「聖人」と「聖人の騎士」

第12話 誘い

 シャルケ王国の北の果て。


 春には野花に、夏には木陰に、秋には動物達に、冬にはかまくらに灯された火に誘われれば小さな村に辿り着く。


 その小さな村の小さな門をくぐれば澄んだ小川と青々とした葉が茂る田畑が広がり、村の中心にそびえる大きな木は来村を歓迎するかのようにその枝葉を揺らすのだ。


「よしっシロ、今日はこれくらいで帰ろう」

⋯⋯わかった。ジョージ背中に乗って⋯⋯


 ジョージが手にした籠にはグミの実、クワの実が詰まっている。今日は珍しくヤマモモの実が見つかった。

 不思議な事にこの山は季節関係なく色々な木の実が見つかるのだ。以前どうしてなのか母親に聞いたことがあるが「世界樹のおかげじゃないかしら?」と彼女は深く考えたことがないとケラケラ笑っていた。


「でもね、ジョージ。世界からもたらされる恵は無限ではないのよ。必要な時に必要な分。それを守らなければ恵は無くなってしまうの」


 いつも母親はそう言っていた。だからジョージは必要な時に必要な分だけを採取する。


 今回はジャムを作るのだ。

 村の最長老マーサがジャムがなくなってしまったと母親に話しているのを聞いたジョージはそれなら自分が採ってくると山へ入ったのだった。


⋯⋯さあ帰ろう⋯⋯


 シロは背中にジョージが飛び乗るとすぐさま走り出した。

 木々が延々と続く中をシロは走る。随分と奥に来てしまっていたものだ。


 たしっ。


 シロは谷を飛び越える。


 パシャ。


 シロは川を飛び越える。


「楽しそうだねシロ」

⋯⋯うん。ボク、ジョージと走るの好き⋯⋯

「走ってるのはシロだけどね」

⋯⋯ボク走るの好き⋯⋯


 飛ぶようにシロは走る。本当は空を飛べるけれど大地を走るのが好きなのだ。


 ジョージはシロの真っ白な背中に顔を埋め、その日向の匂いにうとうとし始めた。



⋯⋯ジョージ起きて村に着くよ⋯⋯


 コクリコクリとしていたジョージがはっと目を覚ます。

 村の入り口が見える崖に立っていたシロは「飛ぶよ」とその崖から飛び立った。


「ひゃーっ! やっぱり気持ちいいな!」

⋯⋯ボクのお仕事するね⋯⋯


 そう言ったシロは「ウォォォオン!」と咆哮を上げる。

 その咆哮に呼応して世界樹が白金に輝く。この白金の光は聖なる結界。

 シロは聖獣。世界樹と共にこの村を護っているのだ。


「あ! 父さん!」


 世界樹に降り立ったシロから飛び降りてジョージは父親の元へと駆け寄って行く。


「お帰り父さん」

「ただいまジョージ、シロ。ほら、王都のおじさん達からだ」

「あ、これハイデンおじさんのビスケットだ。こっちのはフィールおじさんの本。それと、あははっ騎士団バッヂだ。ゲルガーおじさん良いのかなこんなのくれちゃって⋯⋯これは?」


 ハイデン、フィール、ゲルガーは両親の友人だ。

 父親はたまに王都に出かけては彼らと会っている。その度にジョージへの土産を持たされているそうだ。

 ジョージも彼らの事は良く知っている。貴族なのに気の良いおじさん達。

 おじさん達がいつもくれるお土産。それはジョージを喜ばせる品々だった。ハイデンは公爵家の名物ビスケットを毎回くれるし、フィールはジョージが楽しめる本をくれる。ゲルガーは騎士団のノベルティをくれるがこれは横流しではないのかと毎回心配になる。


 そして、今回は一人分多くあるのだ。


 取り出してみればそれは筆記用具とノート。

 王家の紋章「ホーク」が刻印された立派な万年筆と書き込むのがもったいない程に真っ白な上質紙のノートが数冊だ。


「それはクリストファー陛下からだよ」

「クリストファー⋯⋯陛下」


 何度か母親を訪ねて来ていた記憶が薄っすらとジョージにある。

 初めて会ったは二歳くらいの時。よく覚えていないが寂しそうな瞳をした綺麗な男の人だった。次に会った時に国王陛下だと教えられ、こんな辺鄙な村に住む両親がこの国の王様とどうして知り合いなのかとジョージは驚いた。しかもあの時寂しそうだった瞳には強い意志が光っていたのだ。


