二章 2

 午後九時を過ぎた頃。三時間ぶりに建物の外へ出ると、既に空は黒く塗りつぶされ、駅前の歩道を帰宅途中で酔いの回ったサラリーマン達が闊歩していた。俺はその人達の流れに乗って、同じ方向へと歩き出す。向かう先は葉山の家がある住宅街だ。

 以前に訪れた時は気づかなかったが、ここの商店街は規模が小さいからだろうか、本屋やおもちゃ屋などの娯楽関係のお店が多い気がする。ついさっきまで俺が居たインターネットカフェもそうだ。それらに比べて食事処が極端に少ない。途中で軽く食べようと思っていたが当てが外れた。どうやらコンビニのご飯になりそうだった。

 夕飯の事を気にしながら歩いていると、商店街を抜ける手前で突然ズボンのポケットに入れた携帯電話が震えた。立ち止まる事はしない。取り出した携帯電話の画面には公衆電話と表示されていた。おそらく彼女からの連絡だと思い通話ボタンを押して、耳に当てる。

「もしもし?…えっと」

 少し考えてから、「美咲ちゃん?」と、そう訊いた。

『切るわ』

「待て待て」

 慌てず冷静に対処して、じゃあなんて呼べばいいんだ?と考えていたら、察してくれたのか、『呼び捨てでいいわ』と教えてくれた。それはそれで問題は無いのかと思ったが、本当に切られても困るので本題に入ることにする。

「で、終わったのか?合コン」

『ええ、終わったわ。ところで今どこに居るの?』

 一度立ち止まり、辺りに何かあるかと思い見渡してみたが何もなかったので、

「お前の家に向かう途中で、商店街を抜けたところだ」

 と、答えておいた。

 それで大体の位置が伝わったのか、すぐに返事をくれる。

『そう、それじゃ家の近くの公園で待っててもらえる?』

「わかった」

 それでどれくらい掛かる?と俺が訊く前に、彼女は速めの口調で言った。

『三十分も掛からないと思うわ。じゃあまた後で』

 そして一方的に電話が切られる。

 道端で呆然と携帯の画面を見ながら立ち尽くした俺は、すぐに納得がいって歩き出す。

「公衆電話だったな」

 その呟きは俺以外の誰の耳にも届く事無く、街灯が点々と照らす夜道に霧散した。


 夜の公園というのは薄暗く気味が悪い。入ってすぐにそう感じた。

 入り口が一箇所しかなく、奥に行けば明かりも少なくなり、当然見通しも悪くなる。奥の暗闇に何が居てもおかしくはない。そんな思い込みが恐怖を生み、色々な噂を作り出してきたのだろう。

 葉山美咲、彼女が公園にやって来るまでには、まだ時間が掛かると思う。それまでは念のため、葉山の家から見えない位置にあるベンチに座り、今日調べたことを軽く思い返して気を紛らわせることにした。

 昼過ぎ、この公園で彼女と別れた後。有り余ってしまった時間をどう使うか、駅までの道をゆっくりと戻りながら考え、純也の住んでいたマンションの方へ行くことにした。

 その結果だが、成果といえるものは殆ど無い。肝心の住人が不在だったのだ。

 まぁ休日なので仕方が無い。充分に考えられることだったし、それと同じ理由を危惧して葉山の家には昼飯時までには着くように行動していたわけだからだ。

 それでも今回は、前回とは違うこともしてみた。それは近隣の表札の確認だった。

 前に訪れた時は、杉村純也を捜していたので調べなかったが、今は手がかりを探しているのだ。何でも良い。いつだか純也自身が言った事だ。断片を集めれば存在しないものすら認識できる、と。

 結局のところ杉村の表札は無かった。無かったからこそ立つ仮説もあるが、無茶苦茶なものだし、今の所は頭の隅に置いておくだけに留め、無視してもいいだろう。

 次にどこを調べるかと考えたが、電車での移動時間も考慮して一旦アパートに戻り洗濯物を取り込むついでに買出しも済ませることにした。これを先にやっておけば今晩や明日は色々と集中できるだろうと、そう思ったからだ。

 それらの用事が済んだ後、夕飯にはまだ早いので冷蔵庫に入っていたデザート用の葡萄ゼリーを腹に入れ、再度やっておく事が無いか確認してから部屋を出た。そして葉山の家がある場所の最寄り駅まで戻ってきたわけだ。

