一章 1
「悪い!ちょいと遅くなった、今日は品里と絵里子ちゃんの二人で飯食えってよ」
お昼を過ぎた午後二時前、ちらほらと店内に居るお客さんのチェックをしつつ筐体や両替機の確認をしていると、三号機と書かれた帽子を被った八護町さんに、いつもより少し遅かったため、忘れかけていた昼休憩を告げられた。
「あれ?三号さんって水曜日は入ってませんでしたよね?」
「いや、ついさっき都さんに連絡もらってさ。忙しーって、手伝えーって召喚されたんだ」
「大変ですね」
と、同情の言葉を掛けるが、
「そこもここの面白いところだから、まぁ梓(あずさ)だけは耐えられなくて辞めたけどな…、って今はそんなことより昼飯な!そういうことだから絵里子ちゃんにも飯だって伝えてくれ?頼んだぞー!」
そう言うとトイレの方へ走っていった。それを見送りつつ店内を見まわして、霧海さんの姿を捜す。と、言ってもすぐに見つかった。それほど広くない店内のビデオゲームが並ぶ店の奥。バックルームから死角になる位置で、もう見飽きたであろうディスプレイに映し出されているゲームのデモプレイ画面をただぼーっと見つめ、立っていた。
霧海さんの近くまで行き声を掛ける。
「遅いけどお昼の休憩らしい。今日は俺も一緒にと、店長からの伝言だそうだ」
「え、あ、はい。分かりました。ありがとうございます」
と、答えた霧海さんは俺を置いて逃げるようにバックルームへと早足で向かっていった。
行き着く先は変わらないのに、急ぐ必要があるのかと疑問に感じるが、それほど嫌われていると言うことかと納得した。つまりは店長がそこへ一石を投じる為に昼休憩を一緒にしたんだろう。ただ、そんな事で溝が埋まるなら、一ヶ月も足踏みをしていないと思うのだが、そう思いながらも後を追いかけるようにバックルームのドアを開けた。
中では既に霧海さんがそれほど大きくないピンク色の弁当箱を、部屋の中央に置かれたテーブルの上に広げていた。普段は折り畳まれてデスクの横にしまってあるはずのテーブルだ。霧海さんか八護町さんのどちらかが出したのだろう。
「テーブルは霧海さんが?」
「私じゃないです」
即答だった。俺は返事を濁しつつ、ロッカーへ足を向けようとして気がついた。
よく見ると霧海さんはまだ弁当に手をつけていないようで、じっと正面のカーテンの方を見つめて座っていた。どうやら俺が座るのを待っているらしい。ただ霧海さんには悪いのだが、彩り豊かなお弁当箱に、素直に感動して見とれてしまったが故に思考と行動が一致せず、催促という手間を取らせてしまう事となった。
「早くお昼ごはん、準備してもらえますか?」
それで我に帰った俺は、「先、食べてて良いよ」と言ってから、ロッカーを開け昼飯の入った保冷バッグをカバンの底から取り出した。俺も霧海さんと同じようにパイプ椅子をロッカー横から引っ張り出してカーテンで仕切られたスペースを背にしてそこに座ると、テーブルに今日の昼飯を並べた。
「いただきます!」
と手を合わせた霧海さんは、お腹を空かせた獣の如く物凄い箸さばきで、弁当箱に詰まったおかずから食べ始める。
俺はと言うと、申し訳程度に手を合わせて「いただきます」と言った後で、自分の昼飯と霧海さんの弁当箱を見比べて常識的な弁当を少し思い出していた。
霧海さんの弁当と俺の昼飯との差は、月とすっぽんどころではなかった。なにせ俺の昼飯と言えば家で握ったおにぎり四つだけで、しかも形は綺麗な三角じゃないうえに、中身の具材も丼理論で構築された酷いものなのだ。
元々、男の一人暮らしなんて昔からろくなもんじゃないと相場が決まってるが、代表的な食生活なんて想像の通りに酷い。それが今、証明されたのだ。