⋯⋯本当だクリストファーの匂いがする⋯⋯

「シロ、クリストファー陛下ってどんな人?」

⋯⋯優しい。強い。ボク大好きだよ⋯⋯

「そうなんだ。僕あんまり覚えてないんだ」


 この国の王様、クリストファー陛下。

 アレンに付いて王都や村や町に行った先での噂ではとても厳しい人だと聞こえている。

 この国では年に一度、王宮から監査員がやって来て店や村や町の事を調べて行くのだそうだ。

 そこで是正可能な不備が見つかれば改善の指導が入り是正不可能なまでの不備は「不正」とみなされ、クリストファー陛下が自ら足を運ぶのだと言う。

 クリストファー陛下が来るまでの不正はそう有ることではないらしいが、ある町では領主をはじめ町長、議員が丸ごと入れ替わったらしい。


「あ! そうだ僕これからマーサばあちゃんの所へ行くんだ。父さんこれ僕の部屋に置いておいて」

「遅くなるなよ。今日はこれからお客さんが来るんだから」

「お客さん? 分かった。木の実を渡したらすぐ帰るよ。シロ、行こう」


 家とマーサの家の分かれ道でアレンと分かれたジョージは村を駆ける。

 ジョージは優しい空気に満たされ、穏やかな時間が過ぎるこの村が大好きだ。


 十三年前まではこの村が「咎人の村」と呼ばれていた事は母親から教えられている。

 咎人とは、悪い事をした人の事。そう聞かされた幼いジョージは母親もアレンも悪い事をしたのかと大泣きしたものだ。


「何が悪い事なのか。それはジョージが自分で見て考えて判断するもの。でもね、私とアレンは貴方に顔向けできないような事は一切していないし、これからも絶対にしない。これだけは覚えていてくれないかしら」


 普段の母親は陽気でのんびりした人なのに時々難しい事をジョージに諭した。

 その時は意味が分からず、アレンやマーサ、村の人たちに村の成り立ちを聞いて回ったが誰もが「自分で知ってジョージが判断しなさい」と答えた。


 何故、村が「咎人の村」と呼ばれていたのかを知ったのはこっそり一度だけ王都へ一人で出かけた時。これは両親にも村の人にも内緒。それを知るのはシロと世界樹のみだ。


 ジョージは「聖女のゲート」を通りドキドキしながら入った図書館で「シャルケ王国記」の文字を見つけて夢中で調べた。

 そして得た村の成り立ち。村は冤罪をかけられた人達が流された地。

 母親も父親も村の人達も悪い事をした訳ではなかった。


 貴族に冤罪をかけられ両親と村人達はこの村に流された。

 その真実にジョージが受けた感情は「安心」だった。


 貴族への負の感情。それが全くなかったとは言えないが、そこに記されていたハイデン、フィール、ゲルガー。そしてクリストファーの名前。彼らは貴族の中でも高位の身分。その彼らが母親とアレンを助けてくれたのだ。

 貴族の中には自分たちのように身分がない者を蔑む者がいる。同時に身分がない者を守る者もいる。

 

 冤罪を平民にかけた貴族は貴族である事、貴族だから蔑む事は当たり前。それが正義だった。

 冤罪を晴らしてくれた貴族は貴族である事、貴族だから守る事は当たり前。それが正義だった。


 正義とは見る角度によって変化するのだ。

 それがジョージが得た答え。


⋯⋯ジョージ、楽しそう⋯⋯

「楽しいよ! 僕、この村が大好きなんだ」

⋯⋯ボクも、大好き⋯⋯


 マーサの家は畑の先。

 

「マーサばあちゃん、採ってきたよ!」


 ジョージとシロは元気良く畑を駆け抜けた。




「やっぱりまだ抵抗あるんですね──んー? 美味しいのに。薬湯茶はあったまっていいと⋯⋯あれ? なんだかこのやりとり懐かしいです」


 「クッキーと一緒にどうぞ」と出した毒々しい緑色の薬湯茶はやはり青臭い匂いがキツいらしい。

 どうしてもその匂いが鼻に付いて口へと持って行くのを躊躇するのだと彼は言う。


「あれから十年だ。君は本当に、変わらないな」

「クリストファー様は⋯⋯あ、陛下ですね。なんか益々立派になられました」


 「この場で陛下はいらない」と笑う彼はこの国の国王クリストファー。

 十三年前に即位してから数々の改革を進め、今では厳しい国王だと噂されるようになっている。


「もうっジョージったらまだ帰って来ないの?」

「お客さんが来るから遅くなるなと伝えたんだが、多分マーサさんを手伝っているんだろう」

「それなら仕方ないわね。ごめんなさいクリストファー様、もう少しお待ちくださいね」


 国王を待たせるとはジョージは大物になるとクリストファーが笑う。

 それは嫌味ではなく親愛からの言葉。

 

