第40話 わかっていればそれで良い。

 最後、最後、最後……最後だから。

 最後だからせめて、やり残したことを一つ、一つ。丁寧に丁寧に丁寧に。

 でも、作業のようにこなしたくない。

 僕は陽菜と晴明君、友恵さんの三人で過ごしてほしいと考えていた。それを陽菜に伝えた。思いつくままに話して根回しも段取りも無い、勢いで押し付けた発想。まだ陽菜から明確な返事ももらって無いし、晴明君には旅行の話なんて伝えてすらいない。そもそも旅行に行けるのかすらわかっていない。

 志保さんに言えば呆れられた後に軽くお説教の一つや二つでもされそうだ。


「やはは、まぁそうだね、その通りだね。シミュレートが足りてないよ」

「はい……シミュレートは大事です」

「そうは言うけど、君は勘でどうにかしようとする癖みたいなのがあるんだよね、慎重なようで、よく考えているようで、結局その場でアドリブでこなそうとするところ。例えばさ、車運転する時ある程度行くまでにどんな道路があるか調べるじゃん」

「それは……もちろんは。直進のつもりで左折専用のレーンとか入りたくないですし、たまにどのレーンがどこに行けるかわからない交差点とかありますし」


 少なくとも初見の道は標識を見逃さないようにする。


「この緩い右の後、キツイ左だ! みたいな」

「峠を攻める漫画でも読んだのですか?」

「教習所に置いてあった」

「あぁ」


 そう言えば僕が行った時も置いてあった。

 そう、志保さんが急に「私も免許くらい持っておかなきゃね」と教習所に通い始めた。まぁこの人なら大丈夫だろうと思っている。


「まぁとにかく、でもまぁこうなった以上アドリブでどうにかするしかないんだよねぇ、まぁ今回のことは教訓として自分に刻んでおきなさい」

「はい」

「ところでドリフトってどうやるの?」

「覚えなくて良いです」 


 教えたらやりそうだ、このお嬢様は。


「この家の車庫にさ、あるんだよね、スポーツカー」

「ちらっと見たことはありますね」


 車にそこまで詳しくない僕でも名前を知っているような、跳ね馬のエンブレムの赤いやつとか。


「故障しないように定期的に動かしてるけど、本気で走ることがたまーにしかないの。可愛そうじゃない? 車が」

「っ……!」


 くっ、確かに、あれで本気で走ってみたい気はする……するんだけど……その助手席に乗せろと言ってくる未来が見える……。


「うち所有の工場の裏の山にさ、あるんだよね、テクニカルに車を走らせたい人向けの施設が」


 だ、ダメだ。乗ったらダメだ。助手席に乗せてって言われる未来が見える……毒饅頭だ。


「……考えておきます」

「チッ」


 お嬢様には似つかわしくない、明らかな舌打ちが聞こえたが聞こえなかったことにする。


「というかできるんかよー、さらっとできるんかよー」


 足をばたつかせるうちのお嬢様は今日も不思議な人だ。


「あぁ、そうだ。人の上に立つつもりなら、人の使い方を覚えなさい」

「え?」

「感情の使い方だよ。感情的にならないことと無感情であることはね、リーダーという立場においてまったく違うんだよ。必要な怒りはあるんだ」

「それはまぁ、わかりますけど」

「いつもニコニコしているのは良いよ。常に冷静なのも素晴らしい。他の人の前での怒鳴り声は全体の作業効率を下げるという話もある。けれどね、時は大事なんだよ、魅せ方が。本音では全くそう思って無くても、その時その時、必要な表情を見せて、相手に事の重要度を伝える。そのためにマイナスの感情が必要になる場面はある」

「……志保さんは」

「ん?」

「いえ、なんでもありません」


 僕たちの前でも、そんな風に考えているのですか、という質問はあまりにも失礼と言うか、志保さんと言う人を知らな過ぎると思った。


「怒れとも怒鳴れとも、泣けとも言ってない。自分の感情すら駒にして操り切って魅せるんだよ。日暮相馬君」


 けれどもその時の志保さんの目は、いつも通りのようでとても冷たくも見えた。

 


