第2章 不自然
第6話
夜になった。
当たり前だが、すでに生徒の姿はない。しかし、月夜は教室に残って、勉強をしていた。今日は本を持ってきていないから、必然的に勉強をするしかない。勉強といっても、試験のための勉強で、自分の能力を上げるのが目的ではなかった。そんなことには、彼女は魅力を感じない。そもそも、自分という人間に、魅力があるのかも疑わしい。そんなものは、むしろない方が安全だ。他人から相手にされない方が、ストレスも溜まりにくい。もっとも、そんなことでストレスが溜まるとも思えないが……。
窓の外は寒そうだった。もう雪は降っていないが、校庭に少し残っている。
前方を見る。真っ黒な黒板があった。真っ黒な、と断るということは、黒くない黒板もあるということか。
月夜はシャープペンシルを机に置いて、軽く伸びをした。彼女は、今日、一度も食事をとっていない。別に、お腹は空かなかった。水筒にお茶を入れて持ってきたから、それは少し飲んだが、それも、喉が渇いたと感じたからではなかった。タイミングを見計らって、そろそろ水分補給をしておいた方が良いかな、と考えて実行したにすぎない。
椅子から立ち上がり、身体を左右に倒す。
掌が天井を向く。
そのとき、窓の向こう側で、何かが光った気がした。
彼女はそちらに近づき、眼下の校庭を見下ろす。
誰かがいた。
懐中電灯を持っているようだ。
光は一瞬この教室を照らし、すぐに別の方を向いた。その人物は、月夜の存在には気づいていないようだ。
懐中電灯の明かりは、校舎の中へと消えていった。
こんなことは初めてだった。月夜は、ほとんど毎日夜まで学校に残るが、見知らぬ誰かと遭遇したことは一度もない。教師も全員帰るし、宿直という文化はこの学校にはない。しかし、どういうわけか、裏門は必ず開いていた。だから、学校から帰るときは、彼女はそこから外に出る。誰かが意図的に鍵を外しているのか、また、誰がその門を管理しているのか、彼女は知らなかった。
教室から出て、先ほどの人物に会ってみよう、と月夜は思った。会ってみるというよりは、そっと観察してみる、といった方がニュアンスとしては近い。見知らぬ人間には、こんな夜中でなくても、会わない方が無難だ。突然殺されるかもしれない。
しかし、月夜は、殺されても構わない、とも感じていた。
薄暗い廊下を歩く。リノリウムの床と上履きが接触する。プラスチック製の鉛筆キャップが落ちていて、彼女はそれを蹴ってしまった。キャップは、ちゃちな音を立てながら、暗い廊下を転がっていく。壁に何度か当たり、弾かれて、床の上をバウンドした。動きが完全に静止したところで、彼女はそれを拾い、ブレザーのポケットに仕舞う。誰のものか分からないから、明日の朝、教室の教壇に置いておこう、と思った。
校舎に入るには、昇降口を通るしかない。職員玄関は、この時間は閉まっている。廊下の角を曲がって、階段を下りれば、昇降口はすぐだ。
しかし、昇降口に辿り着いても、誰もいなかった。
すでにここを通過してしまったのかもしれない。となると、もうどこにいるか分からない。校舎はそれほど広くないが、隠れようと思えば、どこにでも隠れられる。けれど、相手は自分以外には誰もいないと思っているだろうから、特に隠れる意味はない。
昇降口に立ち尽くし、どうしようか、と月夜は考える。
すぐ傍に自習室があるが、今は鍵がかかっていて開かない。この時間帯でも、鍵が開いている部屋、つまり、もともと鍵が存在しない部屋は限られる。あの人物が何をしにここへ来たのか分からないが、学校には部屋と廊下しかないから、部屋にいるか、廊下を歩いているかの二つの可能性しか考えられない。前者なら、その部屋に用がある、後者なら、ただ探索しに来た、と考えるのが妥当だろう。
情報が不足していて、これ以上は考えられそうにない。
月夜は、とりあえず、階段を下りて、一階に移動した。
目の前に、再び自習室。
その右手に食堂。食堂にも鍵がかかっている。
廊下を進む。
食堂の向かいには、図書室がある。
月夜は、その前で立ち止まった。
鍵が開いている。
普通なら、図書室の鍵は、司書が帰宅するタイミングでかけられる。
つまり、司書がかけ忘れたか、そうでなければ、今開けられたかの二つの場合しか考えられない。
そして……。
月夜は、きっと、今開けられたのだろう、と思った。
根拠はない。純粋に、そんな予感がした。
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