第84話 メイドと居心地の良い世界。
「……普通に上手いですね」
「そりゃどうもっ!」
交差点を左折。殆どスピードを緩めてないからGを感じることになる。平然とした様子で萩野さんはタブレットから目を離さない。
「次の交差点右で」
「はいよっ」
えっと、車線変更の時ってウィンカー上げるんだっけ。確か。右折の時は……多分下だった気がする。さっき上にレバー上げたら左だったし。おっ、当たった。
「……ハンドル回す時に手を動かす方向で覚えると良いですよ」
「あぁ、なるほど確かに」
「しかしながら、どこで覚えたんですか?」
「父親に教え込まれたっ!」
タイヤの滑る甲高い音。後輪滑らせ方向転換。コントロールをミスるとスピンするが、そんなことに怯えている暇ではないのだ。
「……オートマ車でドリフトって滅茶苦茶難しかった筈ですけど。それを教えたというあなたのお父さんは何者ですか」
「化け物」
もう少しで人間卒業できると思う。
「あなたもあなたで、教えられたからできると言うのも謎ですね。ちなみにですが、公道でのドリフトは安全運転義務違反、騒音運転等違反。それを抜きにしても、スピード違反、交差点優先車妨害違反は……目を瞑っても良いや。はぁ、始末書になるのかな、これ。一応、通達は言ってる筈なので、止められる事は無いと思いますけど」
「……ごめん。ドリフトはもうやらない」
「そうしていただけると助かります。余計な事務仕事は勘弁です。先輩も多分、何かしらやらかすと思うので」
「そ、そうなんだ……」
まず僕たちが向かうのは犯行現場だ。そこで陽菜と合流する。九重君は既に犯人の車を発見して追跡している。陽菜を回収したら僕もすぐに向かう。
自分の通う高校の前をエンジンを高らかに駆け抜け、そして。京介の住むアパートにたどり着く。
「陽菜っ!」
「そ、相馬君。その車は……?」
「乗れ。夏樹を追う」
「! はいっ!」
目元を強く拭った陽菜が後部座席へ。さぁ、行こう。急がねば。
「結愛、奴らのアジトを見つけた」
「了解、位置情報を確認しました。合流します。日暮さん!」
「あぁ!」
焦りはない。見えているのは、やるべきこと。それだけ。
「陽菜は……」
「一緒に行きます。待っているだけなのは、嫌です」
ハンドルを握る手が汗ばむのを感じる。目が熱くなる。集中している。感じる。
急げ、急ぐんだ。とにかく。走るより、自転車を漕ぐより圧倒的に速い筈なのに、足りない。遅い。そんな気がしてしまう。
「次の交差点を左です」
「ごめん、萩野さん」
「はぁ」
隣で確かに聞こえたため息は、タイヤが滑る甲高い音にかき消される。
「そこでアクセルを踏み込んでください」
と言われ反射的に踏み込んだ瞬間。殆ど減速することなく、直進の軌道、スムーズに再び加速に移れた。
たどり着いたのは、街から大分外れた工業地帯。
「ここからはなるべく静かに走ってください」
「うん」
気づかれて逃げられたら元も子もないということだろう。エンジンが悲鳴を上げ始めていた車を宥めるように減速する。景色が途端にゆっくりと後ろに流れる。少し焦げ臭い気がする。
「思ったよりも冷静ですね」
「取り乱して解決するなら、僕は陽菜と一緒に手足投げ出して泣きながら暴れるよ」
「はい。相馬君に賛成です。自分の無力に泣く時間は、終わりです。やるべきことを。やります」
「……父さん。見立ては間違っていません」
萩野さんが無線に向かってそんなことを言っていた。
「そこですね」
そう言って指さした方向にあったのは。
「……廃倉庫、みたいですね」
