一章 3

 翌日も良く晴れていた。ただ天気予報によれば昼頃から雨が降るかもしれないらしい。だからと言って仕事は屋内なので天気はあまり関係がない。もちろん俺の仕事内容にとっては、という話だが。

 店員としての俺の仕事はゲームセンター内の定期的な清掃と悪質な客への対応、それにクレーンゲームの勧誘である。こう言うと宗教の勧誘みたいであれだが、つまりはクレーンゲームの商品の魅力とお得感を伝えてプレイを促し、ある程度の硬貨が投入されても獲得されていない商品を取りやすい位置にずらしてあげて、最終的に達成感を味わってもらい、またプレイしたくなるように布石を打つのが俺の仕事だ。

 しかしあれだな、説明の仕方が悪いと詐欺まがいの仕事に聞こえるとは。誰かに訊かれた際に正しく伝えられるような説明を今度考えるか。などと暇を持て余しながら十一時を過ぎて、少ないがようやく客の入り始めた店内を巡回していた。

 今日のパーティーメンバーは昨日に引き続き、二号さんと五号さん、それと霧海さんと俺の四人に、店長の代わりに七号さんを新たに加えた五人編成となっている。

 五号さんが言うには店が開く前、裏口の鍵を開ける為に一度だけ店長が来たには来たらしいが、寝巻きらしいジャージ姿で、「眠いから昼まで寝てる。起こすなよ?起こしたら裸で吊るす」と物騒なことを言い出したのでご帰宅いただいた、ということらしい。まぁ店長が居なくても瑠璃子さんや八護町兄弟さえ居れば回る店なのだと、俺が働き始めた頃に店長自身が胸を張って自慢げに言っていたし、比較的暇な平日の午前中だけと言う事なので、さして支障はないだろう。

 そういえばさっき知ったのだが、今日は十八時で店を閉めるとの事だった。二号さんが入り口の自動ドア横にお知らせの紙を貼っていたので何かと思って訊いたら、新歓の為に今日は十八時に閉めるんだ。と、教えてくれた。

 つまり新歓はここでやるらしい。終わった後の片付けを店の掃除とまとめて出来たり、出費を極限まで抑えるつもりなのだろう。なんとも店長らしくセコイ。これは特別美味しいものは食べられそうにないと、二号さんと肩を落として悲しくも笑った。

 店内奥の対戦ゲームコーナーの手前まで来たので華麗に百八十度反転して入り口の方へ戻ろうとしたときだった。

「おっと」

 そう思わず声が出て、半回転のつもりが一回転になるくらいの既視感に襲われた。

 一度はスルーしかけた、雰囲気が違ったからだ。制服の時と違って大人びて見える。ベージュのブレザーは黒のTシャツとジーンズに変わり、尚且つウェーブのかかったセミロングの髪はヘアゴムを使い後ろで一つにまとめて結ばれている。それ故か繰り返しになるが大人びて見えるのだ。

 そして今日もまた昨日と変わらず平日で、彼女は学生のはずだ。私服なので休みという可能性もあるが、後で変にトラブっても面倒なので一応声を掛ける事にした。

 昨日と同じ席に座り、彼女も天気予報を見たのか黒の折り畳み傘をプレイの邪魔にならないように太ももに乗っけながら、昨日と同じ黒と金色の機体で見事なコンボを決め、相手を圧倒していた。

「相変わらず上手いな」

「ありがとう」

 画面を見たまま面倒くさそうに返事をした彼女に、俺は間髪を容れずに追及する。

「今日は学校休みなのか?」

「創立記念日なの」

 相変わらずの即答だった。ただ、予想通りでもあった。

 そうか。とだけ返し、サボリを証明するだけなら別に必要はないと思うが、俺は一旦対戦ゲームコーナーから離れ店内に居るだろう人物を探す。と思ったら探すもなにもちょうどトイレから出てきたところだった。

