二章 進展と、後退と、停滞と
断片は記録や記憶だ。それらは必ず何かと繋がっている。独立や存在しないことはありえない。何故なら仮に独立しているならば、誰にも認識は出来ない。認識出来ないから独立できる。認識出来ないということは存在しないことだ。でも、存在しないという断片として他の断片との間に確かに存在し、何かしらの影響を与えてるんだ。
無から有は生まれない。そして原因無くして事象は起こらないものだ。
だから、存在しないものは存在しない。存在しないものとして存在している。
その認識をもし他人と共有できるなら、お前は存在しないものが何なのか認識できる。
わからないか?そうか。まぁ、断片を常に拾っていれば、いつかわかるさ。
そんなことをいつだか言っていた悪友であり親友の杉村純也を捜してやれと、店長に言われてから数日が過ぎた、とある休日の朝の事だ。
いつものようにドライフルーツ入りのシリアルをお椀で二杯分、それを何もかけずにのんびりと、暇だからと点けたテレビの討論番組を見ながら食べていた。
画面の中でそこそこによく見るコメンテーターが達観し、諦めすら感じさせる表情で口を開く。
「最近の若者の○○離れ、あれね。単純に昔より自由なお金も自由な時間も減ったのが原因なんだよね。まずそこを何とかしないと、解決しないね」
と、社会が抱える問題について自分の考えを語っている。
それを聞いた俺は、ふと純也が言っていたことを思い出した。
「大きな問題なんてものは存在しない。大きな問題ってのは小さな問題が手を取り合った結果そう見えてるだけだ。見方が悪い。そして対処の仕方もな。ちゃんと大きな問題の痛いところを、原因を突いてやれば簡単に解決したりするものだ。ただし、それによって痛手を負う人間がいるんだがな。故に大きな問題ってのは簡単には解決しないのさ」
とか何とか。
つまりテレビの中のコメンテーターが言ってることは正しいかもしれないが、例えば時間の、勤務時間の問題について解決するには、仕事の量を減らすか人員を増やせば良いだろう。もちろん働く時間が減れば給料も減るだろうが、そこまで大きくは変動しない。大きく変動するのは会社の利益だ。たぶん最初は赤字になるだろうし、上手く回さなければつぶれかねないリスクを負う事になる。
もちろん効率よく回せれば安定した利益を得られる上に、人が居る分だけ新しいアイデアも出てくるはずで、それこそが本来の会社経営というものだと思うが。それを損する事だと考えている人間がいるわけだから、なるほど大きな問題が簡単には解決しないわけだ。
たぶん突くべきところは、お金や時間じゃない。それらは大きな問題の部分で、根本的な解決方にはならないと、そう思う。ただ、だからと言って俺は具体的な解決案を提示することが出来ないでいる。純也なら何かしらの考えを持っているかもしれないが、俺にはそれが無い。つまりは理想というものが無いからだろう。
「ごちそうさま」
と、手を合わせ、お椀をテーブルに置いたままで掃除を始める。せっかくの休日なので遊びたいのも山々だが、これらを怠ると一人暮らしは悲惨なことになりかねない。掃除と洗濯は絶対だ。まぁ他は手を抜いても何とかなるからな。これくらいは真面目にやる。
それに一人暮らしの掃除も洗濯も大した手間にはならないものだ。
掃除と言っても掃除機をかけるだけで他は何もしない。ワンルームの部屋で尚且つ物が溢れているわけでもないので五分も掛からずに掃除は終わった。
