第128話 充実
水を失って乾き切った体も、元に戻ってきた。
疲れきった身も心も、魔呼吸を習得したという達成感で、すっかり立ち直っていた。
『だいぶ、慣れて来たな。ヴイアールでは、魔呼吸とブレイクスルーの併用をほぼ使いこなせている』
「ああ。自分でも驚いているよ」
『ここまで来ると、あとは……『例の必殺技』だな……』
「ああ。また、今夜もヴイアールで付き合ってくれよな?」
『無論だ』
水抜き期間中は精神的にも無理だったヴイアールのトレーニングもここ数日で以前のようにこなせるようになった。
その中で、俺は覚えたての魔呼吸だけじゃなく、更に必殺技を習得しようとしていた。
いや、それだけじゃないか。他にも……
「ああ……それと、トレイナ」
『ん?』
「必殺技とは別に……教えてもらいたいもんがあるんだが」
『なに?』
「だから、今夜からはもうちょい色々と付き合ってもらうぜ」
とにかく、一つの地獄を超えて、一つの力を得たことで、俺は更に貪欲になった。
水抜き期間中は夜も眠れず、とにかく朝が早く来いと思っていたのに、今では朝が来るのが早すぎると思ってしまえるぐらいに。
「あら、アース。ごきげんよう。もう、すっかり元のアースに戻りましたね」
朝、いつものように教会の食堂に顔を出した俺に、クロンが優しく微笑んで出迎えた。
すると、ツクシの姉さん、カルイもどこかホッとしたような表情を見せて俺を手招きした。
「アース君、げんきかな~? お姉さん、本当に心配してるかな!」
「いんやー、あんちゃんが変なことになってすごい怖かったっすけど、これで安心っすね!」
水抜き期間を終えて、徐々に元のタイムスケジュールで動くようになった俺。
もう、水抜き期間のように、ほぼ夜中のような真っ暗な時間帯でのロードワークはやっていない。
そして、今日にはこうして教会のシスターたちと一緒の時間帯にここに来ることができた。
「ああ、もう問題ねえ。心配かけたな」
「アースくん……」
「だから、ツクシの姉さん。マチョウさんに……勝っちゃっていいんだよな?」
もう心配要らないどころか、前とは違う。
自信を持ってそう言った俺に、ツクシの姉さんも驚いたようだ。
そして……
「よう」
「ッ!? ……おはよう……ございます」
俯いて目を合わせないようにしながらも、視線をチラチラチラチラ俺に向けてくるそいつに、俺は軽く挨拶。
サディスはビクッと肩を震わせて戸惑いながらも、頭を下げた。
俺の言った「決着」の意味がまだ分かっていないのは明らか。
でも、今はそれでいい。
だから、今、無理に険悪になる必要も無い。
ただ、それだけだ。
昔のように接することが出来なくても、無理に壁を作らなくてもいい。
「あんちゃーん! まだベッドでおねむなアマエとも、起きたらちゃんと遊んであげてよねー」
「おう」
ギスギスイライラしながら焦って自分を追い込んでいた俺だったが、一つのできなかったことができるようになり、一つの地獄を越えた。
その事実が俺に心にも多少のゆとりを持たせてくれたのかもしれない。
すると……
「何か一つのことを成し遂げたようだな」
「ヤ……いや……」
この水抜き期間。俺に何も言わずにただ黙って見ているだけで、一言も言葉を交わさなかったヤミディレが食堂に現れ、どこか機嫌よさそうに笑みを浮かべた。
「ああ……あんたにも心配をかけたな、『大神官』様」
「ふん。随分と慇懃無礼に感じるな。だが……どこか、前よりも……何を成した?」
「それは、今度の大会を楽しみにしていてくれよ」
「ほぅ……」
ヤミディレの笑みに対して、俺も自信を持ってそう返した。
と言っても、魔呼吸を覚えただけで、俺も今の時点でヤミディレを越えただなんて自惚れたことは言わない。
