第16話 片鱗

 トレイナはラダートレーニングを「ウォーミングアップ」と言った。

 俺はそれを「準備運動」と捉えた。

 だが、これはそれを遥かに超越している。


「ぜえ、ぜえ……つか……俺も体力ある方なんだけど……はあ、はあ……準備運動で死ぬ……」


 普通、準備運動といえば、体をほぐして軽く体を温める行為だと俺は思っている。

 だが、もうほぐれるどころか、足の筋肉が張っているんだけど?


『ラダートレーニングは毎日行え。もちろん御前試合が終わってからもだ』

「ま、マジか……つか、足が……腿がピクピクしてやがる……足もつりそう」

『慣れろ。そして日課にしろ。習慣にしてしまえば、毎日必ずやらないと気持ち悪くなる。そうなってしまえばもう問題ない』

「こ、これを毎日? マゾになりそうだぜ」

『そうだ。自分をイジメ抜き、日々強くなる自分へ快感を覚え、そんな自分に酔い、病みつきになる。言ってしまえば、マゾでナルシストで中毒になるのだ』


 結局マジカルラダートレーニングにかなりの時間を費やした。

 少しずつコツは掴めそうだったが、まだ完璧には出来ねえから、慣れていかねえとな。

 だが、これで準備運動っていうんだから、恐ろしいもんだぜ。


『では、トレーニングメニューの通り、貴様には体術を教えてやろう。ただ、その前に……貴様、体術の心得は?』


 そして、次は体術。というか、ここから本格的な訓練ってわけか。


「一応、基礎としてはな。アカデミーでも組手とかはやるしな」

『そうか。ならば、まずは動きを軽く見せてもらおう』

「動き?」

『うむ……『シャドー』……いや、……『スパーリング』だな。そう、『ファントムスパーリング』を行う』


 ふぁ、ファントム? 幽霊? また訳の分からん用語を言いやがって。



『やれやれ、分からんか? 体術のトレーニングの定番として、シャドーというものがある。それは仮想の敵を想定し、一人でその敵と戦うつもりで、攻撃を回避したり、拳や蹴りなどを繰り出すトレーニングがある』


「ほぅ……」


『スパーリングは相手を用意した模擬戦のこと。そして、ファントムスパーリングとは今、余が考えた。仮想の敵ではなく……実際の相手でもなく……実体の無い幽霊を相手に組み手をするのだ』



 そこで俺は何の違いがあるのか分からなかった。仮想の敵ではなく幽霊を相手? 幽霊なんて……幽霊?


『そう。余だ。余を実際に存在すると想定して組手をしてみるぞ』

「んなっ!? お、俺が……あんたと……?」

『ああ。殺すつもりでかかって来い。その代わり、ダメージは与えられないまでも、こちらも反撃するのでそのつもりで居ろ』


 まさかの、大魔王との組手。確かに、触れることは出来ないが、組手の真似事ならすることができる。


「くはははは、こりゃおもしれえ! いいじゃねえか。やってみようぜ。大魔王様の体術がどれほどのもんか見てみてーしな!」


 確かに、これなら仮想の敵を想定して一人でやるより、よっぽど効果がありそうだ。

 それに、興味もある。

 魔王の体術。

 そして、俺が魔王相手にどれだけ戦えるか?


「おい。じゃあ、あんたも俺の攻撃が当たらないからって、当ってないフリするなよな? ちゃんと当たったら自己申告しろよ?」


 俺は拳の関節を鳴らして、足の疲れも忘れ、少しワクワクしていた。

 だが、そんな俺に対してトレイナは……


『フハハハハハハハ。秀才の割には、その考えはゼロ点だな』

「はっ?」

『貴様、余に攻撃を当てられると思っているのか?』

「ッ!?」


 その瞬間、空気が変わった。

 意気込んだ俺を一瞬で押しつぶすかのような、目に見えないプレッシャーに俺は思わず息を呑んだ。


『さぁ、どこからでもかかって来い。魔法を使っても構わんぞ?』


 大魔王と組手をする。

 しかし、相手は幽霊で、反撃されたところで俺にダメージはない。

 死ぬことも絶対にありえない。

 なのに……


『ふん。どうした? 余が怖いか?』

「ッ!?」


 組手の真似事? 俺は、今から大魔王と戦うってことだ。

 そう実感し、目の前でトレイナが俺と向き合うように立った瞬間、俺は更に汗が冷たく感じた。

 

『死にもせん……怪我もせん……何一つ恐れることは無いと思うが?』


 どんな形でも「戦う」と意識して目の前に立つだけでこれほど違うものなのか?

 何の危害も無いはずの敵に立ち向かうことがこんなに怖いものなのかよ?