次に洗濯だが、朝飯を食べる前に洗濯機を回して置くべきだったなと後悔した。それにより待っている時間が暇になってしまった。
とりあえず朝飯を食べたスプーンだけを洗う。お椀のほうは昼飯のときに使いまわすのでそのままにしておくのだ。それは面倒が独り暮らしの中で突然変異を遂げた姿なので、純也も苦笑したくらいだ、他の人からの共感も当然得られないだろう。そう思いつつ他にやることはないかと、試しにワンルームの部屋を見回してみるが、目に付くものがどれも洗濯機の中途半端な待ち時間を潰すには不向きなものばかりで、諦めて点けっ放しだったテレビを見て時間を潰すことにした。
さっき見ていた討論番組は視点を変えてまだ続いていた。どうやら今度は教育課程での刷り込みによる洗脳、つまりは教育陰謀論によって社会構造は実質的に独裁国家と殆ど違いは無いと言っているらしい。流石にそれは飛躍しすぎだろうと思い、
「教育課程に目を向けるなら、今はいじめの方が問題だろう」
と、愚痴ってチャンネルを変えた。
移った先、一つ隣のチャンネルは、これから夏に向けてチェックしておきたい旅行先を紹介する番組だった。斬新だなと思いつつも、目を向けた画面の中では女性リポーターが山の麓にある温泉地を紹介している。あれ?と、思った。風景に見覚えがあったのだ。
どこだっただろうか?そう考えをめぐらせている内に女性リポーターの口から答えが出てくる。富士山だ。その麓にある温泉街を紹介する番組だったようだが俺は、またかと思ってしまった。
そこで一旦出番が終わったのか、スタジオらしい場所に切り替わる。
富士山には楽しかった思い出はあるのだ。でも、心躍った思い出が無い。高校の修学旅行も卒業旅行も、近くて金が掛からないという理由で富士山になった。故に大学の時は島の方へ行ったが、正直もうお腹いっぱいというやつだ。せめて女子が居れば思い出も少しは違ったのかも知れないが、そうはならなかったのだから仕方がない。
しばらくボーっと見ていると、どこかの島にある普段は入れないという城跡からの中継に切り替わった。見覚えがないなと思っていたら、今度は男性リポーターが画面に映り、瀬戸内海の観光地である、しまなみ海道の紹介をしてくれるらしい。
まぁどの道、一人では観光地に行くことは無いだろうと思い再度チャンネルを変えてみたが、一周したところで特に面白そうな番組も見当たらないしと、テレビの電源を切った。
深くため息をつく。ついにやることが無くなってしまった。どうしようもないので掃除をして綺麗になったであろうフローリングの床に寝転び、天井を眺めて過ごすことにする。ただ、何も無い天井だ。照明と火災報知機が一つずつ付いているだけで他には染みすら見当たらない。そうやって何かを探すように天井を見ていたら、富士山のことが影響してか高校時代の教室の天井が思い出され、懐かしくなる。
高校に入って初めの頃は、授業の間にある休憩などの暇な時間を、天井を見上げたり空を眺めたりして過ごす事が多かった。特に意味は無かったと思う。男子校で孤立するのなんて珍しいと自分でも思うが、何故か女子が居ない空間に馴染めなかったのだ。それを平穏と呼ぶかは人それぞれだろう。でも、少なくとも俺にとっては平穏な日々だった。まぁ、そんな平穏もすぐに杉村純也によって消し飛ぶことになるのだが、それはまた別の話だ。
それにしても、純也が居なくなってまた見上げることが多くなった気がする。たぶん何かに向き合うことが少なくなったんだろう。と、そう思った。
どれくらいの時間、寝転んだまま天井を見つめていただろうか?
