第40話

 様々な作品の紹介映像が流れて、いよいよ本編が始まった。会場全体が暗くなり、オープニングが放映される。海外のものだったから、最初は字幕が縦方向で横に出た。


 映画館に来るのは、月夜は久し振りだった。


 特に、誰かと一緒に来たことは、ほとんどない。


 小学生のとき、映画ではないが、学校の生徒と一緒にコンサートに来たことを思い出した。オーケストラの演奏を聴くもので、月夜は途中で眠ってしまった。その頃の彼女には、少数ながら友人がいた。でも、今と同じように、関係は濃密ではなかった。そのときも、こんなふうに友人と隣り合って席に座ったが、彼女が眠ってしまったために、隣同士で会話をすることはほとんどなかった。


 月夜はそっと隣を見る。


 囀は、真剣な眼差しで映画を観ている。


 月夜には、それがなんだか面白かった。


 今の内に、彼女の顔を脳裏に焼きつけておこう、と思った。


 これが、一生で最後の経験になるかもしれないのだから……。


 囀が月夜を見る。


 彼女は笑いかけた。


 月夜もそれに応じる。


 囀が、少しだけ驚いたような顔をした。


 映画を観ている途中で、月夜は眠ってしまった。普段は全然眠くならないのに、観劇している最中だと睡魔に襲われる理由が、分からなかった。目を覚ましたのは放映が終わったあとで、囀に揺すられて現実世界に戻ってきた。


「大丈夫?」


 瞼を持ち上げると、すぐ傍に囀の顔があった。


 月夜は座席から身体を離す。


「うん……」


「付き合わせちゃって、ごめんね」


「いや」


「行こう」


 囀が手を差し出す。


 月夜はそれを握った。


 映画館を出て、同じ建物にあるフードコートに向かった。囀はポップコーンを一人で全部食べたが、それでもまだお腹が空いているようで、焼きそばを注文して食べていた。お腹が空くと活動できなくなるというよりは、単純に、ものを食べたい、という欲求が強いらしい。


「だってさあ、美味しいものって、いくら食べても、美味しいでしょう?」


 焼きそばを箸で口に入れながら、囀が話した。


 彼女の言うことがよく分からなかったので、月夜は首を傾げる。彼女は紙コップに入った水を飲んでいた。


「だから、月夜って、不思議だよ。よく、それだけで、生きていけるよね」


「うん……。それは、自分でもそう思う」


「へえ、そうなの?」囀は笑う。「ああ、でも、そういうのも、憧れるなあ……」


 食事のあと、今度はゲームセンターに向かった。囀はUFOキャッチャーに挑戦して、運良く兎の縫い包みを手に入れた。五回ほどの挑戦で成功したから、平均よりは早い達成だろう。月夜も一回やってみたが、とてもできそうな気がしなかったので、すぐにやめてしまった。


 ショッピングモールの屋上に出て、休憩した。


 都市が一望できる、とても広いスペースだった。


 ベンチに並んで腰かける。


 人の数はそれなりに多かったが、煩いということはなく、どちらかというと静寂が保たれていた。


 電車の走行音が聞こえる。


「ねえ、囀」月夜は自分から話しかけた。「訊きたいことがあるんだけど、いい?」


「何? 何でも訊いてよ」


 月夜は一度息を吐き出す。


「図書室から本を持ち出したのは、どうして?」


 月夜の問いを受けても、囀はすぐに答えなかった。


 前方を見たまま固まっている。


 月夜は彼女の顔を覗き込む。


 寂しそうな目をしていた。


「……気づいていたんだ」囀が言った。


 月夜は頷く。


「いつから、分かっていたの?」


「最初から」


「……どうして?」


「ほかに、考えられる可能性がなかったから」


 囀は短く笑う。


「まあ、そうだね」


「どうして、本を持ち出したの?」


 月夜は同じ質問を繰り返す。


 今度は、囀が月夜の顔を覗き込んできた。


「どうしてだと思う?」


 それについては、月夜はすでに考えてあった。


 しかし、口にする前に、回答の正誤を再検討する。


 確信があった。


「私に、気にしてほしかったから?」


 囀は前を向く。


 彼女は、呟くように答えた。


「正解」


 コインを入れると走り出す子ども用の乗り物が、二人の背後で巡回している。家族連れの人々が、自分たちの子どもを乗せて、楽しそうに遊んでいた。


「本を、返してあげて」月夜は言った。「君のものじゃない」


 囀は下を向く。


「うん……。……そうだね」


「ほかに、方法はなかったの?」


 囀は月夜を見た。


「どう思う?」


「あったけど、選びたくなかった?」


「……そうかな……」


「自分でも、分からない?」


「うん……。もう、分からないことだらけ」


 空はどこまでも高かった。


 空気は限りなく澄んでいる。


 冬の午後。


 太陽はすでに真上にはない。


「君が、何をしても、私は、君が好きだよ」


 月夜は告げる。


「どうもありがとう」


 そう言って、囀はまた小さく笑った。

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