第350話 最低最悪のお兄ちゃん
「お兄ちゃん、どっか行っちゃうの? お別れってなに? 私も行くよ?」
胸が締め付けられる言葉。
まだ、俺の言葉の意味を理解できてない……いや、「そんなわけがない」と思っているんだろう。
俺が二人とここでお別れするなんて、そんなわけがないと。
だけど、言わなくてはいけない。
「ごめんな……連れて行けないんだ……」
「……え?」
「エスピ、スレイヤ……ここで……」
苦しい。
痛い。
なんて重いんだよ……でも……言わなくちゃ……
「お別れだ」
「ッ!?」
俺と出会い、心を許してくれるようになって、いつもニコニコしていたエスピの表情が固まった。
「おわか……れ?」
「ああ。俺はもうこの時代には居られない。未来に……本来の時代に帰る。この時代を生きる今のお前たちとは……ここでお別れだ」
連れ去ってやりたい。
でも、できない。
俺は血が出るほど拳を握りしめ、それでも……
「やだ……」
だけど、それでエスピが納得するはずもない。
「やだ」
「エスピ……」
「やだぁ!!」
俯き、肩をプルプルと震わせ、唇を尖らせて、その瞳には涙が溢れ、そして……
「お兄ちゃん、わたし、わるいことなにもしないよ? わるいことしてたら、なおす! なおすから! ごめんなさいするから! いいこにする! だから……」
エスピは俺に飛びついてきた。
泣きじゃくりながら、必死に……
「ちがう、エスピ。お前は悪くない。何もしてない。お前は今のお前のまま大人になればいい。悪いのは俺なんだ」
「ごめんなさい! ごめんなさい! もっといいこにする! わがまま言わないよ! お兄ちゃんこまらせない! おかしももういらない! 服もいらない! だっこも減らすから! だから……だから……だから……やだ……やだ……すてないで……すてないで! きらいにならないで!」
捨てる? そうだ。
連れていけない。帰らなくちゃいけない。
それは俺の事情。
エスピからすれば俺のやっていることは、そう思われても仕方ないんだ。
「エスピ……ごめん……」
「やだ」
「ここで、俺たちは――――」
「やだぁぁぁ!!!!」
ああ。分かっていた。
俺たちは濃く繋がり過ぎた。
この話をすれば、こうなることは分かっていた。
「やだ! やだやだやだやだやだやだやだ! やーーーーだーーー! やだやだやだーーーー!」
「エスピ……」
俺の首にしがみついて泣きじゃくるエスピ。
絶対に離すもんかという意思を感じる。
妹を泣かせるのはこれで「二回目」だな。
そして、俺はようやくあのときの……
――あ~、みーつけた~。妹を泣かせる、最低最悪なお兄ちゃんをね♪
未来で初めてエスピと出会ったとき、エスピは俺に向かってそう言った。
あの言葉の意味は、こういうことだったんだな。
お前の言うとおりだ、エスピ。
アマエの時といい、俺は本当に最低だな。
そして今日は妹だけじゃなく……
「お兄さん……なんで……ボクたちを……捨てるの?」
弟まで……
「そうじゃねえ。お前らは俺の大事な妹と弟だ」
「だったら……なんで……っ、じゃあボクたちも連れて行ってよ! ボク、別にこの時代がどうとかこだわらないよ! お兄さんが未来に行くなら、ボクたちも連れて行ってよ!」
「ダメだ……」
「嫌だよ! そんなの!」
スレイヤも俺の腕を掴んで、必死に叫んだ。
いつも子供らしくない小生意気なスレイヤが、その瞳に涙を浮かべている。
ああ、妹だけでなく弟まで……
【充電ガ完了シマシタ】
「「ッッ!!??」」
だがそんなとき、終わりを告げる言葉が響いた。
「ねえ、お兄さん……もうスイッチを押すだけで跳べるよ。で……どこの座標……場所がいい? 未来のこの場所でいいの?」
「いや……場所は……ゲンカーンの港町にしてくれ……そこに……会いに行かなくちゃならない奴らがいる。十年以上も……待たせている奴らが……」
「……うん……」
もう時間もない。族長は切なそうに苦笑しながらも淡々と作業してくれる。
そして……
『童。その時計の一つをこの時代のエスピに持たさねばならぬぞ?』
『え?』
『それをエスピが未来で貴様に渡さなければ、貴様はこの時代に来ることができない』
『……あっ、そうか……』
トレイナに言われて思い出した。
死ぬかもしれないリスクを伴うこの時計を、未来のエスピは俺に渡した。
でも、そのエスピにそもそも渡したのは……ああ……そういう……
「族長。あと、その時計を一つ……時が来たら、エスピに預けて欲しい」
「エスピちゃんに?」
「そうだ。そしていつの日か、俺に渡して欲しい。設定はこの時代に……」
「ああ、そういう……なるほどね。そういう……」
これだけの説明で族長は理解してくれたようだ。
本当に助かる。
ただ……
『いや、童よ。貴様、当初エスピにこの時計を渡された時にムチャクチャに弄って……で、この時代よりもさらに昔のヒイロの……』
「あっ、そうか……ははは……『設定しても意味がないんだけどな』って……そういうことか……」
「?」
ということは、あれだけ無茶苦茶弄って設定を台無しにして、そこからこの時代に来れたってのは運が良かったってことか……
「お兄ちゃん! わかんないよぉ! いっちゃおうとしないで! いかないで!」
「お兄さん!」
そう、運が良かったんだ。
こいつらと会える時代に辿り着けて……
「ごめん。ほんとうにごめんな、二人とも。もっと一緒に遊んでやりたかった……カリー食いたかった……もっと……もっと……ごめんなぁ……お前たちを泣かせる最低最悪のお兄ちゃんで……ほんとうに、ごめんなぁ……」
俺は二人を抱きしめた。
「じゃあ、遊ぼうよぉ! カリーも食べようよ!」
「お兄さん、やだよ! ボク、ボクは……」
小さな二人の身体を力いっぱい抱きしめる。
畜生。目が熱い。俺も涙が……って、バカ野郎! 俺の所為なんだ。俺が泣いてどうするんだよ!