 駅を出ると六時近かったが、このあとで話すときにでも飯は食べれると踏んで、近くにあったインターネットカフェに入ったのである。で、ついさっきだ。調べ物に夢中になりすぎて気がつけば九時を過ぎていた。お腹が空いたのと、そろそろ電話が掛かってくる頃だと思って店を出たのだが、電話が来たせいで、

「忘れてた」

 そんな言葉と共に腹の虫も鳴いた。

 ぐー、と随分良い音が聴けたわけだが、腹が減っていては感動も出来ない。

 商店街は少し遠いがコンビニは近くにあったはずだ。何か買いに行くか、そう手をついて腰を浮かせようとしたときだった。

「あら、良い音ね。これを途中で買ってきた甲斐があったわ」

 背後から突然声を掛けられる。体を一点で支えてた手が滑り、座っていたベンチの肘掛けに腕を酷く打ちつけた。

「痛ッ!」

 思わず声が出るほど痛かった。一瞬だが昼間と同じく驚いた事で心臓が止まりかけ、今は痛みにより鼓動を早めていた。今度時間がある時にでも今日のことを思い出せたら、誰かの悪戯で驚いた結果、心臓が止まって死んだら罪に問えるのかを調べてみようと決めた。

 ふふっ、と笑いながら回り込んで俺の隣に腰を下ろした葉山美咲は、手に持った袋から団子が三本入ったプラスチックパックを取り出して見せる。

「昼間にあなたが家の自転車を見て頷いていたから、久しぶりに食べたくなったのよ」

 と、言いながらパックを開けて、一本取ると俺の前に差し出して、「はい」と言って渡してくれた。

「ありがとう」

 そう素直にお礼を言う。それから、「いただきます」と桃色の団子から齧った。当たり前だが甘い。でも今は、それがすごくありがたかった。

 残り二つもすぐに胃へと納まり、串だけが残る。

「やっぱり甘いわ。何か飲み物も買えばよかったかしらね」

 そんな彼女の感想に頷きで答えると立ち上がって訊いた。

「何が良い?買ってくるよ」

「飲み物は要らないわ。それより、お昼の続きを聞かせて欲しい。少なくとも三年くらい前までは居たって人の事を」

 俺としては昼のお詫びも兼ねてのつもりだったので、出来れば受け取ってくれるとありがたかったのだが、しょうがない。彼女にとって喉の渇きよりも優先される事柄なのだろう。まぁ俺も似たようなものだし、あまり人のことをとやかくは言えない。

 さて、どこから話そうかな、と。思案しながら口を開いた。

「そうだな、俺には親友が居たんだ。杉村純也っていう同い年の親友が」

「過去形なのね。…亡くなったの?」

「わからないな。消えたんだ。存在も、痕跡も、記憶からさえも、な」

「あなたを除いてね?」

 話が早くて助かるが、説明のペース配分が難しくて、どうにも調子が狂わされる。

「そうなんだが…。葉山美咲によって、また複雑化したんだ」

「どういうこと?」

「俺は杉村純也の両親を知っている。なにせ高校からの付き合いだったからな。そしてだ。どうやらその人達が葉山美咲の両親と同一人物らしい」

「は?」

 初めて聞いた彼女のその素っ頓狂な返事に、俺は二度頷き同意する。そうなるよな、と。

「まるで怪談や都市伝説のようね」

「俺もそう感じた。だからさっきまで、別の方向性でアプローチを掛けようと、駅前のネットカフェで人が消えるって事を調べてたんだが。人が消えるのは事件性のある誘拐、殺人、事故もそうだな。で、神隠しや都市伝説に怪談を加えた神秘性?そんな感じだったと思う」

「そうね。けど今回のこれは、人為的とは言えないと思うわ。規模が大きすぎる。人ならざる者、その方がしっくりくるわね。…その中で私が知っていて似ているものといえば」

 彼女の言わんとする事がなんとなくわかった。それは俺も知っているあれだろう。調べている時にもその名前を何度も見たから間違いないだろう。

 だから、意図して彼女の発声に合わせて言った。

「悪人さらいの黒頭巾」

 綺麗に揃った。自然とお互い笑みがこぼれる。

「今でも絶えてないんだな。俺が高校生の時に聞いたんだ、クラスメイトにな」

「友達の友達から聞いた話なんだけどね、って感じでしょう?今でも変わらないわ。悪行を大きい小さいにかかわらず七回繰り返して一人になると、暗闇から黒頭巾を被った女の子が現れて、信じられないくらいの速さと力を用いてさらわれる。悪事は無かった事になり、さらわれた人間も居なかったことになる、だったかしら?」

