第47話

 彼に身を寄せて、月夜は本のページを覗き込む。そこには、様々な植物の写真が並んでいた。具体的な種類は、月夜には分からない。見たことはあるかもしれないが、名前の知らないものばかりだった。


「この、図書室でないと、いけない理由は?」


 月夜の問いを受けて、囀は顔を上げる。


「僕と、君が、初めて出会った場所だからね」彼は言った。「最高の舞台を用意したかったんだ」


 月夜は頷いた。


 彼の傍で、月夜は一緒に本を読んだ。リュックから小説を取り出して、ページを捲る。


 囀の姿が監視カメラに映らなかったのは、彼が存在しないからだ。普通、人間は、割り振られたどちらかの性質を帯びて生まれてくる。反対にいえば、どちらかの性質を帯びたものが人間であり、さらにいえば、どちらかの性質を帯びていなければ人間ではない。では、本来割り振られるはずの性質の内、どちらも帯びているものは、果たして人間と呼べるだろうか。おそらく、それは人間とは呼べない。二つしか種類がないはずのものの中で、その中間点をとることはできない。しかし、もし、その中間点をとる者が存在すれば、その者は「存在しない」ことになる。


 囀にとって、彼自身は存在しないものだった。だから、彼は月夜にそう伝えた。しかし、月夜は、確かに存在している。


 その違いが、月夜は少しだけ寂しかった。


 自分は、囀と同じだと、ずっと思っていた。


 でも、違った。


 月夜は彼と同等の存在ではない。


 小説を読んでいるふりをして、彼女はそっと囀の顔を見る。


 彼の顔は真剣だった。本を読んでいるとき、囀はいつにも増して真剣になる。それが自分の使命でもあるかのように、本のページを一枚一枚捲っていく。


 彼は、本そのものが好きだと言っていた。


 自分はどうだろう?


 月夜は、つい最近まで、本はただの媒体で、そこに書かれていることが最重要だと考えていた。その証拠に、本は本の形をしていなくても、その内容さえ同じであれば、ほかの形でも表現できる。空気の振動でも、光の点の集合でも、何でも良い。そこに書かれている内容がすべてなら、それで良い。


 しかし、囀は違う。


 本は、本としての形と、そこに書かれている情報の、二つが組み合わさって、初めて本として成立すると考えている。


 きっと、前者の考え方も、後者の考え方も、ともに正しい。


 だから、どちらを選んでも良い。


 でも……。


 月夜は、どうしてか、後者がとても愛おしく感じられた。


 だから、自分も、そちらの方に考え方をシフトしたのだ。


 それは、きっと……。


 人間も本と変わらないからだ。


「どうしたの?」


 月夜にじっと見つめられているのを察知して、囀が本に向けていた目を彼女に向ける。


 目が合った。


「いや、何も」月夜は答える。


「なんか、やっぱり、いいね、こういう感じ」囀は言った。「月夜との距離感って、微妙だけど、それがいいよ」


 月夜は首を傾げる。


「よく、分からない」


「うん、そういう感じも、いい」


「囀は、今、どこにいるの?」


「僕?」彼は笑う。「君の傍にいるじゃないか」


「定住している場所は、どこ?」


「僕の気の利いた発言は、君には効果がないみたいだね」


「あるよ。嬉しかった」


「よし。では、そういうときは、思いきり笑おう」


「笑おうと思っても、笑えない」


「擽ってあげようか?」


「前に、そうしてもらったことがあるけど、あまり、利かなかった」


「誰にしてもらったの?」


「うちの、猫に」


「立場が逆だよ、それじゃ」


「それで、今は、どこにいるの?」


「月夜の知らない、どこかに」


「どこ?」


「教えられないんだ」囀は言った。「でも、君が呼んでくれれば、僕はいつだってとんで行くよ。ああ、でも、トイレに入っているときとか、お風呂に入っているときは、勘弁してね」


 そう言って、囀は可笑しそうに笑う。


「どうやって、呼べばいいの?」


「携帯の番号、知っているでしょう?」


 月夜は思い出した。反対に、今まで、彼に電話をかけようとしなかったことが、不思議だった。


「本当に、来てくれる?」


「うん、たぶんね」


「どのくらいの確率?」


「うーん、定常的な数値ではないけど……。まあ、六十パーセントくらいかな」


「分かった」


「いやいや、それじゃあ低すぎるって、つっこむところだよ」


「十回かければ、六回は来てくれるんでしょう?」


「まさか、一度に十回かけるつもりじゃないよね?」


「駄目なの?」


「駄目だよ、そんなの」囀りは困ったような顔をする。「ルール違反じゃん」


「君のルールは、よく分からない」


「まあ、いいよ。呼びたくなったら、とりあえず呼んで」


「了解」

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