第151話 メイドと幸せになる勇気。

 「ひ、陽菜先輩、何を言っているのですか」

「もうまどろっこしいことは抜きにして、わかり合いましょうと言っています。どうしてかはわかりませんが。拳を交えると、言葉も正直になるそうですし。というわけで、いきますよ。相馬君」

「待て」

「これ以上の言葉は、拳に乗せてお願いします」


 トンと軽やかな音。陽菜の体格はお世辞にも恵まれてるとは言えない。小柄で、細い。だから当然、速さが重視の動きになる。理解できているのに。

 僕は陽菜の動きを目で追えなかった。一瞬消えたと錯覚した。突然下から伸びて来た手はグッと握られ顎を狙っていて。身体を引くことでどうにか回避。しかしそれは、間合いに深く入り込まれていることを意味していて。


「相馬君は……!」

「ぐっ」


 続く攻撃を、鳩尾を狙った攻撃を、まともに受けてしまう。


「相変わらず……!」


 大丈夫だ、攻撃自体は軽い。けれど。間合いを全然離させてくれない。ほぼ密着するような間合いを維持され。そして。


「なんで……確かめもせず、勝手に決めつけて。良いと、言っているのに!」


 脇腹に手刀、顔面を狙った拳は掠めたが直撃は回避。


「私が、相馬君がそうしたいと思って、気を使って許可している、とか思っているんですか! 好きだって、言ってるじゃないですか!」

「ぐっ」


 姿が捕らえきれなくて、見えないところから殴られていると錯覚してしまう。陽菜は的確に、僕の視界の外、そうでなくても端に居続けるからだ。

 だから。


「ぐぅっ」

「あれだけ、伝えたのに。相馬君だって、わかっている筈でしょう。後は、何を、怖がる、というのですか!」


 脇腹を抉るように叩き込まれた蹴りは、深く入り、姿勢が崩れ、続けざまに叩き込まれたアッパーに、僕はあっさりと床に転がされた。


「私の、好きだという言葉すら疑うと言うのであれば容赦はしません。今日、私の本気をその身体に刻み付けます。今日この日は、私はメイドではありません。一個人、朝野陽菜です。相馬君、まだ本気ではありませんね。本気の相馬君なら、今頃床に転がっているのは私の方でしょう。では次、乃安さん、行きますよ」

「えっ……」


 陽菜は再び、姿勢を低く一気に間合いを詰める。


「乃安さん、あなたは……本当に……今更、変な遠慮を! ありがたくはありますが。寂しくもあります!」

「っ」


 乃安はどうにか攻撃を防ぐが、それでも、最初からやる気の陽菜と、戸惑いが残る乃安では。


「ちょっと二人きりの時間を作ってもらえるだけで、十分なんですよ! 露骨に距離を取らないでください!」


「うえっ。でも、そんなの。申し訳ないじゃないですか! 相馬先輩には陽菜先輩大切にして欲しいですし。陽菜先輩には幸せになって欲しいですし!」


「恋人といることだけが幸せだとでも言う気ですか! 恋人ができたからと、他の人との関係を疎かにするほど、私は、愚かではありません! 自分がいなくなれば、平和になるとか、考えているのだとすれば。私は全力で、否定します!」


「そ、そんなこと考えてませんよ! そんなこと言うなら遠慮せず、陽菜先輩にも相馬先輩にも関わりますよ!」

「そうしてくださいと、言っているんですよ!」


 陽菜の振り回した足は、切り裂くように乃安の横腹を蹴り抜き、そのまま尻餅をつかせる、そして陽菜は再び僕に振り返る。ここまであれだけ動いておいて、息一つ乱さず、静かな、だが、確かな熱を込めた目を向けてくる。


「理屈が通っていない。相手の都合を考えていない。そんな無茶苦茶な我がままに聞こえますか? 私の言い分は。だとしても気にしません。相馬君達もぶつけて来れば良いのです。それがきっと、腹を割ってぶつけ合うということでしょう」


