第11話 悪役令嬢に断罪された聖女と婚約破棄された王子様


 王都から北に一週間

 森を抜け、谷を越え、いくつかの山を超えると小さな村が現れる。

 春には野花が、夏には木陰が、秋には動物達が、冬にはかまくらに灯された火がその村へと誘う。


 小さな村の門をくぐれば澄んだ小川が流れ、青々と葉が茂る田畑が広がる。

 その村は可愛らしい家が立ち並び、往来する人々は生き生きとしている。



 「聖女」のゲートをくぐり、クリストファーが長閑なこの村を訪れたのは三年ぶりになる。


 あれから上位貴族達の不正が「冤罪」だけではなく、不当な重税を地方へ掛けその差額を横領し、私腹を肥やしていた事が次々と明らかになった。

 国民に開かれた政治を掲げるクリストファー達はそれを正す為に組織変更と後始末に追われた三年だった。


「おや? まあ! クリストファー様じゃないですか。あらやだ、今は「国王陛下」ですね」


 収穫した野菜を乗せた籠を抱え朗らかに笑う老婆は以前クリストファーに料理を教えてくれた。

 料理と言っても簡単なスープだが今でもクリストファーはたまに王宮の台所に立ち、城で働く者達に振る舞っている。

 そのスープはいつしか「おばばのスープ」と名付けられた。


「お久しぶりです。お身体は⋯⋯いかがですか?」

「歳には抗えないね。それ以外は見ての通りさ」


 籠を上下する袖口から覗く老婆の手首にはもう「咎人の烙印」は無い。

 目を細めたクリストファーに老婆はニンマリと笑みを返して頷いた。



 騒動の後、「咎人の村」は廃止され村人達は王都や故郷へ帰る者、村に残る者と分かれた。


 マリアには王都再建の功績を称え爵位を授け「聖女」として王都に留まってもらえるよう前国王が打診したが首を縦に振らず村へ帰ると断られてしまった。


「折角のご厚意は有り難いのですが私には身に余り過ぎます」


 「聖女」として当然の事だとマリアは笑ったのだからそれ以上強くは願えなかった。


「村に帰らせていただくその代わりに⋯⋯は、ならないかも知れませんが、私の「聖女」のゲートは村と繋いでおきますね」


 王都での思い出はあまり良いものはなく、貴族と関わりたく無いと言っていたマリアの最大限の譲歩だったのだろう。

 王都に帰る村人がいつでも村へ来れるようにゲートを残すと言ってくれた。最後の最後まで自分の事は後回し。「他者優先」だった。


 その王都と村を繋ぐ聖女のゲートは民家からライラ達が「聖女の泉」と呼んでいた場所に移し、国民に広く開放された。

 ゲートを使い村と王都の行き来が盛んになると村の流刑の地としての色は消え去った。



「相変わらず薬湯茶は苦手ですか?美味しいのに。あったまっていいんですよ」


 「苦いから甘いクッキーと一緒にどうぞ」と懐かしいやり取り。


「あれから三年だ。君は変わらないな」

「クリストファー様は、逞しくなられました。やっと本来のクリストファー様を取り戻した感じですね」

「私は、一人ではないからな⋯⋯」


 三年前、マリアに助けを求めた時と同じ。薬湯茶もクッキーも変わらない。

 マリアの隣にはアレン。

 アレンは騎士団への復帰をゲルガーとライオス騎士団長に熱望されたが「家族を守るのも騎士の務めだ」と断った。その代わり、たまに騎士団の稽古相手を受けてくれている。

 当時マリアに抱かれていたジョージは五歳になり村を駆け回っている。

 良い事か悪い事か、ジョージに「聖女」の力が現れたと言う。「男の子だから「聖人」ですね」と複雑な笑いを浮かべマリアは走り回る我が子を眺めた。

 「いつかは王都へ学びに出すかも知れません」と言いながらもジョージの将来をジョージ自身が選ぶまで力の事は話さないでいると言う。


「クリストファー様、マリア。夕飯の買い出しに行ってくる」

「そう?ありがとう。今日はシチューにしましょう」


 籠を持ちシロと村中を走り回っているジョージを呼び寄せてアレンはクリストファーに向けて頷いた。

 「マリアに「察してくれ」は通用しません」

 そう言われた気がしてクリストファーは頷き返した。


 カタンと席を立ったマリアが緑茶を淹れてクリストファーの前に置くと甘味のある香りが広がる。

 聞きたい事、確認したい事が有るのだろうと察しているがマリアは微笑みを崩さない。


「そろそろいらっしゃると思っていました」



 あの日。ライラ達を断罪した日。

 あの時の「ある言葉」はクリストファーの心にずっと刺さったままだった。


 裁かれたライラは西の果てにある修道院に送られた。豪華なドレスも豊かな食事もない質素な生活に「ヒロインは断罪されるもの悪役令嬢は幸せになるべきなの」と意味の分からない事を喚いては癇癪を起こしていると言う。

