二章 4

 電車の脱線事故が起きてから四日が経過した。

 依然としてテレビでは他に大きく話題になるようなニュースが無いからか、事故についての報道がトップで流れている。それによれば最終的に今回の事故による死者は八十九人に上ったらしい。これほど多くの死者が出たのは通勤時間帯と重なった事もあるが、この国独特の乗車率によるものが主な原因だと専門家は言っていた。

 事故の衝撃が直接の死因ではなく、事故によって傾いたり横転した車体の中で乗客たち自らが重石となる事で下の人間を押し潰し、結果的に圧死したのだ。

 ただ、結局のところ俺は当事者ではなく傍観者に過ぎない。そうやって原因が解ったところで、数字に置き換えることでしか事故の重大さを実感出来ないのである。

 そんな人間が当事者にしてあげられることは杉村純也や葉山美咲が言っていたように、喪失感で歩みを止めて座り込んでしまった人に、手を差し伸べることしかないのだと。一週間ぶりに霧海さんと面と向かってようやく納得できた。

 仕事が終わった後バックルームで店長達とそれなりに談笑を楽しみ。「お先です」と、久しく帰る時には使っていなかった裏口に続くほうのドアからバックルームを後にする。時間は六時半を少し回った頃だった。

 ドアが完全に閉まると通路はとても静かになる。ゲームセンター内の喧騒やバックルームの会話が微かに聞こえるだけの空間に、俺が歩くたび足音が反響して少し怖い。最近よく黒頭巾の事を考えているせいだろうか?

 ただ、それも外へと出ることで感じることはなくなった。

 日が落ちて暗くなった商店街は、まだ人の往来がかなりある。色々な緊張が解けて軽くなった体で深く息を吐くと、俺は住宅街へ向かう流れに乗って帰途に就こうとした。

 だがそれを、「待って!」と、言う声によって制止され、カバンを持っている方の腕を掴まれる事で完全に止められた。

「よかったわ、まだ帰ってなくて」

 走って来たのか、すぐ後ろから聞こえてくる息遣いは普段より荒く、俺の腕を掴んだ手は少し熱かった。

 振り返った先に居たのは葉山美咲だった。四日前と同じベージュのブレザーという制服姿で相当走ったのだろう。髪が乱れ、汗により顔や首に張り付いていた。それを見て疑問に感じたことをそのまま投げ掛ける。

「走らなくても良かったんじゃないか、電話でも良いだろう?」

 でも、それが失言だったとすぐに気がついた。冷たい視線と一緒に怒りの込められた返答をもらったからだ。

「繋がらなかったから走ったのよ!」

 慌ててズボンのポケットから取り出した携帯電話は確かに電源が入っておらず、画面が消えていた。

「悪かった、すまんな」

 そう素直に謝りつつ電源を入れた。画面が点くと、ぶるると震えて着信履歴が表示される。不在着信が十件もあった、それも三十分前からだ。そういえば最近は家に帰ってから電源を入れていたな、と反省する。

 それから息を整えている彼女に、

「それで何の用だ?」

 と、一応訊いた。

 急ぎの用事なのだとは思う。そうでなければ着歴が十件にもなるはずもなく、いつでも連絡の取れる彼女が走る必要も無いからだ。

 彼女はようやく整ってきた呼吸に合わせるように言った。

「真花が消えたわ」

 その声だけを残し、一瞬周囲の音が一切聞こえなくなった。まるで時が止まったかのような静寂と、美咲の言葉が頭の中で響く。そして無意識の内に訊き返していた。

「消えた…それはいつだ?」

「私とあなたと真花の三人で話したあの日から、昨日までの間よ」

 喧騒の中に引き戻され、なんでそんなに間があるんだ?と口に出しかけて止めた。能島先生の言った事が正しいなら、美咲と真花ちゃんはクラスが違う。クラスが違うなら消えたことには気づけない。そう思ったからだ。そしてこうも考える。消えた、と言うのは純也と同じ状況なのだろう。でなければ居なくなった。彼女はそう言う筈だ、と。

 つまり、ここで立ったまま話すような内容ではない。どこか落ち着ける場所をと考えて、美咲に二択で提案をする。

「立ち話じゃあれだ。俺の部屋とファミレス、どっちがいい?」

 それに彼女は迷う素振りを見せることなく即答した。

「ファミレス」、と。


 帰宅する人の波に逆らって歩き、駅前にあるファミリーレストランに入った俺と美咲は、店員に案内された窓際の席に、向かい合って座った。席に就くなり彼女はメニューを取って注文するものを選び始めたので、俺はファミレスに着くまでにも軽く聞いておいた話を俺の左、窓の外を歩く人々に視線をやりつつ整理することにした。それによればこう言うことらしい。

「四日前、俺を送った後で荷物を取りに学校へ戻ると、既に用事で真花ちゃんは帰った後だった。次の日から学校で見かけることがなくなり風邪か何かだと思っていたら、今日になって違和感を覚え、彼女の交友関係や自宅を調べてみると、痕跡なども含めて消えていたことが分かり、俺から聞いた杉村純也と似た状況だと考えて連絡をした。で、良いんだよな?」

