第29話

 二人揃って裏門から学校を出た。今日は電車には乗らず、歩いて家に帰ることにした。月夜の家は、ここからそれほど遠くない。ただし、普通なら電車に乗る選択をするわけで、電車に乗らなければ、近いと感じられないくらいには、徒歩では時間がかかる。囀の家は月夜の最寄り駅よりは手前にあるから、その分時間はかからない。


 時折自動車が二人を追い越していく程度で、夜の街は静かだった。線路に沿って道を進む。途中で歩道橋を渡り、上から線路を見下ろした。線路を構成する枕木が、一定の間隔でずっと向こうまで並んでいる。後ろには、ショッピングモールの屋上が見えた。もう閉まっている時間だが、明かりは点いている。すぐ傍に中規模のマンションがあり、ホテルのようにライトアップされていた。


 階段を降りて、歩道を歩く。道は真っ直ぐ続いており、終わりは見えない。


 囀はイヤフォンを取り出し、音楽を聴き始めた。塞がっているのは片耳だけなので、月夜との会話はできる。鼻歌を歌いながら、囀はスキップで前に進んだ。月夜の歩調に合わせようとするから、自然と高く跳ねることになる。靴の微妙な接地音が続いた。


 自動販売機を見つけたところで、囀は喉が渇いたと言い出して、ミルクティーを買った。五百ミリリットルをすべてその場で飲み干し、彼はペットボトルを塵箱に捨てる。月夜は何も買わなかった。喉は渇いていなかったし、たとえ飲んだとしても、明日の朝には体外に排出されていると思うと、積極的な気持ちになれなかった。


 四十五分ほど歩き続けたタイミングで、囀とは別れた。


 彼は、細い道を曲がり、家がある方へ歩いていく。


 彼の背中が完全に見えなくなってから、月夜は再び歩き始め、自宅へと向かった。


 歩き始めて一時間くらい経った頃、月夜は玄関の前に立っていた。


 鍵を開けて、室内に入る。 


 手を洗って、リビングに移動すると、フィルがソファで丸くなっていた。


 硝子戸を開けて、部屋の空気を入れ替える。時刻は午前一時半。


 月夜がソファに腰を下ろすと、クッションの反動を察知して、フィルが目を開けた。


「おかえり。遅かったな」低い声で、彼は言った。


 月夜はブレザーを脱ぐ。


「そうかな?」


「いや、遅くはないか。最近、帰るのが早かったから、それに比べると、今日は少し時間がかかった、というだけだな」


 月夜は頷く。


 例によって、リュックからノートを取り出し、今日の分の日記を書く。いつもは学校の空き時間を使って書いているが、今日はその時間がなかった。起きた事柄を客観的に記し、所々で、自分の考えを付け加えておく。以前までは、事実をそのまま書くだけだったが、フィルや囀と話すことで、自分がどう思ったのか、感興を綴っておくのも悪くないと思うようになり、感想が加わるようになった。


 書き終えてから、中身を確認し、ペンを筆箱に仕舞う。


 浴室に移動し、風呂に入った。今日はフィルは一緒ではない。彼は、今日は入らないと言った。


 一人で湯船に浸かる。


 自然と息が漏れた。


 囀との付き合いは、順調でも、不調でもなかった。彼に出会ってから、色々なことが変化したが、それらは、すべて、ターニングポイントになるほどのものではなかった。知り合いが一人増えて、賑やかになった、という程度でしかない。けれど、そうした小さな変化が、未来を変えているのは、確かだ。彼に出会わなければ、今のこの瞬間はなかったし、こんなことを考えることもありえなかった。その原因には、囀という存在がある。


 自分は、きっと、今後も囀との関係を続けるだろう、と月夜は考える。理由を考えれば、彼が好きだからだ、という単純な答えになる。それだけで充分だった。ほかに理由は存在しない。好きだからといって、常に一緒にいる必要はないし、嫌いになっても、ずっと離れていなくてはならないわけではない。それぞれの尺度で適切な距離を築き、状況に合わせて、適宜調節していけば良い。今のところは、月夜は囀が好きだが、その感情は、時間が過ぎれば変わるかもしれない。変わっても、落ち込む必要はない。その変化が、また未来を変えるのだ。訪れる未来を、そのまま受け入れれば良い。


 でも……。


 囀との関係は、もう少しで本当に終わるかもしれない、という予感が、月夜にはあった。


 なぜか?


 彼と出会ってから、まだ少ししか経っていないが、その時間は濃密で、思い出を形成するのに充分すぎるくらいだった。


 だから、もう終わりでも良いのか?


 充分だから、終わり?


 それは違うだろう。


 ただ……。


 彼と出会った瞬間から、こうなることは分かっていたような気がする。


 それは、ずっと、認識していた。


 これに関しては、見てみぬふりはしなかった。


 そんなことを考えることもなかった。


 いつかは終わる、そのいつかが、近づいているだけだ。


 けれど……。


 月夜は、やはり、それが少し悲しかった。

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