 「ライラ様の物語はライラ様がヒロインなのだから物語通りではないですか?」とはマリアの論だ。


 カイザー王国へ帰されたジルベルトは彼の中に深く根を張った選民意識は簡単に変えられるものではなく、市井で問題を起こし過ぎた結果、カイザー国王により幽閉された。

 

 アーチハルトも北の離宮で幽閉されている。殊勝な手紙を寄越してくるわりに面と向かうとクリストファーへ悪態を吐くのだから彼もまた簡単には変わらない。


 断罪された彼らにマリアはあの時「ある言葉」を投げかけていたのだ。

 いつも笑顔を絶やさず明るく前向きな彼女から発せられたその言葉は「聖女」マリアではなく、初めて「マリア」に触れられたとさえ思えた。


「私達がマリアを「聖女」にさせていたのだな」


 しみじみとクリストファーは視線を緑茶に落として呟いた。


 いつかのマリアは言っていた。


──あのですね。「聖女」の力って自分の為には使えないんですよ。常に他者優先なんです。自分の為に使うと「聖女」ではなくなるんです。

他者の為の「聖女」の力を「聖女」は使わせてもらっているんです。だから「聖女」なんですよ──


 マリアは我慢していた、耐えていた。

 何を言われても何をされても笑顔だったのは「聖女」でいる為。ドレスを作ってくれたおばあちゃんの為、家族の為、友人の為、⋯⋯「聖女」の力の為。

 マリアは「聖女」の力を持っただけの、ただの少女だったのだ。


「ザマアミロ」


 はっとしてクリストファーはマリアを見た。

 「ザマアミロ」とは酷い言い方だがマリアも「ただの人」なのだと分かっていたのに漸く納得した。

 「やっと分かりましたか?」とあの時とは違い楽しげに言い放つマリアに思わず吹き出す。


「あっ失礼ですね」

「すまない。あまりにも楽しそうに言うものだからつい、な」


 マリアは「聖女」だ。それ以前にただの人。心ない言葉を受ければ傷付くし涙する。

 マリアの為だと貴族目線で虐め、「偽聖女」だと断罪したライラ達に断罪返しをと、ずっと願っていた。「聖女」の力は自分の為には使えない。

 

 だからクリストファーにかけた。クリストファー達ならマリアを「聖女」であり続けさせてくれると信じていた。


「教会の「聖女」教育で教えてもらいました。黒き「聖女」、アメジストさんは「聖女」の成れの果てなんです。自分の為に「聖女」の力を使って魔に落ちた」


 シャルケ王国に伝わる黒き「聖女」の伝説の真実は「聖女」にだけ継承される。それは伝わるものとは違っていた。


 遥か昔、西の果てにある不浄の山は流刑の地だった。

 「聖女」アメジストはマリアのように「偽聖女」だと不浄の山へと流された一人。自由、尊厳、全てを奪われたアメジストはシャルケ王国へ復讐する為に「聖女」の力で罪人達を唆し村を襲わせ町を襲わせた。

