第35話 最後だから。

 「乃安に頼みたいのはさ……その、来年。乃安が卒業してからのこと」

「今じゃなくて、ですか」

「うん、今は。今のことは陽菜に従おうと。陽菜のその……やる気とかを、勢いを削ぎたくない。だから余計なことはしたくない」


 帰り、少しだけ遠回している。冷静に考えて、陽菜のいるところで話したい事ではなかった。


「それでさ、ほら、清明君。旅館に引き取られることになってる。おじいちゃんの」

「そうでしたね」

「乃安なら、その……上手く、支えられる、かなって」

「なるほど」


 横目で乃安がふむふむと頷いているのが見えた。


「その信頼はまぁ、嬉しいですね。ところで先輩」

「ん?」

「先輩は、平気ですか?」

「えっ」

「平気ですか?」

「そりゃ、僕は」


 ハンドルを握る手に力を込める。なんか、いま。意識が、遠くに飛んだ気がして。


「……帰ろうか」

「そうですね」


 僕がしっかりとしないといけない。今は、そういう時なんだ。

 弱音も、休みも、あとで、いくらでも。

 僕が弱って良い番じゃない。

 


 

 「冬にはまた帰ってくるね」

「あぁ。待ってる」


 新幹線に乗り込む夏樹を、陽菜と二人で見送る。


「また、どこか出かけましょう」

「うん!」

「その、お元気で」

「陽菜ちゃんこそ」


 ゆっくりと新幹線は動き出し、少しずつスピードを上げて、それから少し、あっという間に遠くの景色の一つになる。


「……寂しいものですね」

「うん」


 でも、また会える。また会えるから。

 家に帰って僕たちはすぐに病院に向かった。

 友恵さんは少しずつ、弱っていっているのがわかった。それは明確な終わりを認識してしまったからなのか。自分の力で生活を切り盛りしようとしてた入院する前の活力は失われていた。


「あらいらっしゃい」


 と、いつか見たように、諦めたように笑って僕たちを迎えた。

 どんな顔をすれば良いのだろう。どんな風に僕は友恵さんと関われば良いのだろう。わからない。

 わかるのは。


「今日はチーズケーキを作ってみました。食欲はありますか?」

「えぇ。ありがとう。いただくわ」


 陽菜から目を離してはいけない。それだけ。それだけしか、わからない。


「どうせならやたら度数の高いお酒とか、違法な薬とか試してみたいわね」

「冗談はよしてくださいな」

「ふふっ。ごめんなさい」


 どうせ死ぬなら、という言葉が付きそうな友恵さんの言葉。


「……そうだ」

「相馬君?」

「友恵さん!」

「何かしら」

「……陽菜と、旅行、行きたいと思いませんか? 日帰りでも。どっかの宿で温泉は言って美味しいもの食べて帰ってくる。それだけのこと」

「素敵ね」

「行きたい、ですか?」

「そうね、行けたら、とっても素敵なことね」

「行きましょうよ」

「どうかしら」

「身体、まだ、動くんじゃないですか?」

「えぇ」

「動くうちに……陽菜と二人で……いえ、必要なら僕も行きますから」


 何でもする。だから、陽菜と、最後に思い出を作って欲しい。

 どこまでも抱えて行ける。最後の思い出を。


「相馬君」

「なんだよ」

「お気持ちは嬉しいですが。主治医の方に相談しないと」


 静かな陽菜の言葉。我に返る。くそっ、段取りってものを忘れるなんて。失敗した。頭を掻く。


「そう、だね」

「一緒に話して見ましょう。……母さん」

「なに」

「私も行けるなら、是非、行きたいと考えています」

「そうね。どこが良いかしら……」



 それから、僕と陽菜は主治医の人に病状の説明を受け、今後の方針を話し合った。

 長く苦しませたくはない。それが陽菜の答えだ。ただ。


「最後の思い出作りには、行きたいです。さっき、旅行に行きたいと」

「そう、ですか」


 先生は渋い顔をする。


「検討はしてみますが。あまりおすすめはしません」

「わかりました」

「なるべく前向きに検討はしますので、少し待っていただけますか?」

「はい」


 頷いて陽菜は頭を下げる。

 病院を出て、それから。


「相馬君、少し寄りたい場所があります」

「うん」


 僕達だけで話を進めてしまっていたけど、友恵さんにはもう一人子どもがいる。

 矢田目清明君。彼とも、ちゃんと話さなければいけない。

 そして僕は考えていた。


「陽菜」

「はい」

「もし、行くことになったら、三人で行ってきなよ」

「えっ、でも、相馬君。さっきは」

「三人での時間を過ごすべきだ。いや、大丈夫、僕もこっそりついて行く」

「……でも」

「家族と、最後の時間」


 押しつけがましいだろうか。わからないけど。でも僕は。


「……友恵さんに、さ。ちゃんと家族の時間、過ごして欲しいと思ったんだ。気兼ねなく」


 入院して、退院できて、陽菜や父さんの力を借りなくても生活できるように走り回って、中学生の息子をちゃんと育てようと奔走して。


「最後くらい、力、抜いて欲しいじゃん」

「最後……」


 助手席に座った陽菜は目を伏せて。


「最後、ですか」

「陽菜?」

「すいません、相馬君。先に、帰っていてください」

「え?」

「歩いて、帰りますから。頭、冷やします」


 そう言った陽菜は車を降りて歩いていく。一人。その背中は見たこと無いくらい、酷く弱々しい。

 いつだって支えてくれた陽菜のその姿に僕は。

 まだどう向き合えば良いか、定められていないことに気づいたんだ。





 

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