しかし、相手の力を知りつつ、それでも尚こういう風に向き合うこともできるようになった。
そしてヤミディレもまた、俺の態度に気分を悪くするようなことはなく、むしろ嬉しそうな表情だ。
「よかろう。見せてみろ! 貴様の望みどおり、自己流で任せた貴様の道の果てをな」
「ああ。見せてやるよ。あんたにも。そして……」
この国の連中にも、師匠にも、そしてサディスにもな。
あと、ついでではあるが、あいつらにも……
「おい、アースくん!」
「オラ、来たぞ! 今日からまた一緒にやるんだろ!」
「今日は学校休みだし、ちょっと早いけど……」
「ふあぁ……眠いんだな……」
今日は魔法学校が休みなようで、朝早くから来たモトリアージュたち。
教会の前で声を上げて俺を呼ぶ。
「おう! 今、行くぜ! じゃ、俺はちょっと走ってくる。果物だけ、もらってくぜ?」
「はーい、ガンバかな!」
俺は食堂のテーブルにあったリンゴを一つだけ取って、齧りながら外に出た。
「よう、お前ら」
爽やかな朝。爽やかな空気。
やはり、ロードワークはこれぐらいの時間でやらねーとな。
「なぁ、アースくん。もう大丈夫なのかい?」
「何がだ?」
「オラァ、何がってどう考えてもこの間までのお前は明らかに変だったじゃねーか」
「まぁ、そうだな」
「うん。あんなボロボロでゲッソリして……でも、もう大丈夫なの? 何か病気だったわけじゃないんでしょ?」
「まーな」
「じゃあ、どうしてあんなことになってたんだな?」
こいつらにも随分と心配させていたみたいだな。
まあ、そりゃそうだろうな。
あんな状態でこいつらのトレーニングにも付き合っていたんだからな。
「まぁ……」
「待つ! まって、まって、まつのー!」
「お?」
そのとき、ドタドタと誰かが慌てている音が教会に響き渡る。
どうやら、まだおねむだったようだが、モトリアージュたちの声で起きて、慌てて降りてきたようだ。
「いく!」
アマエだ。当初は俺の肩に乗ってロードワークに出ていたアマエ。
しかし、水抜き期間は俺に怯えてついてくることもなかった。
「なんだ? まだ眠いんじゃないのか?」
「いーくーの!」
俺がこうして元に戻ったことで、また一緒に来るようだ。
「わーったよ。じゃ、いくか」
「ん! ん、肩!」
「ほいほい」
アマエが乗りやすいように俺は少し腰を曲げると、アマエが嬉しそうにしながらジャンプして飛び乗った。
「おねーちゃん! おねーちゃん!」
「はいはい、水筒でしょ?」
「ん!」
俺の肩に乗ってツクシの姉さんをアマエが呼ぶと、それが分かっていたかのようにツクシの姉さんはアマエに肩にかけられる大きさの水筒を渡した。
この間の俺の水抜き終了時に水筒を渡してくれたことを俺が褒めたことで、すっかり本人は水筒係だと言わんばかりに「準備万端」と胸を張った。
その分、俺の負荷が増えるわけだが、それは言わないでおく。
「いくー! がんば! がんば! がんばー!」
「っしゃ、いくぞ、お前ら!」
「「「「おうっ!!!」」」」
まるで、チームみたいな感じだった。
五人とお目付け役のような幼女と一緒に朝の街を走って海を目指す。
「もう、すっかり元に戻ったね、アース君!」
「あ? 何言ってんだ、俺はいつだって俺だ!」
「はぁ? メチャクチャゲッソリして病人みてーだったじゃねーか!」
「見かけはな。だが、その分、色々と研ぎ澄まされ、そして内に秘めたものをうまく育てることが出来た」
「育てるって何を?」
「闘争心だ」
「トーソーシン? どういうことなんだな?」
こいつらとのロードワークでは、俺はアマエを肩に乗せたり、両手足にも重りを付けているハンデ状態だ。
当初はそれでもこいつらは俺より先にバテた。
