第47話 先入観

 森の奥を凝らして見る。

 夜の薄暗さで最初はよく分からなかったが、黒い大きな塊がゆっくりとこっちへ近づいてくるのが分かった。

 まだ何かは分からない。

 ただ、一つ分かっているのは……デカイ!

 その影が、森の大岩のような質量で、それでいて……二足歩行!?


「……な、なに?」

『おい、童……体の痺れは取れたなら……いつでも動けるように身構えろ』

「お、押忍……」

『油断もするな。いつでもブレイクスルーを発動できるようにしていろ』


 トレイナすらも警戒しろと俺に注意する。

 分かっている。

 獣がいる森に入った以上は、危険な「何か」と隣り合わせだということは。

 あの大きさで考えられる獣……熊とかか? 

 いや……なんだ? 影の形がようやく分かってきた……なんだ? あの、頭部から伸びている二本の鋭い角は?


「おめさ……人間だか?」


 言葉を喋った!?


「ごーんな遅くに、なーにやっでるだが?」


 まさか、人間? いや、違う。だが、人の声を喋って……


「な、なにいっ!?」


 そして、ようやく俺ははその近づいてきた巨大な何かの正体を見た。

 全身赤黒い肌。

 毛皮のような腰巻を巻いているが、それ以外は全部肌を露出している。

 デカい質量は肥満ではなく、全てが隆々とした巨大な鋼の筋肉。

 頭部から伸びる二本の角は異形の証。

 そして、肩には『何か』が入っている袋を背負っている。


『こやつ……オーガ族だな』

「ッ!?」


 トレイナの言葉で、俺の全身に一気に緊張が走った。

 魔族の中でも戦闘能力が高く、そして獰猛な種族と『言われている』オーガ。

 知能はそれほど高くないが、それを補うには余りあるほどの怪力の持ち主であり、数十年前の戦争では常に最前線に立って連合軍を苦しめ、そして多くの街や国を襲ったと『言われている』。

 人類にとってはある意味で、ポピュラーな恐怖すべき魔族。


「おめ、わげーな……子供が?」


 そして、最も恐れられ、嫌悪されている理由は他にもある。

 その容赦ない残虐性だ。

 制圧した街で女子供老人などの非戦闘員も容赦なく虐殺や凌辱を行う鬼畜だと『聞いたことがある』。


「ひょっどして、迷子が?」


 俺の姿を見て、少し驚いた様子を見せたがそのまま近づいてくる。

 って、何やってんだ、俺! ビビッてる場合か!


「そ、それ以上近づくんじゃねえ!」

「あで?」

「ガキだからって……俺を舐めるんじゃねーぞ?」


 トレイナに「すぐに動けるようにしろ」と言われながら、しばらく呆然としてしまったことにハッとなった俺は、急いで身構える。

 ステップを踏みながら、大魔フリッカーの構え。

 つっても、こんな筋肉ムキムキの体の硬そうな奴にフリッカーが通用するか?

 いや、それならスピードで翻弄してやる。

 こんな無駄にデカイ図体の持ち主なら、スピードが伴うはずが……


「お、おおい、お、おちついでげろ! おで、なにもしないだで!」

「ああ?」

「ほんどだって! たのむがら、そんな怖い顔をしないでげろ!」


 何だ? 急にオーガが焦ったような顔をして俺を落ち着けようとしてくる? 

 冗談じゃねえ! 俺を油断させてどうする気か? まさか食う気か?