「そうよ」

 もう頼むものを決めたのか、彼女はメニューを俺の方へ寄こして続けた。

「物事って言うのは自分で経験してみないと、真には理解できていないものなのね。あなたの言っていた、『消える』という事がようやくわかったわ。これは焦って当然ね。あなたから話を聞いていなければ、私も何れ学校を辞めていたかもしれないわ」

「そうならなくて良かった」

 と、軽く返事をしつつ、何を頼もうかと考える。これが夕飯になるわけだから、それなりにボリュームがあったほうが良いだろう。とりあえずハンバーグにご飯の大盛りは確定として、あとは二人でも食べられる餃子を頼めばいいか、とメニューを畳んだ。

「ご注文はお決まりでしょうか?」

 その声に少し驚いた。いつ呼んでいたのか気がつかなかったからだ。ただ、ちょうど良いタイミングだったので文句は言わない。決めたばかりの三品を店員に伝え、同じように美咲も選んでいた物を伝えた。

 店員が居なくなり、あとは料理が出てくるのを待つだけとなったので、とりあえず俺から切り出した。

「一つ訊きたいんだが、藁谷真花の言った事の全てを信用していいと思うか?」

 その問いかけがあまりにも期待外れでつまらないものに聞こえたのか彼女は溜め息をついて、それでも答えてくれた。

「愚問ね。でも、それは私にとっては、と言う事に過ぎないわ。あなたにとって信用できないと言うのなら、それでも良いんじゃないかしらね?

 それより、何かわかったことがあるのなら話してくれる?」

 だいたい予想していた返答で、認識のずれは殆ど無いだろうと思った。どこから切り出そうかと少し悩んでから、水を一口飲んで口を開いた。

「まず今回の真花ちゃんが消えた事だけを理由や方法を無視した上で見るなら、意外と簡単な話なんだ」

「冗談でしょ?」

 と、疑いの目をこちらに向けて見せた彼女の反応は、決してオーバーなリアクションではないだろう。俺との見方の違い故だ。情報は最小限で良い、あれこれと見すぎてはいけない。さっきの問いかけは、その為の確認だったわけだ。

 そして俺は四日間、真花ちゃんが言っていた事を色々と考えていた。十年くらい前の出来事や、それについて質問したことに対しての返答などを、だ。

 結局、それらは良く分からないというのが俺の出した結論で、だからこそ真花ちゃんの言葉、その殆どを無視したのだ。

 何故なら、それらの事は推測こそ出来るだろうが確足る証拠は無く、例えそれらを無視して考えたとしても、あの日あった事と行動のおかしさにだけ焦点を当ててあげれば、見えてくるものがある。

 たぶん美咲は、真花ちゃんが言った言葉の意味全てを問題として捉えて考えているのだ。故に見えてこない。だとすると、俺がやることは彼女の視点をずらして、起点を示すだけで良い。そう思った。

「まぁ聞け、俺が疑問に感じたのは三つ。その一つは真花ちゃんの予定だ」

「予定?」

 彼女の疑問符に頷き答える。

「そうだ、あの日は何があった?」

「脱線事故…」

 と、呟き、あの日の事を思い出しながらだろう、美咲は考え始めた。

「あぁ、そういうことなのね?」

 少々の時間が流れ、唐突にそう言いながら何度も頭を縦に振り、頷く彼女が答えにたどり着いた事を確信する。流石だなと改めて思いつつ、確認の為に続けた。

「たぶんな、そういうことだ。事故があって急に学校が休校。本来ならあの後すぐの時間には、事前に予定を入れられない。ならばあの日、学校内で予定が出来たんだ」

 そこまで言った所で、美咲の頼んだシーフードサラダが店員によって運ばれてきた。強制的に言葉が一旦区切られる。

「こちらがシーフードサラダでございます」

 そう運んできた物に間違いがないか確認をすると、軽く頭を下げ足早に店員は店の奥へと戻っていった。

 その背中を何となく目で追いながら残りの答え合わせをする為に、区切られた言葉を再開する。

「次の疑問点は事故の影響で休校になり、その対応で忙しいはずの能島先生がどうして俺達の会話に割り込んできたのか。これは三つ目の疑問点と繋がるから一旦保留しよう」

 口の渇きを感じたので水を飲む。冷たい水が喉を通り胃へと流れていき体を潤した。

「さて三つ目だが、何故、能島先生は俺と真花ちゃんが付き合っていると騙されたときにあそこまでの反応を見せたのか?…たぶん」

 そこで彼女は店に入る前とは打って変わって、落ち着いた様子で俺の言葉を聞きながら、サラダを食べ進めていた手を止めて、

「その理由はいくつか想像出来るわね」

 そう口を挟んだ。

 どうぞと言う代わりに手振りで彼女に言葉を譲る。

 ただ、口元に付いたドレッシングが気になったのか、彼女はすぐに次の言葉を発する事はせず、窓側のテーブル端に置いてある紙ナプキンに左の手を伸ばしそれを取ると、唇に軽く当てるようにして拭いてから、先に続く言葉を並べ始めた。

