第9章 不道徳

第41話

 週が明けて、また学校が始まった。多くの生徒が、もう冬休み気分を抜けて、通常の生活に馴染んでいるようだ。そうやって、勉強するのが自分の役目なのだと生徒が錯覚することで、学校という小さな社会は成り立っている。


 その日の朝、例の図書委員の女子生徒が、登校するなり、事件が解決したことを告げた。いや、解決という言い方はおかしいかもしれない。彼女の話によると、犯人が捕まったわけではないが、盗まれた本が、すべて返却ボックスに戻っているのが見つかった、とのことだった。無断で持ち出されていたのは、小説と、図鑑だが、どちらも同じタイミングで返されていたのを見ると、犯人は同一人物だったらしい、ということを、彼女は今さらながら指摘した。複数犯ではないか、という意見も、図書委員の中では出ていたようだ。


 忘れ去られる前に、事件が解決するのは、学校では比較的珍しいことだ。だから、彼女の報告を聞いたクラスメートは、何ともいえない顔をしていた。刺激的な出来事が起きたのに、それが解決してしまったとなれば、もう何も面白いことはない。もちろん、皆、本が返ってきたこと自体は、喜ばしいと考えているだろう。けれど、陳腐な日常を彩るコンテンツが、一瞬の内に姿を消してしまった。これには落胆している生徒が多かった。


 そして、彼らがどれだけ喚いたとしても、日常はいつも通りやって来る。担任の教師が教室に入ってきて、ホームルームが始まった。今日も授業が始まる。


 授業中、月夜は、ぼうっと窓の外を眺めていた。


 教師の話は耳に入っていたが、脳できちんと処理されている割合は、いつもの六十パーセント程度にすぎなかった。残りの四十パーセントは、何の処理も成されることなく、音として反対側の耳から出ていく(そんなことは、物理的にありえないが)。


 今日は雪が降っていた。ぱらぱらとした粉雪で、地面に積もったのを踏めば、良い感触を味わえそうだ。


 そろそろ、試験の準備をしなくてはならない、と月夜は考える。


 とはいっても、彼女は毎日予習と復習を行っているから、試験のための勉強は必要なかった。普段と同じように勉強して、前日に少しだけ体調に気を遣えば良い。もっとも、どれほど気を遣っても、体調を悪くすることはある。だから、完全に体調を管理することはできない。しかし、百パーセント体調を崩さない方法も、ないとはいえない。自ら命を断てば、もう二度と体調を崩すことはない。


 右斜め前方に目を向ける。


 囀は、授業中だというのに、机に突っ伏して眠っていた。


 教師は何も言わない。


 その背中が、妙に寂しそうに見えた。


 今すぐ立ち上がって、後ろから抱き締めたくなった。


 でも、今は授業中だから、それはできない。


 では、授業が終わったら、それはできるのか?


 月夜には、その自信はなかった。


 手を繋ぐことはできるのに、どうして、抱き締めることはできないのか?


 どちらも、自分と相手の接触という、酷く根本的なコミュニケーションにすぎないのに……。


 数学の授業中、月夜はシャープペンシルを何度か回した。特に回したかったわけではない。ただ、そんなふうに指を動かしていないと、なんだか落ち着かなかった。


 そして、そんなことをしても、全然落ち着かなかった。


 昼休みになって、月夜は自分から囀の傍に行った。


 後ろの席のクラスメートと話していた彼女は、顔を上げて月夜を見る。


「どうしたの? 何か用事?」囀は笑顔で尋ねた。


 月夜は首を振る。


「用事はないけど、少し、話したい、と思って」


 囀はクラスメートとの会話を中断し、月夜に付き合う姿勢を確立した。話し相手のクラスメートは、そんな囀の対応を、快く受け入れてくれた。人の優しさとは、本来こういうものだ、と月夜は思う。その点、自分は、あまり、彼女に優しくできていないかもしれない、とも思った。

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