第28話

 風が吹いた。地面に散らばっていた枯れ葉が、音を立てて空気中に舞い上がる。


 囀は月夜の隣に腰かけた。


 二人とも、何も話さない。


 話すことは何もなかった。


 話さなくても、意思の疎通はできる。


 それでも、意思の疎通はできると、思い込んでいるだけか?


 突然、背後の噴水が水を吹き始めた。


 月夜は後ろを振り返る。囀も同じ動作をした。


 囀に見つめられたから、月夜は黙って首を傾げる。


 相手には、どのような意味で伝わっただろう?


 どうして、噴水が動き出したのか、という疑問の意味か。


 それとも、何か言いたいことがあるのか、という問いかけの意味か。


 はたまた、何も意味はないが、とりあえず首を動かした、という相槌の意味か。


 それ以外にも、候補は沢山ある。


 囀は、どれを選ぶだろう?


 噴水から流れ出した水は、その下にある溜め池へと至り、循環して、再び吹き出し口から流れてくる。


 その繰り返し。


 同じ川には二度と入れないというが、その水は、やがて海に至り、蒸発して雲になれば、再び雨として降ってきて、川に流れるのだから、入れないわけではない。


 万物は流転する。


 もし、それが成り立つのなら、万物が流転することも、流転しなくてはならない。


 万物とはそういう意味だ。


 では、確かなものはどこにも存在しないのか?


 そうかもしれない。


 囀がそれを証明しているような気がする。


 自分がそれを証明しているような気もする。


 そうか……。


 自分と囀は、似ているのだ、と月夜は気づく。


 そんな予感は、ずっと前からしていた。


 見てみぬふりをしていたのだ。


 どうしてだろう?


 囀と一緒なら、嬉しいはずなのに……。


 何らかの抵抗が存在すると感じる。


 それは、どんな種類の抵抗か?


 拒否か?


 それとも、対立か?


 自分は、囀を認めると、たった今そう言ったばかりではなかったか?


 月夜の自問は終わらない。


 流転して、新たな問いを形成する。


「月夜」突然、囀に名前を呼ばれた。


 月夜は彼を見る。


「何?」


「どうかしたの?」


「何が?」


「何か、思い詰めている?」


 月夜は首を振る。


「いや」


「そう?」彼は言った。「何もないようには、見えないけど」


 沈黙。


 ここで沈黙が訪れるのは、予想していた。


 三秒待つ。


 月夜は口を開く。


「ねえ、囀」彼女は尋ねた。「君は、本が好きなの?」


 唐突な質問で驚いたのか、囀は少し目を見開いた。


「本? うん、そう……。好きといえば、好きだよ」


「どんなところが?」


「え?」


「その日の気分で、読みたい本は、変わる?」


「うん、まあ、そうだね」


「それだけ?」


「それだけって?」


「何よりも、本が好きだ、と感じることは、ある?」


 囀はじっと月夜を見る。


「あるよ、たまに」


「それは、他人に対する、配慮よりも?」


「……どういう意味?」


「特に、深い意味はないよ。この場面で、最も相応しい二つを並列させて、どちらが好きか、尋ねただけ」


 囀は顔を逸らす。


 月夜はじっと彼の横顔を見つめた。


 しかし、月夜の瞳は、今は何も映していない。


 冷徹さが、そのまま温度になって、彼女の眼球をコーティングしている。


 捉え方によれば、それは残酷さとも認識できる。


 囀はどう受け取るだろう?


 彼はもう一度月夜の方を向き、軽く首を傾けた。


「質問の意図が、分からないよ」


「意図? 意味ではなく、意図?」


 囀は頷く。


「それは、分かっているはず」月夜は言った。「分かっていることを、尋ねるのは、どうして?」


「君と、コミュニケーションをとりたいからだよ」


「コミュニケーションは、とれている」


「じゃあ、優しい言葉をかけてもらいたいんだ」


 月夜は黙った。


 彼女が黙れば、囀も黙る。


 一直線に視線が交差し、最初こそ摩擦を生じたものの、徐々に融合して、最後には一つの結合を生み出した。


 月夜は、囀の意思を、正確に汲み取った。


 正確といえる根拠はどこにもないのに、それは確信として、彼女の中に落ちてきた。


 きっと、囀も同じように感じたはずだ。


 二人は、今、接続されている。


 月夜がその入り口を設けた。


 キーも用意した。


 囀はそれを使い、彼女の中を覗いた。


「私は、信じているよ、囀」小さな声で、月夜は言った。「君が何をしても、それが君のためになるのなら、何も疑わない」


 囀は話さない。


 十五秒経過したとき、彼はゆっくりと頷いた。

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