フェンスも門も錆びて、開け放たれている。不自然に止められた車が一台。監視カメラにあったものと同じ。
「ここで止めて、後は徒歩で近づきましょう。朝野さんはここで待っていてください」
銃を取り出し点検をしながら、萩野さんはそう言ってタブレットに指を滑らせる。
「えっ、しかし」
「私たちが取り逃がした際、すぐに追跡に移れるように、車を持って来てください。朝野さんの所属しているところ、車の運転も教えていましたよね」
「わかりました」
「充分に注意して、鍵をかけて隠れていてください。襲撃される可能性もあります」
「わかりました」
「これを預けます。襲撃された際はすぐにこれを押してください。日暮さんも」
「ありがとう」
無線型のイヤホンか。マイク付きの。本当に、今から。
呼吸が浅くなる。少しふわふわした気分だ。手足が覚束ない。今から挑むことに、緊張しているらしい。覚悟は、決めていた筈だ。
「はぁ」
耳に嵌めると、すぐに。
『早くしろ。向こうは朝比奈さんを拘束しているだけだが、次に何をするか、わかったもんじゃねぇ』
と聞こえた。
「すいません先輩。すぐに行きます。……良かった。思ったより冷静ですね、先輩」
『当たり前だ。個人的な感情に囚われるような、未熟者じゃないんだ、俺だって』
「ところでダッツは買ってくれました?」
『奏に預けてる。ありがとな。やっぱり、少し身体が強張ってた。楽になった』
「そうですよね、声がいつもより固かったですよ」
二人のやり取りは、これから敵の懐に飛び込むとは思えない、そんな気軽さで。でも、萩野さんの動作に何一つの油断も慢心も見えない。
だからだろうか、気がつけば心臓を締め上げていた縄のようなものが緩まった。そんな気がする。
怒りを抑えろ。焦りを無くせ。感情に支配されて夏樹を助けられなかったら、元も子も無いんだ。そう言い聞かせても、完全に従わせることは叶わない。わかりきっていたこと。
「ありがとうございます。僕の、友達のために」
『全部終わってから言え』
「気が早いですよ。日暮さん」
「……そうだね」
物陰から物陰に移りながら、建物の壁際まで近づく。
『誘拐の目的は不明。敵は三。他には確認できない。合流される前に拘束するぞ』
「こちら側の増援は三分後に到着予定、周辺の封鎖を担当してくれます。拘束部隊は封鎖、襲撃の成功を確認後突入する手筈です」
建物の外をぐるりと周る、僕が先導する。萩野さんが後ろ。萩野さんに指示された方向に進んでいく。背中を叩かれ、止まる。振り返ると、中を確認しろと合図。
ちらりと中を確認すると、確かに、夏樹を見つけた。
倉庫に併設された事務スペースを陣取っている。中は事務机一つと三人掛けのソファーが二つ。一人掛けのソファーが一つ。一人掛けの方に夏樹が座らされ、縛られている。
「こちら、位置につきました」
『了解。要するにいつも通りだな。では、一番槍は俺が行こう。日暮は俺が突入したら三秒数えてから来い。結愛は後ろから援護を頼む』
「了解。いつも通りですね。日暮さん、中を見ないで耳を塞いでおくことをお勧めします。……作戦、開始」
『さぁ、始めようか』
窓ガラスが叩き割られる音。それと同時に、手で耳を覆った。何か甲高い音。耳を塞いでいても聞こえるって、どんだけデカい音なんだ。
「1、2、……今っ!」
萩野さんに肩を叩かれ、僕も窓を叩き割って侵入。すぐに夏樹のところに……違う。この場合は。
九重君の後ろから襲おうとしていた奴は……何かを顎に受けて倒れる。なら、九重君が相手にしている奴の後ろに立っている奴を。締め上げる!