「例えば恋愛感情から来る嫉妬や、教師としての役割を果たす為の責任感とかかしらね?」

 彼女は楽しげにそう言いながら、俺からの返答を視線で催促してきた。

「冗談だろう?」

「冗談よ。先生の私への反応が違うわ」

 そうだ。彼女が言ったとうり、能島先生は真花ちゃんの時だけ過剰に反応した。それどころか美咲の方へ意識を移したときにはホッと胸を撫で下ろすほどだった。それほどまでに焦るような事なら、こう考えるのが正しいだろう。

「たぶん、俺か真花ちゃん、または両者が能島先生にとって特別重要な存在なんだろう。だから、忙しくとも会話に割り込む必要があった。そしてその事を疑ったから真花ちゃんは確認する為に手を挙げたんだと俺は思う」

「つまり真花は、先生のことを以前から疑っていた?」

 俺は頷き言う。

「そういうことだろうな。でなければ、場を乱す為だけに手を上げたことになる。でも、それは」

「名前で遊ばれなければ、そう言っていたから、無い。と思うわけね?私もよ」

 途中で言わんとすることが分かったのか台詞を奪われる。ただ、同時に同意も得られたので、助かった。考えていた幾つかのプロセスをすっ飛ばすことが出来るからだ。それはプラスだったと言えるだろう。俺は言葉を続ける。

「いつからかは分からない。その理由も、根拠もだ。ただ、真花ちゃんは確かに能島先生を疑い。あの日、手を挙げ確認をした。そして自らが消えたことで、俺やお前に疑問を抱かせるに到ったんだ」

 言い切って俺は喋ることを中断した。テーブルに餃子が運ばれてきたのだ。しかし一緒に頼んだご飯は、未だやって来ない。まぁ、おかずであるハンバーグと同じタイミングで出てくるのだろうと納得すると、箸を手に取り「いただきます」。そう軽く手を合わせて餃子に箸の先を伸ばした。

 一口で食べることはせず三分の一ほどを齧る。危惧していたとおりに熱くなった肉汁が少量、口の中に広がった。美味いなと思い、残りを冷ましながら二口で食べきると、すぐ二つ目に取り掛かりつつ提案した。

「とにかくだ。能島先生が何か知ってることは間違いないだろう。後の事は話を聞いてから考えべきだな」

「素直に話してくれるとは思えないけど?」

 もっともな意見が返ってくる。だが、俺の考えは変わらない。

「だとしてもだ。来週の月曜日にまた俺が学校まで出向くことにするから、それまでは変に探りは入れないようにしてくれ?少なくとも人一人が存在ごと消されてるんだからな、焦りは禁物だ」

 ここ一週間くらいで彼女に散々言われたことだが、今度は俺が言う番だと思い。そう口にした。美咲はため息を漏らす。たぶん、焦っていたことを自覚したのだろう。少し表情を緩め彼女は言った。

「わかったわ…あなたに言われるなんて不覚だったわ。でも、これだけは約束して」

「なんだ?」

 と、箸を止めて聞き返した。

「先生と話す時、まずは私に話させて。訊かれた事には答えていいけど、口出しはしないでほしい。それと私が真花について覚えていることは隠しておいてくれると助かるわ。用心するって意味でも、欺くという意味でも効果的だと思うのよ」

 その彼女の願いを聞き入れることに抵抗は無い。ただ、後者については無駄だろうと思うのだ。

 既に美咲は彼女が消えた事を確かめるために奔走してしまっている。どれくらいの規模を調べたのかはわからないが、少なくとも藁谷家には連絡を入れたはずだ。人々の記憶からすらも痕跡を消す存在が、その事に気づかないはずもないだろう。だが、まだ気づいていないと言う可能性が無いわけでもない。それを上手く利用できれば断片が少しくらい得られる事も考えられるので、

「良いだろう。そうしてくれ」

 と頷き、考えに賛同しておいた。

 話が一段落し、ふと店内の壁に設置されている時計に目を向け時間を確認すると、店に入ってから十五分近く経っていた。そのついでとばかりに視界に入った店員が、配膳プレートにハンバーグの乗った鉄板と大盛りのご飯を片手で支え、もう片方の手でミートソーススパゲッティの皿を運んでいるのが見える。

 組み合わせ的にこちらに来ることは容易に予測がいったが、それをどうやってテーブルに並べるのかは想像できなかった。正直言って見た目は曲芸士そのものである。赤くて丸い鼻を付ければピエロに見えるだろうと思った。

 まぁ結論から言ってしまえば、置き方はいたって普通だった。

 スパゲッティの皿を、手を動かさないように腕だけを使ってテーブルに置くと、空いた手で残りの皿を並べたのだった。かと言って、俺にはとてもじゃないが真似できる気はしなかった。

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