 立ち上がると、陽菜はすぐに構え、そして向かってくる。


「……違う」


 もう、陽菜の攻撃の仕方は理解した。

 ゆらりと、僕は感じた気配に従い、陽菜のいる方に振り返りながら滑るように動く。すり足を応用した足さばきで。


「っ。流石は」

「違うんだよ。陽菜」


 見なくたって。攻撃の気配が無いわけじゃない。躱して、いなして。


「気持ちはもう、微塵も疑っていない」

「なら、なんで!」


 顔の横を掠める足。鳩尾スレスレの空を切る貫き手。


「僕は怖いんだ」

「何がですか!」


 陽菜の戦い方は、相手の視界の外、意識の外に陣取り続け、威力を捨てた速さに特化した攻撃で相手に攻撃させることなく崩しきり、止めの連撃で倒すというもの。九重君のように駆け引きなんかせず一方的な飽和攻撃のような攻めで押し切るものとは真逆の発想で近い結論に辿り着いた印象。

 だけど。

 わざと一撃、当てさせた瞬間、その手を掴む。脇腹への手刀。


「捉え、られ……」

「怖いんだよ。僕は」


 幸せになるのが、怖いんだ。




 苦しいことは終わりがある。

 辛いことは乗り越えられる。

 幸せは、その果てにある。

 幸せは、ある種のゴールだ。幸せを実感し、心を浸す。明日を憂いることなく、今日を嘆くことない、そんな日々。

 それを目指して、歩き続けた。でも、目の前まで、来てしまった。

 苦しいことは、慣れる。

 辛いことは、受け入れられる。

 いずれ終わりがあるから、諦めなければ、希望を捨てなければ、どこまでも歩いて行ける。

 でも、乗り越えてしまったら。その先僕はどうしたら良い。幸せは、いつ失うかわからないもの。


「目指すものを失ってしまえば、足を止めてしまう。手に入れなければ、失うことは無い。そう言いたいんですね。失うことが怖い。目指すものを失うことが、手に入れたものを失うことが」


 陽菜の言葉に、僕は頷きだけを返す。


「なるほど。お気持ちは理解しました」


 そして、陽菜は全力で拳を振り被り、そして、踏み込みと共に一閃、その空間ごと刈り取ってしまうような勢いの一撃。


「それでも。幸せになれるのにならないのは、卑怯です! ズルです!」


 掠めただけなのに、鼻が火傷しそうな。

 軽やかに、陽菜は踏み込んだ足をそのまま軸足に、回転の勢いを乗せた足を見舞う。


「私は、相馬君を、幸せにすると、決めています! 私を選んだからには、そんな逃げ方、決して、許しません!」

「だけど、僕は……こんな生き方しか、知らないんだよ」

「なら、一緒に探しましょうか。なりたい自分を探すついでに!」

「僕は、でも……」


 もう、何の言葉も出てこなかった。


「辛そうな人、苦しそうな人を横目に、幸せになるのが怖い。だから手を伸ばし続けた。その人たちを見過ごしてしまうことが怖い。罪悪感が怖い」

「うん」

「でも、引き上げて、助けた後、あなたが苦しい、辛いままなら、助けられた人たちも浮かばれませんよ」

「そう、だね」

「幸せなんて、配るくらいが丁度良いんですよ。きっと」

「うん」


 気がついたら、床に転がっていた。頬がヒリヒリしていた。


「……十分か?」

「はい。ありがとうございました。九重君。萩野さん」

「まぁ……なんだ。仲良くな」

「何を言っているんですか先輩。言われなくても、彼女たちは仲良しです」

「はい。仲良いですよ。私達」

「そ、そうか」


 困ったような声と共に足音が二人分遠ざかっていく。


「わかっていただけましたか、相馬君?」


 横たわる僕の横でしゃがみ、覗き込んでくる陽菜の瞳には、曖昧な笑みを浮かべる僕が映っていて。


「幸せになって良いかなんて、馬鹿なことは聞かないよ。幸せになってはいけない人なんて、いないんだから」

「はい」

「ただ、怖い。けど」


 怖いけど。でも。


「そうだね、一緒にいてくれる人がいるんだ。勇気だって、湧いてくる」


 陽菜は、どこまでも本気だって一縷の隙も無く、本気だった。

 本気だから、僕にだって拳を向けて来た。僕の恐怖心を、完膚なきまでに叩きのめしに来た。僕に、足りないものを教えてくれた。


「相馬君。私を、幸せにしてくれますか?」

「うん」

「なら、相馬君も幸せにならなければ、ダメですね」

「そうだね」


 本当に、陽菜は……。


「一緒に、幸せになろう」


 この一言が、僕にとってはあまりにも重かった。

 でも、何よりも守らなければいけない約束になった。

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