第32話
上履きから体育館履きに履き替えて、広大な体育館に入った。
この授業は二クラス合同で行われるから、なんとなく慌ただしい。
体育教師の前に列を作って並び、そのまま床に座る。
チャイムが鳴った。
今日は、冬休み明けの授業として、軽い運動をするだけだった。しかも、何をしても良い。バスケットボールやバレーボールが保管されているので、それを持ち出して遊び始める者もいれば、ステージに上がって、バドミントンをしている者もいた。
適当にバスケットボールを一つ持ってきて、月夜は一人でシュートの練習をする。
初心者だから、当然ゴールには入らない。五回繰り返して、やっと一回入った。成功率は二十パーセントだから、決して高いとはいえない。
バスケのゴールには、黒い線で四角形が描かれている。その角に当てれば、シュートが成功する確率は上がるらしい。
角に当たったが、入らないこともあった。
バーに当たって、ボールが跳ね返ってくることもある。
シュートが決まらなくても、ボールを触っているだけで、月夜はそれなりに楽しかった。
物が飛んだり、転がるだけで面白い。
バスケにも飽きて、月夜は体育館後方にある窪みに座り込んだ。座席と呼べるほど立派なものではなく、壁を凹ませて作られた奥行きのあるスペースでしかない。
彼女がそこにいるのに気づいて、囀が近づいてきた。
「月夜、遊ばないの?」
彼女の隣に並んで腰をかけ、囀は質問する。
「さっきまで、バスケをしていた」
「面白かった?」
月夜は頷く。
「ねえ、今日さ、また、一緒に買い物をしない?」囀は提案した。「この間とは別の所に案内するから……。どう?」
「いいよ」
「やったね」囀は笑った。
「何か、買いたいものがあるの?」
「いや、ないけど、単純に、ぶらぶらしたい」
「どんな所?」
「うんとね、色々あるよ。洋服屋さんとかはあまりないけど、古本とか、時計とか、骨董品とか、そういうものを売っている店が沢山」
「商店街?」
「そうそう、そんな感じ」
骨董品とは、どのような種類のものだろう、と月夜は考える。
「昨日のテレビ、観た?」
囀は唐突に話題を変えた。
月夜は首を振る。
「もうね、面白かったよ。僕、お腹抱えて笑っちゃって……」
それから、囀は昨晩観たバラエティー番組の話を始めた。月夜は観なかったが、囀の説明が纏まっていたから、内容は分かった。
こういう話は、相手が同じ情報を共有していなくても、意外と成り立つものだ。自分の話を聞いてほしい、という願望から発生するものだが、こちらが耳を傾ける姿勢を確立すれば、相手は話し続けるし、こちらも聞き続けられる。コミュニケーションの在り方としては、少々特異な感じはするものの、完全に一方通行というわけではないし、一応成立しているといえる。授業だって同じようなものだ。
一通り話し終えて、囀は満足したみたいだった。
沈黙が降りる。
「月夜はさ、何か、面白い話はないの?」
彼女に尋ねられたから、月夜は答えようとする。このような問いかけを受けるのは、少なくとも、今のところは、この状況が面白くない証拠だ。
「どんな種類の、面白い話を、聞きたいの?」
「うーん、面白ければ何でもいいよ。楽しい気持ちになりたいだけだから、種類なんて、関係がない」
月夜は、今朝古典の予習をしていて、気づいたことを囀に説明した。美しという形容詞は、古典の世界では可愛いという意味だが、現代語の可愛いは、美しいという意味を含んでいない。人によっては含んでいるように感じられるかもしれないが、月夜にはそうは思えなかった。子猫は可愛いが、美しいのとは違う。
さらに、地学の勉強を通して、より世界を俯瞰的に見られるようになったことも、彼女は囀に説明した。それまでは、自分の住む世界とは、つまり地球のことだと捉えていたが、地球は宇宙の一部であり、本当は、広がる世界とは、宇宙のことを示しているのだと気づいた。よく、インターネットを使う際に、ディスプレイの向こう側は世界に繋がっている、といわれることがあるが、この場合も、世界とは地球のことを指している。けれど、本当は違う。インターネットを介して、宇宙に接続することも可能なはずだ。
世界平和という言葉があるが、この場合も、世界は、地球と同義だ。
もし、異星人が地球に住む人間と接触を試みてきたら、かつて日本が鎖国をしていたように、彼らの侵入を防ごうとするだろうか?
防ごうとする人間もいれば、そうしようとしない人間もいるはずだ。
それは、いつの時代だってそうだ。
教科書には、結論や結果しか書かれていない。そこに至るまでには、反対派の人間もいたはずなのに、まるでその時代を生きたすべての人間が、全員等しく共通の答えを出したように扱われている。
今の時代も、未来の人々に、そんなふうに抽象化されて、画一的に扱われるのだろう。
もちろん、それが悪いという話ではない。
個人が生きた証は、個人が残そうとしない限り、残らない。
未来の人間にとっては、そのときの生活さえあれば、それで良いのだ。
しかし、過去は現在を介して、未来と繋がっている。
前後関係は覆せないし、変更できない。
それを、ときどき、思い出さないといけない。
気がつくと、囀がまた一人で話していた。月夜の話を聞いて、それに対する感想を述べていたみたいだが、月夜は、一人で別のことを考えていて、彼女の話を聞いていなかった。
だから、囀を手で制して、月夜は告げた。
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