俺に泣く資格なんてないだろうが。
「エスピにはリボンをあげたし、スレイヤにはこれをプレゼントだ」
何かないかとポケットを漁り、出てきたのはナイフ。
皆でキャンプしたり、カリーをした思い出だ。
「いやだ、いらないよ! いらないから、一緒にいてよ……」
「このナイフを持っていろ」
「お兄さん……」
「エスピと一緒に……仲良くな。お前にしかエスピのことを任せられないんだから」
「うっ……うぅ……」
忘れるものか。この温もりを。この想いを。
未来で、十数年も待ち続けたお前たちに、心の底から謝るためにも……
「いいか、お前たちは一人じゃねぇ。この世界で俺のことを知っているのはお前たちだけだ。世界は知らなくてもお前たちは俺のことを知っている。だから、二人……仲良くな」
「ふたりじゃやだ……おにいちゃんいない……おにいちゃんだけいない……さんにんがいいよぉ……」
「お前たちがもっと大きくなった未来で……必ず俺たちはもう一度会える。絶対にだ。そのときは、いっぱいカリー食べよう。いっぱい遊ぼう。ずっと……一緒にいよう」
未来のお前たちがたとえ許してくれなかったとしても、どれだけかかっても、俺はお前たちに償い続ける。
「族長……ラルウァイフ……この時代で俺の真相を知っているのは、エスピとスレイヤ以外ではあんたたちだけ……二人を気にかけてもらいてぇ……」
「……お兄さんにはお金の他にも俺たちの命を助けてもらった恩もあるんだし……そんなことぐらい……ね」
この二人のことを見守り、時には手助けしてもらいたい。その想いを二人に頼むと、族長は微笑んで頷いてくれた。
そして……
「アースと言ったな。未だに貴様がヒイロやマアムの子供と言われてもピンと来ないが……それが本当だとして……貴様が本当に未来から来た者だとして……貴様が友となったのは、未来のアカなのか?」
アカさんのことを尋ねるラルウァイフに、俺は正直に頷いた。
「ああ」
「では、アカはその時代まで……生きていてくれているのか……そうか……そうなのか」
すると、ラルウァイフは天井を見上げ、瞳に涙を浮かべるも、ほんの少しだけ微笑んで、泣きじゃくるエスピとスレイヤの肩に優しく手を置いた。
「エスピ。スレイヤ。愛する者との突然の別れ、会えない苦しみは小生も痛いほど理解しているつもりだ。しかし、希望がある。未来に。いつの日か、会うことができる……必ず……なぜなら、未来から来た男がそう言っているのだ」
「ラル……」
「そして、小生も決めた。小生も生きるぞ」
ラルウァイフは答えを出したようだ。迷いのない、希望を抱いた瞳でスレイヤとエスピを抱き寄せ、そう宣言した。
「アカの居ない世界に未練もなく、いつ死んでもいいと思って戦っていた。そんなアカが生きていると分かった時、己のこれまでを振り返り、その醜い歴史を許せなくなり、なおさら死のうかとも思った。しかし、今は違う。小生は生きる。血にまみれて醜くなった小生でも、いつの日か胸を張って堂々とアカと再会できるぐらい……誇らしい人生を送り、いつの日か必ずアカに会いに行く。そう誓う。アオニーの分まで……だから、お前たちも……」
「う、うぅ……うう……どうして……お兄ちゃんとずっと一緒にいたいよぉ……」
「だから、お前たちも強く生き、胸張って会える人生を過ごして……いつの日か、この男に抱きしめてもらえ。なんだったら、殴ってやれ」
ラルウァイフの言葉は重く響いただろう。
だが、それで簡単に納得できるわけでもなく、エスピもスレイヤも泣き止まない。
だけど……
「いつの日か必ずまた会える。そして、今から言う俺の話を四人とも覚えておいてくれ。近い将来、ヒイロとマアムの間にアース・ラガンという子供が生まれる。そしてその子供が15歳になり、アカデミーの卒業を控え、帝国でアカデミーの御前試合があり、その大会でアース・ラガンは家出する。その後、鎖国国家カクレテールで格闘大会があって、その大会の後から数日経てば俺たちは会える。カクレテールの後はゲンカーンでウロチョロしてる。そのときの俺はお前たちのことをまだ知らない……でも、必ずお前たちのことを愛している俺が会いに行く。そのときは、何発ぶっとばしても構わない」
口に出すだけでも途方もない年月だ。十年以上の月日を今からこいつらを待たせなければならない。
そうだ。
今も待たせているんだ。未来であいつらを……
「未来でお前たちが待っている。だから俺は行く。いいか、何度でも言うぞ? 俺はお前らが大好きだ!!」
族長から時計を受け取り、ラルウァイフの腕の中で泣きじゃくるエスピとスレイヤの頭をもう一度撫でて、そして俺は改めて誓う。
「今度再会したら、この世の全てを敵に回してもお前たちと一緒に居る」
そして、時計を起動し、転送用の陣と共に光が俺を包み込み……
「おにいちゃん……う、あ……あ……おにいちゃあああああん!」
「おにい……さ……ん……」
最後にもう一度愛する妹と弟の声が届いた。
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