しかし、何だかんだでこいつらも段々とちゃんとついて来れるようにはなっている。
まぁ、ここからダッシュをやったり、シャドーをやったりでこいつらの口数も少なくなっていくわけだが、それでもこいつらも少しずつだが伸びているのが俺にも分かった。
「ふ~」
街から海へのロードワークはウォーミングアップ中のウォーミングアップ。
体をイジメ抜くのはこれから。
ここから先は、今のようにノンキな雑談はできなくなる。
だから、その前に……
「あの、ヨーセイって野郎のことだ」
「「「「ッッ!!??」」」」
それは、こいつらにとっては自分の人生や学生生活において何らかのキッカケを与えた存在。
そして、そいつの存在があったからこそ、こいつらも強くなろうと思った。
だから、言ってみればヨーセイという男はこいつらにとっては一つの壁でもあり、目標でもあるのかもしれねえ。
「確かに、お前らは強くなってきている。だがな、それでもすぐにあのヨーセイって奴を超えられるかって言ったら、無理だ」
「うっ!? で、でも、アース君、その……簡単じゃないってのは分かっているけど……」
「そうだ。すぐには無理かもしれねえ。だが、これからの日々、そして時間を掛ければ話は変わってくる……ただし……その前に……大会が来る」
「そ、それは……」
「だから、お前らに聞いておきたい」
それは、こいつらに対する確認でもあった。
「今度の大会、俺も出る。そして優勝するつもりだ。つまり、あのヨーセイが出るのなら、どこかで俺はヨーセイと戦う。そして、俺はあいつを叩きのめすことになる」
ヨーセイも大会に出るのは確定事項。
そして、俺が優勝するのは課題でもある。
つまり、俺はこいつらが歯を食いしばって追いかけているヨーセイを公衆の面前で叩きのめすということになる。
「あ……」
「そ、それは……」
「うっ……」
「…………」
それは、こいつらにとっていいことなのか、悪いことなのか。
「それを目の当たりにしたら……お前らはどうなる? スカッとするのか? それともやる気をなくすか? お前らも歯を食いしばってんだから、いつか自分の手であいつを叩きのめしたいって思うだろ?」
俺の問いにモトリアージュたちは戸惑いを見せた。
「それなのに、その前に俺があいつを叩きのめしちまってもいいのか?」
こいつらが必死こいて超えようとしているヨーセイを、俺がボコボコにしてしまったら、こいつらは目標を失うことにならねーか?
短い付き合いとはいえ、俺の後ろを追いかけて走って来た奴らだ。
そんなの「知ったこっちゃねぇ」なんて言えるほどの浅い仲でもないと俺も感じたからこそ、確かめておきたかった。
すると意外にも……
「僕たちはヨーセイを見返すためだけに頑張ってるんじゃないんだな……」
俺の問いに答えたのはブデオだった。
いつも真っ先にバテては弱音を吐く……けども、何だかんだで毎日訓練には参加しているこいつだった。
「自分を変えたい……それが理由なんだな……だから、うん……つらいけど、強くなりたいんだな。だから……アース君がヨーセイをぶっ飛ばしても、僕はそこでやめたり……いや、ちょっとサボるかもしれないけど……これからも……つらいけど……うん、もうちょっとやってみるんだな! アマエちゃんは応援してくれるし……教会のシスターさんたちにもカッコいいところ見せたいんだな」
完全に断言はしないものの、ブデオなりの答え。
だが、「ヨーセイ倒されても、これからも必死に頑張る」と断言されるよりは、よっぽどブデオらしくて、ブデオの本心のような気がした。
すると、モトリアージュたちも苦笑しながら……
「ヨーセイが目の前で倒され、それでやる気が無くなったりしたら……僕たちは元の校舎裏でイジけていた頃のままだしね」