「良いぞ! そのまま拘束しろ、気絶はさせるな。情報を吐かせる。結愛、手錠」
「了解」
「わかった。夏樹、助けに来たぞ」
「う、うん」
ちらりと振り返ると、萩野さんが手早く九重君に手錠を渡して、夏樹を縛っていた結束バンドによる拘束を解除する。
僕が締め上げていた奴の手足に手錠がかけられ、机に固定。
服装は半袖のTシャツにジーンズと、どこにでもいそうな格好だ。髪は金髪に染めてあり、ピアスも空けている。身体はそこそこ鍛えられているが、筋肉質と言うほどではない。それくらいしか見てわかる情報が無い。
「さて、桐野京介という名前に聞き覚えは?」
早速とばかりに九重君がそう声をかける。
「な、なんだよ、お前らは」
「答えろ」
萩野さんがこれ見よがしに銃の弾倉を確認している。九重君は頬を吊り上げ、これ見よがしに萩野さんの方を見る。
「そ、その名前は、し、知ってる。お、俺達はあいつに、復讐、するために」
「プライドの欠片も無い奴らが。それで、知ってるのだろ、桐野京介の居場所」
「し、知らな、い」
カチャっと音がする。萩野さんが弾倉を戻して装填していた。
「本当に、お、俺が知ってるのは、狂犬の夜、の、再現をするって」
「……狂犬の夜?」
九重君が僕の方を見るが、知らない。いや、京介は狂犬と呼ばれていたとか、言われてたような。
「京介が、狂犬と呼ばれるきっかけになる事件があった、ということか」
「なるほど、結愛、調べられるか?」
「時期を細かく絞れないので少し時間がかかるかもしれません」
「こいつから吐かせれば良いだろ」
「なるほど。では。本格的に尋問、始めましょうか。連行を担当してくれる拘束部隊には、まだ連絡していないので、そうですね、もう少し遊べますよ」
「それは良かった。じゃあ、吐いてもらうか、詳しく」
二人が不気味に笑いながら何かの準備を始める。
「そ、相馬くん……」
夏樹が僕の腕を掴む。手が震えているのが伝わってくる。
「大丈夫だ。今度こそ」
守るから。僕が、守るから。
結果的にすっかり怯え切ってしまい、詳しい話を引き出すのに苦労はしなかった。
陽菜と合流し、一旦家に戻って、夏樹を乃安に預ける。僕たちは方針の確認だ。
「この事件ですね。報告書のデータ、見つけました。百対一の喧嘩……? 警察が到着した時には、桐野京介一人が立っていた? 先輩、百対一とか勝てますか?」
「厳しいな。やりたくない。日暮は?」
「同じだよ。やらないが正解だ」
だが、京介は異常なほど打たれ強い。いや、それにしたって。百って。
「とりあえず、明日までにここに行けば良い、ということですね」
陽菜はじっと萩野さんのタブレットを覗き込みながらそう結論付ける。
「あぁ。そうだな。……布良さんは、大丈夫か?」
「特に外傷は見られませんでした。迅速に解決できたのが功を奏したと言うべきでしょう」
「あぁ。結愛の対応が早かったからな」
「いえ、ここまで強硬な手段に出ると予想は出来ていなかったので、対策が甘かったです。すいません」
「助けていただいたのは確かなので、私としては、何もありません。友人を助けていただき、ありがとうございました」
陽菜は頭を下げた。けれど、表情は晴れない。僕自身も、少し気分が沈んでいるのは否めない。
身体の傷が無くても、見えない傷は、あるから。
夏樹を、また守れなかったんだ、僕は。
だって、萩野さんとの予定をずらして、一緒に行けていたら。
少し休めと言われた。正直、そんな気分じゃなかった。でも、プロの二人が言うんだ。従うべきだろう。
「先輩」
後ろから声をかけられた。乃安の声だと、すぐにわかった。
「あぁ。ありがとな、夏樹のこと」
「当然のことです」
乃安はトントンとステップを踏むように近づいてくる。トントンと、距離を失くしてくる。
「ねぇ、先輩」
「ど、どうした?」
「先輩。……もう、良いじゃないですか」
「な、何が」
「今なら、間に合います。先輩も、陽菜先輩も、必要以上に傷つかなくて、済みます。夏樹さんも、時間をかけて、ケアしていけば、日常生活に問題無く復帰できます」
乃安の声が、蕩けて、頭の中に染み込むように、広がっていく。
「もう、良いじゃないですか。離れてしまったものを拾いに行かず、今手にあるものを大事にすることを、考えませんか?」
「えっ……?」
乃安が告げたことは、僕が怖がった、楽になるための可能性で。
「先輩、この居心地の良い世界。それを守ることだけを、考えませんか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます