第43話

 暫くの間、彼女は図書室の入り口付近にいた。そこに立っているだけでは怪しまれるから、傍に展覧された本を手に取って読んだ。背後にはカウンターがあり、そこに返却ボックスが置かれている。


 囀がここに立っている状況を想像した。


 一時的に彼女の視点まで自己を昇華させ、辺りを見渡す。


 本を予約するには、司書に頼んで、シートにクラスと名前を記入しなくてはならない。そこにそれらの情報を記すことで、初めて予約が成立する。


 今回の事件で被害者として扱われたのは、一人の女子生徒だが、彼女もその手続きを済ませたはずだ。つまり、シートを確認すれば、そこに彼女の名前を見つけることができる。そして、本を予約するということは、彼女は図書室の常連である可能性が高い。図書室を普段から利用しない者は、本を予約しようという発想に至らない。予約した場合、本が返却され次第、図書室までその本を取りに行くことになるが、常連なら、図書室に向かうのが毎日の行動の中で習慣化されているから、それを面倒だとは感じない。しかし、常連ではない場合、本がなかったら、普通それで諦める。わざわざ借りに来て、さらに返しに来るようなことをしたくないからだ。


 では、囀はどうだっただろう?


 月夜が知っている限りでは、囀も定期的に図書室に通っていた。常連というレッテルが、どの程度の頻度を重ねた者に貼られるのか分からないが、とにかく、本を読みたいという動機があって、囀が定期的にここへ顔を出していたのは確かだ。


 例の女子生徒と、囀が、互いに知り合いだった場合、どうなるだろう?


 いや、知り合いというのは、少々関係が強すぎる。顔を知っている、くらいで良いはずだ。囀が転校してきてから、まだ数週間しか経っていないが、人の顔は、少なければ一回、多くても三回も目にすれば、確実に覚えられる。


 月夜は、囀がとったであろう行動を、より鮮明に頭に思い描く。


 本は最大で二週間借りられる。囀は、本を読む速度が、速い方か、遅い方か、月夜には分からない。読んでいる本がころころ変わっていた気もするが、それは、一冊を読み終えて次の本に移ったのではなく、何冊もの本を並行していた読んでいたのかもしれない。もちろん、どちらともいえないが、これはあまり重要ではない。


 月夜は後ろを振り返り、司書に頼んで、本を予約したいと伝えた。今見ていた展覧場所に、ブックスタンドだけ立っている箇所があったから、そこにある本を借りたいと伝えた。司書は笑顔で対応し、月夜に予約した者の情報を記すシートを手渡した。


 そこには、紐で括られた紙が何枚も重なっている。


 過去の分まで纏められているようだ。


 司書は手もとのパソコンに目を移し、彼女が書き終わるまで事務作業をしている。


 月夜は、ページを捲って、過去に遡った。


 可能性は、高いとも低いともいえないが、彼女が考えていることが成り立っていた場合、事実は自然と分かるようになる。


 二回ページを捲ったところで、それを見つけた。


 囀の名前だった。


 さらに、もう一枚捲る。


 もう一つ、囀の名前があった。


 一つ目と二つ目の囀の名前が記された状況を分析する。彼女の名前の後ろには、どちらの場合にも、連続して同一人物の名前が記されていた。学年も一年生になっている。


 なるほど、と月夜は思った。


 彼女の仮説は立証された。


 月夜はシートを司書に渡して、その場を去った。


 部屋を奥へと進み、個人用のブースに着く。


 リュックから勉強道具を取り出し、すぐに数学の問題を解き始めた。


 もう、これ以上、確認する必要はなかった。


 今分かったことから、事実がどのようなものだったか大体分かったが、それ以上真偽を突き詰めても意味はない。


 ただ、自分と、囀が過ごす時間は、少しだけ華やかなものになるだろう、と思えた。


 背後に気配を感じて、月夜は振り返る。


 囀が立っていた。


「どうしたの?」月夜は質問する。


「僕も、勉強するよ」そう言って、囀は笑いかける。「夜になったら、教室に行こう」


 月夜は頷いた。


 囀は月夜の隣を通り過ぎ、向こう側の席に周ろうとする。


 月夜は彼女を呼び止めた。


 訊く必要はなかったが、訊いても良いかと思った。


「ねえ、囀」


 囀は足を止めて、月夜を振り返る。


「何?」


「囀は、いつも、本をどこに仕舞っているの?」


「本? 本って?」


「自分で買った本でも、図書室で借りた本でも」


「仕舞っているって、どういうこと?」囀は笑う。「家だったら、当然、書棚の中だけど」


「借りた本は?」


「えっと……、ここで借りた本は、まず、ロッカーに仕舞うかな」囀は言った。「鞄は大抵いっぱいだから、帰りに教科書と交換するね」


 月夜は頷いた。


「分かった。ありがとう」


「それでおしまい?」


「うん、そう」


「妙なことを訊くね」


「そう?」


「うん、まあ……」囀は言った。「僕は、何も訊かれなかったことにしよう」


 そう言い残して、囀は月夜の対面に座る。


 ペンを持ち直して、月夜は計算を始めた。


 囀にも、自分の言いたいことは伝わっただろう、と思った。

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