『まぁ……実際に死にもせんし、怪我もせんが……イメージはしてしまうかもしれんがな』

「ッ!?」


 そう、イメージできちまう。

 実際死なないと分かっているのに、どういうわけか命が握られているような感覚。

 目を見ただけで意識が遠のきそうなほど、重たく苦しく冷たい。

 圧倒的な威圧感。

 普段、タメ口聞いたり、普通に会話していたトレイナが……恐ぇ……


『どうした、腰抜け? だから貴様は周囲から言われるのだぞ? 最も嫌悪するあの言葉を』

「ッ!?」

『それでも貴様は勇者の―――』 


 だが、こいつは相変わらず俺のモチベーションを上げたり、戦意を煽る!


「う、うるせーんだよッ! やってやらぁ!」

『ふん……父親より賢いようで……単純なところは同じか……だが、それでようやく一歩目だ』

「うおおおおおおおおおおっ!」


 だが、戦意がいくらあっても覆せないのもまた……覆せない現実!


「帝国流体術・速連飛燕拳!」


 駆け出し、左拳の連打から入る。

 変則的な軌道から繰り出す高速の左は、相手を撹乱させるように……


『ふむふむ』

 

 俺の動き全部をジッと見ながら、俺の拳を軽々と見切り、それどころかその場から一歩も動かず上半身だけ体を動かして回避しやがった。

 だが、そんなもんに今さら驚かねえよ。

 左拳で意識を上に集中させてからの――


「そらぁ!」

 

 右のローキック! 入る―――


「ッ!? ……あ……え?」

『どうした? 打ち込んでみたらどうだ?』


 俺が蹴りを繰り出そうとした瞬間、視界が何かに覆われた。

 それは、トレイナの指。


『ふっ、別に危害は無いのだが、本能的に悟ったか? あと一歩でも踏み込んでいれば、両目が潰されていたと』

「ッ……のぉ!」


 俺は油断なんかしてなかったのに、動きがまるで分からなかった。

 視界が急に暗くなって、俺の両目の前にあるのがトレイナの指だと理解するのも時間がかかった。

 だが、今度こそ……もう一度距離を取ってから……


「雷属呪文・キロサンダー!」


 相手は霊体だから別にダメージなんかないんだろうが、それでも視界を奪うぐらいはできるはず。

 俺はバックステップで距離を取ってからの雷を上空からトレイナに叩き込んでやる。

 そして、追撃。足場を崩してやらぁ!


「土属呪文・キログラウンドクラック!」

『捻くれた性格かと思えば、やることは意外と王道だな』

「ッ!?」


 庭に落ちた閃光にトレイナが包まれ、足元の地面に軽い地割れを起こして飲み込んでやろうと思ったが……


「……ッ……」

『さあ、遠慮するな。もっとやってみろ』


 俺の背後にいつ……回り込んでいた? 

 バックステップで距離を取った俺よりも早く、俺の後ろにトレイナが回り込んでいた。


「ッ、のぉ!」


 ビビるな。相手は大魔王なんだから……こんなもんむしろ……


『ふむ……雑ではあるが、なかなか素直な攻撃だ……だからこそ、読みやすくて、意外性も無い。が、今はまだこれで十分だな』 


 振り向きざまの裏拳からの、左右の拳の連打、視界の死角からのハイキック。

 だが、俺の全ての攻撃を見てから回避されている。

 幽霊とは関係なしに、攻撃が当たる気がしねえ。


『なるほど……余が生きていた時代に限るが……中級戦士ぐらいの力は既にあるか……雷属の魔法より、土属の方が優れていることも分かった』

「ッ!?」

『経験の浅い体術でこの身のこなし、戦闘のロジック、魔法力……あの頃のヒイロには及ばんが、それでも十分貴様も常人以上の才はある』


 俺の攻撃を余裕で回避しながら、俺を褒めるような言葉。

 とは言っても、こんな状況で言われても全然嬉しくないが……



『やはり、惜しいのは実戦経験や修羅場を潜る回数などが、戦争の時代より無いことか……これだから貴様は言われ続けているのだ……『昔と比べて頼りない』と』


「だ、黙れっ!」


『そうだ! 黙らせてみろ! 周囲を! 世間を! 全てを!』



 俺はめげずに、せめて一撃でもどこかに叩き込んでやると食らいつく。が……


『だが、大体分かった。では……これも経験として受け取っておけ』

「あっ?」

『触れもせず、殺しもせず、怪我もさせず、お前の心をへし折って這いつくばらせてやる』


 そこから先は、正直俺もよく分からなかった。



『さあ、まずは体感しろッ! 大魔王トレイナの力の片鱗をな!』



 だが、これだけは分かった。

 俺は仮想の戦いで、何度も殺されたと。

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