第32話 幕間(姫)

 帝国の姫にして勇者の子でもある、フィアンセイ・ディパーチャは夢を見ていた。


 まだアカデミーに入学もしていない幼少期。

 王宮の家庭教師と共に部屋で勉強をしていた。

 しかし、その頃のフィアンセイはあまり勉強に集中できないでいた。


『姫様……お勉強の時間です。あまり窓をチラチラ見られては困ります』

『うぅ……だってぇ……』


 机から外の様子ばかり窺おうとするフィアンセイを叱責する家庭教師。

 しかし、フィアンセイはブスっと拗ねるだけで反省している様子はない。

 それどころか、明らかに注意散漫で、窓ばかりをずっと気にしている。

 そして……


『おーい、フィーアンセーーーイ!』

『ッ! きた!』


 その声が聞こえた瞬間、フィアンセイはすぐに反応して立ち上がった。


『おーい! フィアンセイー! 勇者ごっこするぞー、お前も来いよー!』

『うん! いーーーくーーー!』


 窓の外から聞こえる幼い声に、フィアンセイは花が咲いたように笑みを浮かべながら窓を開ける。

 すると、外に広がる王宮の庭の芝生に三人の幼馴染が居た。


『おっす! いつまでベンキョーしてんだよ、早く来いよ!』

『ふん……子供じゃあるまいし、勇者ゴッコなんて……』 

『リヴァル~、ぼくたちまだこどもだよ~?』


 屈託ない悪ガキのような笑みを浮かべている少年。

 少しクールな少年。

 女の子のような顔をして、三人の中で一番小さな少年。

 それは、フィアンセイがいつも一緒に遊んでいる三人であり、家庭教師にとっては悩みの種でもあった。


『……はぁ……またですか、アースくん。姫様は今、お勉強中ですよ? あなたもお父様に怒られますよ?』


 先頭に居る男の子に家庭教師が注意して収めようとするが、なんの悪びれも無く、幼い少年アースは返す。


『これだって、立派な勉強だ! フィアンセイは俺たちネオ勇者の仲間なんだ! これは勇者になる勉強なんだ! そうだろ?』


 両腕組んで「えっへん」と胸を張るアースに家庭教師も頭を抱えるが、その隙にフィアンセイはドレス姿だというのにはしたなくも窓に足をかけてそのまま飛び出していく。


『うん! 勇者の勉強は大事だから、我はするんだ!』

『あっ、ちょ、姫様ッ!』


 外へ飛び出すフィアンセイが手を伸ばすと、アースも笑顔でその手を取った。

 ギュッと握られる子供同士の手。フィアンセイは嬉しそうにほほ笑んだ。


『あ~、姫様! アース君! 遊ぶならお勉強が終わってからです! 今日という今日はちゃんと姫様には課題をやってもらいませんと!』


 しかし、家庭教師も簡単に逃がそうとはしない。

 フィアンセイの後を追うように自分も窓に足をかける。

 すると……



『来たな、大魔王カテーキョーシ! ネオ勇者、かまえろ! 俺たちの仲間を守るんだ!』


『『おうっ!』』



 オモチャの剣や長い棒や杖などを構える少年少女たち。

 少し本気で怒り始めた家庭教師からフィアンセイを守るように一歩も引かない。



『仲間は何があっても守るのが勇者なんだ! だから、安心しろ、フィアンセイ。俺たちが何があっても大魔王からお前を守ってやるからな!』


『あふぅ……うん……我を守って……えへへ……』



 フィアンセイを自分の背中に回し、盾になるかのように身を乗り出して家庭教師に構えるアース。

 ピトッと身を寄せるフィアンセイは、アースの小さな背中と温かさを嬉しそうに感じながら、頬を赤らめた。



『誰が大魔王ですかー!? まったく、あなたたちも! 遊んで勇者ゴッコばかりでは、ご両親のように立派な勇者になれませんよ?』


『そんなことない! フーは世界一の魔法使いに! リヴァルは世界一の剣士に! フィアンセイは世界一の槍使いに! そして、俺は父さんを超える世界最強ウルトラ勇者になるんだ!』