「あの!」

 と声をかけてから傍まで行こうとして、帽子に七号機と書かれていることに気がついた。

「ん、なんだ?」

 声をかけ途中まで歩みを進めてた俺が立ち止ったので七号さんは傍まで来てくれた。

「あのすいません、二号さんか五号さんを呼んできてもらってもいいですか?」

「おう、いいぞ!ちょっと待ってな?」

 理由も訊かずにそう言って入り口の方へと消えていった。その後ろ姿が少し格好よく見える。そして三十秒も経たない内に戻ってきた八護町さんの帽子は五号機に変わっていた。

「なんだなんだ?市鷹(いちたか)に代わって来たが、トラブったか?」

「まぁ少しだけ…で訊きたいんですけど、昨日仕事終わりにバックルームで言ってた俊子さんって人が通ってたっていう学校の創立記念日がいつだったか知りたいんですが、覚えてますか?」

「あー昨日、卯月(うづき)が言ってたやつだろ?確か女子校のだから、えっと?うーんと、たぶん六月か十月だったと思うわ」

 曖昧だなと思ったがとりあえず確認をとる。

「どちらかが創立記念日で間違いないですか?」

「ああ間違いない。あいつは俺たちが年上だからと容赦なく、今日は学校の記念日!平日が休みなのは奇跡なんだから!とかむちゃくちゃ言って、遊びに連れて行けと親まで味方につけて付き合わされたからな!まぁ正確な日付必要なら卯月を呼んで来るけど?」

 そこまでわかれば十分だと思った。

「あ、それで大丈夫です。ありがとうございました」

 お礼を言って、失礼だろうが返事も聞かずに急いで彼女の元へ戻る。彼女が逃げるとも思えないが念のためだ。

 彼女のもとへ戻ると、やはりというか急ぐ必要は無かった。先程と変わらず機械的に相手ロボットを粉砕していたからだ。

 五号さんから訊いてきたことを、とりあえず何の捻りもなく言った。

「創立記念日、今日じゃないな?」

「わざわざ調べたのね、ご苦労さま。でも、それだけじゃ今日が休みじゃない証明にはならないわ」

 昨日と同じでちゃんとした理由がなければ聞く耳持たずのスタンスらしい。ならばと、

「そうかもしれないな。でも、話くらいは聞いて見ても良いんじゃないか?」

 と、挑発してみた。俺のその言葉に初めて彼女は反応を見せる。手を止めてこちらを向くと鋭い目つきで言った。

「わかったわ、聞かせて」

 あっさりと挑発に乗った彼女は、後ろで自分操っていた機体が棒立ちで相手に好き放題やられていても気にしてないようで少し怖い。特に目つきが。

「ノータイム。君は創立記念日と間髪を容れずに答えた」

「変わらないわ、証明にはならない」

 呆れた、という感じでそう言いながら、ゲームのプレイに戻ってしまった。

 この程度では諦めないし、詰めるとも思ってないので気にせず続けた。

「まぁそのままで良いから、最後まで聴いてくれ。君は俺の問いに対して即座に創立記念日なの、と断言した。創立記念日と即座に答えられるのは事前に言葉を用意していた時だ」

「事前に用意していたのはゲームに集中していたかったからよ」

 相変わらずゲーム画面を見たままで割って入ってきた彼女の言葉には棘があり、冷たさを感じる。まるで機械と会話しているような気分だった。ただ、そんな事で怯んでは駄目だと思い。強気に攻めることにする。

「違うな。俺が店員だと知っている君は話しかけられた理由をすぐに察したはずだ。なんせ昨日の今日だからな。答えを準備しておくのは当然だ。そして学校が休みになる理由は少ない。創立記念日と開校記念日、あと振り替え休日くらいか。まぁ学級閉鎖も考えたが、この時期じゃそれは可能性として極めて低く、まずないだろう。

 それで、だ。開校記念日は創立記念日と言った時点で違う。わざわざ記念日を言い換える必要は無いし、即答するために前もって用意していたなら言い間違えることも無い。それから振り替え休日はこんな週の真ん中には入れないだろう。ならば私服で君がここに居る理由は、サボリしかない」

