3 手駒

「『お前に我が力の一部を授ける。これからは我が手駒となれ』」


 黒い狼の言葉に、ミカエラは呆然となっていた。


「な、何を──」


 正義の味方であるこのミカエラが、まぎれもない『悪』である伯爵の手駒になる――。


 そんなことはあり得ない。

 あってはならない。


 にもかかわらず、ミカエラの思考は異様なほど混乱していた。


 言い返せない。

 普段の彼女なら、強い意思を持って反抗を示しただろうに。


 まるで、今の言葉に心が魅入られてしまったかのように――。

 手駒になれ、という言葉が甘美に響く。


「わ、私は……」


 ミカエラは、ふらふらと一歩踏み出した。


「い、いえ、違う。私が、伯爵に与するなど……」


 理性のすべてを動員し、その歩みをなんとか止めた。


「ふむ、陥落寸前というところですな。とはいえ、あなたをそこまで揺るがせたのは、残念ながら我が主ではなく――あの少年のようですが」


 執事がつぶやく。


「ああ、それと言伝はもう一つあります。『できれば、手駒ではなく仲間になりたかった。だが、我が仲間と認められるのは、強き心の持ち主のみ』


 狼の双眸がミカエラを見据える。


「『お前は弱い──ゆえに、我が仲間の対象外だ』と」


 意識が、混濁していく。


「ううう……」


 心の中に、何かが入ってくる。

 心が、塗りつぶされていく。


 そんな――異様な不快感。


「『手駒程度がふさわしい。さあ、我が軍門に下れ』」

「い、嫌です……私の中に、邪悪な意志が入って……だめ、私は曇りなく、汚れなき正義……」


 ミカエラは必死に言いつのり、自我を保とうとした。


「私を、汚さないで……正義を、汚さないでぇぇぇ……っ……」


 だが精神の侵食は止まらない。


 自分の意志が、自分以外の何かに塗り替えられていくような恐怖。

 そして、絶望。


 アルジェラーダがあれば対抗できたかもしれないが、いかにクラスS神器といえども破壊されてすぐには修復できない。


 ミカエラの意識は反転し、やがて──。


「『なかなか良い手駒になりそうだな』」


 そんな声を聞きながら、彼女の意識は完全に途切れた。

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