家で食事するときは茹でたパスタにあえるだけが、レンジで出来るスパゲッティに代わったり。フライパンで作る普通の焼きそばが、お湯を入れていくつかの工程をこなすだけで出来るカップ焼きそばに代わったり。固形のカレールーを肉や野菜と煮込んで出来るものが、レンジで温めるだけのインスタントに代わるのはまだいいが、とりあえずご飯に乗っけてみるようになったのは駄目だった。
いや、初めの頃はハンバーグとかポテトサラダなどのおかずを乗っけては画期的な丼を作ったなとか、これで丼理論の完成だ!とか、自画自賛したりもしていたのだが。レタスやキャベツを乗っけてその上からドレッシング代わりにインスタント味噌汁をかけた時にハッとした。このままだとヤバイなと感じたほどだ。
だが時既に遅し、楽をすることに慣れすぎて見栄えとかどうでもよくなっていた。故に昼飯用のおにぎりがこんなことになり、基本的に一人で食べることになるのでまぁいいかと妥協していたことが、ついに霧海さんの弁当を目の前にして裏目に出たわけだ。
楽する事に固執した後悔を中身が柿ピーのおにぎりと一緒に噛み締めながら、目の前で霧海さんの口へ運ばれていくミートボールを眺めていた。すると、ミートボールを運ぶ手が止まって代わりに言葉を紡ぎだした。
「このミートボールは私のです!あげないですよ?!見るのも辞めてください味が落ちます!ミートボールが私のお弁当の中で唯一の救いなんですよ?わかったら!わからなくても後ろ向いて、無駄に低い位置から放たれる威圧的な眼光を、その残念なおにぎりと一緒にどっかやってください!迷惑です!」
紡ぐとか女子大生だからと表現したのが間違いだった。ただの罵倒だった。よほどミートボールが好きらしい。なら隣のほうれん草をくれ、と言ってやりたかったが念じるだけにして止めた。どうせ同じことだ。なので、彼女の望みどうりに背を向けて無言で語る。
俺の背が低いんじゃなくて君の背が高すぎるんだ、と。
俺が約百六十七センチに対して霧海さんの背は百八十センチくらいだろうか?ただでさえ俺は高校が男子校だったこともあり、周りが男ばかりで小さいことが悪目立ちしていたのに、社会に出ても変わらずこんな扱いだ。神とかそういう存在が決めているなら怨む。そう天を仰いでみたが、そこに広がるのは薄汚れたコンクリートで出来たゲームセンターバックルームの天井だった。
おにぎりを咀嚼していた口が止まる。ふと疑問に思った。
そういえば何故誰も中に居ないはずなのに、ただでさえ狭い部屋をカーテンが分断しているのだろうか?気になって手をカーテンへと伸ばそうとした。
「あの!」
突然の呼びかけに思わず振り返る。と、そこには勇気を振り絞るかのような、言葉を選んでいるかのような、俯き加減の霧海さんが居た。
「ん?何?」
伸ばしかけた手を引っ込め、そう訊きつつ改めて霧海さんの方を向いて座った。
「あの…ほうれん草、半分でいいんで食べてもらっても、良いですか?」
なんと、念じてみるものである。そして今までに見たことのない恥じらいを含んだ可愛さだ。これが純也の言っていたギャップ萌えというやつか?と、新たなる概念を目の当たりにした感動に身を任せて、
「良いよ」
即答すると、霧海さんは自分の弁当箱の蓋にほうれん草のお浸しを半分、乗せてくれた。ただ、困った事に俺はおにぎりなので箸を持ってきていない。貸してくれとも、あーんしてくれとも言えないので、少し行儀が悪いが気を使わせてしまう前に指で摘んで口へ放り込んだ。
よく噛んでから飲みこんで、「おいしい」と慣れない感想を言うと、
「よかった、ありがとうございます」
そうお礼の言葉で返ってくる。が、食べてくれてなのか、美味しいという感想についてなのか、どちらの意味かはわからなかった。いや、そんなことはないな、わかる。簡単だ。勇気を振り絞るようにわざわざ声を上げて頼んだのだから、前者だろう。恥じる心を隠そうとすれば、声は自然と大きくなるからな。