 俺が喋り終えて数秒間、お互いに何も発する事は無かった。先に沈黙を破ったのは彼女だった。突然可笑しそうに笑い出しそのまま立ち上がると俺に言った。

「面白いわ。でも覚え違いだった場合は?あなたは創立記念日を誰かに訊いて来た。でも私が本当に言いたかったのが開校記念日だった場合は?」

 その言葉でサボリと言ったようなものだったが、どうやら彼女は徹底的に詰められないと気がすまないか、ちょうど良い暇つぶしにでもするつもりなのだろう。純也もよく俺を使って楽しんでいたのを思い出すが、今は懐かしんでる場合じゃない。油を売るのにも限度があるからだ。彼女が学校をサボってここに居るなら結果的に店が迷惑する。それは阻止するべしと、この一ヶ月で店長から教わっていた。

 でも、と俺の悪い癖が出る。少し遊びに付き合うくらいはいいだろう。どうせ暇だ。

 さて、最後の詰めを、と断片を並べ始めた。

「その説明はする必要がないと思ってわざと除外したんだ。なんせ説明が面倒になる。俺が創立記念日を訊いた人も正確には覚えていなかった。六月か十月のどちらかだと言われたんだ。本来、創立記念日と開校記念日を分けて休みになんてそうそうしないし、そもそも創立と開校が直近じゃない方が珍しいと思うんだが、それでも六月か十月っていう言い方をしたのはたぶん、君の言った覚え違いをしているかもしれないのと、学校の記念日って覚え方をしていたからだ。だから両方言ったんだ。つまり創立記念日と開校記念日は今日じゃない、まだ五月だしな」

 これで詰めきれたと思った。

「ちゃんと確認はしなかったのね。次からはした方がいいわ、その方が確実よ」

 期待はずれだったという感じでさっきまでの笑みが消え、つまらなそうにそう言い残して彼女が立ち去る。詰めが甘かった。やっぱり日付まで正確に覚えているという二号さんにも確認を取るべきだったと、焦った事を反省する。

 本当はここまで取って置いた物があった。別に言ってやる必要は無い。ほっとけば彼女はこのまま退店してくれるからだ。ただ正直、短い時間だったが楽しかった事は確かだ。それに俺が負けたみたいなのが嫌なので、離れていく彼女の背中に「傘」。とだけ投げ掛けた。すると彼女はピタリと立ち止まり、振り返って言う。

「わざとね?」

 そう言った彼女は笑みを浮かべ、先ほどとは打って変わってどこか楽しそうだった。

「説明が面倒だったからだ」

「嘘つきね、傘からのアプローチなら一言で終わるじゃない。鞄はどうしたんだ?って訊けば良いでしょ?あなたは昨日も今日も私のプレイを見て褒めたわ。私がやりこんでいることを知っていた。だとしたらゲームセンターの常連ね。

 でも、このお店の高校生の退店時間を知らなかったこと、もし近所に住んでいてその事を知っていたなら制服なんか脱いで来た方が利口だということ、常連ならお店の人に覚えられていて私服でもこんな時間から居るのは何故だ?とあなたより先に訊かれているだろうということ。

 それらがなかった事を踏まえると、私がこのお店に来たのは昨日が初めて。そして家が近所じゃないなら折りたたみ傘とは言え鞄か何かに入れて持ち歩くはず。でも鞄を持ってないって事は、鞄で素性が割れると困る、サボり中の高校生ってことでしょ?昨日思ったとおり、とんだナンパ野郎なのね」

「それは違う、暇だったんだ。そこに問題が出題された。でも、それは時間を潰すには短すぎるものだった。なら別の方向から詰められないかと思ったんだが、甘かったな」

 そうだ、甘かった。彼女は途中で「降参」すると思っていた。だから二号さんを呼んでまで確認しようとは思わなかった。純也を相手にしているわけじゃない、と手を抜いた。それに鞄のことを追及すればすぐに詰められる事がわかっていたからかもしれない。

