第38話 弱さが照らす

 「陽菜ちゃん、帰って来るね」


 朝、志保さんの家を訪れると開口一番にそう言われた。


「そうなんですか?」

「なんだ、連絡行って無いんだ」

「……僕も今更、どんな顔で会えば良いかわからないんですよね」

「弱気だね」

「……誰だって弱るに決まってるのに、僕は……」

「だから相馬は引っ張ろうとしたんでしょ」


 そう言って志保さんはくるっと振り返る。


「どうする? 迎えに行く? 待つ?」


 その瞳は、決断をしないという決断を許さなかった。

 決断をしなければ結果的に待つということになる。けれど、そういう選び方の待つを志保さんは許してくれなかった。


「……きっと、パッと見綺麗な答えは迎えに行く、だと思うんです」


 帰ってきたのは笑み。何も言わずに志保さんは続きを促している。


「でも……僕は待ちたい」

「それはどうして?」

「僕が間違えたからです……僕は、陽菜に……気持ちとか事実とか、そういうのと向き合う時間を奪ってしまったから」


 僕は陽菜を過信した。陽菜なら事実は事実として受け入れ、感情と切り離して動いてくれると。今までだってそうしてきたから。

 僕は陽菜に強さを強いた。弱さを受け入れなかった。

 そんなの……。


「一番傍にいる人間として、失格です……だから僕はまだ、会いません。陽菜に時間を作りたいです」

「そっか……そうだね。うん、良いよその答え、私が許しましょう」

「ありがとうございます」

「気に入らない返答したら拘束して会わせるつもりだったから」


 ……こわいなこの人。


「まぁじゃあとりあえず。課題でもしよっか。夏休みの宿題、残ってる?」

「はい。本を読んでレポートを書く奴が、読み終わってはいるんですよ」

「なるほどね」

 



 「陽菜ちゃん、着いたよ」

「はい、ふわぁ」


 目を開けると夏樹さんがニコニコ笑って荷物を荷棚から下ろしていた。


「よく寝てたね」

「すいません」

「二日酔いかな」

「かもしれません、水分補給しなければ」


 新幹線を降りた。香ったのは秋の空気だった。あぁ、もうすぐ大学の夏休みが終わるんだと思い出した。空がどこか物寂しい。淡い灰色の絵具で塗られているような景色だ。でも。それだけに紅色が眩しく、木々が今年最後だと着飾っているようだ。

 スマホに表示された日付を見ると、着実に十月が近づいているのがわかった。


「どこ行く?」

「家に」

「良いね」

「相馬君はバイトですから、乃安さんに連絡します……って学校ですね、まだ」

「でも帰るんでしょ?」

「はい」


 帰ったらまずは何をしましょう。

 いつも通りに戻るために。まずは隅々まで掃除して、天気は微妙なのでお布団は干せませんね。代わりに少し手間のかかる夕飯でも用意しても良いかもしれません。


「それから……相馬君に決心を伝えます」

「良いね。会いにはいかないんだね」

「はい。大方、もう帰ってきてるのはわかっているでしょう。それでも迎えに来ないということは、相馬君にも準備がいるんですよ」

「ふふっ。そうだね。じゃあ、行こっか」

「はい」

 



 進路指導室が三年生の先生方に割り当てられた職員室になるのがうちの学校だ。その隣の面談室に私は呼び出されていた。


「本当に来れないのですか? どうにかご都合を、朝比奈さんの将来に直接関わる年ですよ」

「進路は私に一任すると母からは言われているので。私は問題ありません」


 そうはっきりと言うと、先生はこめかみを抑えて。


「……そうですか、いえ、強くは言えないことではあるので。わかりました。三者面談に親御さんは来れないということで」

「はい。すいません」

「いえ、ご両親にはお忙しい中申し訳ありませんと伝えてください」

「はい。失礼します」


 頭を下げて面談室を出る。毎年面倒だな、三者面談に誰も来れないことを伝えること。


「あぁ、莉々。待っててくださったのですか?」

「ん。お昼食べよ」

「うん」

「……朝野先輩、帰ってきた?」

「まだ、ですね……でも、きっと帰ってくると思っていますよ」

「なんで? ……乃安ちゃん的には……帰ってこない方が良いんじゃないの? 二人きりじゃん」

「相馬先輩と二人きりなのはそうですけど……でも、それでも……帰ってきて欲しいです。だって私……陽菜先輩のことも、好きですから」

「……そう」

「好きな人とずっと幸せに……笑われるかもね、子どもっぽい、弱いって」


 少しずつ冷えていく空気、太陽の温もりの香りがやけにはっきりと感じられる。

 弱さが照らす道だって、きっとあるから。

 強いばかりが正しくない。

 山のてっぺんからだって見えない景色がある。

 麓だからこそ見える景色がある。

 遠い空を、眺めていたいんだ。 

 後ろ向きな前身、何が悪い。


「だからまぁ、今の相馬先輩は私にはちょっと熱いです」

「……人のこと言えないよ。その幸せを手に入れる基盤を作るために海外にまで飛び出そうとしている乃安ちゃんがさ」


 という言葉は聞こえないことにした。



 

 仕事を終えて家に車を走らせる。家が見えてきた。明かりがついている。乃安はいるだろうけど、わかっている。今は陽菜もいる。

 普通に入ればいいのか、それとも……。


「ちょっとだけ、こわいな」


 でも……陽菜の方が怖い。

 支えると引っ張るを間違えないように。 

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