「だいたい、お前ですらあんな病人みてーになってまで必死にやってんのによ……このまま何も達成できねーまま終われるかよ」
「うん。僕たちもヨーセイに勝ちたい。でも、一番は……自分が変わりたいんだ……」
こいつらも、これまでのトレーニング。そして、水抜き期間の俺の様子からも何かを感じ取ってくれたようだ。
だから、ヨーセイを倒すことに何も問題ない。
その答えを俺は受け取った。
だから……
「アマエ」
「ん?」
「水筒を貸してくれ」
「ん!」
アマエから水筒を受け取り、俺はモトリアージュに渡す。
「おらよ」
「え?」
「順番に飲んでいけ」
「え、あ、うん……んっ……はい、オラツキくん」
「お、おう……んぐっ……モブナ」
「あ、ありがとう。ぷはっ……はい」
「んごきゅ、んごきゅ。……ぷは~……僕も飲んだんだな」
「おう。じゃあ、最後に俺もだ……ぷは~っ!」
水筒をモトリアージュ、オラツキ、モブナ、ブデオで回して飲み、最後は俺の手に。
そして俺もまた受け取った水筒に口を付けて飲んでいく。
「アースくん? 一体……」
「俺も出会いから、その途中でも色々あり、あのヨーセイって野郎にはそれなりにムカついている」
「え?」
「俺は弱い者いじめをする気はねえが、心の底からムカついた相手を公然と殴っていいってのに、日和って平和的に済ませるほどお人よしじゃねえ。だから、殴るさ。でも、その拳にはお前らの気持ちも乗せてやるよ」
そう、俺がヨーセイを倒してしまう以上は、せめてこいつらの気持ちぐらいは乗せてやらないと。
「こうして共に汗を流し、同じ水を啜った仲なんだからよ」
飲み干して空になった水筒をひっくり返して、俺は言ってやった。
「アース君……君……この数週間で少し変わったかい?」
「くはははは、じゃあ、俺も少しは強くなったってことなんじゃねえのか?」
俺の言葉を聞いて四人はおかしそうに同時に笑みを浮かべ、そして……
「「「「ん? っていうか、今から砂浜でダッシュとかシャドーとかやるのに、水を飲み干しちゃってどうするの?」」」」
「………え?」
…………あ!?
「あーーーっ!?」
「「「「なにやってんのおおおおおお!?」」」」
自分でもキマったと思ったのに、外してしまった。
しかも……
「むーーーーー! アマエは飲んでないのーー!」
「え?」
「ばかー! ぐすっ、アマエだけ仲間外れ……ぐすっ」
アマエが泣きながら怒って俺の髪の毛を引っ張って抗議。
どうやら、自分だけ飲ませてもらえなかった、仲間外れだとおかんむりの様子。
「おい、アース君、君はなんてことを!」
「ったく~、キメ顔でまさかの……」
「ははは、まったく」
「アースくん! アマエちゃんを泣かせるのダメなんだな!」
「えーーい、うるさい! 人間その気になれば水なんて数週間飲まなくても生きていける!」
「「「「死ぬ寸前に見えたけど!?」」」」
でも、なんだろうな。アマエには悪いけど、俺たちはなんか笑っていた。
「とにかく、今日は水無しだ! 死ぬ気で付いて来い! ダーーーーッシュ!」
「くそ、もうやけだよ! いくよ、みんな!」
「ぜってー、やってやる!」
「うひー、どうなっちゃうんだ……」
「ぼ、ぼく、そこまでキツイのは流石に困るんだな~」
ただ、水抜き期間中には味わえなかった、充実して楽しいと思えるような時間だった。
だが、充実して楽しい時間を過ごせば、その分、時が経つのも早く感じるもの。
この国に来た当初、三か月後の大会というのは長いとすら感じていた。
しかし、気付けばその大会ももう目の前まで―――――
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