「⋯⋯マリア、アレン。ジョージの答えが最優先だが、君達の気持ちを聞いておきたい」


 クリストファーが村に訪れたのはジョージの事。

 真面目な表情で切り出したクリストファーにマリアは吹き出してからコホンと佇まいを正した。


「私もアレンもジョージが決めたのなら送り出します。確かに、私は王都と貴族に積極的に関わりたいとは思っていません。けれどジョージが選んだ道ならば私は親として「聖女」として尊重します」


 マリアと同じ考えだとアレンも頷く。


「ただいまーっ! 母さんコレ、マーサばあちゃんからジャム。今日はヤマモモが見つかったんだ!」


 良い家族だ。クリストファーが「分かった」と手にしていた湯呑みを置くと同時にジョージとシロが飛び込んできた。


⋯⋯やっぱりクリストファーだ! クリストファーだ!⋯⋯

「やあ、シロ。元気だったか?」

⋯⋯ボク、元気。クリストファーの匂い、したからボクソワソワしてた⋯⋯


 シロがクリストファーに擦り寄り尻尾を振る。

 そのシロを優しく撫でるクリストファーをじっと見つめるジョージのポカンとしたその表情はマリアによく似ているとクリストファーが笑った。


「ジョージ、大きくなったな」

「クリストファー⋯⋯陛下?」


 「そうだ」と笑うクリストファーに噂のような怖さはない。記憶の中の寂しそうな瞳もない。

 その瞳はとても優しい。


 どうして。なんで。立ち尽くすジョージに「ご挨拶しなさい」とアレンに窘められてピンと背筋を伸ばすジョージはアレンに良く似ている。


「いくつになった?」

「十五⋯⋯歳、です」

「そうか⋯⋯マリア、アレン。話をしても良いだろうか」

「はい。ジョージ、こっちへ座りなさい」


 訳もわからずジョージは両親の間に座らされ、さっきまで自分にひっついていたシロはクリストファーにくっついている。シロのその尻尾はずっと振られていてそれが何だか悔しい。


