霊迎

深川夏眠

霊迎(たまむかえ)


 お盆の前に夏休みの宿題を終わらせるのが鉄則だ。決まり事は破るところにスリルがある。だけど、これだけは別。母さんが休暇に入る前に、やるべきことを済ませて、少しばかり旅支度をしなくてはならない。

 父さんは毎年、仕事が片付かないと言って同行しようとしないので、母さんと僕とで、おじいちゃんとおばあちゃんの家へ泊まりに行く。大分前から気づいていたけれど、本当は父さんの会社だって休みになる。同じ村の出身で、母さんの遠縁なのに、父さんは母さんの実家を避けたくて口実を作っている模様。お正月はともかく、お盆に帰省するのは嫌みたいなのだ。

 そんなわけで、僕と母さんは父さんを残して田舎へ行った。


 母さんの実家は一番近い駅からもかなり離れている。伯父さんが車で迎えに来てくれた。もうみんな集まって、準備を進めているという。

 僕は皆さんに一通り挨拶し、お小遣いを頂戴して、仏壇にもきちんと手を合わせてから、お墓参りをした。

 戻ったらひと風呂ぷろ浴びて、こんなときしか縁のない浴衣を着付けてもらい、早い夕食。たちと並んで席に着くと、おじいちゃんとおばあちゃんは満足そうにニコニコ。この日ばかりは揃っていてもらいたいんだよ、と。

 僕らの役目は霊迎たまむかえ。普通はそれぞれの家に先祖の霊を迎えることを言うけれど、この地域では、年季が入っている、いないにかかわらず、死者の魂をいっとき招いて対面し、感謝の言葉を述べたり、逆に相手が亡くなる前にこちらに伝えきれなかった想いを吐露してもらったりするための行事で、中学一年生くらいまでの子供が何人かいると――おかしな言い方だけれど――が格段に上がるらしい。僕らはそのための要員、言わば触媒なのだ。

 いつ、どこの亡者が出来しゅったいするかは、わからない。実を言うと、幼稚園の頃、仲がよかったのに、小学校に入ってから事故で死んだと聞かされた幼馴染みに出てきてもらいたい一心で、僕は貴重な休みが削られるのも厭わず、こうして辺鄙な山里を訪れているのだ。

 お膳に並ぶのは素朴だけれど普段はお目にかかれない、ちょっとしたご馳走の数々。ヤマメやイワナの塩焼きだの唐揚げだの、豚汁ならぬ味噌仕立てのいのししじるだの、山菜の天ぷらだの……。

 そして、霊迎の晩のデザートは小さなディッシャーでり抜かれた真ん丸い西瓜と決まっている。日が暮れて子供らが練り歩く際、ジャック・オー・ランタンの西瓜バージョン風の提灯を携えるので、先に中身を食べるのだ。但し、北海道の「ローソクもらい」と違って、家々を回ってお菓子を要求するわけではない。

と、このスイカ、どっちが重い?」

「さあねぇ……」

 などというやり取りが聞こえると、誰からともなく、届け物の風呂敷包みの西瓜が女の生首に変わる怪談をひとくさり――というのが毎度お馴染みのパターン。

「都市伝説?」

「違うよ、小説の話」

 僕は適当に相槌を打ちながら気もそぞろで、どこへ行けばあの子が現れるだろうか、今年こそ……とばかり考えていた。いや、会いたい人の幽霊が都合よく出現するだなんて、期待しない方がいい。カプセルトイ同様、何が出るかは運次第。

 カラッ、コロッ、カラッ、コロッ……下駄の音。そこかしこ、お線香の匂い。大人たちのお囃子が遠くなったり近くなったり。でも、何を歌っているのか、詞が聞き取れたことはない。ただ、独特の物悲しい節回しが耳から入って頭の中で渦を巻く。

