第23話

 カウンターに本を持っていき、バーコードを認識してもらうことで、貸し出しは完了する。絵本を抱えた囀と一緒に、月夜は図書室を出た。


 食堂の硝子戸から、壁にかけられた時計を見る。


 昼休みは、あと十分だった。


 階段を上って、教室がある階まで移動する。生徒の多くは、まだ廊下の外に出て話していた。次の授業は移動する必要がないから、チャイムが鳴る直前まで、時間を有効活用している生徒が多い。


 机の中から教科書とノート、筆箱を取り出し、授業の体勢を整える。月夜は視線を右斜め前方に向けて、囀の姿を確認した。彼女は、さすがにもう眠っていない。身体を後ろに向けて、そこに座るクラスメートと話していた。


 囀は、誰といるときでも常に笑顔だ。


 本当に常ではなくても、そうした印象を抱く。


 教室前の扉が開いて、現代文の教師が現れた。チャイムが鳴り、授業が始まる。


 手に持っているシャープペンシルは、教師の板書に反応するように正しく動き、ノートに炭素を擦り付ける。間違えたら消しゴムで消し、再び書き直す。その繰り返し。ノートをとるのが授業の目的ではないが、現実として、そうなっているのは確かだ。手を動かすことで、ある程度集中力は高まるらしいが、集中しようと思っていないのであれば、効果は認められない。


 教室の午後の空気は、停滞気味で、充満気味で、そして、沈殿気味だった。天井に顔を向けても、そこに開放的な空はない。唯一、開いていなくても外界と繋がる窓は、月夜の席からは離れている。暖房が効いていて、気分が悪くなりそうだったが、気分が悪くなっても、彼女が困ることはなかった。


 今、自分が突然死んでしまったら、クラスメートはどうするだろう?


 久し振りに、面白いことを思いついた気がした。


 彼らの反応を想像するのが面白いのではない。


 様々なシチュエーションで、自分が死ぬのを想像するのが、面白いのだ。


 本来なら、死と場所はほとんど関係がない。どこで死のうと、死んだ者はもう死んだのだ。それ以上その人とコミュニケーションをとることはできないし、思い出という補助機能を除けば、回線は完全に遮断されるに等しい。


 けれども、人間は、自分であろうと、他人であろうと、死亡する時や場所を大事にしたがる。そこに価値を見出そうとする。どうせ死ぬなら、愛する人に看取られながら死にたいとか、あまりにも若い内に死にたくないとか、そうした不思議なことを口にする。


 それは、どうしてだろう?


 どのようなシチュエーションで死んでも、自分は一人しかいないのだから、その人にとっては、それはほかの誰にも経験できない、唯一絶対のもので、価値が認められるはずだ。


 でも……。


 ……自分は、どうだろう?


 やはり、死ぬときは誰かと一緒が良い、と感じるだろうか?


 自分の知り合いを一人ずつ挙げて、彼らとともに死亡する、あるいは彼らに看取られて死亡する情景を、月夜は一つ一つシミュレーションしていった。


 どれも、素敵だと思えた。


 もちろん、自分一人で死ぬ情景も思い描いた。


 けれど、それも、それはそれで良いと思った。


 自分が死んでも、彼らは、その後も生き続けていく。彼らがまだ生きているという事実さえ成立していれば、自分がどうなろうと、どうでも良い。自分の目を通して、それを確かめることができなくても、全然問題ではない。


 それが、愛というものではないか?


 ……愛。


 なんて、チープな言葉だろう。


 しかし、それと同時に、いや、それだからこそ、価値を持った言葉だといえる。


 それでは……。


 そもそも、事実とは何だろうか?


 考え事をしていても、シャープペンシルは勝手に動く。ときどき、教科書の該当する部分に傍線を引いたり、重要な段落に印をつけたりもする。どれも単純な作業で、面白くはない。教科書に書かれている文章は、この授業の中で唯一面白い。教師が話す内容は、抽象化してしまえば教科書に書かれていることと同じで、はっきりいって、重要ではない。


 ノートを千切って、紙飛行機を折って飛ばしたら、少しは楽しくなるだろうか、と月夜は考える。


 実際にやってみようとは思わなかった。


 恥ずかしいからではない。


 自分に対するイメージを壊したくないから、というのは、少しある。


 けれど、それ以上に、やらなくても、どうなるか予想がついた。


 だから、やらなかった。


 予想は、一つには絞れない。それはどんな場合でもそうだ。


 それなら、いくつも予想すれば良い。それだけで、何が起きても、充分な準備を持って接することができる。


 授業はあっという間に終わった。あっという間だと感じるのは、集中していたからかもしれないが、集中とは、しようと思ってできるものではないので、月夜は何の努力もいらなかったし、努力をしたつもりなどなかった。


 次の授業は移動する必要があったから、荷物を纏めて、月夜は立ち上がった。もう、次の授業で最後だから、リュックも一緒に持っていく。こういう日は、最後のホームルームは省略されることになっている。


 教室から出ようとしたところで、自然と囀と合流した。

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