第8話
「月夜、そんな所にしゃがんで、何をしているのかな?」囀が顔を上げて、彼女を見た。
「囀が、本を探し終えるのを、待っている」
「どうして?」
「一緒に帰ろうかな、と思ったから」
「君さ、僕が好きでしょう?」
「うん。でも、どうして?」
「分かるんだ、そういうの」彼はウインクする。「勘なんだけど、これが、なかなか当たる」
「もう、帰る?」
「でも、君には、ほかに愛している人がいるね。それは誰?」
「それは、秘密」
「なるほど。だから、少し困っているわけだ」
「困る? どうして?」
「あれ、困っていない?」
「特には」
「へえ……。なかなか、フレキシブルだね」囀は頷く。「でも、一般的には、一人を好きにならないと、いけないらしいよ」
「なぜ?」
「さあ、知らない。そういう文化というか、風習なんだ、この国では」
「不思議だね」
「うん、まったく」
本を一冊持って、囀は立ち上がった。小説ではない。図鑑のようだ。
「それを、読むの?」月夜は尋ねる。
「そう」彼は言った。「説明文を読んでいるだけで、面白い」
「何の図鑑?」
「小人」
「小人?」
囀は月夜に本の表紙を見せる。『世界の小人名鑑』と書かれていた。
「たしかに、面白そう」
「君も読む?」
「囀が、返したあとで、借りに来る」
「三日くらいで読めるかな」
二人で図書室を出た。
「そういえば、どうやって、この部屋に入ったの?」階段を上りながら、月夜は彼に質問した。
「鍵を借りたんだよ」
「どうやって?」
「借りたというよりは、持ち出した、の方が正しいかな」
「勝手に?」
「そう」
「なるほど」
「僕を咎めないの、月夜」
「どうして、咎めるの?」
「いけないことをしたんだよ。友人なら、注意するのが普通じゃない?」
「いけないことをしても、許容するのが、友人だと思う」
昇降口に来て、上履きから外履きに履き替える。石造りの階段を下りて、裏門から学校の敷地の外に出た。すぐ傍に線路がある。
朝来たのとは逆に道を進み、駅がある方へ向かっていった。月夜が、自分の腕時計で時刻を確認すると、もう日付けが変わっていた。まだ電車はあるが、高校生は、この時間には出歩いてはいけない。補導の対象になる。
「月夜は、いつもこんな感じなの?」
「そう」月夜は頷いた。「囀は、本を読むのが、好きなの?」
「まあ、好きといえば、好きかな。でも、特別好きじゃないよ。月夜は?」
「特別ではないけど、好き」
「じゃあ、僕と同じだ」
駅の光が見える。近未来的な階段を上り、定期券をタッチして改札を抜ける。人の数は疎らだった。それでも、誰もいないわけではない。夜は人間の活動時間ではない、と定められているわけではないのに、多くの人間が、昼に活動し、夜は休養に当てる。そんな行動心理が月夜は不思議だった。夜の方が、素晴らしいではないか、というのが彼女の率直な体感で、こんな素晴らしい時間を、瞼を閉じて過ごす人々が、月夜には理解できない。
エスカレーターで下に移動し、ホームで電車が来るのを待った。彼らがここにいることを、不思議に思う人はいない。いるかもしれないが、皆見て見ぬふりをする。あるいは、興味のない対象は、視界から自動的に除外するようにしている。
「月夜、驚いた?」
立っていると、突然囀が訊いてきた。
月夜は彼に顔を向ける。
「何が?」
「僕の、この格好」
「少し」
「どうしてって訊かないんだね」
「訊いた方がよかった?」
「うーん、それもありかな。そういうのって、訊かれると、嬉しいものだし」囀は目を細める。「あまりね、気にされすぎるのもよくないけど、うん、君みたいに、適度な距離感で触れられるのは、全然構わない、と思う」
「じゃあ、どうして、そんな格好をしているの?」
「これが、僕のデフォルトだからだよ」囀は話す。「似合っているでしょう?」
「うん、凄く」
「いつもと、どっちの方がいい?」
「いつも、が、まだ、私には分からない」
「そっか。じゃあ、もう少ししたら、同じ質問をしよう」
「ねえ、囀」
「何?」
「手、繋いでもいい?」
囀は月夜を見る。
彼は、そのとき、初めて月夜の瞳を真っ直ぐ見つめた。
月夜は、そのとき、初めて彼に瞳を真っ直ぐ見つめられた。
「何か、寂しいことがあるの?」
目を逸らさず、囀は尋ねる。
「寂しいとは、感じないけど、なんとなく」
「分かった。いいよ」
腕を伸ばして、月夜は囀の手を握る。
適度に温かかった。
しかし、冷たいような気もする。
不思議だ。
まるで、風邪を引いているような感じがする。
熱が出ていて、とても熱いのに、同時に寒気もする。
そんな感じだった。
「手、冷たいね、月夜」囀は話す。「血液が足りていないんじゃない?」
「そうかも」
「分けてあげようか、僕のを」
「今はいらない」
「じゃあ、明日あげよう」
「明日も、いらない」
「吸血鬼だったら、素敵だよね、月夜が」
「月夜、だから?」
「そうそう」囀は笑う。「うーん、なんか、いい感じだ」
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