 家に帰ると陽菜はじっとノートパソコンと向き合っていた。心なしか少し険しい顔に見えた。


「最後……」


 微かな呟きはきっと誰にも聞かせるつもりの無いもの。それでも聞こえてしまった。陽菜が受け入れつつある事実、その証明。

 受け入れることは決して悪いことではない。訪れる現実を見なかったことにする、見ないようにする。そんな陽菜の姿はきっと友恵さんにとっては酷な光景になる。

 どれだけ嫌だ嫌だと首を振ろうが、時間は平等に流れるのだから。平等に残酷なのだから。


「陽菜、思い詰め過ぎかもしれない」

「相馬君……おかえりなさいませ」

「うん、ただいま。その、あれだ。明日さ、行ってみよう、病院に」

「そうですね。では、急ぎます。お医者様も叩き台となる案が無ければ良いも悪いも言えないでしょう」

「そうだね」

「やはりこの時期でも温かいところが良いと思います。それと、あまり出歩けないでしょうから、街中をゆっくり見て回るだけでも楽しい場所が良いかと」

「うん。良いと思う」

「それに……」


 そこで陽菜は口を噤んだ。

 そこでふと、考える。今、陽菜に必要な僕の表情はどんななのだろうと。

 先ほどの志保さんとの会話が思い返される。思い返しながら、僕はキーボードの上に置かれた陽菜の手をそっと握った。

 続きは急かさない。この静けさはきっと必要な時間。かみ砕いて、少しずつ飲み込んでいく。飲み下していくための。

 たとえそれが身体の奥に消えても、その味は覚えている。忘れない限り、決して消えない。

 この感情を抱えて、例え薄れても時折思い返して生きていく。

 だから僕は伝える。ずっと手の届くところに温もりがあることを伝える。

 やがてゆっくりと陽菜の口が開く。動き出す。言葉を紡ぐ。


「静かな場所が良いです。無理にどこかに行く必要なんて無いと思っていました。でも、やっぱりきれいな場所を見たいです。最後なので」


 そこまで言い切った陽菜はゆっくりと頷いた。そっと離れる。陽菜に任せよう。あとはどれだけ僕が何をしようと余計なお世話でしかないから。




 「……陽菜先輩、風邪ひきますよ」


 そう言うけれど瞼はピクリとも動かない。パソコンの画面には、眠気が限界でも作業を続けようと粘ろうとした形跡が意味不明な文字列として残っていた。おkふぇああああああああああああああをけふぁって感じで。


 そっとキーボードから手をどかして、意味不明な文字列は消して作業状態を保存してパソコンはシャットダウンしておく。


「乃安? 陽菜、寝ちゃった?」

「はい、朝までに完成させようとしたのでしょうね」


 シャットダウン直前、ブラウザのタブの数は結構な量になっていた。 


「そっか」

「? 心境の変化でもありましたか?」

「んー、かもね」

「なんでも自分でしなきゃって感じだったのに、昨日までの先輩ならきっと陽菜先輩の作業を引き継いでいたんだろうなぁと」

「全部自分がやれば、自分が望んだ結果が手に入るわけじゃない、って。僕という人間は僕にとっても別に万能じゃない」

「当然ですね。一人の料理をする者としても実感したこと、ありますよ」


 相馬先輩はそっと微笑みを讃える。困ったような。恥かしげなような。

 まるで今はこういう顔をすべきと意識しているような。


「……そろそろ休みましょうか。先輩、陽菜先輩を運んでもらっても?」

「もちろん」


 指摘はしない。仮面を被る道を選ぼうと。結局のところ心はきっと、私や陽菜先輩の前では丸裸だ。

 私も陽菜先輩も相馬先輩も、お互いがお互いそうだってわかっていれば、それで良い。

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クラスメイトなメイド 神無桂花 @kanna1017

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