第194話 幕間(王子)

 眩しいな。もう朝だね。

 少しの肌寒さを感じながらベッドから体を起こして隣を見ると、寝息を立てているのは、昨晩可愛がってあげた一羽の小鳥。

 疲れているのかな? 深い眠りについている。このまま朝も可愛がってあげたいけど、僕の立場上はそうもいかない。

 今日も可愛いあの子たちと朝の調練だ。

 数日前、僕たちにとっての初陣はダディの横槍で不完全燃焼になってしまった。

 本当ならば堂々と、そして美しく可憐に地上を飛び回るつもりだった。

 しかし、それができなかった。

 大罪人であるヤミディレは自らの意思で降伏した。

 意気揚々と地上へ乗り込んだ僕たちは、戦闘というほどのことはなく、ちょっとした小競り合い……あとは……


「頬の傷は消えたか……」


 あの目つきの鋭い坊やと少しだけやり合っただけ。

 いや、やり合ったなんてほどではない。

 だが、それでいて、あの僅かな攻防であの坊やは僕の頬に傷をつけた。

 僕の紋章眼を相手にそんなことできる者が地上に居るとは驚きだった。

 何よりも、ヤミディレが大人しく降伏したのも既に彼女自身も疲弊していたから。

 彼女をそんな状態まで追い詰めたのは、あの坊や。

 もし、万全な彼と戦っていたら?

 少し恐ろしいと思うと同時に、体が熱く疼く。

 これまでの人生、こんなことは無かった。

 なんだろう……この気持ちは……


「ふふふふ、さて。可愛い小鳥は……まだ寝かせてあげるか。昨日はとても鳴いていたからねぇ」


 身なりを整えて、小鳥を起こさぬようにそっと部屋を出た。

 するとそこには……


「王子……おはようございます」


 ムッとした顔でちょっと不機嫌な僕の可愛い小鳥たちが既に僕を待っていた。


「や、やあ、どうしたんだい?」

「……別に……王子も毎晩毎晩本当にお疲れ様です」

「あ……あはははは。むくれた顔もかわいいな。ヤキモチかい?」

「はうっ、おうじ……」


 小鳥を可愛がった翌日は、皆こんな感じだね。

 でも、僕が少し微笑むだけで彼女たちはすぐに顔を赤くして取り乱す。

 やれやれ、本当に愛おしいね……


「さて、調練だ。数日前は不完全燃焼で終わったが、地上との全面戦争がいつ始まるか分からないしね」


 だが、いつまでも平和でいられるわけではない。

 新たに即位した天空世界の王の意思で、僕たち天空族は世界の覇権を獲りにいく。

 戦争。それは僕たちの世代は話でしか聞いたことがない未知のもの。

 正直、毎日を平和に過ごし、小鳥たちと戯れて生きていければそれはそれで幸せでもあったが、鍛えて高めた自分たちの力を披露できる場が欲しかったのも事実。

 戦争というものに対しては、半分緊張、半分楽しみという気持ちがあり、最近では僕も含めて皆のやる気も満ちている。

 それも全ては、「あの男」の……


「王子、調練の前にヤミディレと話をしたいと……『あの男』が……」

「……なに?」

「陛下は、王子が帯同するのであれば許可すると……」

「……そうか、分かった。では、彼を呼んできてくれたまえ。僕も牢に向かうよ」


 数年前に出会った「あの男」。

 彼は僕たちの世界にあらゆるものをもたらした。


「王子。気を付けてくださいね。ヤミディレは両手足を縛り、両目も塞いでおりますが、何をするか分かりません。くれぐれも……」

「分かっているさ」

「それと、あの男にもです。私……あの人のことはあまり……」

「ふふふ、確かに愉快ではあるが信用はできないからね。でも、僕に心配はいらないよ? 君たちを悲しませるようなことはしないさ」

「はうぅ」


 遥か昔、ヤミディレの裏切りから甚大な被害を受け、地上世界の争いに干渉せずに静観していた天空の世界。

 神の使徒である僕たちは、穢れた地上のくだらない争いには関わらないとしていた。

 しかし、そんな僕らを彼は「怯えて引きこもっていた」とアッサリと言い切った。

 そして彼の言葉や存在は、やがてこの国、この世界、そして天空族に大きな変革をもたらした。

 今では地上との全面対決すらも望むような……


「ふふふ……何だか彼の掌で踊らされているような気もするが……いずれにせよ……ヤミディレの処刑が終われば全ての幕開けとなる。そして僕が戦果を上げれば……ダディも認めてくれるはずだ……」


 そして、それこそが僕の望み。

 数千数万の小鳥たちに惚れられても……失礼だけれどそれらでは全て慰めにしかならない……認めて欲しいのは……ただ一人。

 子供のころから変わらない僕の―――


「……私の処刑の日でも決まったか?」

「ッ!?」


 牢へと続く暗闇の回廊を進む途中、闇の向こうから聞こえてきた声。

 思わず全身の鳥肌が逆立った。


「ッ……」


 背中に汗? 手にも? 今の一瞬だけで僕が気圧された?