 子供の夢。しかし、あの時の自分たちなら本当にそうなれると疑っていなかった。

 それは、どこまでも頼もしく自分たちを引っ張るリーダーが居たからだ。



『ほほ~う、それはそれは頼もしいですね~……では、未来のウルトラ勇者様には大魔王カテーキョーシ様と、この悪魔サディスを倒してもらいましょうか?』


『げっ、さ、サディス!? なんで?!』


『んふふふふ~、宿題をサボって遊び惚ける坊ちゃまを捕獲しにきました~♪』



 とはいえ、リーダーにも弱点はある。どうしても勝てない悪魔が居た。


『坊ちゃま。ちゃんとやることやらないと、私も嫌いにちゃいますよ~?』

『えっ、そ、う、う……そんな!?』

『かわ……い……おっと、ヨダレが……コホン。さ、帰りますよ、坊ちゃま……』

『うぅ……わ、わかった……帰る……』


 そういうときは、自分が守るのだと、フィアンセイがアースを守るように悪魔に構える。


『アースは下がれ! この悪魔は我が倒す!』

『え、フィアンセイ!?』

『こい、悪魔! 我の仲間には手を出させないぞ!』


 肩を並べ、そして時には背中を預け合う。

 その自分たちの関係が、フィアンセイは好きだった。


『アース、フー、リヴァル、ネオ勇者出陣だ!』


 きっと、その時から……それ以上前から……自分はいつもその少年と一緒に居るのが当たり前だった。

 それは、未来もずっと同じ。

 それは確定事項の未来だと、フィアンセイは疑いすらしていなかった。


「……あの時のアースは……無垢でめんこい子だったな……」


 懐かしく幸せな夢から覚めたフィアンセイは気分良くしながらベッドから起き上がった。

 もう、あれから十年近くの月日が流れた。

 幼いころのように毎日一緒に居ることはなくなったが、それでも自分たちの絆は変わっていないと信じている。


「そういえば、あの頃から少ししてか……フーの才能だったり、リヴァルの身体能力だったり……皆も幼いながら徐々に才能の片鱗を見せ始め……我もアースも……自分たちも何かを……そう思い始めて焦りだし……少しずつ、遊ぶ時間が減ったのだったな」


 だが、一方で昔のように接することができなくなっているのもフィアンセイは分かっている。

 それも、成長の過程上仕方のないものだとは理解しつつも、やはり少しだけ寂しいとは思っている。


「特に……我らのネオ勇者のリーダーだったアースも……少しずつ……大勇者ヒイロの名前にコンプレックスを抱き始めて……目の色を変えるように努力をし、しかしそれでも周囲の期待が重く、イライラしはじめ……自分を貶めるようになり……ふん、アカデミーに入った時、我のことを「姫」と呼んだときは泣きそうになったぞ?」


 かつて外へ飛び出した時の窓へと歩み寄りながら、庭を眺めるフィアンセイ。

 十年前までは、アースを先頭にして皆が居た。

 だが、もう何年も皆がそこに集ったことは無かった。


「……でも……もうすぐだ。リヴァルとフーは帰ってきた。アースも最近は少し変わり始め、優勝とか口にしてるし……うん。大丈夫だ。卒業したら、皆、本物の戦士……帝国騎士になってもう一度、ネオ勇者が揃う!」


 少しずつ疎遠になりかけていた幼馴染たちだが、フィアンセイは信じていた。

 必ずもう一度自分たちは昔のように、そしてもっと立派になって集まることが出来ると。

 そのときは、本物の戦士として、この帝国を、そして世界の平和を守り続けられるような存在となって。

 そして……


「……にしても……リヴァルとアースが我を巡って争うようなことになるとは……」


 幼馴染たちとの友情以外のことについても、決着を付けなければならないとフィアンセイは思っていた。


「リヴァルの気持ちは誇らしいが……しかし、我はやはりアースが……この間、アースだって我のことを好きだというのが分かったし……ましてや、優勝してアイツの方から告白したいみたいなことを……だが、今のアースが優勝か……」


 フィアンセイの心はある意味ではもう既に決まっていた。

 だが、「チャンスが欲しい」と訴える大事な幼馴染を無下にすることもできない。

 そして悩ましいことに、アースの優勝は難しいとフィアンセイも思っている。

 アカデミーの三年間で、自分が誰よりもアースの力量を知っているからだ。

 一方で、ただでさえ単純な戦闘力を誇ったリヴァルは、この一年の留学で遥かに強くなった。

 その強さには自分でも勝つことは難しいだろうとフィアンセイも感じていた。

 よって、リヴァルが優勝をしてしまったら……


「はぁ……我も罪な女だな……大切な幼馴染に争わせるのだから……」


 本来なら御前試合に備えて自分も優勝を目指して鍛錬の追い込みに入る所だが、幼馴染たちの間での恋愛問題に、フィアンセイは悶々としてしまい、訓練にしばらく身が入らなかった。


「……と、いつまでもクヨクヨ考えている場合ではない。とにかく御前試合終了後……あ、あわよくばアースとそのまま一夜を……。うん、あの悪魔メイドから入手した、アースのこの艶本で奴の趣向を復習しておこう……」


 アースの本心や、アースが決め始めている進路のことをまるで知らないまま……


 ついに、その日を迎えることになる。

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