「七回繰り返して一人になると、って所までは同じだった気がするな。でも、暗闇じゃなかったと思う、確か影だったな俺の頃は。それで出て来るのも女の子じゃなくて、大男。黒い頭巾を被った三メートルくらいの大男だったはずだ。それに最後は心を入れ替えて良い人になって帰ってくるって結末だったかな?」

 初めて聞いたときは神隠しみたいな話だと感想を持ったことを思い出す。それに付随して蘇る記憶が一つあった。

「…そういえば回避方法なんてものもあったな確か。でもそれが七回連続で悪行を働かないって感じのやつだったせいで、定期的に随分と善行を積まされた思い出なんだ。この都市伝説」

 まぁでも民話だったり伝説って言うものは、昔からの知恵や掟を子供に守らせて危険から遠ざけるのが役目みたいなものらしいので、似たようなことかもしれない。悪行重ねるべからずみたいな感じだろうと、そう思った。

 ただ、彼女は何か引っかかる物があるみたいで、

「でも、そうね。黒頭巾の話とは少し違うのかもしれないわ」

 と、疑問を口にした。

「どういうことだ?」

 すぐさま俺は聞き返す。それに彼女は脚を組んで答えた。

「黒頭巾は悪事を働いた者を消してしまうでしょう?でも、あなたが言ったことを全て信じるのならば、消えたというよりも、置き換わった。これの方がしっくりくると思わない?つまり私が、その杉村純也って人と置き換わった。面白いわ」

 自分で言って笑みを浮かべた彼女は、着ている服に組まれた脚のせいか魔女に見えないこともなかった。まぁ座っている椅子が公園のベンチなのが滑稽だとも思えたが、口にはしない。と言うよりも、俺は純粋に驚いていたので、そちらを言葉にしなかっただけだ。

「でも、そうか…置き換わる、か…その発想は無かった」

 言いつつ思う。つまりは視野が狭かったんだろう。俺がさっきネットカフェで調べていた検索ワードも「人」とか「消える」とか「記憶」とかの組み合わせだった。どうりで誘拐やら神隠しだのしか出てこなかったわけだ。

 ため息の一つも吐きたくなるが、それを堪えて彼女に訊いた。

「なんか置き換わる話を知ってたりするか?」

 俺は人間が別の人間に置き換わるような話に覚えが無い。今日調べて出てきた噂話の中にも別人に置き換わるなんてものは無かった。まぁ検索ワードの選択に不備があったんだから当たり前ではある。でも、と考えた。俺がそうでも彼女はどうだろうか?

 現役で女子高生だ。つまりは昔からよく言われるあれだ。女子は噂話が大好物、というやつだ。俺のように調べていなくても耳に入っていることはあるかもしれない。そう思ったのだ。

「そうね…」

 と、返事をしつつ彼女は脚を戻すと、予め用意していたかの様に言った。

「自分ではなくなる夢かしらね」

「自分ではなくなる…つまりは他人になるって事か?」

 期待してなかった分、思わず疑問を口にしてしまう。

「どうかしらね。とりあえず話を聞いて判断してから質問してくれる?」

 と、たしなめられた俺は反省し頷いた。それを確認してから彼女は続きを言葉にする。

「その話は、確かこうだったわ。良く晴れた日、満月の見える夜道を一人歩いていると、街灯の下に黒いスーツのような服を着た大人が立っているの。なんだろう?と思いながら前を通り過ぎてしばらく歩くと、また街灯の下に黒いスーツのような服を着た大人が立っている。でも、今度は二人になっていたわ。何かおかしいと思いながらも家に帰るために、前を通って進むのよ。そして次の街灯の下にも黒い服の大人の姿を確認すると、怖くなって走りだした。街灯の無い道を探して走ったわ。