「どういたしまして」
故にそう返事をしてから、おにぎりを齧った。
「そういえばなんですけど、都さんのやってるゲームって面白いんですか?えっと、仕事終わりに品里さんもたまにやっているみたいなので、面白いのかな?と思いまして」
これは驚き桃の木である。まだ会話が続くとは思っていなかった。そういえば、さっきもデモプレイをずっと見ていたなと思い出す。それから昼飯を食べながらでも時間はそれほど掛からないだろうし、良いか。と、会話を続けることにした。
「格闘ロボット大戦、俺は面白いと思ってるよ。店長もそうだと思う。ロボットを自分で操れるのはもちろんそうだけど、リアル寄りの戦闘が好みなんだ」
「リアル…ってどの辺がですか?」
「そうだな…ロボットのパーツが外れて防御力が下がる代わりにスピードが上がったり、武装の弾数が決まってるから使い切ったら遠距離での攻撃手段が無くなったり、燃料切れを起こすこともあって、そうなるとその場から動けなくなるって言うのは現実っぽいだろ?さらに弾切れや燃料切れを装った戦い方も出来たりする。それを気にして戦う緊張感が面白いと思うし、カッコよくないか?」
「はぁー確かに…」
と、ロマンと呼べる代物を畳み掛けられたからか、少し引き気味に弱めの同意をよこして、会話が途切れた。
やはり理解は得られないか。と、わかっていた事に落胆しつつ、沈黙という魚がバックルームを泳いでいる内に二個目の丼握りを食べないとと思い、齧る。中身の具は朝も食べたドライフルーツ入りのグラノーラで、合うかと言われるとイマイチだった。
あと二つのおにぎりの中身は何にしたかな?と思い出している途中で、沈黙が破られ会話が再開された。
「仕事終わったら、ちょっとやってみようと思うので軽くルールを教えてください」
先ほどの反応とは裏腹に、意外と面白さが伝わっていたらしい。良かった。
さて、ルールだったな。と、簡単に頭の中でまとめてから説明を始める。
「えっと、基本的に一対一で戦う3D格闘ゲームだ。ルールは相手のロボットをとにかくボコボコにして戦果ポイントを一定以上貯めれば勝ちになる。戦果ポイントの貯め方は、相手のロボットを倒すたびに倒し方に応じて設定されたポイントが手に入る仕組みだ。遠距離武器の銃とかで倒したなら百五十ポイント、近接武器の剣とかで倒したなら三百ポイントで、無傷で相手を倒したときには更に二百ポイントが貰える。
ちなみに戦果ポイントのノルマは、一瞬で決着のつく一騎打ちモードが三百ポイント。安定した戦い方が求められるスタンダードモードは六百ポイント。最後に二対二のチーム力も必要になるタッグマッチモードが千二百ポイントで勝利になる」
軽くルールを説明していて、ふと気になったので訊いてみた。
「そういえば霧海さんってゲームに触るのは初めて?」
「えーっと。昔、兄の友達の家で悪魔とお話して戦うやつとか、おじさんが亀から姫を救うやつとか、あとカメラでお化けを退治するのとかもやりました」
随分とマニアックなところもやっているなと思う。俺も他人のことは言えないが、節操無く古今東西あらゆるゲームをやっていた純也ほど、色々なジャンルのゲームはやっていない。せいぜい横スクロールアクションと3Dアクション、それとロールプレイングくらいだ。つまり霧海さんと殆ど変わりない。
「なら大丈夫だ、それほど苦戦はしないと思うよ。ただアーケードゲームはコントローラーが特殊だからな。そこだけは慣れるまで辛いだろうから、最初は一人用モードで操作に慣れるといい」
「そこは頑張ります!」