 これにて暇つぶしは終了。彼女を店から追い出すこととしよう。そう口を開きかけたところで、彼女に割り込まれた。

「今日の六時以降は…暇じゃないわね。張り紙がしてあったから」

「今日は、その時間から店を閉めて、新歓をやるらしいからな」

「ふうん、あなた新人だったのね」

「どうしてそう思うんだ?」

「あなたが新人を歓迎する側なら、らしいからなんて曖昧な言い方はしないわ。店を閉めてやるなら全員参加でしょうしね」

 鋭いな。と思い。出題者だけではなく、回答者にもなれるのか。と、感心する。

 そして、そんな評価を受けていることを知らない彼女は、そうね。と、一呼吸置いてから、俺に提案してきた。

「それじゃあ、今から時間作れないかしら?」

 意外な提案だった。でも今は、暇ではあるが仕事中だ、抜け出すことは出来ない。

 いや待て、と少し考えて答える。

「十分くらいなら」

「それで良いわ」

 即答だった。という事は十分もあれば目的を達せられるらしい。何だ?とは考えない。どうせ店を出て十分以内に分かる事だ。それに断片が少なすぎる。考えたところで分からないだろう。なら先に、彼女に提示した十分という時間を作る事にする。

「何も言わずについてきてくれよ?」

 と、念を押してから、彼女を連れて店の入り口近くまで向かう為、一歩を踏み出した。俺が思いついたのは彼女を店から出すことが出来、尚且つ俺の暇つぶしの足しになる案だった。つまりは一石二鳥というやつだ。

 途中、クレーンゲームの管理モニターを見ている五号さんが視界に入ったので声をかける事にする。近づいたところで五号さんがこちらに気づいた。

「さっきはありがとうございました」

「どういたしましてだ」

 提案するならこの人だなと、適当なやり取りで自然な流れを演出し、さっき思いついたことを気取られることの無いように、言葉に詰まることなく口にしていく。

「それでなんですが、こいつが学校サボってることがわかったんで警察を呼ぼうかと思ったんですけど、騒ぎになると大変ですし、幸い近くに交番もあるのでつれて行こうと思うんですが、俺が抜けても大丈夫ですか?」

 本来、警察へ連れて行く必要は無い。「人間サボりたい時もある」。店長がいつも自信満々に言って、実行している事だ。故に店でサボリをしている人を見つけても、追い出すだけに留めているらしい。もちろん、一部の場合を除いてだ。

そして今は店長が居ない。となると、一部の場合、それを決めるのは八護町さんだった。

「別に交番へ連れて行く必要は無いんじゃないか?」

 流石に長く働いている五号さんは、いくらサボりの対応が初めての俺とは言え、店長と同じく追い出すだけでも良いんじゃないか?そういう考えらしい。困ったな。想像以上に想定の範囲内で会話が進行するので、思わず笑ってしまいそうになる。それをどうにか堪えると、首を横に振り、会話を次に進めた。

「それが、見て分かるとうり私服なんですよ。そして鞄すら持っていない。どこかで着替えて鞄ごとロッカーにでも預けたんだと思います」

「つまり、手馴れていて、常習性が高いから交番へ連れて行こうと、そういうわけだ」

 俺から台詞を奪った五号さんは頷き、店内を軽く見渡して問題ないと判断したのか、笑顔で答えてくれた。

「大丈夫だ。ここは俺に任せて…お前だけでも行ってくれ!…あ、制服は脱いでけよ?」

 そんな物語に出てくる登場人物が言いそうな台詞に、「了解です」と、俺は笑いながら返事をすると、一旦制服を脱ぐためにバックルームへ向かった。

 そこでホッと一息ついてから、店のロゴの入った上着だけ脱いでロッカーにかけ、急いでサボり中の女子高生を預けた五号さんの元へ戻る。そして少々時間が掛かってもいいように保険として言っておいた。

「こいつが大人しく交番までついて来てくれたら十分くらいで戻ります」

「あいよー」

 そんな五号さんの気の抜けた声に俺たちは送り出されて店の外へ出る。

 店を出てしばらくはお互い無言で淡々と、踏み切りを越えた先にある交番へ向かって歩いた。そして踏み切りが見え、遮断機の音がはっきりと聴こえてきた辺りで、道を左に折れる。そこまで来てようやく俺は口を開いた。

「で、何か用だったのか?」

 一メートルほど離れて後ろをついてくる彼女に向けて振り返らずにそう訊く。

 昼が近くなってきたので商店街は少し人通りが多くなっており、大通りから細い道に入ったくらいでは賑やかな足音に殆ど変化が無く、故に彼女の足音が聞こえないので本当についてきているのか不安になる。