「その気配は……例の王子とかいう者か?」


 何重もの術式を施して魔法が使えない牢に閉じ込め、両手足も厳重に縛り、更にはその両目も布を当てて見えないようにしている。

 文字通り手も足も出ない状況だというのに、声を聞いただけで僕は……


「ふふふ、いや。ちょっと様子を見にね……それに、あなたに会いたいという男が居てね」


 動揺を悟られないように余裕を装うが、情けないね、僕も。

 今では魔力も体力も回復しているヤミディレ。

 もし、何かの間違いで彼女がこの牢から出たら?

 数日前では分からなかったが、こうして回復した状態の彼女を見れば、色々と分かってくる。

 強いな……


「おい、約束は守っているか?」

「約束?」

「クロン様の件だ」


 しかし、そんな彼女にも弱点というか……意外にも、自分の命と引き換えにしてでも守りたいものがある。

 そう、僕たちは実力で彼女をこの牢に入れたわけではない。

 疲弊しきった状態の彼女と取引をしたにすぎない。


「問題ないよ。あの島国にはあれから一切手を出していない」

「なら、構わん。さっさと処刑したらどうだ?」

「まぁ、待ってくれ。あなたほどの大物だ。色々と手続きがあるんだよ」

「ふん、どうせ『ディクテイタ』が自分の力を誇示できるよう演出の準備でもしているのだろう?」


 そう言って、ヤミディレはダディを鼻で笑っている。一応二人は同世代とは聞いていたが……何か他にもあるのか?


「おい、父親に伝えておけ」

「え?」

「戦争をするのは勝手だが……貴様らごときでは地上も魔界も手に入れられないとな」

「ッ!?」

「そこまで甘くはない。だからこそ、私も準備が整うまで十五年も隠れていたのだからな」


 これほどの存在感と力を感じさせながらも、ヤミディレが口にした意外な言葉に驚いた。


「それは……地上の勇者と呼ばれる者たちと……魔王軍残党というものかい?」

「……忌々しいが……少なくとも……『勇者ヒイロ』は私よりも強い。『ライファント』も黙っていないだろうしな……」

「へぇ」

「私を処刑し、歴史の汚点でも解消したみたいに触れ回って天空族の士気を上げる……だが、そこが貴様らのピークだ」

「…………」

「貴様らは何も分かっていない。オーディンなどというまやかしの神をいつまでも崇めているだけの世間知らずな貴様らには、世界は獲れん」

「……ならば、十五年前に死んだトレイナという者が神だと……そう言うのか?」

「あ゛?」


 思わずほんの僅かに体を引いてしまった。


「キサマゴトキガ……ソノ名ヲ軽々シク口ニスルナ」


 手も足も出ない状況のヤミディレの、言葉だけで僕は引いてしまった。

 まずいな……飲み込まれ―――――



「いんやー、まいったまいった。昨日は皆で楽しくパーティーでさ~、二日酔いで遅くなっちゃったよ」


「「ッッ!!??」」


「目が覚めたら頭もイテーし、腹も痛くて、便所で格闘してたよ……いんや~、アレは戦争かな? ひははははは!」



 あ……


「やあやあ、王子。おっは~。遅れてメンゴメンゴ~」


 飲み込まれそうな禍々しい空気を、現れた彼が一瞬で粉々に砕いた。



「にしても、若者をイジメちゃいかんよ~? あんたの後輩でしょ~? ねぇ? ヤミディレの姉御~」


「……なっ……え? なっ、は? ど、どういう……」


「あは! ヤミディレの姉御が、縛られてる~。すげー貴重。だって、普段なら自分が男や女を縄で縛って鞭で叩いてそうなのにさ~、ギャップにそ・そ・られ~」


「ば……ばかな……ばかな」


「とりあえず、ごぶさたおっは~」


「ッ!?」



 僕が気圧されたヤミディレをまるで小ばかに……いや、嘲笑うかのようにニヤニヤとして現れた男。

 その存在に、ヤミディレの様子が明らかに変わった。


「キ……キサマ……まさか……」

「おお、目が見えないのに分かる? オレが分かる? 流石に付き合いが長いだけあるか? 十八年ぶりぐらい?」

「ふざ……けるな……声だけで? 姿形が見えずとも、声を聴かずとも……この醜悪な空気だけで……い、生きて……いたのか?」


 ヤミディレにとっても彼のことは予想外だったようだね。

 一応、二人の関係は事前に聞いていたが……にしても、ヤミディレがここまで動揺するとは……やはり彼もまた……



「王子ィィ! 大変です、王子! すぐに……すぐに来てください!」


「ッ、あ、え?」



 っと、ビックリした。いきなり大声で部下の娘が駆け付けて……一体何が?



「ち、地上から……地上から巨大な醜い生物が、地上人たちを乗せて、この国に接近しております!」


「な……に?」



 それもまた、僕にとって全くの予想外の出来事だった。


 そして、とにもかくにも、今日、この世界の歴史が大きく変わることになる。

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