「ジョージ、王都で学んでみないか?」

「えっ!?」

「無理にとは言わない。もし、君が学びたいと思うのなら王都に来てみないか?」


 村で生まれ、村で生きる。それも悪い生き方ではない。

 しかし、学べる機会があるのなら、学びたい気持ちがあるのなら王都の学園に通わないか。

 そうクリストファーは語る。


「ジョージ、君は「聖なる力」を知っているか?」

「⋯⋯聖なる、力⋯⋯はい」

「では、「聖女」は?」

「⋯⋯それは」


 ジョージがマリアを見ると少しだけ口を尖らせわざとらしくヒューヒューと鳴らされた。

 あれは口笛を吹いているつもりなのだろうがマリアが上手に吹けた事はない。


「母さんが「聖女」だと。シロは母さんの聖獣でこの村の世界樹も母さんの木。でも、だからって⋯⋯「聖女」の子供だから、僕を王都の学園に通わせるんですか?」


 マリアが王都の学園でどんな目に遭っていたかジョージは知っている。

 貴族のおじさん達とクリストファーとどう出会ったのか、何があったのか。

 何故、マリアがこの村に来たのかを。


「ジョージ、君は自分の中に眠るその力を抑え続けられると思っているのか? その力について学び、知りたいとは思わないだろうか」

「何で⋯⋯それ、を」

「いつ、「聖なる力」に気付いた?」

「それは⋯⋯」


 ジョージはポツリポツリと語り始めた。



 ジョージが自分の中にある「聖なる力」の存在を知ったのは五歳の時。


 森で瀕死の兎を見つけ家に連れ帰った日。

 大きければ山の恵みだと思ったのだろうがまだ小さな子供の兎を助けたいとジョージはマリアにお願いした。

 けれどマリアは「命は自然の理の一つ。こんなに弱っていては助けられないの。せめてジョージが見送ってあげて」そう言った。

 マリアはこれまで傷も病気も治してきたじゃないかと初めてジョージは「聖女」の力を使って欲しいとねだった。

 それなのにマリアは頑なに首を振りせめて安らかに逝けるよう自分も一緒に看取ると兎を抱くジョージを抱いてくれた。

 「頑張れ、頑張れ」何度も声をかけるジョージの声をマリアもじっと聞きながら心の中で「ごめんね」と声をかけ続けていた。

 兎の寿命。これは変えることができない。ほんの少しだけ治癒によって伸びる事はあっても命の理は決して違ってはならないのだ。


 やがて夜が明け部屋に陽の光が差し込んだ時だった。


 ジョージの手の平が白金に輝いた。その光は兎を包み、その傷を癒していったのだ。

 「僕、兎さん治せた!」

 ジョージは喜びに振り返ったがマリアはジョージの手の平を見つめ唖然としていた。


 陽が上りきり、ジョージはその兎を山へ返すのだとシロと出かけた。

 しかし、ジョージはすぐに泣きながら動かなくなった兎を抱いて戻って来た。

 山へ着き、放した兎が数歩進んだ所でパタリと倒れそのまま動かなくなってしまったのだ。


「僕の魔法、兎さん、治せなかった」

「兎さんは寿命だったのよ。ジョージの力は素敵な力。けれど知らなくてはならない事が沢山あるの」


 だから、その力をどうしたいかジョージが決めたい時に決めれば良い。

 マリアの言葉にジョージは自分の不思議な魔法を封印した。


 あれから十年。ジョージは自分の中の「聖なる力」の存在を感じつつも一切使う事なく過ごして来た。

 知りたいと思った事もある。けれどそれを知ってしまう事が怖かった。


 それは「聖女」である母親マリアを悲しませる事だと思っていたから。

 マリアは「聖女」だった為に王都の学園で虐められた。冤罪をかけられた。その記憶を呼び覚まさせてしまうかも知れない。ジョージに「聖なる力」がある事はマリアも知っているだろう。だからこそ心配をかけたくない、不安にさせたくないのだ。



「だから、僕は知らない方がいいんだ。使わない方がいいんだ」

「やだウチの子良い子過ぎない!?」

「マリア⋯⋯ちゃんとジョージに伝えてあげなさい」

「私も⋯⋯そう思う」


 泣きたいのを我慢して俯くジョージにケラケラとマリアは笑う。

 どうしてマリアは他人を思いやれるのに自分自身を思いやる気持ちに鈍感なのか。

 それは彼女が「聖女」だから。


「ありがとうジョージ。確かに私は王都も貴族も好きではないわね。でもね、学園での思い出はそんな嫌な事ばかりじゃないわよ。貴方はゲルガー様達の事は嫌い?」

「⋯⋯好き」

「じゃあクリストファー様は、好き?」

「⋯⋯好き⋯⋯優しい人だと思うから」

「私も好きよ。ゲルガー様もフィール様もハイデン様も。クリストファー様も。彼らが居たから私は「聖女」でいられたし、今も「聖女」なの」

「母さんは「聖女」のせいで辛かったんじゃないの?」

「全然。とは言えないけど、みんなが居てくれた。冤罪のおかげっていうのも癪だけどそれがあったからアレンと出会ってジョージが生まれたのよ」


 良い事言った風にズズっとマリアが薬湯茶を飲む。それは壊れた街を「聖女」の力で復活させたあの日の朝と同じスッキリとした表情だった。

 

「あっはっはは! マリアは相変わらずだ」

「お褒めにあずかり光栄です。クリストファー様がそんな風に笑うのは意外ですが」

「そう? 私だって笑う事もあるさ。さて、私は帰るよ。ありがとうマリア、アレン。ジョージ、この話は命令ではない。マリアとアレンは君が選ぶ道を尊重すると言った。私もそれに倣う」

「クリストファー陛下⋯⋯」


 クリストファーを送るとアレンも席を立つとシロもその後に付く。


「そうだ、マーサさんに挨拶をしたいな」

⋯⋯マーサ元気。さあ、乗って⋯⋯

「おい、こらっシロ! 自分で歩ける」


 ヒョイっとクリストファーを背中に乗せたシロは「行くよ」と駆け出した。

 「うわっあ! こら! シロ! 手加減しろ」クリストファーの叫び声が遠ざかる。やれやれとアレンが「送ってくる」と出かけて家にはマリアとジョージの二人。


「ねえ、ジョージ。クリストファー様に言わなくちゃいけない事、あるよね?」

「あ! 筆記用具とノート! 母さん、僕も行ってくる」

「はい。帰ったら夕飯にしましょう」


 自分はどうしたら良いか分からない。いや、本当は分かっている。


 ジョージはクリストファーを追って村を駆けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る