第19話

 月夜は、座ったまま、部屋を見渡す。


 囀の机の上には、今は何も載っていなかったが、その向こう側にある簡易な本棚に、いくつか不思議な本が仕舞ってあった。背表紙には、ざっと見ただけでも、占い、ニュートン、哲学、妖怪、などの文字が見て取れる。本人が言っていた通り、様々なジャンルの本を読むようだ。ニュースやバラエティなど、多様な番組を一纏めにして、テレビと呼ぶみたいな感じがする。


 後ろを向く。


 ベッドの上には、暖かそうな毛布がかけられている。一人で寝るには充分な大きさだった。囀は、意外と活発だから、毎晩きちんと寝ないと疲れがとれないのではないか、と月夜は心配していたが、質の良い備品があるようで、安心した。


 奥にある窓の手前に、壁が窪んだスペースがあって、そこに地球儀が置かれていた。あれは何に使うのだろう、と月夜は考える。単なるインテリアかもしれないが、囀の所有物となると、何か具体的な意味があるようにも思える。


 部屋のドアが開き、囀が入ってくる。


「どうぞ」


 月夜は、着替えを持ってきていなかったから、囀に貸してもらうことにした。月夜が身につけても問題のない服を、囀は充分持っていた。寝間着として、厚手のパジャマと、その上から羽織るパーカーを貸してもらった。


 風呂は、月夜の家のものと大して変わらなかった。


 お湯に浸かり、ゆっくりと息を吐く。自分の家のものと、設定温度が多少違ったが、問題なかった。少し熱いくらいだ。温泉に来たような感じはしなかったが、新しい生活が始まった錯覚を引き起こすことくらいはできそうだった。


 身体と頭を洗い、シャワーを浴びる。風呂から出て、貸してもらった服に着替え、囀の自室に戻った。彼の部屋以外は、今は照明は消えている。廊下の途中で後ろを振り返ってみたが、リビングは暗くて、陰気だった。


 囀は、机の前で本を読んでいた。


「おかえり」彼は言った。「もう、寝る?」


「どちらでも」月夜は答える。「何、読んでいるの?」


「本だよ」


「何の本?」


「今日は、世界の家に関する本」囀は説明した。「世界中に存在する、様々な家を、写真を通して見学できる」


 彼の傍に近づいて、本の内容を確認する。写真は、どこか南の国の家を写したもので、木製の桟橋の傍に、塔のような形の洒落た家が建っていた。


「囀は、こういう家に住みたい?」


「住みたいといえば、住みたい」


 彼はページを捲る。次は、日本と似ているが、少し異なる、都会に建てられた一軒家だった。メカニカルな印象で、硝子が一枚の壁をほとんど覆っている。室内は、近未来的な構造になっており、技術の進歩を感じさせるものだった。


「こういうのは、どう?」


「うーん、僕は、あまり、好きじゃないかな」


「さっきの方がいい?」


「個人的にはね」


 そうやって、本を一緒に見て、時間が過ぎた。


 明日も学校があるから、眠ることにした。


 布団は一つしかないから、二人で寝るしかなかった。囀は、自分はリビングで寝るから良いと言ったが、月夜がそれを拒否した。


 互いに背を向けて、目を閉じる。


 暗い室内。


 月夜は、彼が、どうして反対側を向いたのか、分からなかった。


「月夜、もう、寝た?」


 十分くらい経過した頃、囀が声をかけてきた。


「ううん、まだ」月夜は、後ろを振り返る。


「今日は、付き合ってくれて、ありがとう」


「何に?」


「僕の我儘に」


「我儘?」


「無理矢理、僕の家に連れてきたような気がしてさ、なんだか、申し訳ない気持ちになった」


「そう……」


「迷惑かけたから、明日、お詫びに、何かプレゼントするよ」


 月夜は首を振る。


「いらない」


「欲がないなあ、月夜は」


「私は、今日、得をした」


「そう?」


「うん」


「それなら、よかったよ」囀は笑った。「僕も、嬉しい」


 そう言ったきり、囀は何も話さなくなった。暫くすると、彼の寝息が聞こえてきた。月夜は、いつもはまだ起きている時間だから、すぐには寝つけなかった。


 自分が帰ってこなくて、フィルは心配しているだろうか、と今さらながら考える。でも、きっとそんなことはないだろうと思った。彼は、自分が帰ってこなくても、今日は、帰ってこなかったな、くらいにしか思わないに違いない。


 考えようによっては、ロマンチックなシチュエーションだったが、全然そんな感じはしなかった。むしろ、すでにそういう局面は終わった気がする。囀は、自分の親友で、これからもずっと一緒にいる。そんな親密な関係だから、これ以上、友情を確かめ合う必要はない。だから、彼は何もしてこなかったし、自分もそれを求めなかった。


 自分勝手な理由づけだ。


 本当は、そんなこと、どうでも良かった。


 意識的に呼吸を繰り返し、月夜は眠ろうとする。眠ろうとすれば、少しずつ眠くなる。そして、確実に眠れる。


 そう考えたが、実際には、眠れなかった。


 布団から抜け出し、窓の傍に寄る。まだ雨は降っていた。


 囀の顔を覗き込む。


 彼は穏やかに寝息を立てている。


 しかし、彼は、突然瞼を持ち上げた。


 目が合う。


「駄目だよ、月夜。ちゃんと寝ないと」彼は笑顔で言った。


「うん、ごめん」


「別に、謝らなくていいけど」囀は話す。「どうしたの? 家が恋しくなっちゃった?」


「ううん」


「じゃあ、早く寝なよ。朝になっちゃうよ」


「囀も、まだ、眠っていなかったの?」


「そうそう。ごめんね、寝たと思って、色々悪戯しようと思ったんでしょう?」


「思っていない」


「ほら、早く、戻りなよ」そう言って、囀はかけ布団を持ち上げる。「僕一人じゃ、寒いから」


 月夜は、言われた通り、もう一度横になる。


 今度は、囀は、彼女の方を向いた。


 彼に見つめられる。


「何?」


 月夜は尋ねる。


「子守唄でも、歌おうか?」


「歌えるの?」


「少しなら」


 月夜は頷く。


「じゃあ、お願い」


 囀は、何度か軽く咳払いをし、喉の調子を整える。


 そうして、彼は歌い出す。


 綺麗な声。


 けれど、それは、子守唄ではなく、交響曲だった。

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