 「聖女」の力で若返らせる事や人の形を変える事は禁忌。「聖女」の力で利益を得たアメジストは「聖女」ではなくなった。

 そうしてアメジストは魔に落ち、神の怒りを買い不浄の山に封印された。

 その封印の鍵が「アメジストのペンダント」。

 ジルベルトとアーチハルトがアメジストの石を持ち出した事で彼女は不浄の山から出られたのだった。


「アメジストさんは石を取り戻すだけでなく、シャルケ王国を滅ぼすつもりだったのでしょうね。

それなのにまた自ら封印の地へ戻られたのはクリストファー様に出会ったからですよ」

「私に?」

「アメジストさんが「偽聖女」だと断罪された時、唯一庇い、信じてくれたのがクリストファー様の遠いご先祖様だったんですよ。しかも! 瓜二つ!」


 人差し指と中指を立てクリストファーに突き出したマリアはケラケラと笑う。


「アメジストのペンダントはその人からプレゼントされたものだそうです」


 魔に落ちても大切にしているアメジストの石は今でも黒き「聖女」を守り、封印している器。


『私は人間を許さない。私は「貴方」を許す』


 アメジストの言葉。

 あの時は自分の命を捧げる覚悟が届いたと思っていたが、黒き「聖女」アメジストは受け入れたクリストファーに瓜二つだと言う先祖を見たのだろう。


「そうか、許されたのは私では無いのか」

「クリストファー様も許されたのですよ。だからアメジストさんはクリストファー様の為に自らまた封印されたんですから」


 魔導士の話ではこの三年で不浄の山の魔障が治まって来ていると言う。麓に広がる枯れ木の森に緑が芽生え青黒い山肌も僅かに色付き始めていた。

 それはつまり、黒き「聖女」が永い眠りについたと言う事。


「アメジストさん、クリストファー様を王子様の生まれ変わりだと思ったんでしょうね」


 クリストファーも「偽聖女」だと断罪されたマリアを最後まで信じた。マリアもクリストファーの為に「聖女」であり続けた。


「私はクリストファー様達に救われました。「聖女」としてあり続けさせてくれた。でなければ⋯⋯私もアメジストさんと同じになっていたかも知れません」


 マリアはただの人だ。恨み辛み、嫉妬、羨望を持ち、落ち込み、傷付く。

 「聖女」だからと疎み、平民だからと馬鹿にしたライラを恨んだ。ジルベルトもアーチハルトにも上辺だけを崇める愚かさを恨んだ。貴族を恨んだ。人を恨んだ。国を恨んだ。

「咎人の村」の人々も気持ちはマリアと同じだった。

 マリアがアメジストと同じに魔に落ち、次の黒き「聖女」マリアになってもおかしくはなかった。

 それを踏みとどまらせたのはクリストファー達。


「ありがとうございます」


 いつもの笑顔なのに清々しさが含まれる最高の笑顔でこれ以外の言葉は必要ない感謝の言葉。


 あの時の「ザマアミロ」はマリアを魔に落とそうとした全てに対しての勝利宣言。


「こんな私でも誰かの役に立てたのだな」

「これからもっと役に立ってもらいますよ。クリストファー様は国王陛下。この国をより良い方向へ導く責任があるのですから。

でも⋯⋯私達の顔色を伺い過ぎないでください」


 クリストファーの理想は綺麗事だと笑われるものだ。人それぞれに信じる正義は違う。全員が右へ倣う事はないに等しい。反発する者を無理やり向かせる事も時には必要になる。それでもクリストファーは自身の正義を振り翳す覚悟で国王になった。


「肝に銘じるよ」


 最後の緑茶を飲み干したクリストファーの耳に呼ぶ声が届いた。

「フィール様、ハイデン様、ゲルガー様です」と窓を開けたマリアの肩越から見えるのはシロに先導された三人とアレンとジョージ。


 手を振る三人にマリアとクリストファーも手を振り返した。



「クリストファー王朝は開かれた政治を行い、この国の基本となる監査制度を導入しました。

導入時は制度の穴が多く、密告や捏造による足の引っ張り合いなどの問題点は有りましたが問題点の改善を繰り返し現在の監査方式になりました」


「また、クリストファー国王は常に国民に寄り添った国王とされていますが、不正を絶対に許さない潔癖で厳しい部分を持ち合わせていたと言われています」


「並ぶ肖像画をご覧ください。シャルケ国の国王達の肖像画です。通常一人で描かれる肖像画ですがクリストファー王朝だけはこうして複数人で描かれたものとなっています」


「この肖像画には謎があると言われています。クリストファー国王と王妃、当時の臣下と共に描かれたこちらの女性。この女性が何者なのか伝わっておりません」


「肖像画を見ても分かるように、クリストファー国王は人の繋がりを何よりも大切にした国王だったのです」


 王宮見学ツアーの案内人が示す先にシャルケ王国歴代国王の肖像画が飾られている。

 クリストファー王朝の肖像画は国王一人が描かれた他の肖像画と違い複数人が描かれた集合肖像画だ。


 肖像画にはクリストファー国王と王妃を囲み語り合うフィール宰相、筆頭公爵ハイデン、騎士団長ゲルガーが描かれ、白い犬を連れた騎士に寄り添う女性が微笑んでいる姿が描かれていた。

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