 どっちにしろ、薄汚ねえオーガなんか……俺のブレイクスルーで……


『待て……童……少し様子が変だ』

『あ? 何言ってんだよ!』

『このオーガ……本当に戦意がないぞ? 邪心もない……』

『はぁ? おいおい、相手はオーガだぞ? 信じられるか!』

『いや……だが、これは……』


 焦る俺に対してトレイナが横から口を挟んでくるが、このときばかりは、俺はそれをすぐに信用できなかった。

 初めて出会った、トレイナ以外の「魔族」という存在。

 それは、悪名高いオーガ族。

 なんでこんなところに居るのか知らないが、落ち着いてなんか居られるか。



「あっ、そだ。おめー、腹がへっで、イライラしてるでねーだか? だったら、おでの家さくるだ。うんめーもん、食わせてやるでよ!」


「ああん? てめ、舐めてんのか? そんな言葉に引っかかるか! なんだ? 俺を太らせて食う気か?」


「食う? そ、それ違うでよ! おで、人間、食わねーだよ! ほんどだ! おで、人間に悪いごとさしねえ!」



 どうする? 先手必勝で仕掛けるか? あんなのに捕まったら終わりだ。

 それともブレイクスルーで逃げて……



『オイ、童……話ヲ聞ケ』


「ッ!?」



 その時だった。

 俺の傍らに居たトレイナが見せる、強烈な怒気の篭った言葉に、俺は目の前のオーガよりも怖いと思っちまった。


「えっ……あ……?」


 どうして、トレイナがここまで怒る? 俺は何が何だか分からなかった。


「ど、どうして……」

『言ったはずだ。このオーガには……本当に戦意がない。邪な気持ちもない。童、純粋に迷子の子供である貴様を心配している』

「でも!」

『それとも貴様は……自分の目でこれまで見たわけではない……『人づて』でしか知らないオーガの存在も、先入観のみで判断するのか?』


 先入観のみで判断するな。

 確かに、俺はオーガと初めて出会ったし、その危険さは噂でしか聞いたことがない。

 そして、そんな俺に対して、トレイナは……



『なぁ、童よ。貴様は知らないのか?』


「……えっ?」


『つい数時間ほど前……勇者の息子という肩書きでしか自分を見てもらえない男……大魔王の技を使っただけで何も事情を聞かずに戦士失格などと罵倒された……そんな悲しい男が居たことを、貴様は知らないか?』


「ッ!!??」


『そして、ここに……貴様を心配して親切にしてやろうというのに、『オーガ』という種族でしか見てもらえない者が居る……さて……貴様はどう思う?』



 その言葉を聞いた瞬間、俺は顔が熱くなり、自分自身が恥ずかしくて仕方なくなった。

 そうだった。

 誰もが「勇者の息子」という肩書きでしか俺を見ないことに嫌気を差した俺は今、「オーガ」という種族だけで目の前に現れた戦意も邪心もないという奴を相手に……


 親父や母さんや、帝都の連中だけじゃねえ。


 恥知らずで、大衆と同じ狭い心を持っていたのは、俺も同じ……



「うおおおおおおおっ、でいっ!!!!」


「うお、ど、どうじだ!?」



 あまりにも恥ずかしくて、俺は自分の頭をすぐ傍にあった木に打ち付けていた。


「ダセエ……ダサすぎるぞ俺……ハンパなくダセエ……」


 トレイナに言われなければ気づかなかった。自分自身がムカついてしょうがなかった。


『ゴメン……確かに……俺が間違ってたよ……トレイナ……』

『ふっ、謝るのなら余ではないと思うがな……』


 そう言って、俺の謝罪に対してトレイナは優しく微笑んで、顎で目の前に居るオーガへ振った。

 そうだ。

 正直、こいつが何なのか、何でここにいるのか、つか、本当に俺を心配してくれているのかどうかは分からない。

 だが、それでもまずは妙な先入観を持たずに……いや、流石に初めて出会った魔族であり、オーガ相手にいきなりフレンドリーに接するのは無理かもしれねーし、正直怖い。

 多分、俺が油断していたら、こいつが軽く俺の頭を掴んだだけで一瞬で潰せる。首の骨をへし折れる。それぐらい強そうな奴だ。

 でも、まずは俺を一応は心配してくれたオーガに向かって……


「ご、ゴメン……急に怒鳴っちまって……あんたの言うとおり、道に迷って、腹も減ったし、色々あったから……いや……単純に俺が心の狭いバカだったからあんなこと言っちまった……悪かった……許してくれ」


 血が少し滲み出ている頭で、俺は目の前のオーガに向かって頭を下げた。

 普段はあまり人に頭を下げない俺だったが、このときばかりは「誰がどう見ても俺のほうが悪い」と自分でも分かっていたからだ。

 すると、目の前のオーガは……


「そがそが、そではしょーがねえ。おで、オーガだから、人間、恐がるの無理ねーだ。よくあることだでよ」


 最初は恐怖を覚えたオーガの形相が、まるで近所の豪快なおっさんのように満面の笑みを俺に見せた。

 そのデッカイ何かを感じさせる笑顔に、俺は心が揺らぎ、そして同時にさっきまでの自分がもっと恥ずかしいと思った。



「今日はもう遅いだ。おでの家さぐるだ。朝になっだら、街へのいぎかださ、教えてやる!」


「あ……ああ」


「でれへへへ。人間、おでの家に招待するの初めでだ。おで、さっき、『ニク』てにいれだから、うんめーもん食わせてやる」



 そう言って、オーガは俺を許すどころか、助けようとまでしてくれる。

 隣に居るトレイナの顔を一応確認して見ると、トレイナも何も言わずに俺に頷いた。



「そだ、おめーさ、名前は?」


「名前? 俺……アースってんだ」


「アースぐんか。アースぐんは……良い奴だな」


「……は? なんで?」


「おで、今まで会っだ人間、皆おでを怖がっだ。でも、アースぐん、おでを信じた。おで、人間ど仲良ぐなりだかっだがら、うれしーんだ!」



 いやいやいやいやいやいやいや……物凄い敵意剥きだしただろうが、俺。

 このオーガ……とんでもないお人よしなんじゃ……え? これ、ほんとにオーガか?



「おでは、アカ。『アカ・ナイター』っていうだ。よろしぐな、アースぐん」



 まるで異種族と接しているとは感じさせない。


 いや、俺が勇者の息子だって分かって下手なおべんちゃら言ったりしてくる大人や、ハズレの勇者の息子だなんて言って来る連中よりもよっぽど……人間味溢れていた。


 それが、俺と奇妙なオーガ、アカさんとの出会いだった。

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