 僕はいつの間にか一人でひぐらしが合唱する木立の奥へ分け入っていた。急に風が吹いて激しくれの音がしたと思ったら、木々の狭間にボウッと人影が見えた。

 白くて細長い、と目が合った。すると、轟音と旋風に圧倒されて瞼を閉じる寸前、が物凄い勢いで迫ってきた。

 僕自身の叫びを掻き分けるようにして、の声が脳に突き刺さった。

「おまえを××××にして××××いってやる」


 軽く頬をはたかれて意識を取り戻した。伯父さんは後から追ってきた人たちを顧みて、大したケガもない、大丈夫――と言った。顔見知りの中で一番大柄な男性が、おんぶして連れ帰ってくれた。道々、誰かが、スイカ提灯がボッコリ割れていた、やられたのがこの子の頭じゃなくて幸いだったと呟いた。僕は脛が痛痒くて堪らなかった。蚊に食われて掻き毟っていたらしい。

 ボーッとするのは熱が出ていたからだったが、翌朝は何ともなかった。大人たちは僕に訊きたいことがある様子だったけれど、僕の体調を心配したおじいちゃんがガードしてくれて、僕と母さんはいつになく、そそくさと帰途に就いた。


 電車の中で、僕はを思い返した。知らない女の人だった。痩せていて髪が長く、皮膚は蒼白。目をいからせ、震える指を突き付けてきた。りの長いワンピースには、あちこちに赤黒い染みが滲んでいた。恨みを残して死んだ女性が、襲う相手を間違えたのか。おまえを××××にして……とは、か、だろうか。

 いずれにせよ、死なずに済んだわけだが、マンションに着いた僕と母さんは漠然とした違和感に首を傾げつつ鍵を開けた。

 僕は普段からの習慣で何気なくドアポストに手を掛けた。フワッと舞い落ちたのは数枚の紙きれで、ボールペンの走り書き。微妙に表現は異なるものの、いずれも夜中にうるさいという意味の苦情だった。同じ階の住人や真下の人だろうか。

 顔色を窺おうとしたときはもう、母さんは荷物を放り出してズカズカとリビングに踏み込んでいた。父さんが鬼の居ぬ間に洗濯とばかり友人を呼び寄せ、酒盛りをして騒ぎ過ぎたのかと思った瞬間、ギャアッと母さんの悲鳴。

 駆け寄ったら、室内は家具が引っ繰り返り、ガラスや陶器が割れて飛び散っていて、足の踏み場もなかった。そんな惨状の中、父さんは匍匐前進でベランダに逃れようとして事切れた風だった。服はボロボロ、後頭部は血まみれで、僕は即座にパックリ割れてしまったを連想した。


 夏休みの終わりに、僕はフッとの言葉を聞き分けた。「おまえを××××にして××××いってやる」の前半は、おまえを踏み台にして、後半は、向こうへ行ってやる――なら、話の筋が通る。の狙いは僕ではなく父さんだったのだ。

 母さんに心当たりあったかどうか定かでないが、ともかくは何かしらのいきさつで父さんを呪って死んだ人ではなかったろうか。


 僕は程なく子供と呼ばれる年頃を過ぎ、霊迎の仲立ちはお役御免となったが、夏が来て西瓜を食べるたびに、あの年の事件を思い出す。


              * * * * *


 早いもので、あれから二十年余り、ぼちぼち我が子を連れて行事に参加してみようと思っている。父さんの霊に会って真相を聞き出せるだろうかと、秘かに念じて。

 その節は介添えとして、お囃子の文句をみっちり教えてもらわねば。ちなみに、スイカ提灯を作るのは、練習を重ねてすっかり上達したので、安心して任せてもらいたい。



                 【了】



◆ 2020年8月書き下ろし。

◆ 縦書き版はRomancer『掌編-Short Short Stories-』にて

  無料でお読みいただけます。

  https://romancer.voyager.co.jp/?p=116877&post_type=rmcposts

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霊迎 深川夏眠 @fukagawanatsumi

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