第33話 遠回り。大丈夫と、言わないように。

 友恵さんが帰って来た。持っている袋には処方箋が入っていて。病院に行って来たのはすぐに分かった。

 私は迷う。問うべきだろうか。問うべきだ。だって、息子さんである清明くんのことだってある。場合によっては相馬君のお父さんやメイド長にだって頼らなきゃいけない。


 結末がわかっているなら、それまでにやらなきゃいけないことがある。友恵さんの代わりに、私が。……私が!


「あら、いたのね。いらっしゃい」

「お、おかえり、なさい。友恵さん」

「ん?」


 友恵さんが首を傾げる。……あっ。


「お、お母さん」

「うん。それで、どうしたの?」


 言え、言うんだ。

 言わなきゃ。言わなきゃ始まらない。やらなきゃいけないことがいくらでもある。だから。


「あ、……あ」


 言えない。余命が……。

 どうして。

 どうして私に知らせてくれなかったのか。違う。どうして、言えないんだ、私は。

 知ったのなら責任を果たせ。やるべきことを。私に、出来ることを。

 知っている。人が亡くなったら遺族が何をしなければいけないのか。メイドとしての知識が知っている。人が亡くなるということは、色んな人を巻き込む重大事案だと、知っている。

 だから。早めに。……嫌だ。

 なんか、嫌なんだ。

 だって。

 わかってよ、朝野陽菜。子どもじゃないんだ。

 ちゃんとしなきゃ。私が。だから……。


「陽菜?」


 なんで、友恵さんに。母に、心配かけてるの。

 止まってよ。目からぽろぽろと、情けない。

 受け入れてよ。なんで、目を逸らそうとしているの。


「……そう、見ちゃったんだね」

「はい」

「うん。今年、持たないって。年明けまで、無理だって。薬で誤魔化すのも、もうすぐ限界だって」

「……はい」

「考えちゃったんでしょ。あたしの子どもと思えないくらい、賢いものね。あたしが亡くなった後の清明のこととか、考えてくれたのでしょう」

「はい」

「兄さんにはもう、話してあるの」

「……そうですよね、えぇ」

「そしたら、相馬さんのおじいちゃんとおばあちゃんが経営している旅館に行くのが良いんじゃないかって。いきなり姉や従兄ができても困るだろうからって」

「はい」


 あぁ、ちゃんと考えてた。この人は、やっぱり、母親だ。


「秘密にしていたみたいで、ごめんなさい。ちゃんと、伝えるつもりでは、あったのよ。タイミング、考えちゃって。楽しい夏休みに、水を差したくなかったの」

「ごめんなさい」

「ううん。あなたは悪くない。折角の大学生としての夏休み、満喫しないなんて駄目よ。許しません。母として。ふふっ。やっと母親らしいこと、言えた気がするわ」

「ずっと、母です。私の」


 おずおずと、身体に回される手に抱き寄せられて。私は目を閉じた。

 ……これが、温もり。相馬君や夏樹さん、乃安さんとも違う。どうしてか眠たくなる。そんな温もり。安心、この人が、母親なんだって否応なくわかった。

 この人は、私がちゃんと成長できるように、考え、戦い、走り続けた人なんだって、心が理解した。




 家に帰って私は、すぐに相馬君に報告した。来年までもたないと。相馬君は黙ってうなずいて。


「そっか……」


 相馬君は目を閉じて。そして。


「その……陽菜は……」

「私は大丈夫です。だから、まずは……」

「陽菜先輩」


 肩を掴まれて咄嗟に振り返る。乃安さんだ。


「今は確かに大丈夫かもしれません。ですが。大丈夫という言葉は、取っておいてほしいです。今は、言わないで欲しいです」

「は、はい」


 気がつけば頷いてしまっている。乃安さんの言葉に。

 込められた感情は深く、深く、突き刺さる。深く、突き刺さる。


「大丈夫です。私達、いますから。陽菜先輩、何をしたら良いですか?」

「はい……えっと」


 大丈夫、考えてある。やらなきゃいけないこと。大丈夫。


「まずは……」

  



 友恵さんは再び入院することとなった。

 僕たちはその準備を手伝った。

 父さんの代わりに陽菜がずっと付き添っていて。学校で来れない清明君。まだ言わないで欲しいと言われた。自分の口で、タイミングを見計らってちゃんと話すと。

 でも。

 どうだろう。


「帰ろっか」

「はい」


 検査も手続きも終わり、僕達は病院を出る。日は傾いて、僕達を優しく照らす。ふと香ったのは夏の終わりの香り。どこか燃え尽きたような、寂しい香り。

 いまいち実感を持てないのはどうしてだろう。

 いまいちどうにかなるんじゃないかと思ってしまうのはどうしてだろう。

 でも、語らない。希望を語らない。

 だってわかったんだ。陽菜はあの日、泣いたんだ。

 陽菜は、誰かのためにしか泣かないから。優しい涙しか、流さないから。だから。陽菜はわかったんだ。もう、どうにもならないって。だから。


「なんでも、言って欲しい。お願いだ」


 頼むから。


「一人で全部しようとは、しないでくれ」

「わかっていますよ。相馬君……わかって、ますよ。だい、じょ……いえ……」


 信号待ち、助手席を横目で見る。


「そうま、くん」


 陽菜の声が、崩れた。

 ウインカーを上げる。回り道。長い長い、回り道。

 今の陽菜を、他の誰かに見せるわけにはいかない。 

 夜の帳が下りていく街。そんな闇を照らそうと人は明かりを灯す。

 その中を走っていく。ゆっくり、ゆっくりと、遠回りする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る