 でも、今どき街灯の無い道なんて殆どない。気がつけば家の前にたどり着いていた。ただ、家の前には十人近い黒い服の大人が立っていたの。「なにか用でも?」と訊こうとした時だった。人間誰しも瞬きをしてしまう。その人も瞬きをしたわ。そしたら視界が目蓋で覆われた刹那の事だった。耳元で囁かれたらしいわ。

『長い長い、とても長い夢を見て目覚めると、お前は自分ではない誰かになっている』って。次に目を開けたときには誰も居なくて満月も新月のように見えなくなっていた。怖くなって家に入るとご飯も食べず部屋に閉じこもって、眠ってしまわないように色々と努力をするの。でも、眠らない事は不可能。誰しもいつかは眠りにつくわ。そしてその人も気づかないうちに眠ってしまった。朝になって、家族が起こしに行くと、『おはよう』。知らない人が、そう答えたらしいわ」

 一気に話して疲れたのか、「ふぅー」と、一息ついた彼女は立ったままの俺を見上げて言った。

「自分ではない誰かになる。それは見た目や性別もなのかしらね?」

 確かにそれは気になる点だが、今の話から判るのは、せいぜい知らない人になることだけだ。肉体の変化なのか精神の変化なのかもわからない。

「とりあえず置き換わりとは違うような気がするな。家族の認識では知らない人ではあるが、肉体的変化にしろ精神的変化にしろ家族の認識までもが改ざんされることはないみたいだし、どちらかと言えば入れ替わりだろう。だから、えっと…葉山」

「美咲でいいわ」

 でいいわ。と、言われてもだ。呼び捨て自体を純也以外にはしてこなかった為に気恥ずかしさがある。年下だとはいえ名前を呼び捨ては、ちょっと気が引けた。

「葉山は中身も見た目も純也とは別人なのに、両親は葉山美咲が娘だと認識できている。だから、この話も違う気がするな」

 故に葉山で通すことにする。まぁ何か言われるかもしれないが諦めよう。

「頑なね、まぁいいわ。それと…そうね、確かに入れ替わりって言う方がしっくりくる」

 それに、と俺は割り込んで言う。

「黒頭巾の話とは違って、作り話に聞こえた。都市伝説ってのは噂に尾ひれが付いて長い時間を掛けてそう呼ばれるものだろう?その話には付け足されたような部分が殆ど無いような気がするんだ。つまり数少ない人間が語っているに過ぎない。言わば生まれたての都市伝説のような感じだ。もちろん、葉山の話し方に問題があるわけじゃない。話のほうに問題ありだと、俺は思った」

「わかったわ、明日学校で詳しく訊いてみることにする」

「そうしてくれると助かる。で、俺はその連絡を待てばいいのか?」

「そうね、授業が終わって携帯が手元に戻り次第連絡するわ」

 それを聞いて懐かしいなと思う。俺の通っていた男子校も携帯電話の持込が禁止されていたのだ。そんなに俺は携帯を使う方ではなかったので不快には感じなかったのだが、クラスメイトの中には彼女との連絡が昼休みですら取れず、それが原因で振られたと先生に抗議した奴もいるには居た。人それぞれだが面倒な校則と言うのはいつの時代でもあるもんだなと同情したものだ。

 それとは別で連絡をくれる件について、「了解だ」と返事をすると、携帯を取り出し時間を確認する。十時半近かった。

「そろそろ帰るか」

 本当は葉山の両親にも話を聞いて置きたいが、こんな時間では変に警戒されるだけだろう。出来れば友好的に事を進めたい。面倒事は純也が消えてしまったことだけで充分だ。その事も察してくれたのか彼女は公園の時計を見つつ頷くと、「そうね」。そう言って一本だけ残った団子のパックを袋に戻して、腰を下ろしていたベンチから立ち上がった。

「昼間は悪かったな。…それと、ありがとう」

 俺は向かい合った彼女に謝り、それからお礼を言った。

 それが突然の事だったからだろう。目を丸くして驚くと、フッと笑みを浮かべて、

「要る?」

 と、右手に持った袋を少し持ち上げて訊いてきたので、頷き、「貰っとく」と答えて受け取った。

「それじゃ、また明日」

「ええ、おやすみなさい」

 そう言いながら軽く頭を下げて背を向けた彼女に、俺も返す。

「おやすみ」

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