第2話
階段を上り、改札を抜け、再び階段を下りて、学校へと続く道を歩く。
「君の名前は?」月夜は歩きながら質問した。
「僕?」少女は答える。「僕はね、囀」
「囀?」
「そうだよ」
「素敵な名前」
「それは、どうも、ありがとう」
人の姿はない。すぐ傍にある線路を、赤い列車が通っていった。前方に踏み切りが見える。左手にスイミングスクールがあった。今はまだ開いていない。
冬の空気は冷たかった。それでも、月夜はブレザーの上に何も羽織っていない。寒いが、寒いのは外にいる間だけだから、室内にいる時間を考えれば、上着は却って邪魔になる。
「囀は、どうして、こんなに早く学校に行くの?」
月夜は自分から質問した。彼女が自ら他者に話しかけるのは珍しい。
「どうしてだと思う?」
月夜は黙って考える。
「入学の手続きとか、そういうことを、まだ、しなくてはならないから?」
「うーん、半分正解だけど、半分外れかな」
「説明して」
囀は月夜を見る。
「君、けっこうストレートだね」
「よくそう言われる」
「入学手続きはもう終わっているけど、なんていうのかなあ、うーん、先生と、色々と話さないといけないことがあって……。僕ね、ちょっと変わっているから、そこのところを、打ち合わせしておかないといけないんだ、色々と……」
「ちょっと変わっている、というのは、どういう意味?」
「どういう意味だと思う?」囀の目は輝いている。
「少し、ほかの人と違うところがある、という意味」
「え、何それ」囀は笑った。「そんなの当たり前じゃん。自分で言っておいて、それはないでしょう」
「うん」
「いやいや、うんって……」
「何が、ちょっと変わっているの?」
「まあ、じきに分かるよ」
「じきとは、どのくらい?」
「どのくらいだと思う?」
月夜は再び沈黙する。
「一週間以内」
「ま、それくらいしたら、誰でも分かるよ。君には、そうだな……。もう少し早く分かってもらえると、嬉しいかな」
「どうして?」
「だって、友達でしょう?」
「そうなの?」
「そうだよ。もう、友達。僕、君との出会いに、運命を感じちゃった」
月夜には、運命の意味が分からなかった。
学校に到着する。門はまだ開いていないが、その隣にある小さな扉から自由に入れる。囀は、先生と顔を合わせてくると言って、職員玄関に消えていった。月夜は、水草が生い茂った池の横を通り、石造りの階段を上がる。その先が昇降口だ。彼女は、未だに昇降口と下駄箱の違いが分からなかった。どちらでも意味は通じるし、あまり変わらない気がする。昇降口は空間的な概念の名称、下駄箱は靴を入れる物体の名称、といった違いかもしれない。
外履きを脱ぎ、上履きに履き替える。校舎内はしんと静まり返っている。廊下を歩くと、彼女の足音が響いた。
教室の前にやって来て、扉を引いて室内に入る。当然、まだ誰もいない。自分の席に移動し、背負っていたリュックを机の横にかけて、彼女は椅子に座った。
午前七時だった。
窓の外に、近隣にある大学の屋上が見える。ここは三階だから、学校の中では高い方だ。
リュックから参考書を取り出して、月夜は勉強を始めた。とりあえず、世界史をやることにする。すでに流れは掴み終えているので、あとは単語を覚えるだけだ。年号は完全に無視した。最近の出題傾向では、年号を直に扱ったものは少ないらしい。だからといって、時間の流れをまるごと無視するわけにはいかない。問題とは直接関係のない形で、年号や時代の移り変わりが重要になってくる。
自分も、来年は、受験生だ、と月夜はなんとなく考える。
未だに、そんな実感はなかった。
しかし、それは、いつも感じることだ。
何も特別ではない。
この高校に入るときも、受験勉強をしている感覚はなかった。高校に入るのが、現代社会のデフォルトだから、勉強して、高校に入学した。それくらいの理由しかない。勉強といいながらも、ほとんど身に着いたことはないし、それ以降役に立ったことも僅かしかない。参考書の内容を覚えて、本番のテストでその通り答えたら、合格した。本当に、そのくらいでしかなかった。
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