「少しね、話がしてみたかっただけよ」

 声が左から来たので驚いてそちらを見ると、彼女がいつの間にか俺の左隣を歩いていた。

 横に並んでみて初めて思ったのだが、彼女は俺より少しだけ背が高い。純也の目線もその辺だったと思うので、たぶん同じ百七十センチくらいだ。

 正直なところ、さっきは面と向かい合っていたのに気がつかなかった。それほどまでに断片で遊ぶのが久しぶりで楽しかったのだろう。つまり今は身長を気にする余裕があるらしい。そして暇を持て余した俺の視線は、辺りの看板の文字を頭に入っているであろう情報処理器官へ次々と送り込んでいった。

 休憩所ハニーシロップ。風俗店ヴァルハラ。BARムーンバタフライ。キャバクラシーサイド。と、完全に夜の街だった。いや、今は昼なので店のほとんどが閉まってはいるが、近所の公園へ行くだけと雑に道を選んだことを後悔した。

「で、どこか入るの?」

 彼女の声は笑いを堪える為か、僅かながら震えていた。

「入ったら俺が交番に行く羽目になるからな、行くのはこの先の公園だ」

「交番じゃないのね」

「踏み切りを渡ったら交番はすぐだ、ゆっくり話す時間なんて無い。交番での対応も入れたら十分かかるって話だったんだ。あれは」

「そう」

「それで、なんで学校をサボったんだ?」

 会話が途切れそうだったのと、時間が限られていたので早めに核心を突いたのだが、返答は無く結局会話は途切れることとなった。ただ、それほど長く沈黙は続かないだろう。夜の街は抜けた、公園はそう遠くないはずだ。


 商店街から少し外れたところにある公園は、時計と滑り台と砂場とシーソーとベンチ三つで構成された、かなり小さいの公園だった。遊具がなければ空き地に見えただろう。そしてここを公園として認識させる為の遊具なども、ペンキが四割ほど剥がれ錆びついてしまっているところを見ると、踏切を越えた先の小学校裏にある大きな公園に子供たちを取られ、需要がそれほどないのだろうと思う。

「予定ではあと五分もしたら俺は店に戻ってるんだが?」

 ベンチに座りながら時計を見て意外と公園までかかるんだなと思いながら、隣に座る彼女に催促する。

 公園に着いてベンチに座ったと思えば、黙ったまま何か考え始めたわけだが、十分で良いと言ったのは彼女だ。このままでは何も話さずにタイムリミットを過ぎてしまう。まぁ俺から誘ったわけではないので一向に構わないが、それでは後味が悪い気もした。

 だからと、続けて催促しようとしたら、彼女はやっと口を開いた。

「女子高生は愚痴を言うのにも勇気がいるものよ」

 そういうものなのか、と新しい発見に驚いて見せてもいいのだが、話が余計長くなりこじれる可能性もあるので、

「さいですか」

 と、だけ返しておいた。

 それから三十秒も待っていなかったと思う。ようやく彼女は本題を話し始めた。

「どうして大人と子供って理解し合えないのかしらね?大人だって子供だった頃があるのに、どうして子供のことをわかってあげられなくなるのか、わからないわ」

 彼女は全てを言い終える前に背中を向けた。かなりの葛藤があったのかもしれないな。そう思った。抱え込んでいたものを吐き出すのは誰でも躊躇する。それは内に秘めてた時間だけ吐き出すとき気力を使うからだ。でも、彼女は今、俺に吐き出した。

 何故、という疑問がないわけじゃない。ただそれは、俺が気にしても仕方のない事だ。とにかく大人の俺に、赤の他人の俺にだから、ようやく言えた愚痴だったのだろう。

 俺はその背中に正しい事を言えるだろうか?愚痴だから正しい答えなんて求めていないのかもしれない。けど、背中を向けなければ勇気を保てないほどのことなら、ちゃんと答えるべきだろう。そう考えた。

