第121話 欲しいもの

 心が揺れて迷いながらのトレーニングほど身につかないものはない。

 浜辺で話し込んで、すっかりトレーニングの始まりが遅くなった俺は、そのままこの場で始めることにした。

 トレイナにチェックされながらヨーガのポーズを取り意識を集中させる。だが、どうしても気持ちがどこかへ行ってしまう。


『集中力が足りん』

「悪い……」


 ポーズを取ってもグラついて乱れる。集中しきれず気持ちが散漫になっている。

 大会で優勝すれば、出会ったばかりの女と子作り。しかしそのことを考えると、シノブやサディスが頭を過ぎっちまう。

 

『やれやれ……恋愛初心者はこれだから……』

「ぬっ!? いや、でもあんただって生涯独身なんだったら、恋愛初心者だろうが!」

『むっ、そ、そんなことは、ほら、余は特別な相手は居なくともそれこそ何十万、何百万の者たちに慕われていたしな!』

「その結果、あのヤミディレみてーなのが誕生しちまったんだろうが!」


 つまらないことで言い合いになって、トレーニングが中断しちまう。

 これではダメだと頭を振っても、イマイチ気分が乗らない。



『とにかく、どんな精神状態でも一定の能力を引き出せるメンタルがなければ、どれほどの実力が身につこうとも、活かしきれんぞ? それこそ、世界へ出たら精神が病むような残酷で悲惨な現実を目の当たりにするかもしれん。たかが、男女の関係で気を病んでいるようでは、先が思いやられるぞ?』


「うっ、ごもっとも……」


『よいか、魔呼吸は心の乱れが激しい奴にはマスターできぬぞ? ただでさえ、あのヤミディレすら習得できぬ超高難度の技術なのだからな』


 

 トレイナの言うとおり、俺の悩みは物凄いアホらしいことなのかもしれない。

 とはいえ、それでも今の俺にとっては心を乱すには十分すぎるもの。

 心を切り替えるキッカケが掴めず、俺は溜息を吐いて海を眺めた。


「情けねーな、俺も!」

『まったく……』


 俺は頭を掻き毟りながら立ち上がり、ヨーガを勝手にやめてその場で夢中でシャドーを始めた。

 あまりフォームを意識せず、特に対戦相手を想定せず、ただ目の前の何もない空間に向け、モヤモヤを振り払うかのようにひたすらパンチを繰り出した。


『ふむ、シャドーは流石にそれなりだな。あのメイドと同じように、身についた動きに関してはそれなりにキレるようだな』


 スパッと放つ左ジャブ。砂塵を舞上がらせる右フック。

 しかし、これだけでは六覇には及ばない。

 まだ、差がある。圧倒的に。

 でも、それでも俺は魔法剣を捨てた以上、この拳で戦っていかなくちゃいけない。

 そのためには、ウダウダ考えてる暇なんてねーってのに。


「くそぉ……」


 情けない。力だけじゃなく、心も弱いと自己嫌悪に陥っちまった。

 そんな俺を……


「じ~~~~~~~~~~」

「うおわっ!?」


 いつの間にか、浜辺の木の陰に隠れて俺にジッと視線を向けるやつが居た。

 角がピョコンと出ているので、犯人は丸分かりである。

 ある意味で、今、「三番目」に会いたくない人物が唐突に現れたことに俺は思わず仰け反った。


「な、にやってんだよ、クロン……」

「あら、見つかってしまいましたね。でも、気にせず続けてください」


 いつから居た? 独り言は聞かれてなかったか?


『安心しろ。余たちが会話していた頃には居なかった』


 一応、トレイナも肝心なことは聞かれていないと告げるも、それでも俺は少し緊張した。

 だって、優勝したらこいつと……


「いや、つか、何をやってんだよ、あんたは……」


 っていうか、そもそも何やってんだ?

