第14話

 そんな調子で授業を受けて、あっという間に昼になった。囀に教室から連れ出され、彼女のあとをついていくと、屋上へと続く階段の踊り場に案内された。


「ここで、食べよう」囀は言った。「なんか、いい感じの雰囲気だし」


 月夜には、彼女の言う、良い感じの雰囲気、というのが分からなかった。


 囀は、本当に二人分の弁当を作ってきていた。そう言っていたのだから、当たり前だが、出任せの可能性も月夜は想定していた。しかし、それならそれでも良い、と彼女は考える。出任せを言ってまで、自分と一緒に昼食をとりたかったのだ、と思えば、嬉しくなるからだ。


 囀が作ってきたのは、サンドウィッチだった。玉子やレタス、ハムなどが挟まれた標準的なもので、少しスパイシーだった。調味料は、胡椒とマヨネーズらしい。不思議な組み合わせだったが、初めての味で、美味しかった。


「月夜はさ、どうして、いつも、お弁当食べないの?」


 口にパンを詰めながら、囀が質問した。


 月夜はお茶を飲み、彼女の質問に答える。


「食べたい、と思わないから」


「お腹、空かないの?」


「空くけど、それほど、空かない」


 囀は笑った。


「変なの。どっち? 食べられないわけじゃないんでしょう?」


「うん」


「食べたくないのは、ほかに理由があるの?」


「食べたくないわけじゃないよ。食べたい、と思わないだけ」月夜は説明する。「ほかには、死んだ生き物を、自分の身体に入れたくないから、というのもある」


 囀は、月夜をじっと見つめる。


「それ、冗談?」


「冗談?」


「いや、何でもないや」囀は言った。「そっか……。それは、うん、まあ……、分からなくはないよ。動物を殺すのって、可哀相だもんね」


「うん」


「でもさ、自分で取り込もうと思わなくても、たとえば、細菌とか、微生物は、身体の中に入ってくるよ」


「そう……。だから、矛盾している」


 そう言って、月夜は下を向く。パンを千切って口に入れ、ゆっくりと咀嚼した。


「そんなことを、考えているの?」


 月夜は顔を上げる。


「え?」


「なんか、月夜って、思っていた以上に深刻だね」


「そうかな」


「そうだよ、絶対」囀は笑顔で言った。「もう少し、自分に優しくしてもいいんじゃない?」


 自分に優しくするとは、どういう意味だろう、と月夜は考える。


「どうしたら、自分に優しくできるの?」


「え? うーん、それは……」囀は腕を組む。「自分が、本当にやりたいと思うことに、素直になる、とかかな」


 月夜は頷く。


「なるほど」


「月夜は、本当に、何も食べたくないと思うの?」


「たぶん」


「そっか……。……うーん、じゃあ、しょうがないなあ……」


 階段の踊り場は、薄暗くて、少し埃っぽかった。美術室よりは汚い。すぐ傍にドアがあり、その先には屋上が続いている。普通は、その先は生徒だけでは入れない。天文学部など、一部の部活動は利用しているらしいが、飛び降り自殺を防ぐためか、普段は鍵がかかっている。天文学部の人間は、飛び降りても良い、ということだろうか。ルールとしては、多少おかしいと思われるが……。


「月夜、今日の午後、付き合ってね」


 囀が二つ目のサンドウィッチを手に持って、月夜に話しかけた。


「買い物?」月夜は首を傾げる。


「うん、そう。きっと楽しいよ。色々、知らないものが見られて、感動するかも」


「最近、感動する経験をしていない」


「じゃあ、ちょうどいいじゃん。やっぱり、定期的に感動しないと、人に優しくできないもんね」


「そうなの?」


「僕の見解では」囀は頷く。


「囀は、人に優しくしたいの?」


「え? ああ、うん、どうかな……。……優しくして、損はないかな、という程度かな」


「今でも、平均的には、優しいと思うよ」


「それ、褒めているの?」囀は苦笑いする。


「特に、褒めてはいない。それが事実だと思った」


「そう言われると、なんだか嬉しいかも」


「あと、人にだけじゃなくて、自分にも、優しい、と思う」


「うーん、それはどうかなあ……」


「さっき、そう説明していなかった?」


「ああ、そういうこと? あ、そうか。じゃあ、さっきの説明は、なかったことにして」


「どうして?」


「いやあ、だってさあ……」囀は言った。「なんか、恥ずかしいから」


「分かった。なかったことにする」


「え、いや、それは、ちょっと、困る」


「何が?」


「説明するのが難しい」


「簡単な説明って、ある?」


「あるよ」


「たとえば?」


「たとえば……。……ジョン万次郎の本名が、意外と知られていない理由、とか」

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