4 第三の神器
俺は寮に戻ってきた。
王立騎士学園の男子寮である。
「……手を洗うか」
返り血などは特になかったのだが、なんとなく両手を洗いたい気分だった。
俺は井戸がある中庭に行く。
「ミゼルくん? 遅かったね」
声をかけてきたのは、同じクラスのレナ・ハーミットだった。
青い髪をポニーテールにした、活発な美少女である。
一年のときから同じクラスで、よく話しかけてくる。
たぶん俺の境遇に同情してくれてるんだろう。
ちなみに、騎士学園の寮は男女別に分かれているが、この中庭は共用部分だった。
「あたしはちょっと寝付けなくて素振りしてたの。あ、別にミゼルくんの帰りを待っていたとかじゃないよ、えへへ」
月明かりの下、なぜかレナの顔がかすかに赤らんでいる。
「ねえ、その格好は何?」
レナがたずねた。
「ん?」
そういえば、俺はまだ『死神の黒衣』を身につけたままだった。
寮に入る前に神器を解除して、元の制服姿に戻るべきだったんだが、気持ちが高ぶって失念していたのだ。
「ええと、これは……」
俺は口ごもった。
なんて説明すればいいだろう。
「似合ってるね、ミゼルくん」
レナが微笑んだ。
「そうか?」
「うん、かっこいいよ……あ、やだ、言っちゃった」
レナはますます顔を赤くする。
「かっこいいのか、これ?」
「服というか、ミゼルくんが」
「えっ」
「な、なななななんでもないっ」
レナはさらに顔を赤くした。
さっきから、なんなんだ?
「え、えっと、もう遅いし、あたしはそろそろ戻るね」
言うなり、レナは背を向けた。
逃げるように走り去っていく。
「また明日、学校で」
「ああ、また明日」
俺は彼女の後ろ姿に手を振った。
「死の女神の神器……か」
俺は裏手の井戸で念入りに両手を洗った。
いくら相手が悪人とはいえ、五人も殺したのだ。
少なくとも愉快な感触ではなかった。
だけど──これは、俺がやるべきことだと思う。
力を得たなら、その力に対する責任を果たしたい。
それに、以前からずっと思っていたことだ。
この国にはびこる犯罪者たちを──さらに言うなら、世界中の悪を。
討ち滅ぼしたい、と。
今日はその一歩だ。
もちろん、父さんや母さん、姉さんを殺した連中にはきっちりと報いを受けさせてやる。
やることも、やらなきゃいけないことも、たくさんある──。
と、右手から淡い光がこぼれた。
『神器No.3の解放条件をクリアしました』
『名称:審判の魔眼』
『クラス:A』
『タイプ:寄生』
『効果:対象が犯した罪、及びその
現れた宝玉の表面に、そんな説明文字が浮かぶ。
「罪の値を計測……?」
俺の右手に乗っているのは、表面に「3」と刻まれた宝玉だ。
それが弾けたかと思うと、
「うっ……ぐうぅぅぅぅぅっ……!」
左目に焼けるような痛みが走った。
俺はふらつきながら、井戸の縁に手をついた。
水面に俺の顔が映っている。
黒髪に、母さんや姉さんとよく似た中性的な顔立ちだ。
学園で、一部の女子からは『綺麗』と騒がれることもあるが、俺自身はよく分からない。
と、自分の顔を見ていて、ふと違和感を覚えた。
何かが、違う。
「これは──」
俺の左目に赤い輝きが宿っていた。
魔眼の発する輝きが、まるで紋様のように……。
翌朝、俺は騎士学園に登校した。
学内では、ターニャ先輩がダールと交戦し、負傷した話でもちきりだ。
俺もその場にいたのだが、名乗るのはやめておいた。
何しろダールや、帰り際に出会った強盗を、俺はいずれも殺している。
相手が犯罪者とはいえ、五人を殺せば確実に刑務所行きだろう。
冗談じゃない。
悪を、殺す。
俺は神器の力で、もっともっと悪人を狩るんだ。
刑務所になんて行っている場合じゃない。
と、
「なんだ、これは──」
俺は目の前の光景に異変を感じた。
男女合わせて数十人の生徒が行きかう通学風景。
彼らの頭上に、数字が見える。
ある生徒は『10』、別の生徒には『25』、また別の生徒には『71』──。
『
頭の中にそんな説明が響いた。
罪の値、だと?
もしかして、昨晩俺の目に宿った(らしい)魔眼の力なのか?
「おはよう、ミゼルくん」
と、レナが話しかけてきた。
騎士学園の制服である赤いリボンに黒いブレザー姿。
そして、頭上には『2』という数字。
これが彼女の犯した罪の数字、ということか。
品行方正なレナだが、さすがにまったく罪を犯さない人間なんていないよな。
むしろ周囲を見渡しても、彼女の数字が一番小さい。
……もし俺の頭上を見ることができたら、数字はいくつになっているんだろう?
ふとそんな疑問が浮かんだ。
「どうしたの? 考えごと?」
キョトンと首をかしげるレナ。
「いや、その……」
「……ターニャ先輩のことだね」
レナの表情が沈んだ。
「昨日、殺人鬼と交戦になって大怪我したって聞いたの。ただ、処置が早かったおかげか、命に別状はないって」
「そうか」
その辺のことは、ターニャ先輩を病院に連れて行ったときに、だいたい聞いている。
全治一か月だそうだ。
俺がダールを殺したとき、先輩は気絶していたと思うが、実際はどうなんだろう。
放課後に病院に行って、確かめておかないとな。
「後でお見舞いに行かない?」
と、レナ。
「お見舞いか……」
ちょうどいい機会かもしれない。
何よりもターニャ先輩の傷の具合が気にかかる。
あの人は、俺を守ろうとして傷を負ったんだ。
「分かった。一緒に行こう」
「うん、約束」
騎士学校では実戦的な剣術はもちろん、集団での戦術からこのフリージア王国や周辺諸国の歴史、政治、経済、算術など様々な授業がある。
座学系の授業中、俺は新たな神器である『審判の魔眼』のことを調べていた。
基本機能は今朝見た通り、効果範囲内にいる対象──つまり人間の罪の数値を表示することだ。
罪の数値は、たとえば『殺人』なら基本数値が『300』のように罪の種類ごとに数字が決められている。
魔眼はその人間が今までの人生で犯した罪をすべて読み取り、合計数値を表示できるわけだ。
また、『条件付け』をして表示することもできるようだ。
たとえば、『今までの人生で一人以上の人間を殺した者の罪の数字だけを表示』みたいに設定すれば、殺人者の頭上にのみ『
これに、『正当防衛』だったり特定の条件下での殺人を除外する設定を付け加えれば──俺が狩るべき『悪』を簡単に把握できるんじゃないだろうか。
放課後はターニャ先輩の見舞いがあるから、その後で本格的に試すとするか。
早ければ今夜から──。
「悪人狩りの開始だ」
俺は口の端をニヤリと吊り上げた。
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