 大切にされていた女神様が一人で……いや……


『居るな。空にも』


 あえて見上げない。しかし、俺の真上。遥か上空に感じる気配。

 翼を生やした女が、もし何かあったらいつでも急降下できるぐらいの距離で見張っている。

 とはいえ、離れた距離で見張っているということは、俺とクロンがこうして二人で話をすることは公認しているということになる。

 すると、木の陰に隠れていたクロンは微笑みながら全身を出した。

 その手には何かが詰まっていると思われるバスケット。


「アースのお昼ご飯を持ってきました。一緒に食べようと思いまして」

「え……?」

「ふふふ、ヤミディレも本当にアースを信頼しているようです。普段は私が軽はずみに人前に出ることは許してくれないのに、今回は『多少遅くなっても構わない』とまで言ってくれたのですから」


 何の疑いもなく微笑むクロン。恐らくヤミディレはこうやって親密になって、俺が優勝した後も問題なくスムーズに子作りできるようにと……しかし、ここまで露骨にされると、本当に俺が優勝できなかったら、俺はどうなっちまうんだ?


「アースの動き……見ていました」

「ん? おお、そうか……」

「とっても綺麗でした。こう、ぴゅっ、ぴゅっ、ぶん! って」


 興奮したように俺のシャドーの真似をするかのように、へにゃへにゃパンチをやってみるクロン。それだけで、クロン自身が鍛えられていないことが分かる。


「もっと、見ていてもいいですか?」


 そして、屈託のない目でそう聞いてくるクロン。その目に居心地の悪さを感じ、俺は思わず目を逸らしてしまった。


「いや、別に、見て面白いものでもないし」

「いいえ、とっても素敵です。雷のようにビュッと速くて、竜巻のようにブンって風が起こるみたい。それを舞っているように綺麗な動きをしているんですから、ずっと見ていられます」

 

 俺が目を逸らしても、ジッと向こうは見てくる。照れるよ。

 その気恥ずかしさを誤魔化すようにシャドー。

 それをクロンは砂浜に座り込んでニコニコ楽しそうに見続けてきた。


「アースは……」

「ん?」


 だが、途中でクロンが俺に話しかけてきた。俺は手は止めないでぶっきらぼうに返した。


「アースは何で頑張っているんですか?」


 素朴で純粋な疑問。

 何故、俺は頑張るのか?

 その答えは簡単だ。


「強くなるためだ」

「なぜ、強くなりたいのですか?」

「俺が弱くて何も出来ない野郎だから……何かを成し遂げられるぐらい強くなりたいんだ。ただ、それだけだ」

「なるほどぉ」


 俺の答えに微笑みながら何度も頷くクロン。

 この答えで納得したのか?

 いや、違う。


「アースは……うそつきですね」

「はっ?」

「だって、それだけではないのでしょう?」


 その唐突な言葉に俺の手は止まった。


「いや、俺は別に嘘は……」

「いいえ。分かります。アースが本当に欲しいものは違うものなのだと思います」


 それはどこか確信を持っているかのように、クロンは微笑みながら断言した。


「おいおい、何をテキトーに……つか、それなら俺は何のためにこんなことしてるって言うんだ?」

「それはまだ分かりません。でも、アースが本当に欲しいものは、強さだけじゃなく、もっと別のものなのだと思います」


 俺としては本当に嘘をついたつもりはなかった。


「それは、サディスにも関係のあることなのでしょうね」

「な……に?」


 だから、クロンの言葉には「は?」となったし、そもそも何故、今日会ったばかりの女にそんなこと分かるんだと、少しムッとした。

 なのに……


『ほぅ』

「えッ!?」

「……?」


 トレイナがどこか感心したようにクロンの言葉に頷いた。

 今では俺のことを誰よりも見ているトレイナのその反応。

 それはある意味で、クロンの言葉が間違っていないと言っているようなもので、俺は思わず反応してしまった。

 だから、俺もクロンの言葉をただのバカなことと無視できなくなり、仕方なく聞いてしまった。


「なぜ……あんたはそう思った?」

「勘です」

「勘かよ!?」

「ええ。だから、もうちょっとアースのこと、アースの昔のこと、アースがこれまで過ごした人、アースがこれまで出会った人たちのことを聞かせてもらえれば分かるかもしれませんが……」


 その言葉は、俺に「昔のことを教えろ?」と言っているのだろうか?