「はぁー」深い溜め息をついて「すぅー」と、空気を吸い込み、また吐き出した。
「よしっ!」と気合を入れて足を上げ、そのまま振り下ろす。そうやって腕を使わずに上体を起こすと、その勢いのまま立ち上がりしっかり正面を向く。
「捜してやれ、か」
店長に言われたことを、自分でも口に出して言葉にしてみた。一人なので返事がない。だけど静かになったと思った部屋で耳を澄ますと、いろいろな音が聞こえてくる。
カッチコッチと時計の音が聞こえ、ガッシャコンという洗濯機の音と、ブーンと冷蔵庫の微かな音がセッションをしていた。
目を閉じて生活家電のコンサートを聴き入っていると、洗濯が終わった音が前触れも無く鳴り響いた。鳴り止むまで待ってから、その場から動き出す。そして俺は今日やることを決めた。
もう一度…じゃないな。何度でも調べて考えて、ゆっくりと一歩また一歩と進むしかないのだろうが、やるしかない。今日はその始まりだ。
洗濯物を干し終わり、「出掛けている間に雨が降らないように」と、居ないとすら思っている神様に祈りを捧げ、一息入れようと時計を見る。既に十一時を回っており、昼から出掛けるためにも、少し早めだが昼食にすることにした。
炊飯器の中を見て昨日の夜に予約をセットし、今朝炊けたご飯だと確認する。それから冷蔵庫の中を見て、昨日バイト帰りにスーパーへ寄って買っておいた三パック八十六円の大粒の納豆と、何年も前に流行った「食べるラー油」を取り出し、テーブルに置いた。
俺は辛いのが苦手なので堂々と、「辛くない」。そう書いてあるものを買ってきたのだが、本当に大丈夫なのかと不安に思いながらも蓋を開ける。
臭いはにんにくが少し香る程度だ。今度は綺麗なスプーンで少量すくい舐めてみる。少し辛いというよりは、しょっぱいの方が近いだろうか?とにかく大丈夫そうなので、舐めたスプーンを一旦洗い水気を切って純也の言葉を思い出す。えっと、確かこうだったはずだ。
「いいか?まずは納豆を、付属のたれを入れずに一粒一粒がバラバラになるまで混ぜる。そしたら食べるラー油を綺麗なスプーンで、大きさはそうだな三センチくらいでいい。そのくらいのスプーンで一すくいして納豆に加える。それから付属のたれも半分ほど入れ良く掻き混ぜたら、ほかほかご飯にかけて、さぁ召し上がれ!だ」
純也の言っていたことを思い出しながら食べるラー油納豆を完成させると、朝食を食べた時のまま洗わずに置いといたお椀にご飯をよそってから、箸を用意し椅子に座った。
「いただきます」
と、そう言ってから箸を持ち、ほかほかのご飯へと食べるラー油納豆を少しかける。
ご飯から立ち上る湯気にラー油の香りが乗って鼻に届く。食欲をそそる良い香りだった。箸で納豆が一のご飯を二の割合で取ると、口へと運んだ。
食べるラー油でコーティングされた納豆は、普通の納豆よりもマイルドな味わいになっており、さらに大粒で柔らかめの納豆がご飯の食感と程よく溶け合い、ピリッとした辛味がご飯を進ませる。
「なんだこれ…」
思わずこぼれた言葉にハッとした。このままではコスパの良さも相まって大変なことになる。つまり三食これになる。そう確信した。
気づけば大盛りでよそった筈のご飯が消え、食べるラー油納豆はまだ半分も残っていた。
「やべぇ…」
再度戦慄し心に誓った。
一週間に三食までの制限をかけよう、と。
そしてあまりにも美味しかった為、あっという間に食べ終わり、早めの昼食が終わった。
少し順調に予定が進みすぎていた。まだ少し時間に余裕があるので考えながらのんびりと、洗い物を片付けることにする。とりあえず改めて断片の整理だな、と、スポンジを取った。
約半年前、調べて分かったことは四つ。純也が消えた。俺以外の人々の記憶からも消えた。写真や記録からも消え、所有物や創作物まで消失した。この四つだ。完全消滅と言ってもいいが、俺が覚えている以上完全ではない。そしてそんな人間を捜すにはどうするか?
俺が覚えていることを含め、消えてない物があることを仮定して探していき、見つけたら今度はそこから共通するものがないか辿る。これが現実的だろうか?……いや、この断片で何かを探し出すこと自体が現実的じゃないんだから、現実的かそうでないかは問題ではないな。
全てが消えたと確認したわけじゃない。仮定したにすぎない。もしかしたら残っているかもしれない。その「かもしれない」があるであろう場所は、そう多くはないはずだ。学校と実家、この二つが純也の何か手がかりになる物がもっともあるかもしれない場所だろう。
洗い物が終わり、「よし!」と気合を入れて、出掛ける準備に取り掛かった。
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