決めていたことだった。片付けをしてもらっている先生には悪いが、それを止めなかったのは突然の事だった為に美咲と相談する暇がなかったからだ。

 美咲は音を立てないようにそっとドアに耳を当て何かを確認してから口を開く。

「言われなくても、そうするつもりだったわ。家を選んだのは相手の住んでいる場所を把握しておきたかったからよ」

 だろうな、と同意する。故に杉村純也についても多くを語るつもりはなかった。

「お前のことは言わないで置く」

「それがいいわ。…そろそろよ」

 美咲がそう言ってから十秒と待たずにドアが開いた。

「お待たせ」

 ドアをさっきとは違って大きく開け放ち、俺たちを招きいれようとする先生に言った。

「さっさと片付けに入っちゃったんで言いそびれたんだけど、ここで話すよ。問題ないだろう?」

「あらそう?まぁいいけど」

 と、俺の言葉を疑問は持ちつつ素直に受け入れた先生は、ドア枠に右肩をつけ体を斜めに寄りかけてから質問してきた。

「じゃあ手短に、じゅん…杉村君が消えたっていうのは、行方不明って事?」

「違う消失だ。記憶、記録、所持品から創作物。その全てが消えた」

 先生は考える為か少し間を置いて次の質問に移った。

「品里君、君が最後に彼に会ったのは半年前でいいのよね?ちなみにそれはどこでだったの?」

「半年前の十一月、正確な日付は正直覚えてない。日曜日だったとは思うが、それ以上はカレンダーでも見ないとわからん。それと会ったのは居酒屋。純也の住んでいた場所から歩いていける距離だよ。最寄の駅からは南口を出て、富士山を目印に商店街を線路に沿って歩いたら十分くらいで見えてくる。名前は確か…アンコウだったと思う」

「ふうん、ありがとう。次で最後ね」

 そう言いつつ寄りかかっていた体勢をやめて、しっかりと自分の足で体重を支えてから最後だと宣言した質問を投げ掛けてきた。

「彼、その時何か普段なら口にしないようなことを言ってなかった?」

 その質問には思い当たることがいくつかあったので、すぐに答えられた。

「結婚するって言ってたよ。あと彼女の寝顔写真が飛び切り可愛いともな」

「なッ!見たの?」

 と、能島先生は俺の言葉に驚きを隠そうともせず慌てた様子で訊いてくる。首を横に振って否定すると、ホッと胸を撫で下ろして、「いつの間に」と、恨み言のように呟いた。

 なら、了承なんてするな。と、突っ込みを入れる。もちろん心の中で、だ。

「参考になった。ありがとう。気をつけて帰ってね」

 と、外国語に慣れない日本人がそうするように単語を並べて喋るとドアを閉めた。

 数瞬、俺と美咲は呆気に取られボーっと閉められたドアを見つめていたが、

「帰るか」

 それを合図に「そうね」と答えた彼女が歩き出したので、俺もそれに続いた。


 マンションを出て少し歩き、商店街に戻ってくるとホッと一息つけた。考えながら喋るのは疲れるな。要らない事を言わないよう気をつけるのは特にだ。思い返せば、今日は仕事中も同じように気を回していたな、と苦笑する。道理で疲れるわけだ。

 そんな事を考えながら歩きつつ軽く体を伸ばしていたら、隣を歩く美咲に話を振られた。

「そういえば、随分とあっさり私に任せてたわね。もしかして真花が耳打ちで教えてくれたことで何か分かったから能島先生が怪しいと思ったんじゃないの?だから、やけに落ち着いていられた。違う?」

「あぁ、それか…」

 まぁ確かに彼女の言うとうりで、俺が焦らなかった理由はそこにある。

 警戒もかねて辺りを見まわし、その間に言葉を頭の中でまとめる。ちらりと交番の中が見え、慌てて目線を前に戻して話し始めた。

「本当は先生への切り札にするつもりだったんだ。それを美咲、お前があっさり認めさせたからな。もう必要ないと思うんだが」

「もったいぶらないで!」

 彼女は俺の腕を掴んで引き寄せると、あまり声を張らずにそう催促した。そんなつもりは無かった…とは言えないなと、ここ数日で何度目かわからない反省をして結論を言った。

「耳打ちで言われたことに意味はたぶん無かったんだと思う」

 はぁ?と今にも何か言われそうだったので慌てて続けた。

「あれはカモフラージュで、本当に真花ちゃんが伝えたかったのは、その後の言葉だったんじゃないか?」

 あなたがおふねで渡ってじごくにたどり着ければ。

「そう考えた時、彼女の言った地獄は、本当に地獄で良いのか?と、思ったんだ。確かに三途の川を渡ればあの世だ。でも、舟で渡るとは限らない。それに舟で渡って地獄に行けば俺は死んでることになる。となると真花ちゃんは俺に死んでくれと言ったのか?」