 正しい答え。それを純也なら言えるだろうな。と思う。

 でも、背中を向けた彼女は俺に期待している。なら、と構築された言葉を口に出した。

「たぶん、たぶんだ。結末を知っている物語に干渉したくなるのと同じなんだろうと思う。大人は自分という子供時代の物語の結末を知っているからな。子供にこうすればよくなるぞ、と。何も、誰も犠牲にならないハッピーエンドを教えたがる。けど勘違いなんだ。子供の体験している物語は続編で、まったく別の物語だ。それがたぶん、大人が子供を理解しようとしても出来ない理由だと、俺は思う」

 言い終えて、不安が身体の奥底から湧き上がってくるのを感じた。

 冷や汗が出てきそうなくらい、ぞわぞわっと何かが込み上げてくる。嫌な感じだ。それが早く終わってくれと手をギュッと握り拳にして耐える。そして随分と間延びした俺の体感時間をまともな状態に引き戻してくれる声が聞こえた。

「そうね、それは面白い例えだわ…ありがとう」

 今までも「ありがとう」と彼女に返されたときは背中を向けられていた。今も背中を向けられている。でも、初めて感謝されたと、そう思えた。

「どういたしまして」

 言って、握り拳を解いて、やっと身体の緊張が和らいだ。

 彼女は無言で頷いて、そのままで言葉を紡ぐ。

「あなたには、身体くらいなら許しても良いと思えるわ」

「んなこと女子校通ってる奴が言うんじゃねーよ!?」

 緊張から開放され、どっと疲労を感じる身体に追い討ちをかけるような言葉が飛び出したので、思わず純也に言うような鋭い突っ込みになってしまった。

 身体を元の向きに戻し、ようやくベンチの背もたれに寄りかかった彼女はやはりというか、したり顔で抗議してきた。

「それは偏見ね。女子校の女子なんて彼氏のキスが下手だの下ネタがどうのと教室で平然と話してるのよ?共学の人間が思い描いた幻想を押し付けないでくれる?」

「俺は男子校だったんだ。共学ですらない。教室で集まっては彼方の理想郷を夢想して、結果溺れ死んだんだ」

「ふうん、私のクラスメートは去年男子校の文化祭に行ったらしいけど、男子は馬鹿みたいに楽しそうで羨ましかったって言ってたわ」

 確かにある時は休み時間に誰か勇気ある者が持ってきたエロ本を囲んでお祭り騒ぎ。またある時は英雄と呼ばれし者が持ってきたゲーム機を教室にあるテレビに繋いで大乱闘。楽しくなかったといえば嘘になる。二十五歳の俺から見ても楽しそうに思えるくらいだ。

「そりゃ馬鹿みたいに楽しむしかないからな。それに文化祭は男子校にとっては年に一度の出会いの場。ミルキーウェイって呼んでたぞ?」

「織姫と彦星に怒られるんじゃない?」

「違いない」

 さて、と馬鹿な思い出話も思う存分となんて出来てはいないが、時計を見ればもう戻らなければいけない時間になっていた。純也が居なくなってから約半年、そういえばこんな風に誰かと話をするのは、久しぶりだったなと思う。結果的にだが、俺にとって有意義な時間となった。

「んじゃ、俺はそろそろ戻る。今からでも良いから学校行っとけよ?学校が問題じゃないんだろ?サボった理由」

 痛いところをつかれた。そんなわざとらしい表情を浮かべて彼女は、「そうね」と呟き、「わかったわ」と言って、自分にも言い聞かせるように続けた。

「私、頭の出来が良いことも取り柄だもの、失念していたわ」

「凄い自信だな。でもまぁ、自身が無いよりずっと良い」

 俺も自分に言い聞かせるようにそう返す。

「そういえば一つ訊きたい事がある」

「何?」

 と、すぐに訊き返された。

「何故、俺に愚痴ったんだ?」

「たいしたことじゃないわ。信用できない大人よりは信用できた。ただそれだけの話よ」

 そういうものか、と。彼女の言葉は意外にも腑に落ちた。

「それじゃあ、また縁があったら会えると思うわ」

 踵を返しつつ彼女はそう言って公園から出て行った。

 その背中を見送りつつ俺も、「そうだな」とひとりごちて。彼女が行ったのとは別の道を使って、ゲームセンターへと戻ることにした。

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