 食堂では根掘り葉掘り聞こうとしなかった俺のこと、サディスのことを……


「まっ、それは置いておいて、そろそろお腹すきませんか? ほら、サンドイッチですよ~!」


 と、俺が身構えそうになったものの、クロンは特に俺のことを追及しようとはせず、持っていたバスケットを開けて、中から二人分はあるだろうサンドイッチを見せてきた。

 

「これ……」

「はい、作ってもらいました」


 別に、クロンの手作りというわけではない。

 しかし、その見せられたサンドイッチ。見ただけで、俺はすぐに分かった。


「ああ……誰が作ったか……聞かなくても分かる」


 そう、分かって当然だったからだ。

 俺がこれを何年食ってきたことか……


「はい。思う存分、召し上がれ~」

「…………俺は……」

「あーん、です」

「いや……」

「あーん」


 そして、誰が作ったか分かるからこそ躊躇ってしまう。

 しかし、そんな俺の心情を知らないのか、それとも知っててお構いなしなのか、クロンは俺に差し出してくる。

 人の気も知らずに、なんか、ちょっとウザい。でも、かわい……。

 その押しに負けてしまい、俺は差し出されたサンドイッチを渋々受け取った。


「自分で食える」

「あら」

「ったく……」


 ほんの数秒躊躇い、諦めてサンドイッチにかぶり付く。

 そして、俺はかぶり付いた瞬間、思わず固まっちまった。


「……あ……」


 本来サンドイッチは、パンと素材の味がするだけのもの。

 だが、それでも「あいつ」が作ったサンドイッチは例外だった。

 一回、帝都のカフェでサンドイッチを食ったことあったが、何の感動も無かった。

 それ以来、俺はサンドイッチだけは「あいつ」が作ってくれたもの以外……


「っ……つ……」

「……アース?」


 子供の頃からずっと食べていた。

 何でだ? まだ、家出してそんなに日数は経っていない。

 なのに、このサンドイッチの味はどうしても懐かしいと思ってしまった。

 ふかふかのパンの食感。シャキシャキのレタス。ハムに塗られたオリジナルのソース。

 

「おいしいですか?」

「……おう……」


 どうしても「まずい」、「もう二度と食いたくねえ」なんて捻くれて言うことはできなかった。


「では、私も……ん~! 素晴らしいです! 本当に美味しいです! 私、こんなに美味しいサンドイッチは初めてです!」

「……そうか……」


 一人だったら泣いていたかもしれない。

 しかし、クロンが居たことで、意地でも泣くものかと、俺はこみ上げるものをグッと堪えていた。


『やれやれ……根性はあれど……心は情に脆いな……相変わらず』


 トレイナ? 


『しかし……童が本当に欲しいもの……か。確かにそれを手に入れるにあたって、強さを求めるのは手段の一つに過ぎない。それをアッサリ見抜くとは、コピーとはいえ、なかなか鋭いな』


 どこか切なそうな表情を浮かべて俺とクロンを見ているトレイナが何かを呟き、そして空を見上げる。


『まぁ、いずれにせよ……童の望みはどうであれ、もしあのメイドが純正なシソノータミの系譜なのだとしたら、『あの力』を目覚めさせる可能性もある……ヤミディレは手に入れようとするだろう……そして、今の童には三か月後の大会優勝後も含めて、それに抗うレベルには……だが!』


 ちょっと心が揺れ動いている俺の目の前で、トレイナが何かを決意したようだった。


『このまま何もかもがヤミディレの思惑通りに進むのは癪だな! 是非とも乱してやりたいものだ。余の言いつけを破ったことだしな!』


 そう言って空のヤミディレを睨むトレイナの目は、どこか挑戦的なものだった。


 

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