「そんな事を初対面のあなたに真花は言わないでしょうね」

 だと俺も思う。まして質問への返答だ。別の意味があるのだろう。

「と、すればだ。現実で舟に乗って渡る必要がある地獄だな。それは何処か?俺は四国だと思った」

「失礼な話ね。濁る濁らないの違いだけだからと一緒にするなんて」

 美咲は呆れた様子で言いながら首を横に振った。まぁ分からないでもない。確かに四国は島だ。でも、それだけで真花ちゃんの伝えたかった地獄というのには無理があるだろう。と、今日、美咲から真花ちゃんが消えた事を聞くまでは、違うな。と、俺も首を横に振り否定していた考えだった。

 だが、真花ちゃんが消え、その真花ちゃんが能島先生を以前から疑っていた事を考慮すると、一つ思い出される事があり、あなたが舟で渡ってじごくにたどり着ければ。その地獄が四国だと納得するしかなかった。

「まぁ、聞け。日曜日の事だ。俺は洗濯が終わるのを待っている間に旅先案内の番組を見てたんだが、その中で瀬戸内海のしまなみ海道の紹介があった。しまなみ海道ってのは広島県と愛媛県を島々で繋いだ道のことだ。その片側、愛媛県は四国にある」

「そうね」

 彼女は先程と変わらず呆れたまま、まだ続けるの?といった感じで、そう相槌を打った。

 そこで駅には着いたが、立ち止まって俺は続きを言葉にする。

「それに四国は本州と地続きじゃない島だ。故に昔は死の国や黄泉の国と呼ばれていたって話もあるくらいだ、地獄でもおかしくはないさ。ところで、今はしまなみ海道などの陸路がある四国へは舟で行く必要は無いんだ。なんなら飛行機も飛んでる。なら舟で渡るとはどこへなのか?」

 そこまで言っても彼女は解らないのか単に返事をするのが面倒なのか、何も言わずに聞いているだけだった。

「愛媛県の今治市に飛行機などが着陸できないほどに小さく、舟以外では渡る事の出来ない島がある。その島の名前が、能島って言うんだ」

 突然だった。彼女がふふっと笑い出す。

「何か変だったか?」

 と、訊いた。

「いいえ、違うわ。地獄が本当は四国なんじゃない?って言い出したときは呆れたけど、能島にたどり着いた今ではそうとしか思えないほど納得がいったの。だからよ」

 笑われたときは馬鹿にされたと思い少し焦ったが、それを聞いて安心した。不安が無かったわけじゃない。だから、美咲が納得できるなら自信が持てる。そう思い、そこで初めて気づけたことがあった。

「これは純也が言ってたんだけどな。他人と共有して認識は初めて意味を持つらしい。それが今、ようやく分かった気がするよ」

「そうね、一人が何を言ったって共感されなきゃ意味は無いものね。天才が孤独になる理由も、そこにあるわ」

 言い終えると満足したのか彼女は歩き出し、

「次、会うまでに真花の他人への置き換わりの有無について調べて置くわ。それじゃあ、また連絡する。おやすみなさい、良い夢を…」

 そう残すと俺の返事を待たずに改札を通って、正面の階段を上り見えなくなった。

 それから俺も歩き出す。仕事が終わりゲームセンターを出てから随分と寄り道をしたなと、時計を見て思った。

 時間は八時を回っており、もうすぐ半分を過ぎるところだ。

 帰宅するサラリーマンの増えた商店街を通って住宅街に出ると、賑やかさは薄れ逆に静けさを感じられるようになる。

「良い夢を…か」

 別れ際、美咲に言われたことを口に出してみて、ふと思う。

 そういえば俺はここ十年ほど夢を見た記憶が無い。それ以前でも夢を見たことがあったのかも、正直な話し覚えていない。が、まぁ、ぐっすりとよく眠れている証拠だな。それに彼女がその事を知るはずもなし、皮肉と言うわけではないだろう。

 あぁ夢といえば、いつだか純也が何かのついでに話してくれた事があったな。確か、夢を見ながらにそれを夢だと認識できれば、自由自在に夢を操れるとか何とか…明晰夢という名前だったかな?あれは何の話をしていた時だったか…。そんな事を考えながら歩いている内に、アパートの前まで戻ってきていた。

 普段と違い殆どの部屋に明かりが点っている。それに少々の安堵を覚えつつ、自分の部屋へと入り、そして何の話だったか思い出せないままに眠りへ落ちた。


二章 進展と、後退と、停滞と 終

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