良い返事だ。それに今までに無いくらい打ち解けられている様に感じる。なので、もう少し話を広げる事にした。
「そういやさっきデモプレイ見てたみたいだが、気になったロボットとかはいたか?」
「そうですねー…えーっと」
そう言って考え込んでしまった。
再度の沈黙。だが俺は焦る事はせず、シリアル握りを口に入れて頬張ると、三つ目のおにぎりに手をかける。これは齧って中身を確かめるまでも無かった。アルミホイルを外した途端に、インスタントラーメンのお湯注ぐだけのやつが砕かれて、混ぜご飯にされ握られていたのだ。
口に詰め込まれたおにぎりを少し無理して飲み込んで、ラーメン握りを食べてみる。それは予想通りに美味かった。これは成功だな。そう記憶に刻んだところで霧海さんが口を開いた。
「あれですね。線が細くて、赤くて、腕で相手を掴むと波動が出るやつがカッコよかったです」
それなりに悩んだ結果、霧海さんの言った機体は、俺が一番好きなロボットだった。だから、嬉しくてついつい返しにも熱が入ったのは必然と言える。
「あれか、カッコいいよな!あと今は居ないんだが、そのロボットって後継機があったんだよ。羽が生えて空も飛べて腕が伸びるようになって機動力も上がったやつが!まぁ燃費の悪さとか耐久力の低さが気にならないくらい強かったんで、今のバージョン、3になる時に、その後継機だけなくなっちゃったんだけどな」
「ごちそうさま…。そうなんですね。えっと、ありがとうございます、色々と教えていただいて」
いつの間にか霧海さんは綺麗に弁当箱を空にしていた。
どういたしまして。またそう俺が返している間も、霧海さんはどこか落ち着かないという感じで、少しだけ早送りをしているようなスピードで、弁当箱を綺麗に包むとバッグへとしまう。そして代わりに栞の挟まった文庫本を取り出して読み始めた。
俺は止まっていた手を動かし、無言でおにぎりの咀嚼を再開した。意外なことに最後の中身は梅干だった。自分で作ったので意外も何も無いはずなんだが、なんとなく得した気分になる。
目の前で文庫本に視線を落とし、集中して読んでいるのか微動だにしない霧海さんを横目に盗み見て考える。今日のお昼のやり取りで霧海さんは案外話せる人なんだと思った。思い返してみれば今まで、休憩時間とかを含めても霧海さんと二人きりになることが無かったはずだ。
なら仕方がない。口が悪く聞こえるのも、警戒心なんだろう。ある程度の経験をしてきた女性から見たら、年上の男なんてものは警戒するべきものに映るのは当たり前のことかもしれないからだ。
最後のおにぎりを食べ終え、テーブルに残ったアルミホイル四つをくしゃっと一つに丸めて、音をなるべくたてないように立ち上がる。
霧海さんの後ろ、モニター群が置いてある机の下のスペースに、段ボール箱にゴミ袋を入れただけのゴミ箱があるので、そこまで行って丸めたアルミホイルを捨てた。
バックルームを出て店内のうるさいくらいのBGMが、そんなに時間が経っているわけでもないのに久しぶりに聴いたように感じられる。
霧海さんへの考え方を改めよう。もちろん、どんな意図があったにせよ。この昼休憩を提供してくれた店長への考え方もだ。
全然話したことが無いのに、相手のことをよく知りもしないのに、悪評をつけるのはやめようと思う。思い込みが良い結果を生むことは正直言って少ない。これも会社勤めだった頃の上司に言われたことだった。
「その通りだな」と、ひとりごちてトイレで用を足しバックルームに戻ると昼休憩がちょうど終わる所だった。
そしてその頃にはバックルームの閉められたままになっていたカーテンの中身の事は、どうでもよくなっていた。
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